第二話「二枚目のメモ」
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二枚目が届いたのは、最初の小包から十八日後だった。
今度は普通の宅配便だった。伝票に博多の住所。差出人の欄に、やはり「H」。
箱を開けると、ひよごサブレが十二枚、整然と並んでいた。
箱の底のメモを、ハルは今回は最初に探した。前回は食べ終わってから見つけた。今回は食べる前に確認したかった。
メモはあった。
几帳面な字で、一行だけ。
『川を覚えていますか』
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「川」とハルは言った。
「川」とミナは繰り返した。
二人はダイニングテーブルを挟んで、メモを見ていた。50円玉は前回と同じ場所に置いてあった。テーブルの端、穴を上にして。
「どの川だろう」とハルは言った。
「川、としか書いていない」
「川には心当たりがない」
「私はある」とミナは言った。
ハルはミナを見た。
「夢の話だけど」とミナは言った。「橙と金の火の夢の中に、川があった。火の近くを、川が流れていた。夢だから形は曖昧だけど——水の音がした。流れる音が、ずっとしていた」
「俺の夢にも」とハルは言った。「川があった気がする」
「気がする、じゃなくて」
「あった」とハルは言い直した。「川があった。水が流れていた。月明かりを映していた」
「月明かりを映していた」とミナは繰り返した。
「そう。だから光っていた。川なのに、光って見えた」
ミナはメモを裏返した。裏は白紙だった。何も書いていなかった。
「川が光る夢を見たことがある」とミナは言った。「川沿いに、誰かと並んで座っていた夢を。その時の川が、光っていた」
「誰かと一緒だったのか」
「誰かと一緒だった。顔が見えなかった。でも知っている人だと思った」
ハルは50円玉を手に取った。穴の向こうにミナの顔を見た。
小さな穴の中に、ミナの目が一つだけ、切り取られて見えた。
「川を覚えているか、と聞いてくる」とハルは言った。「ということは、俺たちが川を知っているはずだと思っているということだ」
「前の巡りで知っていた川だと思っている、ということかもしれない」
「前の巡り」
「ひよごサブレを送ってくる人は、前の巡りのことを知っている。そういう前提で送ってきている気がする」
ハルは50円玉を置いた。
「前の巡りというのを」とハルは言った。「俺たちは信じているのか」
ミナは少し考えた。
「信じるかどうか、という問いがそもそも合わない気がする」とミナは言った。「川の夢を見た。橙と金の火の夢を見た。それは事実だ。その夢に意味があるかどうかは、まだ分からない。でも、夢を見たという事実は、あった」
「ひよごサブレが川のことを聞いてきた」
「それも事実だ」
「二つの事実が重なっている」
「重なっている」とミナは言った。「重なり方が偶然かどうかは、まだ分からない」
ハルはひよごサブレを一枚取った。
かじった。さくさくと、軽い音がした。甘かった。
「川のことを、何か書いておく方がいい気がする」とハルは言った。
「書いておく」とミナは言った。「覚えているうちに」
ミナはノートを取り出した。几帳面な字で書き始めた。
夢の中の川。月明かりを映して流れていた川。水の音が聞こえた川。誰かと並んで座っていた川。
書きながら、ミナは言った。「あなたは川沿いに誰かといたの。夢の中で」
「いた」とハルは言った。「誰かと並んでいた。顔が見えなかった。でも、知っている人だと思った」
「私も」とミナは言った。
二人はその言葉の意味を確認するように、少しの間、黙っていた。
「ひよごサブレを食べる?」とハルは言った。
「食べる」とミナは言った。
二枚ずつ取った。
かじった。さくさくと。
甘かった。
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その夜、ハルは眠れなかった。
川を覚えていますか、という問いが頭の中で繰り返された。
覚えているか。
