第14話 王太子の決断
王城は、嵐の前の海のように静まり返っていた。
誰もが知っている。
だが、誰も口にしない。
――王位継承が揺らいでいる。
私、レティシア・フォン・アルヴェインは、王城西棟の回廊を歩いていた。
隣にはカイル。
以前なら、この沈黙に耐えられなかっただろう。
けれど今は違う。
彼はもう、“巻き込まれている人”ではない。
選ぶ側の人間になっていた。
「……怖いか?」
低い声で彼が言う。
「ええ」
私は正直に答えた。
「ですが逃げるほどではありません」
カイルが小さく笑う。
「お前らしいな」
その時。
「レティシア嬢、そして――カイル」
前方から声がした。
王太子殿下。
アレクシス・レオンハルト・ヴァルディア。
金の髪に、穏やかな微笑。
けれど今日は、その瞳の奥に覚悟が宿っていた。
「少し、時間をもらえるだろうか」
扉が閉まる。
護衛も侍従も下げられた。
三人だけ。
王位に最も近い二人と、
その間に立つ私。
「率直に言おう」
王太子は椅子に腰掛けず、窓辺に立った。
「継承会議の結果は、もう覆らない」
静かな声だった。
「王弟の罪は確定した。そして――」
振り返る。
「次代の王として、カイルの名が挙がっている」
空気が止まる。
カイルは黙っていた。
否定もしない。
逃げもしない。
王太子は、ふっと笑った。
「以前の君なら、ここで青ざめていたな」
「……否定はしません」
「変わった」
その言葉には嫉妬がなかった。
ただ、確かめる響き。
「聞きたい」
王太子は真正面からカイルを見る。
「君は――王になりたいのか?」
長い沈黙。
私は口を挟まない。
これは、彼自身の答えだから。
カイルはゆっくり息を吐いた。
「なりたい、とは思っていませんでした」
正直な言葉。
「だが」
一歩前へ出る。
「逃げた結果、この国が壊れるなら」
迷いなく言った。
「逃げません」
王太子の瞳が細くなる。
「……理由は?」
カイルは一瞬だけ私を見る。
「守りたいものができたからです」
胸が、静かに熱くなった。
王太子はしばらく黙り、そして笑った。
本当に、心から。
「安心した」
「……?」
「君が“王になりたい”と言ったら、私は反対していた」
私たちは同時に驚いた。
「王位を望む者は多い。だが――」
彼は静かに続ける。
「背負う覚悟だけで立つ者は、ほとんどいない」
そして。
王太子ははっきり告げた。
「私は王位継承権を辞退する」
空気が凍った。
「……殿下?」
「驚くのも無理はない」
彼は穏やかだった。
「だが私は、ずっと考えていた」
窓の外を見る。
「私は“良い王太子”にはなれる。だが――」
振り返る。
「この国が必要としている王ではない」
静かな自己認識。
「私は外交官になる」
「外交……?」
「争いを未然に防ぐ役目だ。王より向いている」
それは逃避ではなかった。
選択だった。
王太子はカイルへ歩み寄る。
「君に託す」
そして手を差し出した。
「王冠ではない」
一瞬の間。
「国そのものを」
カイルは、その手を握った。
「……受け取ります」
二人の手が固く結ばれる。
王位争いではない。
王位の“継承”が、今ここで成立した。
王太子は私を見る。
「レティシア嬢」
「はい」
「彼を支えてくれるか?」
私は迷わなかった。
「当然です」
微笑む。
「わたくしの婚約者ですもの」
王太子は軽く笑った。
「なるほど。では安心だ」
部屋を出たあと。
カイルがぽつりと言った。
「……逃げ道、なくなったな」
「最初からありませんでしたよ」
「冷たいな」
「現実的と言ってください」
彼は苦笑し、そして小さく呟いた。
「王になるのか、俺が」
私は歩みを止めず答える。
「ええ」
静かに。
「ですが一人ではありません」
彼がこちらを見る。
「わたくしたちで、です」
その言葉に、彼は初めて王になる者の顔で笑った。




