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21XX年、母になる痛みを失った世界で  作者: 風谷 華


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4. ガラスのゆりかごの中で

 出生管理センターは、かつての総合病院の一角を改装して造られている。

 ロビーは明るく、観葉植物とディスプレイの柔らかな光が、いかにも「安心してください」と言わんばかりの雰囲気を醸し出していた。


 受付で名前を告げると、白衣を着た技術者らしき男性が出てきた。胸元の名札には「青木」とある。


「高坂さん、ご足労おかけして申し訳ありません。こちらへどうぞ」


 案内された部屋の窓の向こうには、ガラスのカプセルが整然と並んでいた。

 かつて動画でしか見たことのなかった光景が、目の前に広がっている。


 透明な殻の内側で、小さな人の形をした影がゆっくりと動いている。

 まだ配達前の「十日目」の子どもたち。


「こちらが……」


「はい。ガラスのゆりかご、って呼ばれている設備です。正式名称は長くて、あまり親しまれていませんが」


 青木は少し笑い、端末を操作して一つのカプセルを拡大表示した。


「お子さんの件ですが、再解析による数値の揺れですので、重篤なものではない可能性が高いです。ただ、制度上、こうした変動はすべてご報告することになっていまして」


「……すべて?」


「はい。これは、いわば『透明性』のためのルールです。

 かつての妊娠・出産では、胎児の状態はかなりの部分が『見えない』領域にありました。今は、ほとんどが数値でモニタリングできます。でも、『見える』ようになったものは、説明責任も生まれる」


「説明……」


「リスクゼロというのは、技術者が一番口にしてはいけない言葉です。限りなくゼロに近づけることはできますが、ゼロにはならない。

 そのかわり、どの程度のリスクがあるのかを正確に共有し、どう向き合うかを、ご両親と一緒に考える必要がある」


 正論だ、と頭では理解している。

 でも、胸の奥には、どうしようもない感情が渦巻いていた。


「……だったら、どうして『安心してください』って言うんですか」


 自分でも驚くほど尖った声が出た。


「パンフレットにも、広告にも、『安全です』『負担がありません』って。

 もしリスクがあるなら、最初からもっと正直に言ってくれればよかった。私たち、そんなふうにしてまで、子どもを欲しがったのかなって……。

 どこかで、楽を選んだだけなんじゃないかって、そう思ってしまう」


 青木は、しばらく黙って私の言葉を聞いていた。

 勝が隣でそっと私の手を握る。


「楽を選ぶことは、責められることなんでしょうか」


 しばらくして、青木が静かに言った。


「妊娠中毒症や出産時の合併症で命を落とした人たち、重い後遺症を抱えた人たち。そういう方々の記録は、今でも当センターの資料室に保管されています。

 彼女たちはきっと、こうした技術があればよかったと、どこかで思っているんじゃないかと、私は勝手に想像してしまいます」


 青木の声は、淡々としていたが、その奥に何か重いものがある。


「それでも、痛みやリスクを引き受けて子どもを産んだ人たちの経験が、軽んじられてはならないとも思っている。

 だから……『楽を選んだ』というより、『別の痛み方を選んだ』のだと、私は考えています」


「別の……痛み方」


「見えなかったはずのリスクが、細かい数値や確率として突きつけられる痛み。

 胎内の感覚を知らないまま、ガラス越しの映像と数値でしか、お子さんの成長を確認できない痛み。

 それを『楽』と言い切れる人は、いないと信じています」


 窓の向こうで、ひとつのカプセルの中の胎児が、かすかに腕を動かした。

 機械のアームが、それに合わせて栄養流量を微調整する。


 私は、その光景から目を離せなかった。


「……ここで働いていて、怖くなることはないんですか」


「もちろん、ありますよ」


 青木は少し微笑んだ。


「もし何か見落としていたら、もしデータ解析のアルゴリズムに欠陥があったら。その責任の重さは、時々、身体が軋むほどに感じます。

 だからこそ、私たちは、すべてを数値として正確に扱おうとする。それが、技術者としての倫理です」


「倫理……」


「ただ、倫理学者の先生方には、よくこう言われます。『数値だけでは測れないものがある』って」


 青木は、壁のディスプレイを指差した。そこには、今日のカンファレンスの予定表が映っている。「応用生命倫理・公開対話」と書かれた枠に、見覚えのある名前があった。


「もしお時間があれば、このあと倫理学者の神崎先生が公開セッションをされるので、聞いて行かれますか? 一般の方も参加できます」


 私は勝と顔を見合わせた。


「……行ってみようか」


 自分の中のもやもやを、少しでも言葉にしてくれる人がいるなら、耳を傾けてみたい。

 そう思った。

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