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11. 輝きの夜・上

「どこに行くつもり?」

「駅。今日から運行再開らしーよ」


 そのことは家を訪れた二人から既に聞いていた。約束したくせに、結局何もできなかったと、忸怩たる思いを抱いたものだ。


「……あんま行きたくないんだけど」

「私は行きたーい」

 ソニアに押し切られ、仕方なく駅に足を向けた。


 人目につきたくないと元カノは裏路地に入っていく。何が楽しいのか、彼女は道中ずっと鼻歌を歌っていた。僕には聞き馴染みのない曲で、歌詞が風の大陸の言語であることだけ辛うじて分かった。


「何ていう曲なの?」

「『軍靴のシンデレラ』って曲。向こうじゃ超有名だよ?」

「しん……? 何それ。聞いたことない」

「じゃ、覚えるまで歌ってあげる」

 弾かれるように元カノを見た。彼女は謎めいた微笑を浮かべて、また最初から歌い出した。

 喉に鈴虫を飼っているんじゃないかと思うくらい、澄んだ歌声だった。



 裏路地を抜けると、アーチの波が視界に飛びこんできた。言い尽くせない想いが胸を覆う。事件から一ヶ月も経っていないのに、僕はギークの駅をとても懐かしく感じた。


 先輩たちが忙しそうに動き回っているのが遠目に見えた。客はすぐには戻らないだろうから、しばらく荷量を増やして対応するつもりだとイブニが言っていた。ロータリーには荷を下ろして空になった荷車が並んでいる。


「!」

 荷主の商人と握手を交わしていた先輩がふとこちらを見た気がした。慌てて裏路地に引っこむ。


「どーして隠れるの?」

「気まずいんだよ。僕、何もできなかったし、制服だって捨てられたし」


 僕にとって、駅はもう大手を振って戻れる場所ではなかった。両親のせいではあるけど、皆が一番大変な時に、ベッドで芋虫をしていたのが僕だ。皆は「アスター・サンダフォードは裏切り者だ」を合言葉に、再開の準備をしたのだろう。立場が逆だったら、僕もそうするから間違いない。


 胸の真ん中に穴が空いたみたいだ。駅での記憶が、秋の冷たく乾いた風に攫われていく。

 

 が、僕が悩ましき胸の内を明かしているにもかかわらず、ソニアはつまらなさそうに欠伸をし、しまいにはあらぬ方向を凝視しだす。「何してんの」と聞くと、「人間観察」と返ってきた。お前が提案したデートなんだから、他人じゃなくて僕を観察してほしい。


「ちょっとは聞いてくれたっていいじゃん」


 苛立ちを込めて睨むと、悍ましいほどに美しい顔がこちらを向いた。


「他人の心なんて推察しても無駄無駄!」

「はあ⁉ いきなり何を……」

「そもそもー、他人の心って目に見えないしさ、あるかどうかも分かんないじゃん。存在するか分からないもんに、気持ち暗くしてグチグチ言うとかマジ意味不明。他人の中身なんて血と骨と肉と臓物、それでいいじゃん。それとも、あそこの人の首、刎ねて探してみる? 心」

「は、刎ね……」


 先輩を指差し、恐ろしいことを事もなさげに言う彼女に、僕は絶句した。彼女は「分かんないって顔してるね」と、一歩踏みこんできた。思わず後ずさると、なおも距離を詰めてくる。小さな口がすうと息を吸いこんだ。


 ぱきり。

 裏路地に乾いた音が響いた。


 先端が不自然に曲がった左の小指をさすり、元カノは顔を苦痛に歪めていた。脂汗が滲む額が、月明かりを浴びて仄白く光っている。


「痛かった?」

「痛かったって…お前が痛いんじゃないの⁉」


 僕は激しく混乱していた。え、何なんだこの状況。何故、彼女は自分の指を折ったんだ。狂ったか? と今夜二度目の感想が頭をよぎる。


「さて、あたしは痛いか痛くないかどっちだ?」

「いや痛いでしょ⁉ 早く医者に……」

「正解は痛い、でしたー。君は痛くなかったんだね。良かった」


 僕が渡したハンカチを指に巻きつけ、彼女は心底安心したかのように笑った。状況にそぐわないその笑顔を薄気悪く思いつつも、心臓が鼓動を速める。


「あたしのクイズに君が正解できたのは、君があたしと同じ小指と、小指に通った神経を持っていて、折れたら痛いって想像できるからでしょ。首を刎ねても、胸を貫かれても、同じものを持っているから想像できる」


