12. 輝きの夜・下
悲鳴じみた声と共に、僕と彼女の間に人影が割りこんできた。銀のラインが走る紺色の上着に、同じ色のパンツ。ギークの駅の制服だ。
「ちょっかい出すのもいい加減にしろ!」
僕を背に庇い、乱入者———イブニは、警棒を振りかぶって、彼女に突っこんでいく。
「ちょっ! どうしたの!」
「うわっ、びっくりしたー」
無茶苦茶な軌道を描く警棒を、彼女は軽く躱し、イブニを見て顔を輝かせた。
「あっ、イェリン。こんばんは」
「ふざけんな!」
イブニが吠えた。激怒した親方を彷彿とさせる剣幕に、制止しようと伸ばした手が止まる。
「ふざけたこんばんはって何?」
「こんばんはに種類はない。お前がアスターの前に出てきたことに言っているんだ!」
「誰の前に出ようと私の勝手でしょ。超理不尽こわーい」
ソニア———否、ソニアの顔をした何者かは、いかにも心外だと言いたげに肩をすくめた。
「まあいーよ。今日はもう帰ろうと思ってたから。さいならー」
本物ではあり得ない軽い口調で別れを告げ、彼女は僕らに背を向けて駆け出した。「待ちやがれ!」と険しい顔で怒鳴ったイブニが、僕を振り返り、踏み出そうとした足を下ろす。その隙に、彼女の背中は夜の闇に紛れてしまった。
「ここで何をしていたんだ」
怒りの余熱が残る声が、静まり返った裏路地に響く。
僕らの間には、見えない導火線が蜘蛛の巣よりも緊密に張り巡らされていた。
「何って……順調かなーって気になって、様子を……」
「あいつと一緒に? 嘘をつくな」
駅の制服を纏ったイブニが、全身で僕を責める。
「お前こそ未来の義姉をあいつだのこいつだの。ネリネに怒られるよー………」
「アスター、お前も気づいているだろう。あいつ……今のソニアさんは危険だ」
やはり、イブニに誤魔化しは通じない。僕は大きく息を吐いた。
「だから? 僕は前の陰険女より、今のヤバいソニアのほうが好みだよ」
イブニの頬がさっと紅潮した。
「この前の俺の話を聞いてまだ言うのか! あいつは他人を自分と同じ人間だなんて思っていない! あいつはお前に不幸しかもたらさない!」
その言葉は決定的だった。
「ジャックだよね。さっきのソニアはジャックなんだね」
僕の言葉にイブニは沈黙し、やがて唇を噛みしめて首肯した。
「気づいたのは僕の家?」
イブニはまた頷いた。
「ジャックの固有魔法は、たぶん『人間』だ。条件はあるようだが、他人の容姿、体格、声を再現して成りすませるんだと思う。話し相手として耳の黄金化を解かれる時、聞こえてくる声がいつも違っていたから、『ジャック』は複数人いるのかと思っていたんだが……。アスターの家であいつを見て、からくりに気づいた」
「他人に成りすます……って伝説級の魔法じゃん⁉ 本当に使える魔法使いなんているんだ」
「見た目だけだ。全然凄くない。あいつは他人の中身なんてないと断じるが、一番中身がないのはあいつだ」
「まあ、似せる気はないよね」
表情も仕草も言葉も、本物のソニアならしないものばかりだった。手厳しいイブ二の評価に苦笑していると、「何笑っているんだ」と睨まれる。
「本物のソニアは?」
「…………分からない」
絞り出すようにイブニが言った。
「もう盗まれたかもしれない」
「予告状の日付は明日だろ」
「たぶん、それが奴の手口だ。予告状とは全く違う日付にターゲットを盗み、盗んだ後は、予告状で指定した日まで成り代わって過ごす。当日になったら魔法を解いて姿を消す」
せこい手だ、とイブニは吐き捨てた。
「結婚式の日からソニアさんは様子がおかしくなったと、ネリネさんが言っていた。成り代わったのはたぶんその日だ」
「……ふーん。あ、そ」
かろうじて絞り出せた言葉は、それだけだった。嫉妬ではらわたが煮えくり返りそうだ。
「アスター……お前はもうジャックと関わるべきじゃない」
何が、私のこと連れ出してくれる、だ。僕を差し置いて、ジャックに攫われやがって。お前は、僕が認めるほどの美しさを持ちながら、磨こうともしなかったじゃないか。美貌が呼びこむ不幸に酔って、自慢と紙一重の文句ばかりぐちぐち言って、何もしてこなかった女なのに。
「ご両親が心配するのももっともだと思う」
でも、ジャックは僕に会いに来てくれた! 綺麗な顔だね、とうっとりと僕を見つめてくれた! イブニの推測したジャックの犯罪手口が正しいなら、僕を盗みに来てくれていたのかも。いや、そうに違いない。そもそも、ジャックがこの街に来たのも、七年前に盗みそこねた少年のことが心に引っかかっていて、迎えに行こうと思い立ったからだろう。ソニアのことは偶然見かけて、「こいつもついでに盗むか」と思ったんじゃないか。本命は僕! 七年間ジャックを待ち続けてきていたこの僕だ!
