表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ひよごサブレからの通信  作者: Kentarou Tou / Kentarou Theater


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/10

第六話「次の巡りも」

---


四枚目のメモが来てから、二人の間で何かが変わった。


変わった、というのは分かりにくい変化だった。生活は同じだった。ハルは会社へ行き、ミナは自宅で仕事をし、夕方になると二人でテーブルを挟んで向かい合った。ひよごサブレの箱は台所の棚に置いてあり、食べたい時に一枚ずつ取った。


ただ、話すことが変わった。


以前は話さなかったことを、話すようになった。


---


「ハル」とミナが言ったのは、四枚目のメモが来た翌週の夜だった。「聞いていいですか」


「何でも」


「あなたは、私と一緒にいることが、当たり前だと思っているか」


ハルは少し考えた。


「当たり前だと思っていた」と言った。「しかし今は、当たり前ではないと思っている」


「どう違う?」


「当たり前というのは、理由を考えない、ということだ」とハルは言った。「しかし今は、理由を考えるようになった。なぜ一緒にいるのか、ということを」


「答えは出た?」


「出ていない」とハルは言った。「でも、考えている」


「考えていることが大事、ということ?」


「大事だと思う。考えることで——一緒にいることが、当たり前ではなく、選んでいることになる気がする」


ミナは少しの間、ハルを見ていた。


「選んでいる」と繰り返した。


「うん」


「次の巡りも、という言葉が」とミナは言った。「引っかかっているんだと思う。私の中で」


「どういうふうに?」


「次の巡りでも一緒にいることが、今の巡りで何かをしていることと、繋がっている気がして」とミナは言った。「次の巡りで自然に出会うのではなく、今の巡りで選んでいるから、次でも繋がるのかもしれない、という気がして」


ハルはその言葉を、胸の中で転がした。


「今の巡りで選ぶことが」とハルは言った。「次に繋がる」


「確証はない」とミナは言った。「ただそういう気がする」


「俺もそういう気がする」


ミナはノートを取り出した。


しかし今夜は、すぐには書かなかった。


筆を持ったまま、ハルを見ていた。


「ハル」


「何」


「あなたに言っておきたいことがある」


「聞いている」


ミナは少しの間、言葉を探した。


「前の巡りで——何度も離れてきたんだと思う」とミナは言った。「どんな形で離れたかは分からない。でも、離れるたびに、何かが残った。その積み重なりが、今ここにある。あなたが弥三郎という名前を口にして、私がその続きを知っていた。あの時のような感覚が、それだ」


「積み重なりが、ここにある」


「そう。何度離れても、消えなかった何かが、ここにある」ミナは自分の胸のあたりを、そっと押さえた。「だから——今の巡りで離れたくない、と思う。前と同じにしたくない、と思う」


ハルは黙っていた。


「離れない、ということは」とハルは言った。「選び続ける、ということだと思う」


「そうだと思う」


「一度選べば終わりではなくて、毎日選び続ける」


「毎日」


「今日も一緒にいることを選ぶ。明日も選ぶ。それが積み重なって、次の巡りに繋がるんだと思う」


ミナはハルを見た。


目が、少し光っていた。


「ハル」と言った。


「何」


「今の言葉、書いていい?」


「書いていい」


ミナは几帳面な字で書いた。


毎日選び続ける、という言葉を。


書きながら言った。「消えてほしくないから」


「消えない」とハルは言った。


「どうして分かる?」


「ミナが書くから」とハルは言った。「書かれたものは、消えない」


ミナは筆を止めた。


「記録しておかなければ、いなかったことになってしまう」とミナは言った。「ずっとそう思ってきた。でも——」


「でも?」


「書かれたものが消えない、という言い方の方が、好きだ」とミナは言った。「なかったことにしない、ではなく。あった、ということが残る、という言い方の方が」


ハルは頷いた。


「火は今でも燃えています」とハルは言った。


「そう」とミナは言った。「消えなかった、ではなく。燃えている、という言い方をHはした。現在形で」


「現在形」


「現在形で、今ここにある、と言っている」とミナは言った。「過去のことではなく、今のことだと言っている」


二人はテーブルの上の50円玉を見た。


穴の向こうを、今夜は覗かなかった。


覗かなくても、向こう側がある気がした。


「ひよごサブレを食べよう」とミナは言った。


「食べよう」とハルは言った。


台所から箱を持ってきた。


二枚ずつ取った。


かじった。


さくさくと。


甘かった。


「甘い」とハルは言った。


「甘い」とミナは言った。「いつ食べても甘い」


「変わらない」


「変わらない」とミナは言った。「それがいい」


窓の外に、月が出ていた。


川を映す月だ、とハルは思った。


口には出さなかった。


しかしミナも同じことを考えているような気がした。


---


翌朝、ミナはHへの手紙を書いた。


『四枚目のメモをありがとうございました。次の巡りも、二人でいてください、という言葉を受け取りました。私たちは、今の巡りで選び続けることにしました。毎日選ぶことが、次に繋がると思ったから。あなたが見守っていてくれているなら、見ていてください。ちゃんとやっています。』


書き終えて、ハルに見せた。


「ちゃんとやっています、か」とハルは言った。


「おかしいか?」


「おかしくない。正直だ」


「正直に書く方がいい気がする。Hに対しては」


「うん」とハルは言った。「俺からも一言書いていいか」


「書いて」


ハルは便箋を受け取った。


ミナの几帳面な字の下に、ハルの字で書いた。


『ひよごサブレが美味しいです。毎回ありがとうございます。』


ミナはそれを見て、少し笑った。


「それだけ?」


「それだけ」とハルは言った。「他に言うことは、ミナが全部言ってくれた」


「信頼しすぎ」


「信頼している」


ミナは封筒に入れた。


50円切手を貼った。引き出しにはまだあった。


「切手、また増えている気がする」とミナは言った。


「増えている」とハルは言った。


「誰が補充しているんだろう」


「Hかもしれない」


「Hが切手を補充しに来る?」


「来ないか」とハルは言った。


「来ない気がする」とミナは言った。「でも——」


「でも?」


「必要な時に必要なだけある、というのは、悪くない」


「悪くない」とハルは言った。


封筒をポストに入れに行った。


行きと帰り、二人で歩いた。


空が青かった。


並んで歩きながら、ハルは言った。「川沿いを歩いている気分だ」


「川はないけど」とミナは言った。


「ないけど、そういう気分がする」


「私も」とミナは言った。「そういう気分がする」


二人は並んで歩いた。


どこかで、水の音がするような気がした。


気のせいだった。


しかし気のせいではないような気もした。


---


(第六話 了)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