1 月来香の館
クズ男が女性を人として扱っていません。
気になるようでしたらブラバ推奨です。
更新は不定期になります。すみません。
夜にしか咲かない花がある。
月下に輝くその花は、白く儚く、優美な姿。甘さと静謐さを合わせ持ったような芳香を夜空に放ち、夜行性の虫たちを花芯へと誘い込む。
儚いけれど強かな花。
月下美人。
アンネグレートが手にしているメッセージカードの隅には、その花が描かれていた。
濃紺のインクに雲母の粉を混ぜてあるのだろう、キラキラと煌めくその精緻な線は、月下美人の美しさを見事に描き出していた。
ごく薄い桃色のそのカードには、描かれた花と同じくらい優美な文字でただ一言だけが書かれている。
『二十の夜巡り、明日来たる時に』
何も知らない者には、これだけでは何のことなのかわからない。
しかしアンネグレートは知っていた。
これがどこから届いて、明日の夜に何があるのかを。
なぜなら、彼女は一年半前に同様の月下美人のカードを受け取っていたのだから。書いてあるメッセージはだいぶ違うが、これと同じ場所から届いたものだ。
最初は悩んだ。だがその悩みを吹っ切るのにはひと月もかからなかった。残りの一年以上の間、アンネグレートは入念に準備をした。
彼女は準備万端の状態で、ハラルドの住むフレンケル侯爵邸にやってきた。
フレンケル侯爵家の三男であるハラルド。
ジルベック侯爵家の次女のアンネグレート。
ともに十八歳。
今年貴族学園を卒業した二人は、結婚間近。今はまだ婚約期間中だ。
結婚後はアンネグレートがジルベック侯爵家の持っている子爵位と付随する所領を貰い受け、そこへハラルドが婿入りすることになっている。
三年前に、そう決まった。
そのことに関してアンネグレートに不満はなかったし、ハラルドも納得していた。
はずだった。
今は、違う。
違ってしまった。
「ジルベック侯爵令嬢はずいぶんと高尚なご趣味をお持ちのようですね。人の留守中に勝手に部屋に入り、コソコソと盗み読みですか?」
「………!」
不意に間近から声をかけられて、アンネグレートの肩が跳ねた。
同時に大きな手が伸びて来て彼女の指先からカードを奪い取っていった。
振り返ると背後にハラルドが立っていた。
女性にしては長身のアンネグレートよりも頭一つ分背の高い彼は、蔑むような目で婚約者を見下ろしている。
髪と同じ、濃い金色の眉をぐっと寄せ、眉間に深いシワを刻んだ彼は、彫像のように美しかった。
強い怒りに紺色の瞳が震えている。それすらも彼の美貌の彩りになっている。
こんな場面でも、気を抜けば見惚れそうになってしまう。ここライリカ王国において一番の美男子と呼ばれる男だ。
アンネグレートはことさらに背筋を伸ばして、ハラルドを睨み返した。
「勝手に入ったのではありませんわ。フレンケル侯爵夫人の許可をいただいております。ここでハラルドに会えて丁度良かったですわ。わざわざお呼び立てする手間が省けましたもの」
アンネグレートがツンと顎を上げて挑むように微笑みかけると、ハラルドは顔を赤く染めた。わずかの間だけ唇を噛み締め、ハッと思い出したようにカードに目を落とした。
彼は短く鼻で笑ってから、アンネグレートの目の前でそれをヒラヒラと振った。
インクに混ぜてある雲母が、星屑のようにキラキラと光る。
アンネグレートは月下美人の甘い香りを嗅いだような気がした。
「何の御用です? 手短に頼みますよ。私は色々と忙しい身でね。これから出かけねばならないのですよ」
「ええ、心得ています。『明日来たる時』……日付けの変わる今夜の零時に、待望の『月来香の館』が開館しますものね。さぞ気もそぞろでしょう?」
「なっ! なぜ、その名を……!」
ハラルドはアンネグレートの口から『月来香の館』の名が出たことに驚いたようだった。
「わたくしの元にどこからどのような情報がもたらされるのかなど、お答えできるはずがありませんわ。……でも、今回は特別です。貴方のために特別に忠告して差し上げますわ。『月来香の館』へ行くのはおやめなさい。今宵、貴方は屋敷でおとなしくしているべきです」
