第六話 金沢、草津、新潟。 ~世界三大都市~
縁がようやく走りをやめたのは、見覚えのある門の前だった。
黒い瓦屋根の、古い一軒家。門柱には白いプレートが打ち付けられている。
『安部』
縁は門に手をつき肩で深呼吸。
汗と涙が目に入って痛いがそれどころではない。
Tシャツは背中までぐっしょり濡れているし、サンダル代わりに履いてきた上履きが途中の砂でざらざらしていた。
「……やっと、たどり着いた」
そう言うと、縁は勢いよく門を開ける――!!
庭は手入れが行き届いており、小さな松の木が三本、枝ぶりを丁寧に整えられている。
池には鯉がいてその水音だけが妙に涼しげである。
「源太郎さーん!ごめんくださーい!!」
声をかけると家の奥から、のそり、と一人の老人が出てきた。
彼こそが、安部 源太郎。
ここいらでは有名な――人呼んで、”物知り博士”とされるその人であった。
「おう、誰かと思ったら縁坊じゃないか!……今日はどうしたね?」
源太郎は、にこやかに訊ねる。
それに対して、縁は真剣な面持ちをしながら態度を崩すことなく答える。
「実は、明日までに仕上げなければいけない上に大事な友達を救うために、僕の夏休みの自由研究を今日中に完成させるために協力して欲しいんです」
「何じゃと!?よくわからんが何やら大変そうなことになってそうじゃし、儂で良ければいくらでも協力してやるゾイ☆……そんで縁坊は、肝心の自由研究のテーマくらいは決まっているのかい?」
それに対して縁は……一瞬だけ瞳を閉じてからすぐにカッ!と目を見開き、ここに来るまでに思いついたテーマを堂々と臆することなく告げる!!
「はい!僕の自由研究は『令和小学生奇譚・自由研究~どのようにして金沢・草津・新潟は世界三大都市になったのか?~』という内容で挑みます!!」
「すごいタイトル」
そう呟いてから、源太郎の目が僅かに開いた。
「それにしても、神聖都市と呼ばれる石川県金沢市、発展都市と呼ばれる滋賀県草津市、外法都市と呼ばれる新潟県新潟市。……小学生にして”世界三大都市”と称される日本を代表するこれらの都市に目をつけるとは、縁もなかなかやるじゃないか」
「ありがとうございます」
照れながらも姿勢を崩すことなく、正座で源太郎とやり取りをする縁。
その姿はさながら、瑣吉が重んじていた徳の一つである”礼”の精神が受け継がれているかのようであった。
「お主のテーマは面白い。それではまずは”神聖都市”である金沢から始めるのがよかろう」
「はい、お願いします」
縁の返事に気を良くした源太郎は、しわがれた声でゆっくりと語り始めた。
「金沢の名前の由来は、いもほり藤五郎という若者の民話から来とる」
「えっ!?い、いもほり藤五郎……ですって!」
あまりにも芋を掘ってそうな名前の響きを前に、思わず驚愕する縁。
そんな彼の反応に対して、無理もないと言わんばかりに優しく頷きながら源太郎が話を続ける。
「今から千年以上前の話じゃ。加賀の国は山科の里――今の金沢市郊外のあたりな──に、山芋を掘って暮らす若者がおった。名を藤五郎。正直で働き者で、道を拾っても金にはしない。朝から晩まで山芋を掘ってそれを売って、細々と暮らしておった」
「貧乏だったんですか?」
「ああ。わしらの想像を絶する貧乏だった。米も満足に食えず、芋を売った金で麦を買うてそれでも足りず、山の湧き水で腹を満たすこともあったそうな」
縁は黙って聞いていた。
「そんな藤五郎のもとに、ある日、美しい女が嫁いできた」
「嫁……?」
「そう。大和の国──奈良の長者の娘で、名を和子というた。和子は観音様のお告げで遠く離れた加賀の貧乏な若者のもとへ嫁ぐことになった。理由は藤五郎の正直さじゃ。財産もない、家も古い畑もない。じゃが、心だけは誰よりも正直だった」
源太郎は茶を一口啜った。
「和子は、持参金の代わりに砂金を持たされた。長者の娘じゃからな。普通の嫁入り道具ではなく黄金の粒を布に包んで持ってきた。藤五郎は──その砂金を見て、首をかしげたそうな」
「?なんでですか?砂金があれば……その当時のシステムはよくわからないけど、それなりに売ったりしたら豊かに生活できますよね?」
「ほっほっほっ。貧乏すぎて、金そのものを見たことがなかったんじゃよ。要は、その砂金の価値が藤五郎にはわからんかったのじゃろうな」
源太郎は笑った。
目じりのしわが深くなる。
「藤五郎は、砂金が何かわからんかった。和子が『これはお金よ』と教えた。だが藤五郎は、お金というものがこれほど軽くて小さいとは思わなかった。いつも売っている山芋の方がよほど重たくて価値があるように見えた。じゃから、こう言うたそうな」
源太郎は声の調子を変えた。
優しくもどこか間の抜けた若者の声で。
『俺には、芋の方がええ。これは軽すぎて腹の足しにもならん』
「…そう言ったんですか?」
「そう言うた。そして、持っていた砂金を──そのまま田んぼに投げてしもうた」
「えっ……もったいない!!」
縁は目を丸くした。
「いや、後で聞くと、どうも雁が飛んでおったらしくてな。空を渡る雁に向かって『これをやるから、来年も豆を植えろよ』と叫んだらしい。もちろん雁は砂金を受け取らない。砂金はそのまま田んぼに落ちて泥に沈んだ」
源太郎は、また茶を飲んだ。
「藤五郎は後日、その田んぼのそばの泉──小さな沢で山芋を洗うておった。泥のついた芋を、ざぶざぶと水の中でこすり洗いする。するとどうじゃ芋を洗うた手に、キラキラと光る砂がくっついてきた」
「それが……”砂金”」
源太郎はニヤリとした。
「藤五郎が投げた砂金は、泉の底に沈んでおった。彼が毎日芋を洗うたびに水の流れで砂金が舞い上がり、芋の皮のぬめりに絡みついてほれ、こんなふうに」
源太郎は、麦茶の入ったコップを軽く揺らした。茶葉の粒が底から漂い光に反射した。
「藤五郎は、砂金が何かわからんままその砂を集めて和子に見せた。和子は驚いた。確かに、観音様のお告げは本当だったと」
「――それで大金持ちになったんですか?」
「そう。泉からは後から後から砂金が出る。二人は金沢一の長者になった。ただし藤五郎は、最期まで『芋の方がありがたい』と言うとったそうな」
――これこそが、『金洗いの沢』と呼ばれるようになった”神聖都市”にまつわる縁。
源太郎の話に感銘を受けた縁は「ふむふむ。なるほど」と頷きながらメモを取る――!!
