第1話 婚約者が決まったようです
王都の春は、社交の季節でございます。
舞踏会、茶会、観劇会――そして何より。
「婚約発表」
それが、この季節の最大の催し。
そして本日。
わたくし、レティシア・フォン・アルヴェインは――
「正式に婚約者が決まった」
という報告を、父から受けたばかりでした。
⸻
「お相手はどなたですの?」
わたくしは紅茶を置き、静かに尋ねました。
驚きはありません。
公爵令嬢として生まれた以上、政略結婚は当然の義務。
問題はただ一つ。
誰なのか。
王太子殿下か。
宰相家の嫡男か。
それとも軍務卿の次男か。
候補はある程度絞れております。
父は咳払いをひとつしました。
「……落ち着いて聞きなさい」
「はい」
「相手は――」
少し間がありました。
「王城騎士団、第三部隊所属」
……まあ。
騎士様。
意外ではありますが、理解はできます。
近年は武門との結びつきも重要視されていますもの。
「お名前は?」
父は、なぜか目を逸らしました。
「……カイル・グレイ」
聞いたことがありません。
名門ではないのでしょうか。
「どの家のご出身ですの?」
すると父は、観念したように言いました。
「……平民出身だ」
――え?
⸻
紅茶が、少しだけ揺れました。
ですが、わたくしは取り乱しません。
「つまり」
確認します。
「わたくしの婚約者となる方は、爵位をお持ちではない?」
「……ああ」
「貴族ですらない?」
「そうだ」
沈黙。
長い沈黙。
そして、わたくしは微笑みました。
「なるほど」
父が驚いた顔をしました。
「怒らないのか?」
「怒る理由がございませんわ」
――少し、興味が湧いただけです。
⸻
三日後。
王城にて顔合わせが行われました。
わたくしは完璧な礼装で現れます。
相手が誰であろうと、アルヴェイン家の名を背負う以上、隙は見せられません。
そして。
扉が開きました。
「第三部隊副隊長、カイル・グレイ、入ります」
入ってきた人物を見て。
わたくしは――
初めて、言葉を失いました。
背が高く、無駄のない体躯。
日焼けした肌。
灰色の瞳。
そして。
貴族特有の「飾り」が一切ない。
まるで剣そのもののような人。
彼は片膝をつきました。
「初めまして、レティシア様」
低く落ち着いた声。
「俺では、ご不満かもしれませんが」
真っ直ぐこちらを見ます。
「必ず、あなたを守ります」
――守る。
その言葉に。
わたくしは思わず問い返していました。
「わたくしを?」
「はい」
「なぜ?」
騎士は少しだけ困ったように笑いました。
「……命令、ですから」
……まあ。
⸻
その瞬間。
わたくしの中で、何かが引っかかりました。
「では質問を」
「どうぞ」
「あなたは、わたくしが誰かご存じ?」
「公爵令嬢で、王都一気難しい方」
父が吹き出しました。
わたくしは微笑みを深めます。
「最後は余計ですわね」
「事実だと聞きました」
「誰から?」
「……王太子殿下から」
――なるほど。
理解いたしました。
これはただの婚約ではありません。
何かを隠すための配置です。
そして。
この騎士は、それを知りながらここにいる。
わたくしは立ち上がりました。
ドレスの裾が静かに揺れます。
「カイル様」
「はい」
「ひとつ提案がございます」
「?」
「形式上の婚約ではなく」
わたくしは彼をまっすぐ見ました。
「協力関係を結びませんこと?」
騎士の目が、わずかに見開かれます。
「わたくしは貴族社会を守ります」
「……はい」
「あなたは、わたくしを守る」
そして微笑みました。
「――対等な契約として」
数秒の沈黙。
やがて彼は、静かに頭を下げました。
「……了解しました、婚約者殿」
その声には、初めて。
ほんの少しだけ、楽しそうな響きがありました。
⸻
このとき、わたくしはまだ知りませんでした。
この“予想外の婚約者”が。
王国最大の秘密と、
わたくし自身の運命を大きく変える存在だったことを。
そして――
誰よりも誠実で、
誰よりも厄介な恋の相手になることを。




