第六話「次の巡りも」
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四枚目のメモが来てから、二人の間で何かが変わった。
変わった、というのは分かりにくい変化だった。生活は同じだった。ハルは会社へ行き、ミナは自宅で仕事をし、夕方になると二人でテーブルを挟んで向かい合った。ひよごサブレの箱は台所の棚に置いてあり、食べたい時に一枚ずつ取った。
ただ、話すことが変わった。
以前は話さなかったことを、話すようになった。
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「ハル」とミナが言ったのは、四枚目のメモが来た翌週の夜だった。「聞いていいですか」
「何でも」
「あなたは、私と一緒にいることが、当たり前だと思っているか」
ハルは少し考えた。
「当たり前だと思っていた」と言った。「しかし今は、当たり前ではないと思っている」
「どう違う?」
「当たり前というのは、理由を考えない、ということだ」とハルは言った。「しかし今は、理由を考えるようになった。なぜ一緒にいるのか、ということを」
「答えは出た?」
「出ていない」とハルは言った。「でも、考えている」
「考えていることが大事、ということ?」
「大事だと思う。考えることで——一緒にいることが、当たり前ではなく、選んでいることになる気がする」
ミナは少しの間、ハルを見ていた。
「選んでいる」と繰り返した。
「うん」
「次の巡りも、という言葉が」とミナは言った。「引っかかっているんだと思う。私の中で」
「どういうふうに?」
「次の巡りでも一緒にいることが、今の巡りで何かをしていることと、繋がっている気がして」とミナは言った。「次の巡りで自然に出会うのではなく、今の巡りで選んでいるから、次でも繋がるのかもしれない、という気がして」
ハルはその言葉を、胸の中で転がした。
「今の巡りで選ぶことが」とハルは言った。「次に繋がる」
「確証はない」とミナは言った。「ただそういう気がする」
「俺もそういう気がする」
ミナはノートを取り出した。
しかし今夜は、すぐには書かなかった。
筆を持ったまま、ハルを見ていた。
「ハル」
「何」
「あなたに言っておきたいことがある」
「聞いている」
ミナは少しの間、言葉を探した。
「前の巡りで——何度も離れてきたんだと思う」とミナは言った。「どんな形で離れたかは分からない。でも、離れるたびに、何かが残った。その積み重なりが、今ここにある。あなたが弥三郎という名前を口にして、私がその続きを知っていた。あの時のような感覚が、それだ」
「積み重なりが、ここにある」
「そう。何度離れても、消えなかった何かが、ここにある」ミナは自分の胸のあたりを、そっと押さえた。「だから——今の巡りで離れたくない、と思う。前と同じにしたくない、と思う」
ハルは黙っていた。
「離れない、ということは」とハルは言った。「選び続ける、ということだと思う」
「そうだと思う」
「一度選べば終わりではなくて、毎日選び続ける」
「毎日」
「今日も一緒にいることを選ぶ。明日も選ぶ。それが積み重なって、次の巡りに繋がるんだと思う」
ミナはハルを見た。
目が、少し光っていた。
「ハル」と言った。
「何」
「今の言葉、書いていい?」
「書いていい」
ミナは几帳面な字で書いた。
毎日選び続ける、という言葉を。
書きながら言った。「消えてほしくないから」
「消えない」とハルは言った。
「どうして分かる?」
「ミナが書くから」とハルは言った。「書かれたものは、消えない」
ミナは筆を止めた。
「記録しておかなければ、いなかったことになってしまう」とミナは言った。「ずっとそう思ってきた。でも——」
「でも?」
「書かれたものが消えない、という言い方の方が、好きだ」とミナは言った。「なかったことにしない、ではなく。あった、ということが残る、という言い方の方が」
ハルは頷いた。
「火は今でも燃えています」とハルは言った。
「そう」とミナは言った。「消えなかった、ではなく。燃えている、という言い方をHはした。現在形で」
「現在形」
「現在形で、今ここにある、と言っている」とミナは言った。「過去のことではなく、今のことだと言っている」
二人はテーブルの上の50円玉を見た。
穴の向こうを、今夜は覗かなかった。
覗かなくても、向こう側がある気がした。
「ひよごサブレを食べよう」とミナは言った。
「食べよう」とハルは言った。
台所から箱を持ってきた。
二枚ずつ取った。
かじった。
さくさくと。
甘かった。
「甘い」とハルは言った。
「甘い」とミナは言った。「いつ食べても甘い」
「変わらない」
「変わらない」とミナは言った。「それがいい」
窓の外に、月が出ていた。
川を映す月だ、とハルは思った。
口には出さなかった。
しかしミナも同じことを考えているような気がした。
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翌朝、ミナはHへの手紙を書いた。
『四枚目のメモをありがとうございました。次の巡りも、二人でいてください、という言葉を受け取りました。私たちは、今の巡りで選び続けることにしました。毎日選ぶことが、次に繋がると思ったから。あなたが見守っていてくれているなら、見ていてください。ちゃんとやっています。』
書き終えて、ハルに見せた。
「ちゃんとやっています、か」とハルは言った。
「おかしいか?」
「おかしくない。正直だ」
「正直に書く方がいい気がする。Hに対しては」
「うん」とハルは言った。「俺からも一言書いていいか」
「書いて」
ハルは便箋を受け取った。
ミナの几帳面な字の下に、ハルの字で書いた。
『ひよごサブレが美味しいです。毎回ありがとうございます。』
ミナはそれを見て、少し笑った。
「それだけ?」
「それだけ」とハルは言った。「他に言うことは、ミナが全部言ってくれた」
「信頼しすぎ」
「信頼している」
ミナは封筒に入れた。
50円切手を貼った。引き出しにはまだあった。
「切手、また増えている気がする」とミナは言った。
「増えている」とハルは言った。
「誰が補充しているんだろう」
「Hかもしれない」
「Hが切手を補充しに来る?」
「来ないか」とハルは言った。
「来ない気がする」とミナは言った。「でも——」
「でも?」
「必要な時に必要なだけある、というのは、悪くない」
「悪くない」とハルは言った。
封筒をポストに入れに行った。
行きと帰り、二人で歩いた。
空が青かった。
並んで歩きながら、ハルは言った。「川沿いを歩いている気分だ」
「川はないけど」とミナは言った。
「ないけど、そういう気分がする」
「私も」とミナは言った。「そういう気分がする」
二人は並んで歩いた。
どこかで、水の音がするような気がした。
気のせいだった。
しかし気のせいではないような気もした。
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(第六話 了)




