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03. 怪盗ジャックの生態

 騎士団の詰所に到着した僕らは、まだ幼さの残る顔立ちの騎士に案内され、ジャックのいる牢へ向かった。

 騎士は部外者の僕の同行をかなり渋ったけれど、ネリネが「アスターお兄ちゃんを一緒に連れて行きたいです」と一歩も譲らなかった。被害者の妹であるネリネに、騎士も強く出れなかったらしく、最終的に僕はジャックに面会する権利を得た。


 ネリネに助けられる屈辱は、想像よりずっと小さかった。僕より丁重に騎士に頭を下げるネリネを見て、プライドを捨ててこいつに助けを求めていれば、もっと早くジャックに攫ってもらえただろうか、なんてことを考えた。


「おっ、イェリン。久しぶりー」


 牢のある詰所の地下には、澱んだ空気が漂っていた。僕が閉じこめられた部屋にはあった窓すら、この牢にはない。それだけ騎士団がジャックを警戒しているということだろう。牢の前には帯剣した騎士が二人立っていて、彼らは僕らが近づいていっても石のように黙したままだった。


 僕らは、鉄格子越しにジャックと相対した。

 ジャックは、張り詰めた空気を意にも介さず、拘束具付きの椅子に優雅に座っていた。姿形はソニアのまま、本物が絶対にしない、挑発的な笑みを浮かべている。


 拘束されたジャックを目の当たりにし、僕の心はどうしようもなく荒れた。どうして、どうして、あの時僕を盗んでくれなかったの。どうして、カラルクに負けちゃったんだよ。聞き分けのない子供みたいに、地団駄を踏みそうになる。


 だけど、ジャックへの失望はなかった。だって、僕はまだジャックに期待している。ジャックだけが僕の人生を分かってくれた。ジャックだけが僕の望みを叶えてくれる。この生粋の空想の住人はまだ切り札を隠してるんじゃないか、華麗な逆転をして、僕を攫ってくれるんじゃないかと、期待するのをやめられない。


 そして、ジャックに期待するたび、ベッドで眠る親方が、ぴったりの黒いコートを纏うネリネが、溢れる涙を拭おうともしないイブニが、小さな虫刺されのむず痒さみたいに、じれったく心に引っかかる。


 険しい顔をしたイブニが、庇うようにネリネの前に出た。


「どの面下げて、ネリネさんの前に出てきた」

「どんな面なら良いわけ? ん~じゃ、イェリンのかっこしよ」


 ジャックがにたりと笑った途端、ぼこり、とソニアの額にこぶができた。ネリネが悲鳴を上げる。

 顔全体に隆起した無数のこぶが、優美な瞳や唇を覆っていく冒涜的な光景を、僕は声もなく見つめた。あっという間に、元カノの美貌は、グロテスクな球体の集合体に様変わりした。


「へーんしーん☆」


 気の抜けた掛け声とともに、首の上の球体が一斉に割れ、下からイブニの顔が現れた。朝日に透ける新芽のような緑の髪といい、整っているのにどこかぼんやりとした顔立ちといい、本物そのものだ。ワインレッドの瞳だけが、毒々しい色に濁っている。


