05. 思いがけない岐路
詰所から解放された後、二人で親方の見舞いに行った。親方はまだ目を覚まさない。眉を顰めた寝顔をしばらく無言で眺め、どちらともなく帰ろうと言った。
通りを歩いていると、僕ら、というよりイブニを見て、ひそひそと囁きあう奴らが目につく。イブニの顔から次第に色が失せていくのをみかねて、僕は話題を捻り出してあれこれ話しかけた。だけど、僕の方も結構参っているからか、会話はうまく続かない。
結婚式の熱と一緒に夏も弾けてしまったのか、吹きつける風は冷たく、上着の前を合わせて歩いた。季節は秋に差しかかりつつある。秋は月の季節だ。空気の澄んだ夜、大きな満月の下を走るアームストロング号はそれは美しいのだけど、しばらく見ることは叶わないかもしれない。
もしかしたら、永遠に。僕はふと弱気になった。
騎士団の詰所から出る前、カラルクに呼び止められたことを思い出す。
アスター、とカラルクは彼にしては珍しく、迷っているような顔で声をかけてきた。
「お前、騎士になる気はないか?」
僕は耳を疑った。僕の人生で、職人以外にならないかと言われたのは初めてだった。
「どうして急に? 僕、騎士になりたそうだった? それとも光るモノを僕に見出したとか?」
「どっちも違う」
即座に否定され、盛り上がっていた気持ちが萎む。そんなにきっぱり言わなくてもいいじゃないか。
「じゃあ、何で?」
内心の落胆を押し隠して尋ねると、いつもきりりとしているカラルクの眉が下がった。また迷っているようだ。
「ジルベールが、お前を騎士に推薦してくれと言ったんだ。イブニを引き取る見返りに……」
「は?」
自分でも驚くほど、空虚な声が出た。カラルクが慌てたように、手を顔の前で振る。
「もちろん、お前が希望すればの話だ。アスター、騎士と一口にいっても色んな騎士がいる。俺みたいに戦うしか能のない奴もいるし、作戦を立てたり、物資の管理をしたりする奴もいるし、魔獣の世話をする奴だっている。皆、自分の長所を活かして騎士やってんだ。お前だって……」
カラルクの説明は、ほとんど頭に入ってこなかった。
騎士になる? 僕が? 学校に行ったこともない、剣を振ったこともない僕が、騎士になって何をするの? 僕の長所……美貌と愛想笑いを活かして広告塔にでもなれと?
そもそも、騎士とはエリート層、つまり強力な魔法を使える者が就く仕事だ。散々僕に魔法の才能がないと罵っておいて、騎士に推挙するなんて、何考えているんだあの不精髭ネズミ。
「…………はは」
乾いた笑いが出た。何考えてんだよ、親方……。何で、僕に内緒で、僕を騎士にしようとしてるんだ。やめてよ。あんたはそんな大人じゃないでしょ。
「ピンとこなかったか。すまん、俺も弱気になってるみたいだ。忘れてくれ」
カラルクが苦い顔になった。
「あいつが目を覚まさないもんだから……お前を使って、望みを叶えてやりたいって思っちまった。お前の将来はお前が決めるものなのにな。やってみたいことがあるなら、いつでも俺やあいつに言ってくれ。きっと力になるから」
嘘だ。
あんたは、強い強い正義の騎士様は、僕から最後の希望を奪おうとするんだろ。
「まずは、あいつを襲った奴とジャックを捕まえるよ」
「はいはいよろしく。職人の息子に粉かけてる暇なんてないからね。きりきり働いてよ」
僕の激励は虫に食われたどんぐりみたいにスカスカだった。
あいつが目を覚まさないものだから……。
カラルクとの会話が、ぐるぐると頭の中を回り続けている。いつも気丈に振る舞っていた騎士の弱音は、僕をどうしようもなく不安にさせていた。
親方が永遠に目を覚まさないかもしれない。そしたら、アームストロング・ラインはどうなる? 運休どころか廃線になってしまったら?
そんなの嫌だ、嫌だよ。親方……。
「アスター!」
耳元で怒鳴られ、僕は我に返った。イブニが心配そうに僕を見ている。
「大きな声出してごめん。ずっと呼びかけていたんだが、聞こえていなかっただろう。大丈夫か? カラルクさんと何を話したんだ?」
「親方のこととかをちょっと」
言葉を濁した。そうか、と短く言ったきり、イブニは踏みこんでこなかった。
「……イブニは将来何になりたいとかあったりする?」
「アームストロング号の運転士になりたいと思っている」
「マジ⁉」
何となく聞いたことに驚きの答えが返ってきて、思わず足を止める。
「本気だ。親方にも言ってある。字の読めないバカに、俺が作ったものの操縦をさせられるか、って言われたけどな。字が読めるバカになりますって言ったら、誰がバカのままで良いって言った、ってまた怒鳴られて……でも、それから勉強をよく見てくれるようになった」
胸の奥でじゃり、と嫌な音がした。
親方は、イブニが教養を身につけたら、自分の仕事を託してもいいと思っているんだ。僕のことは、厄介払いよろしく騎士にしようとしているくせに。
親方とのやり取りを思い返しているのか、イブニはほのかに口元を緩めている。その表情を見て、ちっぽけな嫉妬心に火が点いた。
「でも、親方が目を覚まさなかったら……」
「え……」
……僕は何を言っているんだ!
僕は激しい自己嫌悪に陥った。イブニはびっくりしたような顔をしている。
これじゃ、これじゃまるで、親方が目覚めなければいいと、イブニが夢を叶えなければいいと言ったようなものじゃないか。違う、僕はそんなことは思っていない。
僕は、親方みたいに、誰かがちょっと思い通りに動いてくれないからって、そいつが失敗すればいいと思ったり……
「そうだな……不安だよな」
イブニが案じるような眼差しを僕に向けて言った。脳内の言い訳がぴたりと止まる。僕は自分を無性に醜いと思った。
「親方は絶対に目を覚ます」
僕の失言を打ち消すように、イブニが言葉を重ねた。が、すぐに
「とは俺も言えない」
また打ち消した。
ちょっと、とイブニは僕を手招きし、早足で歩き出した。裏路地に入り、無秩序な道をすいすい進んでいく。半年ですっかり街に馴染んだ背中を、僕はただ追いかけることしかできなかった。




