00. 断章あるいは過去の断片-2
あなたを盗みにまいります。
恋人にも送らないような気障な一文に、日時が添えられた「予告状」を貰ったのは、十歳の時だった。
当時、街には同世代の子供がほとんどいなくて、僕はいつも一人だった。街の子供たちの大半は、街の外の学校に行っていた。
火の大陸では、七歳に達した子供は、州を治める侯爵家が設立した学校に入学するのが慣習になっている。ギークのような小さな街には学校はない。だから、ギークの街の子供たちは、街から馬車で数日かかる港町マリルーネに下宿し、そこで三年間学校に通うのだ。学校では、算術や文字の読み書きといった基礎的な知識や魔力のコントロールを学び、固有の魔法を発現させる支援も受けられる……らしい。
僕は学校に行かせてもらえなかった。僕が生まれる前に起きた、ギルドと侯爵家の対立を忘れられない両親は、僕が学校に行くことを許さなかった。あんな奴らが創った学校に行かせたら、何をされるか分からないと言って。
僕は幼く、まだ父親に期待していた。学校に行ったらダメとは言うけれど、一生懸命お願いしたら、考えを変えてくれると信じていた。だから、手を変え品を変え、しまいには涙を流して頼んだ。
だけど、父は「お前は好奇心旺盛だね」と言うだけで取りあってくれなかった。それは怒られるよりも辛かった。その場しのぎに褒めておけば誤魔化せる相手だと侮られているようで。大好きな父親に、自分の真剣な想いがないがしろにされたことに、僕は深く絶望した。
僕と同じように親の方針で学校に行っていない子供は他にもいた。だけど、彼らは親の言葉を鵜呑みにして学校や侯爵家を嫌っていた。一緒にいても話が合わなかったから、僕は彼らを避け、ますます一人になった。
そんな時、怪盗ジャックから僕に予告状が届いた。
怪盗ジャック。神出鬼没にして正体不明の怪盗。かの怪盗の獲物は「人間」だ。ジャックは老若男女問わず、「美しい」と見初めた人間に予告状を出し、誰にも気づかれずに「盗む」。盗んだ人間は魔法で黄金の像に変え、秘密のアジトで鑑賞しているという。
「安心しなさい、アスター。お前には誘拐犯の指一本触れさせない」
予告状が届いた時の父親の怒りは凄まじかった。父親の言う通り、「盗む」と言うとカッコいいが、ジャックの実態は誘拐犯である。だけど、僕は胸が昂るのを抑えられなかった。
怪盗。何て魅力的で、幻想的な響きだろう。ジャックは僕の手を引いて、空想の世界に―――楽しくて、文字通り劇的な場所に連れて行ってくれるんだ。そんなことを考えて、一人わくわくした。怪盗からの予告状は、外の世界に出ていくための切符だった。
僕の考えていることなどつゆ知らず、父親は騎士団に相談し、一人の騎士を家に連れてきた。赤い髪の騎士は、幼い僕に対しても騎士の礼を取った。
「君の警護を担当することになったカラルク・フレイムだ。よろしくな!」
いけ好かない奴だ、と一目見て思った。だから、素っ気ない態度を取って、いじわるしてやった。警護と称してついて来る彼を、裏路地を使って撒いたことは一度や二度ではない。だけど、カラルクは最後には必ず僕を捕まえて、怒るでもなく「勘弁してくれよ」と苦笑いしていた。追いかけっこの途中で転んでケガをし、べそをかく僕を家まで連れて帰ってくれたこともある。そうした態度もまた気に食わなかった。
カラルクと追いかけっこを続けているうちに、予告された日が来た。その日、僕は家から出してもらえなかった。だけど、怪盗ジャックなら誰にも予想できない手段で、僕を盗んでくれるに違いないと信じていた。
怪盗は、来なかった。
――――――アスター、無事で本当に良かった。
父親が声を上げて泣くのを、その日、僕は生まれて初めて見た。
父親が僕のために流した涙はあまりにも清らかで、温かかった。立ち尽くす僕を抱きしめた父親の身体を、抱きしめ返せたかは覚えていない。
あの時からだ。僕が、現実からズレてしまったのは。
そして、僕はどこにも行けないと悟ったのも、あの時だった。




