第6話 回収命令、出せますか
問題の瓶は、銀の月が描かれていた。
万能ポーション、銀月七番。
王都で最も売れているレオン印の中でも、冒険者向けに調整された強力な品だ。傷の治りが早く、痛みもすぐ消える。値段は高いが、命には代えられないと評判だった。
その銀月七番を飲んだ患者が、三日で五人出た。
症状は似ている。
高熱、震え、赤い発疹、異様な口渇。
全員が同じダンジョンに潜っていたわけではない。食事も宿も違う。共通点は、銀月七番。
ルカの時とは違う。
あれは明らかな飲みすぎだった。今回は、薬歴上の量だけ見れば標準範囲内だ。それなのに似た症状が並んでいる。
過量投与ではなく、薬そのものを疑う段階だった。
私は薬歴帳をめくり、該当する記録に赤い線を引いた。
「院長、同じロットの可能性があります」
「ロット?」
「同じ時期に、同じ材料で作られた一まとまりです」
「同じ商品ではなく?」
「同じ商品でも、作ったまとまりが違えば中身が違うことがあります」
私は瓶を机に並べた。
「薬の名前は、商品の名前です。銀月七番、という名前ですね。でもロットは、その中の『いつ、どの材料で作った分か』を示すものです。同じ鍋、同じ材料束、同じ製造日、同じ瓶詰め作業。そういう単位で区切ります」
「なぜ区切る」
「問題が出た時に、探すためです。一つの瓶に異常があった時、同じロットの瓶を優先して調べます。逆に、別のロットまで全部止めずにすむ可能性もあります」
全部を疑えば、薬は届かなくなる。
疑う範囲が狭すぎれば、危ない瓶が残る。
ロットは、その間を見つけるための印だ。
「薬剤師にとっては、薬の住所みたいなものです。どこから来て、どの仲間と一緒に作られたか。それが分からないと、逃げた火種を追えません」
エリオット院長は険しい顔で瓶を見た。
「レオン印か」
「はい」
「厄介だな」
厄介。
その一言で、だいたい分かった。
レオンという錬金術師は、王都の英雄に近い存在なのだろう。チート持ちで、強力なポーションを作り、冒険者を大量に救ってきた。彼の薬を疑うことは、彼に救われた人たちの記憶にも触れる。
だが、薬剤師はそこで止まれない。
「販売を止めます」
院長がこちらを見た。
「治療院にその権限はない」
「では、誰にありますか」
「……ない」
私は瞬きをした。
「ない?」
「薬師組合は品質の推薦をするだけだ。冒険者組合は販売所を管理するだけ。商人組合は流通を見るだけ。王都庶務局は苦情を受けるだけ。止める役所はない」
「薬が原因で人が倒れても?」
「今までは、薬が原因だと考えなかった」
部屋の空気が重くなった。
それが、制度がない世界の怖さだ。
誰も悪人でなくても、穴は空く。穴が空いたまま、人が落ちる。
「では、臨時で止めます」
「誰が」
「私が」
「マオ」
院長の声に警告が混じった。
「相手はレオンだ。王都の冒険者の半分は、あの男のポーションで命を拾っている。商人組合も黙っていない」
「分かっています」
「分かっていない。薬を止めるということは、利益を止めることだ」
「患者の症状は、利益より先です」
私は薬歴帳を閉じた。
正直に言えば、怖かった。
無謀かもしれない、と思っていた。ここで私一人が無茶をして、何の意味があるのか。レオン工房に潰され、治療院に迷惑をかけ、結局何も変わらないのではないか。
諦めようとした時、かつて学んだ薬害の歴史が浮かんだ。
アメリカのサリドマイドの話だ。
四十代の女性審査官が、提出された薬の危うさに気づき、承認を止めた。世界中で被害が広がる中、アメリカでは被害が大きく抑えられた。
もちろん、彼女だけで世界を救ったわけではない。
それでも、止めるべき時に止めた人がいた。
今、ここには私しかいない。
どうせ、一度は失った命だ。
「冒険者組合に行きます」
◇
冒険者組合の販売所には、銀月七番が山積みになっていた。
赤い液体が、瓶の中で魔法の光を放っている。綺麗だ。いかにも効きそうだ。前世でも、パッケージが綺麗な薬ほど患者は安心した。
私は販売員に声をかけた。
「銀月七番の販売を一時停止してください」
「は?」
販売員は笑った。
「無理ですよ。今朝入ったばかりで、予約分だけでも足りないくらいなんです」
「副作用が疑われる症例が出ています」
「副作用?」
「飲んだ後、高熱と発疹が出た患者が複数います」
「冒険者なんて、いつもどこか悪くしてますよ」
