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白い世界で君は笑った  作者: pino


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六 余計なお世話

 夢のことを考える時間が、確実に増えていた。


 それはもう、認めるしかなかった。


 学校にいる時も。自転車で帰る途中も。家に帰ってからも。


 忙しくてそんな余裕はないはずなのに、ふとした瞬間にあの世界が頭に浮かぶ。


 夕暮れの校舎。


 顔の見えない男子生徒。


 黒川結衣。


 そして――如月。


 自分と同じ苗字。どこか似ている話し方。けれど、自分より少し低く聞こえる声。


 考えすぎだとは思う。たまたま同じ苗字の人間が夢に出てきただけなのかもしれない。


 それでも、気にならないと言えば、嘘だった。


 自室の机に座り、拓真は文化祭のスケジュール表を眺めていた。


 正確には、眺めているだけだった。文字は目に入っているのに、内容がまるで頭に入ってこない。


 考えているのは、また夢のことだった。


「拓真ー?」


 コンコン、とドアを叩く音がする。


 母親が顔を覗かせた。


「夕飯できてるよ? 何回か呼んでたんだけど」


「あ、ごめん」


 拓真はようやく我に返った。


「今行く」


 時計を見る。


 思っていたより時間が経っていた。


「俺、どんだけ考えてたんだよ……」


 小さく呟きながら立ち上がる。


 部屋の照明を消し、急いで階段を下りた。




 その夜。


 目を開けると、またいつもの夕暮れだった。


 校舎内を拓真は迷うことなく歩き出した。


 もはや探さなくても、だいたい分かる。


 あの男子生徒がいそうな場所が。


 昇降口へ向かう。


 案の定、校門へ歩いていく後ろ姿が見えた。


 今日も一人だった。


 そしてこういう時は、たぶん――。


「如月君!」


 やっぱり。


 黒川結衣が後ろから駆け寄ってきた。


 男子生徒は立ち止まらない。


「聞いてる?」


「聞いてる」


 短い返事。


「なら止まってよ」


「嫌だ」


「なんで?」


「帰りたいから」


 黒川は大きくため息を吐いた。けれど、怒っているようには見えない。


 もう慣れているのだろう。


 拓真は少し離れたところから、二人の様子を眺めていた。


「文化祭のことなんだけど」


「興味ない」


「まだ何も言ってない」


「興味ない」


「最低」


「そうか」


 取りつく島もない。


 それなのに黒川は、呆れながらも話しかけ続けている。


 拓真は少し驚いていた。


 こんな態度を取られて、よく毎回話しかけられるなと思う。


 けれど、二人を見ているうちに気付いた。


 思っていたより、関係は悪くない。


 仲が良い、というのとも少し違う。


 でも、黒川は如月を嫌っているわけではない。むしろ、放っておけないのかもしれない。


 そんなふうに見えた。




 次に夢を見た日は、雨が降っていた。


 天気が悪い夢ばかりだ。


 校門近くの屋根の下で、拓真はぼんやりと外を眺めた。


 夢の中なのに、濡れたアスファルトの匂いがする。雨粒が地面を叩く音まで、やけにはっきり聞こえた。


 本当に夢なんだろうか?