アンネグレートの静かな忠告を、しかしハラルドは受け入れなかった。不快そうに顔を歪めたあと、鼻で笑い飛ばして薄い唇を吊り上げる。
「そんなことですか。ならば君が私の相手をしてくれるのですか? いやいや冗談ですよ。出来やしまい。君は式を挙げるまで、その堅苦しいドレスの裾を少しでも持ち上げるつもりはないのだから」
「当たり前です。婚前交渉は神教会の教えに反します」
「ああ、そうだ! 神が禁じた! だから私は君には指一本触れずに『館』へ通うのですよ! 神は娼婦を職業としてお認めだ。娼婦! 素晴らしいですよ、彼女らは。男を喜ばせる術を知り尽くしています。アンネグレート。初夜にでも彼女らの技を教えて差し上げましょうか?」
「なっ……!」
アンネグレートは声を詰まらせた。あまりの下品さに顔がカァッと熱くなる。花弁のような唇をわななかせながら、彼女は精一杯の声で「結構です!」と返した。
弾けるようにハラルドが笑い出す。
あからさまに嘲る笑い方だ。
「結婚したらやめますよ。だから今を楽しむのです」
まるで子供をあやすように優しい声を残してハラルドは部屋を出ていった。
弾むような足取りで。
鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌で。
アンネグレートは彼の背中を見送りながら、深くため息をついた。
「貴方にそんな未来が来るのかしら?」
ごく小さな彼女の呟きは誰の耳にも入らなかった。
壁際に控えて立っていた侍女が心配げに駆け寄ってくる。
「お嬢様、大丈夫ですか? なんて……なんて酷い……。いえ、失礼いたしました。お嬢様、ご気分は? 少しお休みになられたほうが……」
「いえ、大丈夫よ。夫人にご挨拶をしてから帰りましょう。私のすべきことはもう済んだわ」
アンネグレートが侍女に支えられたのは最初の数歩だけだった。あとはしっかりとした足取りでハラルドの私室を出る。
その足でフレンケル侯爵夫人にハラルドとのやり取りの詳細を告げ、アンネグレートは家路についた。
ガタゴトと揺れる馬車の中、アンネグレートは込み上げてくる笑いを押し殺すのに大層苦労した。
王都の夜に、月に二度だけ開く花がある。
『月来香の館』
選ばれた貴族男子のみ入館が許されるそこでは、様々な花が彼らの来訪を待っている。
男たちは花を愛でに来るのだ。
身体と心を癒すために。
日付けが変わるのと同時に館を訪れたハラルドは、現在、ラウンジにて花を選んでいた。
硬すぎない座り心地の良いソファに腰を下ろした彼は、中央に設えた円形の舞台の上を凝視している。
薄暗く、隣に座る友人の顔すらおぼろげなラウンジだが、舞台だけは明るく照らされている。魔導ランプをふんだんに使い、照らし出されるのは美しい女たちだった。
彼女たちは男たちの視線を浴びながら官能的に肢体をくねらせる。どこからか流れる悩ましげな音楽。それに合わせて淫靡な踊りを披露する彼女らは、夜着よりも薄い布を纏い、白い手足を晒して、どこまでも男たちの欲を掻き立てる。
ラウンジの独特の匂いもまた、彼らの体温を上げさせる要因となっていた。
女の香水と男の酒と葉巻の匂い。それらとラウンジに焚かれた香が混じり合う。
けっしてよい香りではない。
だけどハラルドは、それが嫌いではなかった。
これは欲の匂いだ。
男は女を求め、女は金を求める。男は女の欲するままに金を落とす。この館を形作る仄暗い欲望の匂い。
ハラルドは煩わしい日常から解き放たれて、その退廃的な空気の中に身を置いている。
脳を甘く痺れさせたまま、彼は今夜の女を物色する。
比類無き美貌に獣性を滲ませて、ハラルドは鋭い視線を女たちに注ぐ。その横顔に同じく獲物を狩る目をした友人が話しかけた。
ごく小さな声だ。
「ハラルド、今夜はどの娘にするんだ?」