悪意はない。
だが、その軽さが危ない。
ガルネ副組合長を呼んでもらう。彼女は私の話を最後まで聞き、眉間に深い皺を寄せた。
「根拠は」
「薬歴帳です。五人。全員、銀月七番。症状の出方も近い」
「確定か」
「確定ではありません。だから調べるために止めます」
「止めたせいで、ポーションが必要な冒険者に届かなかったら」
「代替品を使います。通常の回復ポーションなら在庫があります」
「効きが弱い」
「強い薬で倒れるよりいいです」
ガルネは腕を組み、販売所を見た。
周囲の冒険者たちがざわついている。
「レオンに喧嘩を売ることになる」
「喧嘩ではありません。確認です」
「本人は喧嘩だと思うぞ」
「薬は、本人の気持ちで安全になりません」
ガルネが低く笑った。
「本当に嫌われるぞ、あんた」
「確かに危険です。でも、このまま売る方がもっと危険です」
私は銀月七番の瓶を見た。
「危険であることを知りながら売ったとなれば、レオンさんの責任にもなります」
「それでレオンに恨みを買うかもしれんぞ」
「被害が出てレオンさんに恨まれるのと、被害が出ないうちに恨まれるのと、どちらがましですか」
ガルネは答えなかった。
「薬の世界、いえ、医療の世界は、いつもましな方の困難を選ぶ仕事です」
「よし」
ガルネは販売員に向き直った。
「銀月七番を下げろ。一時販売停止だ。購入済みの冒険者には、治療院で確認を受けさせる」
販売員が悲鳴のような声を上げた。
「副組合長!」
「責任は私が持つ」
その一言で、販売所が動いた。
だが、すぐに商人組合の使者が来た。薬師組合の者も来た。全員が同じことを言う。
確証がない。
営業妨害だ。
レオン様の品に限って。
私は薬歴帳を開き、同じ説明を繰り返した。
五人。銀月七番。高熱。発疹。震え。投与後半日から一日。
確証はない。
だから止める。
確証が出るまで売り続けるなら、それは調査ではなく人体実験だ。
最後の言葉で、薬師組合の年配者が黙った。
◇
回収は、想像以上に地味だった。
販売所の棚から下げるだけでは足りない。すでに買った冒険者がいる。宿の部屋に置いた者もいる。仲間に分けた者もいる。遠征に持って出た者もいる。
ガルネは冒険者組合の掲示板に告知を貼った。
レオン印『銀月七番』、または銀の月印がある瓶を持つ者は治療院へ。
飲むな。
持ってこい。
交換する。
「交換する、が大事ですね」
私が言うと、ガルネは鼻を鳴らした。
「金を払ったものを、ただ出せと言って出す連中じゃない」
「正しい判断です」
通常回復ポーションとの交換は、商人組合が渋った。だが、ガルネが冒険者組合で一時立て替え、工房には翌日請求すると決めたことで話は動いた。
損を誰が引き受けるか。
薬の安全は、そこでも止まる。
回収というのは、瓶を集める仕事ではない。
人を説得し、怒られ、損の話をし、最後にようやく瓶が一本戻ってくる仕事だ。前世の医薬品回収でも、薬より先に電話口のため息が山積みになった。
この世界では電話がない。
その分、ため息は対面で来る。
不満は多かった。
それでも、ミーナがルカの薬歴を示し、エリオット院長が五人の症状を説明し、ガルネが冒険者組合として販売所を抑えてくれた。ベルナは「似た瓶で間違えかけた」と自分の失敗未遂を話してくれた。
私一人の言葉では、たぶん届かなかった。
なんとか、首はつながりそうだ。
今のところは。
(一度死んだせいで、死ぬ度胸がついてきたのかもしれない)
そう自嘲してから、いや、それはあまり良い成長ではないなと思い直した。
◇
夜、治療院にレオン本人からの手紙が届いた。
紙は上質で、封蝋には銀の月。
院長が開封し、私に渡す。
内容は短かった。
明朝、工房へ来られたし。
話を聞こう。
署名は、レオン・クラウス。
その下に、流麗な文字で一行。
私の薬を止めた理由を、私の前で説明してもらう。
ミーナが手紙を見て、青ざめた。
「マオさん、行くんですか」
「行きます」
「怖くないんですか」
「怖いです」
「え」
「でも、行きます」
私は薬歴帳と、銀月七番の空瓶を鞄に入れた。
薬を止める仕事は、目立たないはずだった。
だが時には、作った本人の前に立たなければならない。
前世でも、疑義照会の電話をかける時は緊張した。
相手が医師でも、チート錬金術師でも、同じだ。
患者の記録があるなら、電話を取る。工房にも行く。
それが薬剤師の仕事である。




