第2話 婚約者教育は戦場でございます
わたくしには、確信がありました。
この婚約――
絶対に普通ではありません。
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翌朝。
アルヴェイン公爵邸の応接室に、問題の人物が立っておりました。
「本日より護衛任務を兼任します」
騎士服姿のカイル様。
姿勢は完璧。
声も落ち着いている。
ですが。
致命的な問題が一つ。
――貴族の空気を、まったく読まない。
「座ってくださいませ」
「護衛が主と同じ高さに座るわけには」
「婚約者です」
「……」
「座ってください」
「……はい」
ぎこちなく椅子に腰掛ける騎士。
使用人たちが廊下でざわついております。
無理もありません。
公爵令嬢の隣に、平民出身の騎士が並んでいるのですから。
王都新聞なら三日持つ話題ですわね。
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「本日は教育を行います」
「教育?」
「婚約者教育です」
彼の眉がわずかに動きました。
「剣術ではありませんのよ」
「少し安心しました」
「安心なさらないで」
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わたくしは扇子を閉じました。
「まず基本。貴族社会では“本音を言わない”」
「難しいですね」
「思ったことをそのまま言うのは禁止」
「……努力します」
「では練習です」
わたくしは微笑みます。
「わたくしのドレス、どう思います?」
騎士は一秒で答えました。
「動きづらそうです」
即失格です。
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「違います」
「違うんですか」
「『本日も大変お似合いです』です」
「ですが実際――」
「事実は不要です」
「理不尽ですね」
「社交界ですもの」
彼は深く息を吐きました。
「……騎士団より難しい」
「当然です」
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その時でした。
ノック。
執事が入室します。
「お嬢様。王城より急使が」
封書を受け取った瞬間。
空気が変わりました。
王家の紋章。
そして――極秘印。
わたくしは中身を読み、静かに目を細めます。
「……なるほど」
「何か?」
カイル様が即座に警戒姿勢へ。
反応が速い。
さすが騎士。
「三日後の夜会」
「はい」
「わたくし、狙われるそうです」
「――誰に」
「書いてありませんわ」
つまり。
王家も犯人を断定できていない。
だから。
平民出身の騎士を、あえて婚約者に据えた。
貴族派閥の外側にいる“読めない駒”。
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カイル様の目が鋭くなりました。
「護衛体制を組み直します」
「その前に」
「?」
「あなた、夜会に出ますのよ」
沈黙。
「……夜会?」
「婚約者として」
「戦場では?」
「ある意味そうです」
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三日後。
王城大夜会。
そして現在。
「帰りたい」
「だめです」
カイル様は壁際で固まっておりました。
完璧な礼装なのに、表情が完全に新人兵士。
「全員こちらを見ています」
「当然ですわ」
「敵ですか?」
「半分ほど」
「多いですね!?」
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貴婦人たちの囁きが聞こえます。
「平民ですって」
「本当に?」
「どういう趣味かしら」
――予想通り。
ですが。
わたくしは扇子の影で微笑みました。
次の瞬間。
若い伯爵令息が近づいてきます。
「レティシア様、まさかその方が婚約者と?」
嘲りを含んだ声。
カイル様が一歩前へ出ようとします。
止めました。
ここは剣ではなく、言葉の戦場。
「ええ、そうですわ」
「随分と……珍しいご趣味で」
「ええ」
わたくしは優雅に微笑みます。
「命を預けられる方を選びましたの」
周囲が静まりました。
「貴族は家を守りますけれど」
一歩近づきます。
「騎士は“人”を守りますもの」
令息は言葉を失いました。
完全勝利です。
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その直後。
カイル様が小声で言いました。
「……今のは訓練にありませんでした」
「応用編です」
「心臓に悪い」
「わたくしもです」
その時。
背後で、かすかな殺気。
――来ましたわね。
わたくしが気づくより早く。
カイル様の手が、自然にわたくしの腰へ。
引き寄せられる。
次の瞬間。
ワイングラスが床で砕けました。
本来わたくしが立っていた位置で。
毒。
間違いありません。
ざわめく会場。
そして騎士は低く呟きました。
「……ようやく仕事ですね」
その顔は。
夜会で怯えていた人物と、同一とは思えないほど冷静でした。




