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13. 最後の朝

 夜が明けた。春に盗賊たちに囲まれた広場で朝を迎える。僕は時計台の壁に寄りかかって、昇る朝日を睨んだ。徹夜後に浴びる、白くてさらさらの光は鬱陶しい。一晩を通して煮詰まった、己の毒素を容赦なく晒されるみたいで。


 一晩中探し回っても、ジャックは見つからなかった。家には帰っていない。ジャックに再会できたら、どうせ家には戻れないのだから。

 イブニにきつい言葉を吐いてしまった手前、僕も意地になっていた。


 今日はジャックがソニアを盗むと予告した日だ。ソニア本人はとっくに盗まれているみたいだけど、何かは必ず起こる。


 腹の虫が鳴った。昨日の夕食以来、何も食べていないから当然だ。


 ひとまず駅に行って、仮眠室に隠してある給金を回収しよう。もちろん、イブニと顔を合わせないよう細心の注意を払う。その後、一か八か「デュフーリ」に張りこむ。


 今後の方針を定めた僕は、時計台から背を離し、ギークの駅へ向かって歩き出した。



 朝の清浄な光が街をくるんでいる。起きるにはまだ早い時間帯だから、普段は賑やかな通りも静かなもので、色づいた街路樹の葉が落ちる音すら聞きとれそうだ。人がいなくなったような、透明な静寂が流れる街は、城砦であったという昔日を偲ばせ、僕は生まれ育った街を初めて美しいと思った。もうじきこの街も見納めだという感傷が、僕にそう思わせたのだろうか。


 数時間ぶりの駅もまた、朝の光に照らされ、翼のように藍の影を広げていた。周囲に人気は無く、二度血の海ができたロータリーを鳩がのんびりと歩くばかり。首をかくっと曲げ、鳩が僕に気づく。ぽっぽ、なんだ、あの偏屈親父じゃないのか。ぽっぽ、今更何しに来たんだコノヤロー。


「お前ら、あんま駅の周りうろつかないでよね。お前らが糞すると、印象悪くなるし、何故か僕らが怒られんの」


 腕を振り上げると、鳩たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。羽音に気づいた先輩が、充血した目をこすりながら出てくるのを躱し、駅に潜入。


 使う者がいなくなった仮眠室には、乾いた空気が漂っていた。誰かが片付けたらしく、右の二段ベッド下段に積み上げていた僕の本と新聞はすっかりなくなっている。

 怒りは湧かなかった。皆からしたら、運行再開の手伝いをしなかった僕はもう駅の一員じゃなくて、所持品を置いておく義理もないんだろう。


 にゃあと、猫の鳴き声がした。野良猫でも迷いこんだのだろうか。時々やって来る迷い猫に、イブニはきまって餌をあげていた。居ついたら面倒だからやめろと言い聞かせていたけど、まだあげてるのだろうか。


 枕に触れると、布越しに固い感触が返ってくる。隠しておいた貯金は無事だった。ほつれた糸の隙間から給金を入れ続けた枕は、ずっしりと重い。

 枕からそれなりの量の紙片と硬貨を取り出し、入れて持ち歩けるものはないかと、僕は部屋を見回した。


 親方がいつも寝ていた左の二段ベッドの上段に、革の鞄が置いたままにされている。梯子を上り、酷使されてくたびれた鞄を手に取る。傷んだ革の感触を感じた途端、ぷつんと何かの糸が切れた。


 目頭が熱くなり、たちまち熱い水が頬を伝って止まらなくなった。親方が倒れてから、泣いてばかりじゃないか、僕。人生最大の望みが叶う間近まで来たのに、どうして涙が止まらないのだろう。



◆◆◆◆◆

 銀杏の葉が舞っていた。大きなヘーゼルの瞳が僕を見ている。


「どうして、私はあなたと付き合っているのかしら。こんなにあなたのこと嫌いなのに」


 知ってる、と僕は返した。


 僕らは列車の座席に向かい合って座っていた。アームストロング号ではない。座席から壁まで至る所がぼろいし、何より天井がなくて、上から深い黄色の葉が落ちてくる。

 僕の手にはペイストリーの乗った皿があった。軽い食感のパイ生地が人気の、「デュフーリ」の看板商品だ。


「自意識過剰なところ、他責思考なところ、すぐに誤魔化して逃げるところ、全部全部嫌い」


 それも知ってる、と僕は返した。


 彼女がペイストリーにナイフを差し入れる。パイ生地はいとも簡単に割れ、中に詰めこまれていたラズベリージャムが皿の上に滴った。


「あなたの取り柄なんて見た目だけよ。見た目が良いだけの張りぼて野郎。その見た目だって今だけしか価値がない」


「…………」

 僕は何も言い返さなかった。


 目の前を黄金の葉が横切る。落葉樹の葉は地に落ちる時、最期の時が最も美しい。最盛期の美を活かせずに散っていくなんて、憐れな在り方だと思う。それに比べたら、僕はずっとずっとましなはずなんだ。


 ピイイイイイイイイイイ!


 窓の外からホイッスルの音が聞こえる。僕は彼女から目を逸らし、音の正体を探した。


「美しく生まれなければ良かった。美しくなければ、自分は特別だと勘違いすることもなかったのに。相応のささやかな幸せで満足できたはずなのに」


 僕が知る中で最も美しい女性が嘆く。


 ごうっと風が唸る音がして、銀の列車が姿を現した。曇り一つない、磨き上げられた車体が、あっという間に僕らの列車と別の方向に走っていく。一筋の美しい流星。迷いのない姿に惚れ惚れとする。


 乗せてくれよ、と上げようとした手が、骨が砕けるような強さで握りしめられた。痛い、と叫ぼうとする喉元に、嫌いな味が降りてくる。


「あなたが嫌いよ」


 彼女が自分のペイストリーを僕の口に突っこんでいた。彼女の皿が目に入る。パイ生地から零れたジャムのラズベリーの実は、煮詰められてぐずぐずになっていた。



 これは実際にはなかった光景だ。

 だって、この大陸にアームストロング号以外の列車はない。それに、ソニアは付き合っている間、僕の前で甘いものを食べきってみせたのだから。



◆◆◆◆◆

 にゃあああああああああああ。


 猫の鳴き声が微睡みを打ち破り、僕はベッドから跳ね起きた。寝てしまった! 誰も来てないよね⁉ 鞄、とその中の給金。よし、なくなっていない。抱き枕にされてさらにくたびれた鞄に、数え直した給金を仕舞い、僕は胸をなでおろした。


 部屋に差し込む光の位置は、意識を手放した瞬間とあまり変わっていないように見える。眠っていたのは僅かな間だったらしい。心臓を抉られるような、苦しい夢を見ていた気がするけれど、内容はよく思い出せない。


 にゃあああああああああああ。


 僕を覚醒させた猫の鳴き声は続いている。鳴いている、というより、泣いているような哀切をはらんだ響き。


 この猫の鳴き声に聞き覚えがあるような気がした。


 僕はそろりと仮眠室を抜け出し、鳴き声に導かれるように駅舎の暗い廊下を進んだ。 

 形容しがたい胸騒ぎが、僕を突き動かしていた。

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