表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ひよごサブレからの通信  作者: Kentarou Tou / Kentarou Theater


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/10

第七話「Hを探して」


---


博多へ行くことにしたのは、五枚目のメモが来てからではなかった。


五枚目が来る前に、二人は自分たちで決めた。


「行こう」とミナが言った。ある夜、急に。


「今?」とハルは言った。


「今じゃなくて、今週末」


「きっかけは何だ」


「ひよごサブレの箱が空になったから」とミナは言った。


ハルは台所の棚を見た。


ひよごサブレの箱が、空だった。最後の一枚を昨夜食べていた。


「次が来るまで待てばいいんじゃないか」


「待っていたら、ずっと待つだけになる気がした」とミナは言った。「相手を待つことと、自分で動くことは、両方できる。どちらか片方じゃなくてもいい」


ハルはその言葉を考えた。


「Hを待ちながら、俺たちも動く」


「そう」とミナは言った。「Hが月に一度通信を送ってくるなら、私たちも月に一度くらい、自分で動いてもいい気がする」


「理屈が合っている」とハルは言った。


「博多のひよごサブレを、現地で食べてみたい」とミナは言った。


「それも理由か」


「大事な理由だ」


---


金曜日の夜、新幹線に乗った。


博多は思ったより近かった。


駅を出ると、夜の街が広がっていた。賑やかだった。人が多く、食べ物の匂いがして、どこかから三味線の音がするような気がした。


「活気がある」とハルは言った。


「東京と違う活気がある」とミナは言った。「もっと、土に近い感じがする」


「土に近い」


「うまく言えないけど」とミナは言った。「地面から何かが来ている感じがする」


ハルは足元の地面を見た。アスファルトだった。しかしミナの言う感覚が、なんとなく分かった。


宿に荷物を置いてから、二人は夜の街を歩いた。


目的地は、Hの住所だった。


---


住所の場所は、駅から少し離れた住宅街だった。


マンションだった。


八階建ての、普通のマンションだった。エントランスにオートロックがあった。植え込みが手入れされていた。駐輪場に自転車が何台か並んでいた。


何もおかしいところがなかった。


二人は少し離れた場所から、マンションを見た。


「普通だ」とハルは言った。


「普通だ」とミナは言った。


「ひよごサブレが月に一度届けられるマンションには見えない」


「見えない。でも、ここから送ってきている」


「誰の部屋からだろう」


ミナはマンションを見上げた。明かりがついている部屋、ついていない部屋が混在していた。


「分からない」とミナは言った。「でも——」


「でも?」


「ここへ来て良かった」とミナは言った。「場所を知ることが、大事な気がした。どこから来ているかを、体で知ることが」


「体で知る」


「地図で見るのと、実際に来るのは、違う」とミナは言った。「ここへ来て、この空気を吸って、この街の感触を知った。だから、Hがここから送ってきているということが、本当のことになった」


ハルはマンションを見た。


どこかの部屋に、几帳面な字を書く人間がいる。


ひよごサブレを箱に詰めて、底にメモを一枚入れて、宅配便で送り出す人間が。


「お礼が言いたい」とハルは言った。


「会えないかもしれない」とミナは言った。


「会えなくてもいい。でも、言いたい」


二人はしばらく、マンションの前に立っていた。


夜の住宅街は静かだった。どこかで猫が鳴いた。


「ありがとう」とハルはマンションに向かって言った。声は出さなかった。心の中で。


ミナも同じことをしている気がした。


---


翌朝、ひよごサブレの本店へ行った。


博多駅の近くにあった。小さな店だった。ショーウィンドウにひよこたちが並んでいた。


店に入ると、甘い匂いがした。


「いらっしゃいませ」と店員が言った。


ひよごサブレを買った。箱入りを二つ。一つはHへの気持ちで、もう一つは自分たちで食べる用で。


「一つ聞いてもいいですか」とミナは店員に言った。


「はい」と若い店員が答えた。


「このひよごサブレを、毎月定期的に送っている方がいるんですが、どんな方か教えてもらえますか。個人情報なので難しいとは思いますが」


店員は困った顔をした。「お客様の情報は——」


「そうですよね、すみません」とミナは言った。「では、このお菓子を月に一度誰かに送り続けるような方が、どんな気持ちで送るのか、あなたはどう思いますか」


店員は少し考えた。


「大切な人に、忘れないでほしいものを伝えたいのかもしれません」と言った。「ひよこは、生まれたての意味があるので。何かが始まる時に、贈る方が多いです」


「生まれたての」とミナは繰り返した。


「はい。新しいことが始まる、という時に、よく選ばれます」


ハルはその言葉を聞いた。


新しいことが始まる。


しかしHが送り続けているのは、新しいことが始まるからではない気がした。むしろ逆だった。古いことを、思い出させるために送っている。


「古いことを思い出させるために送ることもありますか」とハルは聞いた。


店員はまた少し考えた。


「ひよこは、生まれたてなのに、どこか昔から知っている感じがするって言う方もいます」と店員は言った。「初めてなのに懐かしい、という感じが、このひよこにはあるのかもしれません」


「初めてなのに懐かしい」


「そういうものを、大切な人に贈りたい、という気持ちがあるのかもしれません」


ミナは店員に頭を下げた。「ありがとうございました」


店を出てから、二人は駅の方へ歩いた。


「初めてなのに懐かしい」とハルは言った。


「ひよごサブレを最初に食べた時」とミナは言った。「そういう感じがした」


「俺も」


「甘くて、さくさくしていて、初めて食べるのに——ずっと昔から知っている味がした」


「前の巡りから知っている味かもしれない」とハルは言った。


「前の巡りにひよごサブレはなかったと思うけど」とミナは言った。


「じゃあ何が懐かしいんだろう」


「甘さが懐かしいのかもしれない」とミナは言った。「何かが終わった後や、何かが始まる前の、甘い時間の感触が。そういうものがひよごサブレの形をして、Hから送られてきている」


ハルはその言葉を、胸の中で転がした。


甘い時間の感触。


川沿いの土手に並んで座っていた時間の感触。


火の前に二人で立っていた時間の感触。


「博多の空気は」とミナは言った。「どう感じますか」


「聞かれると思わなかった」とハルは言った。「えーと」


「えーと?」


「温かい」とハルは言った。「空気が、なんか、温かい。季節のせいかもしれないけど。それだけじゃない温かさがある」


「私も」とミナは言った。「この街の空気が温かい。懐かしく温かい」


「Hがいるから?」


「そうかもしれない」とミナは言った。「あるいは——この街のどこかに、私たちが知っているものがある気がする」


「ひよごサブレ以外に?」


「ひよごサブレ以外にも」とミナは言った。「何かが、この街のどこかに」


二人は歩きながら、街を見渡した。


普通の街だった。商店があり、ビルがあり、人が歩いていた。


しかし普通の街に見えながら、どこかに何かがあるような気がした。


「次に来る時に」とハルは言った。「もっと探してみよう」


「次に来る時に」とミナは言った。「もう少し、奥まで歩いてみよう」


二人はそれだけ決めて、新幹線の時間まで、博多の街を歩いた。


帰りの新幹線の中で、買ったひよごサブレを食べた。


さくさくと。


甘かった。


本場で食べても、同じ味だった。


同じ味がすることが、何かを確かめるようで、良かった。


---


(第七話 了)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