 あたしね、と重大な内緒話を打ち明けるように、彼女は声を潜めた。


「君にハンカチを貸してもらえて嬉しい。ありがとう。でも、嬉しいと思う人だけじゃないっしょ。他人のハンカチなんて汚いって、顔しかめる人もいる。ひどいねー。でも、どうしてか皆、他人も自分と同じように感じるはずだーって考えるんだよね。そんなことないのにね。指や神経と違って心は皆違う。自分が想像する他人の心は、どこまで行っても自分の心の延長、みたいな? そもそも、この世で『心』を持っているのって、あたし以外いる? みーんな、心があるフリしてたりしてね!」


 ソニアがそっと僕の左手を取り上げ、小指に触れた。


「君が言っていることは、密封された箱を観察して、中に入っているかも分からない猫の状態をあれこれ心配するようなもんじゃん。無意味無意味。だから、刎ねて(開けて)みようって言ったんだよ。ま、開けても心は見えないんだけどねー」


 ひんやりとした指が絡みついてきても、僕は動けなかった。


 他人の心を考えても無意味なんて暴論だ。相手を慮れない人間に待っているのは排斥だけだと、子供の僕でも、いや子供だからこそ知っている。


 だけど、だけど、彼女みたいに考えられたらどんなに楽だろう。触れ合った指から、ハリガネムシみたいに僕の中に入ってきてほしいと願った。考えすぎる僕の心を食い荒らして、いっそ何も考えられないようにして。


「あたしは自分の心を大切にしてる。あるか分からないものに乱されたりなんてしない。傷つかないように、美しいままにするために、大切に大切に守っているんだー」

「どうやって……?」

「正直になるんだよ。美しいっていうのは、自然体であることだから」


 息がかかりそうなほど、彼女の顔が近づく。まつ毛に縁どられた瞳に、僕が映る。


「うーん。あたし、君の真顔が好きだなー。強張った顔、やめてみて」


 僕を取り巻く現実が軋む。磨き続けた貌から力が抜けていく。


 駅の方から、ややたどたどしいホイッスルの音がした。直後、線路上を駆け抜ける列車の轟音が、辺り一帯の音を押しつぶしていく。


 でも、その言葉は僕の耳にはっきりと届いた。


「綺麗な顔」


 目が眩むほどの歓喜を覚えた。その一言で、僕の全てが報われたような気がした。


 チクリ。

 頬に微かな痛みを感じて、咄嗟に右手をやった。何かを潰したような感触。手を戻すと、翅が曲がった虫の死体がへばりついていた。


「うっわ」

 あまり気持ちの良いものではない。僕が服の裾で死体を拭っていると、視線を感じた。


 表情を消した彼女が、僕を凝視していた。


「な、何」

「右のほっぺた、赤くなってるね」

「なっ、僕は照れては……、ん? 右のほっぺた?」

「うん。さっきの虫に刺されたんでしょ」


 危うくボロを出すところだったと、僕は今度こそ赤くなった。


 だが、ソニアは怖いくらい真剣に僕の顔を見ていた。大々的な宣伝文句にまみれた品を値踏みする、オークションの参加者たちのように。あるいは、列車での運送中に傷がついてしまった商品の元手を回収すべく、策を練る商人たちのように。


 だんだんと頬の熱が引いていくのが分かった。


「ど、どうしたんだよ。そりゃ顔を刺しやがったのは許せないけどさ、いつかは治るし」


 彼女は何も言わずに、僕の小指から手を離した。ただそれだけで、僕は驚くほどの喪失感を味わった。秋風にやすりのように擦られ、空の手のひらは痛みすら覚えるほどに冷たくなっていく。


「お前……いや、君は———」

「アスター!」

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