「アスター!」
肩を強く揺すぶられて我に返ると、イブニが怒りの炎を瞳に灯して、僕を睨んでいた。
怒りの炎を燃やしているのは彼だけではない。彼の瞳に映る僕もだった。
「……急に大声出さないでよね」
「ごめん。だけど、アスター、何でだ。お前には両親がいて、お前を愛してくれているじゃないか。街の人だってお前には親切だろ。こんなに平和で贅沢な人生を送ってきたくせに、何で自分は不幸だって顔して、俺やジャックを物欲しげに見てるんだ!」
「……何言ってんの」
かちん、と音がした。
爆発する。爆発と一緒に、瓦解していく。
「学校に行かせず、息子の命の恩人を貶し、家に閉じこめる親が、僕を愛している? 何を見たらそうなるの」
「それはその……そのやり方しか知らないということもある。少なくとも、俺の目にはあの人たちはお前のことを」
「愛してても僕は嫌い。前にも言ったでしょ」
あのさ、と自分でも驚くほどに冷たい声が出た。
「お前さ、カラルクの悪口言ってたおばちゃんたちの時もそうだけど、僕らに夢見すぎ。平和で普通の生活を送っていれば、普通に愛しあえて、普通に幸せになれるとでも思ってた? そんなわけないじゃん。普通に分かりあえないよ。普通の不幸を嘆いている性悪ばっかだよこの街は! 僕も含めて!」
零れんばかりに目を見開くイブニが憎らしくて仕方なかった。父が、母が、親方がイブニの顔に重なっていく。職人になれ、騎士になれ、大人たちの口が蠢く。そうしたら将来安泰だ、幸せになれるわ、幸せだ、間違いない。幸せ? 幸せって何だ。片田舎の職人が、大貴族の箱入り坊ちゃんが知っている僕の幸せって何だ!
「お前は性悪なんかじゃ……」
「性悪だよ。お前が理解しようとしてこなかっただけだ!」
肩を掴むイブニの手を振り払い、僕は叫んだ。我慢の限界だった。
僕はお前がネリネを好きになるのを許容したのに、僕がジャックに盗まれるのを邪魔しやがって。お前が、お前のせいで。お前が勝手に「自分の幸せ」の延長でしかない「僕の幸せ」を振りかざしたせいで、人生で初めて幸せだと思った瞬間が終わったじゃないか。
「お前さ、僕の父親に、僕の好きなものを見てくれーとか説教してくれたけど、お前が見る気ないじゃん。何で、ジャックがソニアに化けてるって教えてくれなかったの」
「アスター、俺は、俺は今度お前に相談しようと」
「もう遅いよ」
イブニは、途方に暮れたような顔をしていた。こいつのこういう顔は、初めてまともに言葉を交わした春の夜以来だ。思えば、僕はずっと我慢してこいつに付き合ってきた気がする。
何で、こいつのために自分の心を押し殺していたんだろう。
何で、ジャックの話を涙ながらに話すこいつに申し訳ないなんて思ったんだろう。
ジャックは正しい。空想から落ちてきた少年の心を慮って、僕が傷つくなんてバカみたいだ。
「アスターはあんな奴が、好き……なのか?」
錆びついた車輪みたいにぎくしゃくと、イブニが聞いてくる。
「全てだよ。僕にはもうジャックしかいない」
黄金像に戻ったかのように動かなくなったイブニを置いて、僕は逃げるようにその場から去った。一刻も早くジャックを見つけて、盗んでもらわないと。
名前も知らない秋の虫が、哀愁混じりの声を街中に響かせていた。




