第八話「老人と常火」
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博多から帰って三日後、五枚目のひよごサブレが届いた。
今回は少し違った。
箱が、いつもより大きかった。
開けると、ひよごサブレが二十四枚入っていた。いつもの倍だった。
そしてメモが、一枚ではなく、二枚入っていた。
一枚は、いつもの几帳面な字。
もう一枚は、違う字だった。
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一枚目のメモには、こう書いてあった。
『博多まで来てくれたことを知っています。ありがとう。』
ハルとミナは顔を見合わせた。
「知っていた」とハルは言った。
「知っていた」とミナは言った。
「どうやって」
「マンションの窓から見ていたかもしれない」とミナは言った。「あるいは——もっと別の方法で」
「もっと別の方法というのは」
「ひよごサブレを通して、というのも可能性としてはある」とミナは言った。「前の巡りのことを知っている人間なら、それくらいのことができるかもしれない」
ハルは一枚目のメモを置いた。
二枚目を手に取った。
字が違った。一枚目より大きく、しかし丁寧な字だった。老人の字だ、とハルは思った。長い時間をかけて身についた丁寧さがある字だった。
こう書いてあった。
『常瀬の里の弥三郎です。あなたたちのことを、ずっと見ていました。そろそろ話せると思って、筆を取りました。』
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「弥三郎」とミナは言った。
「弥三郎さんだ」とハルは言った。
二人はメモを見ていた。
常瀬の里。
その言葉が、二人の目に入った瞬間、何かが動いた。胸の奥で、何かが動いた。懐かしさとも、悲しみとも、温かさとも取れる、複雑な何かが。
「常瀬の里」とミナは小さく言った。「知っている」
「知っている」とハルも言った。「常瀬の里を、知っている」
「山に囲まれた」
「田畑があって」
「川が流れていて」
「家々が並んでいて」
二人は交互に言った。まるで一つの記憶を分け合って持っているように。
「弥三郎さんが」とミナは言った。「縁側で縄を編んでいた」
「俺が50円玉の穴越しに見た老人だ」とハルは言った。
「そうだ」
「弥三郎さんが、Hだったのか」とハルは言った。「いや——」
「Hは二人いた」とミナは言った。「几帳面な字を書く人と、弥三郎さん」
「几帳面な字の人は誰だろう」
「分からない。でも、弥三郎さんと一緒にいる人だ。二人でひよごサブレを送っていた」
ハルはメモを読み返した。
そろそろ話せると思って、と書いてある。
「そろそろ、というのは」とハルは言った。「今まで話せる状態ではなかったということだ」
「五枚のひよごサブレで、俺たちが話せる状態になるのを待っていたということかもしれない」とミナは言った。
「準備ができるのを待っていた」
「そう」とミナは言った。「弥三郎さんは、私たちが何かを思い出すのを待っていた。一枚ずつメモを送って、少しずつ扉を開けて、準備ができた時に話しかけてきた」
「丁寧な人だ」とハルは言った。
「縄を編む人だから」とミナは言った。「急がない。丁寧に、少しずつ」
ハルはミナを見た。
ミナの目が、少し光っていた。
「会いたい」とミナは言った。静かに。「弥三郎さんに、会いたい」
「うん」とハルは言った。「俺も会いたい」
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返事の手紙を書いた。
今回はミナとハルが交互に書いた。
ミナが書いた部分——
『弥三郎様。メモをありがとうございました。常瀬の里のこと、少しずつ思い出しています。川を覚えています。火を覚えています。弥三郎様のことも、覚えています。縁側で縄を編んでいた背中を、覚えています。お会いしたいと思っています。もし可能であれば、教えてください。』
ハルが書いた部分——
『ひよごサブレ、今回は二十四枚でした。いつもありがとうございます。倍あると、なんか安心します。あと、几帳面な字の方にも、よろしくお伝えください。』
「几帳面な字の方に、よろしく伝えてください、は変ではないか」とミナは言った。
「変かもしれない」とハルは言った。「でも、伝えたかった」
「伝わると思う」とミナは言った。「伝わる相手だと思う」
封筒に入れた。50円切手を貼った。
ポストに入れた。
帰り道、ハルは言った。「弥三郎さんがなぜ博多にいるんだろう」
「前の巡りでは山の里にいた人が」とミナは言った。「今の巡りでは博多にいる」
「巡りが変わると、場所も変わる?」
「生まれる場所は変わるかもしれない」とミナは言った。「でも、人は変わらない。弥三郎さんは弥三郎さんのまま、博多に生まれていた」
「縄を編む代わりに、ひよごサブレを送っている」
「それが今の巡りの弥三郎さんのやり方だ」とミナは言った。「少しずつ、丁寧に、繋いでいくやり方」
ハルは空を見た。
夕暮れが近かった。
「次に博多へ行く時は」とハルは言った。「会いに行けるかもしれない」
「会いに行こう」とミナは言った。
「弥三郎さんに」
「弥三郎さんに」とミナは言った。「そして——几帳面な字の人にも」
「几帳面な字の人が誰か、まだ分からない」
「会えば分かる」とミナは言った。
「そういうものか」
「そういうものだと思う」とミナは言った。「前の巡りで知っている人は、会った瞬間に分かる気がする」
ハルはその言葉を考えた。
「ミナ」とハルは言った。
「何」
「初めて会った時、すぐに分かったか」
ミナは少しの間、ハルを見た。
「分かった」とやがて言った。「会った瞬間に。あの感覚は、初対面の感覚じゃなかった」
「俺も」とハルは言った。「分かった。共通の友人の集まりで、人混みの中でミナを見た瞬間に——知っている人だ、と思った」
「川沿いの土手で、並んで座っていた人だ、と」
「そう思った。意味は分からなかったけど、そう思った」
二人は歩きながら、空を見た。
夕暮れが広がっていた。
橙と金の空が、街の上に広がっていた。
「常火の色だ」とミナは言った。
「そうだ」とハルは言った。
「今でも燃えている」
「今でも燃えている」とハルは言った。「こうして空の色になって、毎日見えている」
ミナは立ち止まった。
空を見上げた。
「そうかもしれない」と言った。「毎日見えているのに、気づいていなかっただけで」
「ひよごサブレが来るまで」
「ひよごサブレが来るまで、気づいていなかっただけで」とミナは言った。「ずっとそこにあった」
二人は並んで、夕空を見ていた。
橙と金が、少しずつ暗くなっていった。
それでも、消えなかった。
消えるまでの間、二人はそこに立っていた。
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(第八話 了)