「どう? 顔だけしか再現してないけど、そっくりっしょ」


 イブニの顔、ソニアの声。僕の身近な人たちのつぎはぎが、唇の端をつり上げてけらけら笑う。牢番の騎士が腰の剣に手をかけ、悲鳴のような声で怒鳴った。


「貴様! どうやって魔法を! 魔封じの枷をつけてるはずじゃ」

「秘密でーす」

「貴様あ……!」

「相手にしても無駄です。恐らく、枷の魔紋を解析したんでしょう。別の魔紋が描かれた拘束具をすぐに用意した方がいい」

 イブニの言葉を受け、騎士の一人が慌てて走っていく。


「会いに来てくれてありがと、イェリン」

 騎士とイブニのやりとりを少しも気にしてないような顔で、ジャックがイブニに笑いかけた。イブニの顔がさっと赤くなる。


「お前に会いにきたわけじゃない。ソニアさんや他の黄金像にされた人たちの魔法を解く方法を聞きにきただけだ」

 イブニが早くも興奮しているのが分かった。鉄格子がなければ、とっくに胸倉を掴んでいただろう。


「えー言ったら、イェリン帰っちゃうでしょ。どーしよっかなー」

「お前……!」

「イブニさん、相手にしちゃダメなんでしょお」


 驚いたことに、ネリネがイブニの手を握って、彼を諌めた。イブニの呼吸が別の意味で荒くなるのに構わず、ネリネはゆっくりとジャックに向き直る。


「ねえ、ジャックさん。私のこと、分かりますか?」

「え、うーーーーーーん」


 イブニしか眼中になさそうだったジャックは、ネリネを面倒くさそうに見やった。


「えと、誰?」

「あなたが盗んだソニア・デュフーリの妹の、ネリネ・デュフーリです」

 感情の消えた声で自己紹介したネリネは、いきなり頭を下げた。


「お願いします。お姉ちゃんを元に戻す方法を教えてください」

「な、ネリネさん!」


 イブニが目を剥いた。イブニだけでない。僕も、牢番の騎士も、ジャックすらも、呆気にとられていた。


「ネリネさん、こんなクズに頭下げる必要はない」

「下げるよお。お姉ちゃんを元に戻すためだもん。教えてもらうまで上げないから」


 頭を上げないまま、ネリネはそう言い切った。イブニはなおも何か言おうとして、結局口を閉じた。僕を面会に同行させるさせないの押し問答を目撃した者たちは、ネリネの雑草のごときしつこさを、嫌と言うほど理解させられていた。


「……え、もしかして脅されてる? 斬新すぎない?」 


 砕けた口調と裏腹に、ジャックの声は冬の家の隅に溜まった空気みたいに、冷たく淀んでいた。妹ちゃんさ、と小さなつむじに投げかける。


「あたしに頭下げるってどんな気持ちなの?」

「怒っている気持ちです」

 ネリネの握りしめられた手が震えていた。ぽたり、と赤い雫が床に落ちる。


「私はジャックさんのことを一生許しません。だけど、お姉ちゃんを元に戻せるなら、私がどう思っているかとか関係ないです」

「バカじゃないの」

「そうかもですねえ。バカ、のろまっていつも言われてて。頑張っているけど、私、他に思いつかないんです」


 唐突に僕は悟った。ネリネは自分に向けられる侮辱の言葉も、侮蔑の視線も理解していたのだと。

 

 ネリネは、イブニから向けられる恋心も、僕と両親の微妙な関係も見抜いていた。こいつはバカではなく、ただ理解が遅いだけで、時間をかけて考える分、物事の核心を突いてくる。


 理解が遅いというのは、傷ついた心が顔や態度に出てくるのも遅いということだ。悪意や鬱屈を持つ人間からすれば、罪悪感を覚えることなく虐められるから格好の標的だろう。いくらギークの街の人間の性根が腐っていると言っても、女の子に目の前で泣かれたら流石にバツが悪くなるものだ。だけど、ネリネが泣く頃には、傷つけた奴らはとっくにいなくなっている。そして、次の日また虐めにやってくる。


 ——————今日はあれだったけど、結婚式の日は素敵なおばさまたちが見れるよ、きっと。


 僕は、街一番のとんまの少女に、圧倒的な敗北感を覚えた。


「……醜い」

 ジャックの表情にも劇的な変化が起きていた。瞳の挑発的な光は萎み、代わりに黒光りしているのは嫌悪だった。


「あたし、やっぱ魔法解く方法知らないし。自力で探せば?」

「ふざけるな!」


 ネリネの手を振りほどき、イブニが気色ばんだ。その隣で、ネリネは何事か考えているようだった。


「自力で……」

 はっとネリネは息を呑み、ますます深く頭を下げた。


「ありがとうねえ。ジャックさん」

「はいはいどうもどうも。いきなり何なの」


 嫌悪一色だったジャックの表情に困惑が混じる。僕もネリネが分からなかった。やっぱりこいつの脳内は年中花畑なのか?

 だが、ネリネの顔つきを見て、軽んじる気持ちはたちまち消える。強い覚悟を秘めた小さな瞳でジャックを見据え、ネリネは「ありがとうねえ」ともう一度礼を述べた。


「私は用事すんだよお。アスターお兄ちゃんと、イブニさんはどう?」

「俺から言うことはない」

「つれないなあ、イェリン」


 ジャックの茶々に、イブニは肩を震わせた。ネリネが宥めるように触れたことにすら気づかないように、囚われの怪盗を苦し気に睨む。


「お前は一生罪を償うんだ。殺した人、傷つけた人、盗んだ人、盗んだ人たちの家族。お前が苦しめた人たちの痛みを考え続けろ。お前は自分以外に心はないと言うが、そういうのは良くない。……人の痛みを思いやれない奴は、いつか一人になって後悔する」