 最近は、そんなことまで考えるようになっていた。


 やがて校舎から生徒たちが出てくる。


 色とりどりの傘が開き、一人、また一人と帰っていく。


 その中に黒川の姿を見つけた。


 けれど、様子がおかしい。


 昇降口の前から動かず、鞄の中を何度も探している。


「あ……」


 黒川が小さく声を漏らした。


 拓真にはすぐ分かった。


 傘を忘れたらしい。


 その時、黒川の視線が校門の外へ向いた。


 そこには、黒い傘を差した如月がいた。


「如月君!」


 黒川が呼ぶ。


 男子生徒は足を止めた。


 珍しく、ゆっくりと振り返る。


「何」


「傘忘れた」


「そうか」


 それだけ言って、再び歩き出そうとする。


「ちょっと待って!」


 黒川が慌てて追いかけた。


「入れて」


「嫌だ」


 即答だった。


 拓真は思わず吹き出しそうになる。


 けれど、黒川は本気で呆れている。


「なんで!?」


「狭くなる」


「それだけ!?」


「それだけ」


 黒川はしばらく言葉を失っていた。


「最低」


「そうか」


 やはり気にしない。


 如月はそのまま雨の中を歩いていく。


 黒川だけが、屋根の下に取り残された。


「……もう」


 黒川は困ったように笑った。


 怒っているというより、本当に困っている顔だった。


 拓真は、遠ざかっていく如月の背中を見る。


「いや、そこは入れてやれよ……」


 口から勝手に出た。


 自分なら、絶対に断らない。


 というより、断れるわけがない。


 もう一度、黒川を見る。


 雨は弱くなる気配がない。


 気付けば、拓真は傘立てへ向かっていた。


 一本だけ残っている透明なビニール傘。


 誰のものなのかは分からない。


 手を伸ばしてから、一瞬迷った。


 勝手に使っていいのか。


 そもそも、自分はまたこの世界に関わろうとしている。


 けれど、困っている人を目の前にして、何もしないという選択肢は拓真にはなかった。


「……まあ、夢だし」


 自分に言い訳するように呟いて、傘を手に取った。


「ほら」


 黒川の前へ差し出す。


「え?」


 黒川が顔を上げた。


 そこで拓真は、ほんの少し後悔した。


 また出てきてしまった。


 また、関わってしまった。


 けれど、もう遅い。


「使えよ」


 黒川は傘を見た後、拓真を見る。


 もう一度、傘へ視線を落とした。


「……ありがとう」


 やがて、静かに笑った。


 その表情を見て、拓真も少しだけ肩の力を抜いた。


 助けてよかった。


 けれど、黒川は傘を受け取りながら、不思議そうに首を傾げた。


「変だな」


 拓真の指先がわずかに止まる。


「何が?」


 思わず聞き返していた。


 黒川は少し考える。


「今日の如月君」


 やっぱり、黒川には、自分があの男子生徒に見えている。


「なんて言えばいいんだろ」


 黒川は困ったように眉を寄せた。


「変わったんじゃなくて……」


 そこで一度、言葉を切る。


 そして拓真を見た。


「違う」


 拓真は何も言えなかった。


 その二文字が、妙に引っかかった。


「ごめん」


 黒川が首を振る。


「変なこと言ってるよね」


 そう言って傘を開く。


「でも、ありがとう」


 今度は本当に嬉しそうに笑った。


 黒川は雨の中へ歩き出していく。


 透明な傘越しに、その姿が少しずつ遠ざかっていった。


 拓真はしばらく、その背中を見つめていた。


 感謝されるのは嬉しい。誰かの役に立てるのも嬉しい。


 いつもなら、それだけでよかった。


 なのに今は少し違う。


 あの「ありがとう」は、自分に向けられたものなのだろうか。


 黒川が感謝しているのは、この世界の如月拓真だ。


 自分じゃない。


 それなのに自分は、彼の顔をして、彼の代わりに黒川と話している。


 ――俺、本当にこんなことしてていいのか?


 初めて、そんな疑問が浮かんだ。




 翌朝。


 教室へ入ったところで、大和に声を掛けられた。


「拓真」


「ん?」


 大和は拓真の顔をじっと見る。


「最近、なんか隠してる?」


 一瞬、言葉に詰まった。


「……いや、別に」


「今の間」


 大和がすぐに笑う。


「怪しい」


「なんだよそれ」


「いや、お前分かりやすいから」


「そんなことないって」


 拓真も笑った。


 目の前に大和がいるのにも関わらず、頭に浮かんでいるのは、夢の中の二人だった。


 黒川結衣。


 そして、顔の見えないもう一人の如月。


 ――今日の如月、違う。


 黒川の言葉が、いつまでも耳に残っていた。

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