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白い世界で君は笑った  作者: pino


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八 見えなかった顔

 次の夢。


 夕暮れの住宅街を、拓真は一人で歩いていた。


 今日も、あの如月の後を追っていた。けれど、途中で姿を見失ってしまった。


「どこ行ったんだ……」


 辺りを見回す。


 住宅街は静かだった。


 夕食の時間が近いのか、どこかの家から料理の匂いが漂ってくる。


 その時だった。


 ふと、見覚えのある家が目に入った。


 拓真は足を止める。


「……え?」


 庭の木や玄関の形、そして駐車場の位置。


 どこかで見たことがある。


 いや、“どこか”じゃない。


「まさか……」


 毎日見ている自分の家だった。


 正確には、自分の家とほとんど同じ家。玄関脇の植木まで似ている。


 拓真は一歩だけ近付いた。


 その瞬間、理由もなく嫌な予感がした。


 これ以上、見ない方がいい。


 そんな感覚だった。


「……やめとこ」


 踵を返す。


 そのまま離れようとした時。


「拓真?」


 背後から、女性の声がした。


 拓真の身体が止まる。


 聞き間違えるはずがなかった。


 ゆっくり振り返ると、買い物袋を下げた女性が立っていた。


「……母さん」


 思わず声が漏れた。


 顔も声も髪型も、笑う時の目元まで。


 間違いなく、自分の母親だった。


 夢の中だと分かっているのに、目の前の姿はあまりにも現実の母親そのものだった。


 女性は不思議そうに首を傾げた。


「どうしたの?」


「えっと……」


 何を言えばいいのか分からない。


 母親はそんな拓真を気にする様子もなく続けた。


「買い物帰り?」


「いや……」


「じゃあ散歩?」


 拓真は思わず笑ってしまった。


 現実の母親も、よくこんなふうに聞いてくる。


「まあ……そんなところ」


 気付けば、普通に答えていた。


 その瞬間、母親が少し目を見開いた。


「珍しいわね」


「そう?」


「ええ」


 そして、小さく笑う。


「ちゃんと会話してくれるんだもの」


 拓真は返事に詰まった。


 意味はすぐに分かった。


 この世界の如月は、家族ともあまり話さないらしい。


「晩ご飯、今日はハンバーグよ」


 母親が言う。


「そうなんだ」


「好きだったでしょ?」


 “好きだった”。


 その言い方が少しだけ引っかかった。


「うん」


 自然と返事をする。


 母親はしばらく拓真を見つめていた。


 そして、少し嬉しそうに笑った。


「今日は優しいのね」


 その言葉に、拓真は居心地の悪さを覚えた。


 自分はこの人の息子ではない。


 少なくとも、この世界では。


 目の前の母親が話している相手は、本当は自分じゃない。


 あの如月だ。


 その時。


 遠くの交差点の向こうに、人影が見えた。


 夕陽を背にして歩いてくる男子生徒……如月だった。


「あ……」


 まずい。


 理由は分からない。


 けれど、今ここで鉢合わせてはいけない。


 そんな気がした。


「どうしたの?」


「ごめん」


 拓真は一歩下がった。


「俺、先行く」


 母親がきょとんとする。


「え?」


「ちょっと急ぐから」


 それだけ言って、拓真は走り出した。


「気を付けなさいよ!」


 背中から母親の声が飛んでくる。


 拓真は振り返らなかった。


 心臓がやけにうるさかった。


 走る。


 住宅街の角を曲がる。


 とにかく、あの場から離れたかった。


 そして――。


「っ……」


 目の前に、人影があった。


 拓真は急停止する。


 数メートル先に如月が立っていた。


 離れようとしていたはずなのに、なぜか、目の前にいる。


 いつものように俯いてはいなかった。


 夕陽が、横からその顔を照らしている。


 拓真は動けなくなった。


 今まで、何度見ようとしても見えなかった顔。


 それが初めて、はっきりと見えた。


「……え」


 呼吸が止まる。


 俺は知っている。


 その目、その鼻、その口元を……。


 毎日、鏡の前で見ている。


「……俺?」


 声になったかどうかも分からなかった。


 そこにいたのは――自分だった。


 鏡を見ているようだった。


 いや、鏡なんかじゃない。


 目の前のもう一人は、確かにそこに立っている。


 如月拓真。


 自分と同じ名前を持った、自分と同じ顔の男。


 頭の中が真っ白になった。


 夢だ。


 これは夢だ。


 拓真はそう言い聞かせる。


 それなのに、目の前の如月はあまりにも鮮明だった。


 風に揺れる髪。制服の皺。呼吸するたびに微かに動く肩。


 すべてが現実にしか見えない。


 そして如月もまた、足を止めていた。


 その目が、ゆっくりこちらを向く。


 ほんの一瞬、視線が重なった。


「……」


 気付かれた。


 拓真はそう思った。


 その瞬間、夕暮れの景色が、白く滲み始めた。


「待っ――」


 世界が崩れていく。


 住宅街も。


 空も。


 目の前の如月も。


 すべてが白に飲み込まれていく。


 最後まで拓真は、その顔から目を離せなかった。

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