覚えているかどうか以前に、覚えていると言える記憶が自分にあるのかが分からなかった。夢の中で川を見た。しかしそれは記憶なのか、それとも単なる夢なのか。
区別がつかなかった。
しかし、と思った。
区別がつかないこと自体が、何かを示しているかもしれない。普通の夢なら、覚えているかと聞かれても、何のことか分からないはずだ。川の夢を見ましたか、と聞かれれば答えられる。しかし川を覚えていますか、という聞き方は違う。
それは、知っているはずだという前提がある聞き方だ。
ハルは暗い天井を見た。
川を、知っているかもしれない。
どこかで、誰かと、川の傍にいたことがあるかもしれない。この人生ではない、別の何かの中で。
「眠れないの」とミナの声がした。
振り向くと、ミナも起きていた。天井を見ていた。
「眠れない」とハルは言った。
「川のことを考えてた」
「俺も」
「川沿いで、最初に話した気がするんだけど」とミナは言った。「夢の中の話じゃなくて。私たちが初めて会った時の話」
ハルは記憶を辿った。
「最初に会ったのは」
「大学の時。共通の友人の集まりで。でも」ミナは天井を見たまま言った。「その時より前に会った気がしている。ずっとずっと前に。川の傍で」
「それは」
「夢かもしれない。でも夢じゃない気もする」
ハルはミナを見た。
暗い部屋の中で、ミナの横顔が見えた。
「川の傍で」とハルは言った。「何を話していたか、覚えているか」
「覚えていない」とミナは言った。「でも、並んでいた。それだけは覚えている。ただ並んで、水の流れを見ていた」
「それだけ?」
「それだけ。でも、それで十分だった」
ハルはその言葉を、胸の中で転がした。
それで十分だった。
川の傍で、誰かと並んで、水の流れを見るだけで。
「ミナ」とハルは言った。
「何」
「返事を書くか」
「書く」とミナは言った。「川を覚えています、と書く」
「覚えているか?」
ミナは少しの間、黙っていた。
「覚えている」とやがて言った。「どの川かは分からない。でも、川を覚えている。水の音を覚えている。隣に誰かがいたことを覚えている」
ハルは天井を見た。
「俺も」と言った。
暗い部屋の中で、二人は並んで天井を見ていた。
川の音が、どこかで聞こえるような気がした。
気のせいだった。
しかし、気のせいとも言い切れなかった。
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翌朝、ミナは便箋を取り出した。
几帳面な字で書いた。
『川を覚えています。どの川かは分かりません。しかし、川の傍に誰かと並んでいたことを、覚えています。水の音を覚えています。月明かりを映していた川を、覚えています。もしかしたら夢の中の記憶かもしれません。でも、覚えています。』
「それでいい?」とハルは言った。
「もう少し書く」
ミナは続けた。
『あなたが誰かは、まだ分かりません。しかし、あなたが私たちに覚えていることを聞いてくるのは、あなた自身が何かを覚えているからだと思っています。あなたが覚えていることを、いつか教えてください。』
ハルはミナの書いた便箋を読んだ。
「いつか教えてください、か」
「急かさない方がいい気がして」とミナは言った。「相手は、ゆっくり伝えようとしている気がするから」
「月に一度のひよごサブレだからな」
「そう。急いでいない。だから私たちも急がない」
ハルは便箋を封筒に入れた。
今回も、50円切手を貼った。引き出しにはまだ数枚残っていた。
「50円切手が増えている気がする」とハルは言った。
「買っていないのに?」
「買っていない」
ミナは引き出しを覗いた。
50円切手が、六枚あった。
「増えている」とミナは言った。
「おかしい」
「おかしい」とミナは言った。「でも」
「でも?」
「あってもいい気がする」
ハルは引き出しを閉めた。
50円玉は今日もテーブルの端にあった。穴を上にして。
その穴の向こうに、今日は何が見えるだろうかと思った。
見てみた。
テーブルの木目が見えた。
それだけだった。
しかし、それだけで、今日は十分だった。
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(第二話 了)