「…………」


 表情の消えたイブニの顔が、イブニを見た。かつて共に過ごしていた者たちは、同じワインレッドの瞳を通して、僕には分からない感情を交わした。


「ねえ、イェリンはあたしのせいで痛い?」


 囁くように、ジャックが問うた。 


「……痛くない」

 食いしばった歯の隙間から零れ落ちた言葉は、真っ赤な血のようだった。


「お前が傷つけた人のことを思うと、お前を心配する自分が許せないだけだ」


 そこまで言って耐え切れなくなったのか、イブニは足早に鉄格子の前から去ってしまった。ネリネ、僕らを案内してきた童顔の騎士も後に続く。


 鉄格子を挟んで、ジャックと僕、牢番の騎士の三人だけが残された。


「イェリンは優しいね」


 暗い牢の床にぽつりと垂れた声は、ワインのように豊潤で深い感情に満ちていた。怪盗とイブニの間には、加害者と被害者の枠には収まりきれない心の繋がりがあるのだろうか。それこそ、子供の僕には決して飲み干せないような。


「分かる。時々めんどくさいけど、良い奴だよね」

「……お兄さんは、イェリンの何?」

「……同僚、かな?」


 ジャックの顔が初めて僕を向いた。あつらえたようにイブニもネリネもいなくなっていて、ずっと聞きたかったことを聞くには今しかない、と思った。ねえジャック、と呼びかける。


「どうして、予告状を出した七年前に、僕を盗まなかったの?」


 ジャックが現れなかった日から、僕は現実からズレていった。ずっと考えていた。僕を押し流していく日常は本来の人生じゃなくて、僕は正しい運命の線路から脱線してしまったんだって。両親や街の人に囲まれていても、「ここは居場所じゃない」という疎外感があった。職人になれと言われるたびに「違うよ」と訂正したくなるのを堪え、訂正できないことに苦悩した。


 七年間、僕は僕が送るはずだった人生を、間違えて乗ってしまった列車の窓から探し続けていた。成長し、父親の跡目を継ぐ日が近づくにつれて焦りは日増しに大きくなった。子供から大人へ切り替わったら、間違った線路も二度と切り替わらないのではと恐れた。


 だけど、ジャックは間に合った。僕が大人になる前に、閉じこもった蛹から強引に連れ出される前に、再び僕の前に現れた。


 今度こそ、ジャックに盗んでほしい。正しい運命の線路に合流して、本来なら抱かずに済んだ苦しみや、煩わしいしがらみから解放されたい。それが、誘拐されそびれた時からの、僕の唯一の願いだった。


 僕は息を詰めてジャックの答えを待った。

 緑の髪がタンポポの綿毛みたいに目の前をふわりと横切った。ジャックが首を傾げている。


「覚えてないなー。そんなことあったっけ?」



 突如、僕の周囲の音が全て消えた。

 無音の世界で、ぱくぱくと動くジャックの口から吐き出される息は白く白く、それが足下に流れるにつれ、空気の粘度が増していく。粘液で全身を覆ったナメクジに絡みつかれたみたいだ。ナメクジは粘液を引きながら、僕の身体を登り、やがて耳に潜りこんでくる。


 それは、一生忘れることができないであろう、不快な蠢きを伴う言葉だった。


「ホントに覚えてないなー。てか、お兄さん、綺麗な顔しているねー。虫に刺された痕がなければ好みドンピシャ」


 黒パンが焼きたてですよ、と客に薦めるソニアの声で、ジャックは笑っていた。今日はいい天気だな、と言うイブニそのものの顔だった。明日には忘れてしまう些末な会話みたいに気軽に、ジャックは僕の容姿を褒めた。


 ——————やっと、壊れた。


 その時、僕は自分の身体からすうと抜け出して、立ち尽くす僕を見下ろす幻覚を見た。自分を構成していたものがバラバラになっていくのを、無感動に観察する。


 標本の虫に意識が残されていたら、こんな感じなんだろうか。ピンで台紙に固定されている間、彼らはもう一度飛び回りたくてたまらないはずだ。だけど、それが叶わないまま長い時間が過ぎたら、やがてかさかさになった翅が落ちても、あっもげたな、くらいしか思えなくなるだろう。


 僕は絶望すると同時に安堵していた。

 もうこれで、無為な希望を持たなくていい。


 例えそれがなければ、二度と飛ぶことができないとしても。


 ジャックは二度も僕を忘れた。ジャックからしたら、僕は綺麗な虫で、捕まえて大事に家に持ち帰って、ピンで挿す、持ち帰る途中で足が曲がりでもしたら、屑入れに投げこむ、その程度の存在だった。朝見かけた虫を夜もう一度見かけてもそうと分からないように、捕まえられなくて残念だなと次の瞬間には忘れてしまう、有象無象の一匹だったんだ。


 ジャックは、僕に大した価値を見出していなかったんだ。



 それから、どんなやり取りをしたのかは思い出せない。家に帰った気はするけれど、気づいたら、僕は病院の屋上に佇んでいた。


 その日の夜、怪盗ジャックは厳戒態勢が敷かれた騎士団の詰所から逃走した。

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