「……そうだな。俺はあのアメジストのペンダントの彼女にするよ」
ハラルドが舞台の端で踊る女から目を離さずに答えると、友人は驚いたように目を見張った。
「あの黒髪のか? たいして美人でもないだろう?」
「ははは。顔は明かりを落とせば気にならないぞ。見てみろよ。さっきから彼女、一度も踵を床についていないんだ。あれは締まりがいいぞ」
友人はハラルドが指し示した女をまじまじと見つめていたが、やがて小さく首を振った。眉を下げた情けない顔で、そっとハラルドに耳打ちする。
「俺にはさっぱりわからないな。なあ、ハラルド。お前はここに通って長いだろう?」
「ああ。今夜で丁度二十回目だ」
「そりゃあたいしたものだ。その目を見込んで頼みがある。俺に良さそうな女を見繕ってくれないか?」
「まあ、かまわないが……俺とお前とでは攻め方が違うからなぁ。俺には良くてもお前が良いとは限らないぞ」
「それでもいいから、選んでくれ」
「ならば少しだけ待っていてくれ。俺の女を確保してからだ」
ハラルドは店員の男を呼んで黒髪の女を買う旨を告げ、再び舞台へと視線を向けた。
友人の方を見ずに彼の好みを聞きながら、当てはまる女を探していく。
身長、肉付き、胸の大きさ。顔の美醜はたいした問題ではない。
大切なのは楽しめるかどうかだ。
持っている技も重要だ。
素人の女には真似できない技を、彼女たちは習得している。
ハラルドは日暮れ前に会った婚約者の顔を思い出して嗤った。
アンネグレートには逆立ちしたって出来やしないだろう数々の秘技。結婚したら毎晩教え込んでやろう。無理やりにでも。
きっと彼女は、あの人形のように澄ました顔を羞恥と屈辱に歪めるのだろう。その光景を想像するだけで、ハラルドは体の芯が熱くなるのを感じる。
あの何ものにも動じない生意気な態度が、いつまでもつのだろうか。もう許してと泣いて乞うても、ハラルドはアンネグレートを解放する気はなかった。必ず屈伏させるのだ。頭を垂れさせ、今までの不遜な態度を詫びさせる。
そうして徹底的に彼女の心を折る。高慢でお上品な淑女を、娼婦のように扱ってやる。ベッドの上で容赦なく奉仕させるのだ。ああ、本当に楽しみだ。
ハラルドは獣めいた妄想をしながら、やがて友人に一人の女を選んだ。
過去……通い始めたごく初期に買ったことのある女だ。
彼女はなかなか気が利いて、物慣れない友人でも楽しませてくれることだろう。
友人にそう告げると、彼はさっそく店員にその女を買うことを告げた。
すぐに舞台の上から女が降りる。
これから各自が与えられた部屋に戻り、男を迎える準備をするのだ。
友人はこらえきれない様子でゴクリと唾を飲み込んだ。
「な、なあ、ハラルド。ファルバライト女王国を知っているか?」
「ん? 知っているが、なんだ突然?」
「ああ、すまない。何か話していないと緊張でどうにかなってしまいそうでな」
「なるほど。気持ちは分かるさ。で、なんだったか……ファルバライト女王国?」
「そうだ。かの国は女しかいないそうじゃないか」
「俺も聞いたことはあるが、眉唾物だな。女だけだったら、いずれ国が滅ぶだろう?」
呆れて薄く笑ったハラルドに、友人は至極真面目な顔で言う。
「女王国に行けば、ここと同じく女は選び放題なんだろうな」
「なるほど。そうだな。国の存続がかかっているのだから、男は大歓迎されて饗されるはずだ」
「ハラルドはどこに行っても大歓迎だろうよ。まあ、俺程度の顔でも、きっと大喜びだろうな。まるで天国みたいじゃないか。俺はいつか行ってみたいよ」
友人と欲望まみれの戯言を交わして時間をつぶし、やがて部屋の準備が整った。店員に先導されて、ハラルドと友人は各々の選んだ女の部屋へと案内される。
では明日の朝に、と挨拶を交わす余裕もなく、友人は薄暗い廊下の角を曲がって見えなくなった。
お読みいただき感謝です。
ハラルドさいてー!と思いながら書いておりました。
一応、ざまぁにはなります。




