第2話 万能ポーションは万能ではない
処置室の床に、若い冒険者が倒れていた。
十七、八歳。革鎧の胸元が汗で濡れている。顔は赤い。呼吸は速く、手足が小刻みに震えていた。
「ルカ! おい、ルカ!」
仲間らしい少年が肩を揺さぶっている。揺さぶるな、と言いかけて、私は床に膝をついた。
「揺さぶらないで。まず横向きにして、首元を緩めて」
「あんた誰だよ!」
「薬剤師です。何を飲ませましたか」
「ポーションだよ! 万能ポーション! 傷は塞がったのに急に倒れて」
万能。
その単語が出た時点で、私の中の警報が鳴った。
「何本」
「え」
「何本飲ませましたか」
「三本。ダンジョンで一つ、帰り道で一つ、ここに来てから一つ」
「最後に飲んだのはいつですか」
「さっきだよ! 血が出てたから」
私はルカの瞳孔を見る。意識は薄いが、完全には落ちていない。皮膚は熱く、脈は速い。口元から甘い薬草臭がした。
「ミーナさん、水。あと吐いた時に受ける桶。無理に吐かせないで、横向きのまま保てるように」
「は、はい!」
私はルカの腰袋を開けた。瓶が三本。二本は空で、一本だけ底に赤い液体が残っている。瓶底には、小さな銀色の粉が沈んでいた。
「このポーション、誰が作ったものですか」
「レオン様のだよ。チート錬金術師の。王都で一番効くやつだ」
「効きすぎる薬ほど、量を間違えると危ない」
「は?」
少年が本気で意味を理解していない顔をした。
無理もない。この世界では、ポーションは「良いもの」なのだろう。傷を塞ぐ。痛みを消す。魔力を戻す。だから多く飲めば早く治ると考える。
前世でも似た話はあった。
飲んで死ねない薬は薬じゃない、なんて、昔大学で聞いたことがある。乱暴な言い方だ。けれど、効くものには必ず危うさがある、という意味では間違っていない。
痛み止めを多めに飲む人。抗生物質を自己判断で残す人。眠れないから睡眠薬を足す人。薬は効く。効くから、間違えると壊れる。
薬局の窓口で、何度も同じ説明をした。
「良くなったら勝手にやめないでください」
「前にもらった薬を、家族に分けないでください」
「一回二錠を、一回四錠にしても倍効くわけではありません」
たいていの患者は苦笑いをした。忙しい医師には「細かい」と言われることもあった。それでも言った。薬は、飲む前の一言で事故を減らせるからだ。
「ルカさん、聞こえますか」
若い冒険者のまぶたが動いた。
「……あつい」
「分かりました。今から身体を冷やします。意識がはっきりするまで何も飲ませないでください。追加のポーションは禁止です」
「でも、傷が」
「傷は塞がっています。今の問題は、薬が多すぎることです」
処置室にいた治療師が眉をひそめた。白い法衣の中年男性だ。おそらくこの院の正式な治療師だろう。
「薬が多すぎる? ポーションは治癒の加護を凝縮したものだ。多いほど効く」
「違います」
反射で言った。
部屋が静まる。
初対面の治療師に対して、ずいぶん強い言い方をした自覚はある。だが、ここで濁すと目の前の患者に追加投与される。
「薬には、有効量と危険量があります。効く量と、身体を壊す量です」
「そんな話は聞いたことがない」
「今、聞いてください」
ミーナが水と桶を持って戻ってきた。私は布を濡らし、ルカの首筋と脇を冷やす。呼吸を確認しながら、空瓶の匂いを嗅いだ。
強い甘味。刺激臭。おそらく魔力循環を一時的に上げる成分が入っている。前世の薬理と完全に同じではない。だが、身体に作用するものなら、原則は同じだ。
「ミーナさん、この万能ポーションの標準量は」
「標準量?」
「一回にどれだけ飲むかです」
「ええと、怪我が小さければ一口、大きければ一本。すごく大きければたくさん」
私は布を絞る手を止めた。
「今日から、その説明は禁止です」
「はい?」
「すごく大きければたくさん、は投薬説明ではありません」
ルカが咳き込んだ。横向きの姿勢を保つ。吐瀉物は少量。追加のポーションが止まったせいか、震えは少し弱くなっている。
少年が泣きそうな顔で聞いた。
「ルカは死ぬのか」
「今すぐは分かりません。けれど、助けるために必要なことは分かります」
「何だよ」
「これ以上、薬を増やさないことです」
それは、拍子抜けするほど地味な答えだった。
魔法を使うわけでもない。神に祈るわけでもない。強力な薬を足すわけでもない。
ただ、止める。
前世でも、薬剤師の仕事の半分はそれだった。出しすぎを止める。飲み合わせを止める。患者の自己判断を止める。医師の処方に疑義照会を入れて、たまに嫌な顔をされる。
止める仕事は、目立たない。時には邪魔者扱いだ。
世の中には、そういう仕事がたくさんある。必要だけれど感謝されにくく、急いでいる人からは邪魔に見える仕事。
でも、かえって私たちはそれを少し誇りに思う。
誰かの手を止めた結果、何も起きなかったように見える。
その「何も起きなかった」の中に、死なずにすんだ人がいる。
だから、今も止める。
◇
ルカの容体が落ち着いたのは、夕方だった。
熱は下がり、震えも止まった。まだ意識はぼんやりしているが、水を自分で飲める。ひとまず最悪の山は越えた。
私は処置室の隅で、回収した瓶を並べていた。
「これ、全部同じ万能ポーションですか」
ミーナがのぞき込む。
「はい。同じ店のものです。レオン印は王都で一番有名なので」
「この瓶、色が少し違います」
「え?」
「左の二本は濃い赤。右の一本は橙に近い。底の沈殿も違います」
ミーナは瓶を見比べて、目を丸くした。
「本当だ。……でも、同じ商品ですよ」
「同じ商品でも、作った日や原料の状態で中身が変わることがあります」
「そんな細かいことまで見るんですか」
「薬なので」
私は鞄から帳面を一冊取り出した。
表紙に、前世の癖で大きく書く。
薬歴帳。
「それは何ですか」
「患者ごとに、飲んだ薬を記録する帳面です。名前、年齢、症状、薬の名前、量、時刻、副作用らしき反応。全部書きます」
「全部ですか」
「全部です」
ミーナが絶望したような顔をした。
「治療院の仕事が増えます」
「増えます。でも、死者は減ります」
処置室の入口に、先ほどの中年治療師が立っていた。
彼はしばらく薬歴帳を見ていたが、やがて低い声で言った。
「私は院長のエリオットだ」
「マオです」
「神託の薬剤師、だったな」
「はい」
「今日の件、君の言う通りかどうかはまだ分からない」
「分からないことを、記録で分かるようにします」
エリオット院長は、少しだけ目を細めた。
「言い方が薬師ではないな」
「薬剤師なので」
「よかろう。明日からその薬歴帳とやらを試す。だが一つ聞きたい」
「何でしょう」
「記録すれば、本当に人は助かるのか」
私はルカの空瓶を一本持ち上げた。
「少なくとも、同じ間違いで倒れる人は減ります」
院長は黙った。
ミーナが小さく息をのむ。
私は薬歴帳の一行目に、ルカの名前を書いた。