「……それでは源太郎さん、次は草津の話をお願いします」
「おけまる」
古っ……という言葉をすんでで飲みこみ、大人しく源太郎の話を傾聴する縁。
「草津か。草津の話をするなら、まず古代に遡る必要がある。何百年どころか千年以上昔の話だ」
「せ、千年以上!?」
「左様。その草津の穴村という場所に、安羅神社と呼ばれる小さな社がある」
「安羅神社……」
「――その神社に伝わるのが、”天日槍命”の伝説じゃ」
「天日槍命……発展に関わっていそうな響きの名前ですが、一体何者なんですか?」
「そうさのぅ……天日槍命というのは、古代朝鮮における新羅の王子だと伝えられておる」
「シ、新羅!?……何やら高句麗や百済と覇を争っていそうな名前の国ですね!」
「うむ。自分の身一つではるばる海を越えて日本に渡ってきた天日槍命は今の大阪のあたりへと上陸し、そこから淀川を遡り宇治川に入ってさらに近江の国へ向かった。そこまで行く途中に、草津の穴村というところにたどり着いてしばらくそこに滞在したそうじゃ」
「なんでまた、大津じゃなくて草津に?」
「よい質問じゃの。……当時の草津という土地はの?琵琶湖の東岸のちょうど真ん中あたりに位置しておる。古代人は移動の時、陸路より水路を使うのが常じゃ。瀬戸内海から大和へ行くにも東国へ行くにも琵琶湖の水運は大動脈でな。草津はそのターミナルともいえる存在じゃった」
「知らなかった……まさか、草津にそんな歴史があったとは」
「ほっ、ほっ、ほっ。そんで天日槍命はしばらく穴村に住んでおったんじゃが……その間何をしておったと思う?」
「……武器とか作っていたのですか?」
「惜しい。もっと凄い。医術・製鉄・製陶など、大陸のさまざまな技術をこの地に伝えたと言われておるのじゃ!それは現代社会でいうところの、医学・金属工学・材料工学・精密化学。まぁ、つまり──超科学の種を蒔いた人物じゃ」
源太郎はニヤリ、と笑みを浮かべる。
――これこそが、古代から『人に技術を与え、文化を混ぜながら物を作り出す土地』として連綿と受け継がれてきた”発展都市”にまつわる縁。
源太郎の話に感銘を受けた縁は「ふむふむ。なるほど」と頷きながらメモを取る――!!
「源太郎さん、最後は新潟でお願いします」
そう言いながら姿勢を正す縁。
正座の痺れはもう膝から太腿にまで広がっていたが、気にしている場合などではなかった。
「外法都市・新潟。金沢が神聖都市で草津が発展都市。この二つはルーツがはっきりしました。新潟も同じように──」
「あー、そのことについてなんじゃが……」
ここまでの流れが嘘のように、歯切れ悪くバツが悪そうに呟く源太郎。
怪訝な表情を隠そうともしない縁に、源太郎が困り顔で答える。
「実はの……新潟という土地は『それらしいルーツの話がある』金沢や草津と違って、どうにも一本の筋が通らんのじゃ」
「……どういうことですか?」
「金沢には藤五郎の泉がおった。草津には天日槍命の足跡がおった。出発点とおぼしき伝承が明確にあった。じゃが新潟は──」
源太郎は、庭の池を見た。鯉がゆっくりと尾を振った。
「新潟には、何があるかのう。あるいは何もないのかのう。――あるいは全部あるのかのう」
「まずはの」
そう呟きながら、源太郎は指を一本立てる。
「新潟は日本海側の玄関口じゃ。北前船の寄港地として佐渡金山の積出港として古くから大陸との交易の扉だった。異国の文化が流れ込む入り口。これだけでも外法都市の由来としては十分に思えるじゃろ?」
「まぁ……確かに、そうですね」
縁は頷きながら、メモを走り書きしていく。
・北前船の交易拠点→異国文化の玄関口
「次に」
源太郎は指を二本目の指を示す。
「豪雪と大河。新潟の冬はな、人間の力ではどうにもならん極限の大自然。雪が三メートルやら四メートルだの平気で積もりよる。家が埋まるし道が消える。春になれば雪解け水が信濃川阿賀野川となって奔る。……その水量は日本一じゃ。人間が作ったものがすべて溶かされるわ流されるわ埋まるわでどうにもならん。自然が定期的に人間に猛威を振るう土地なんじゃ」
・伝承とは異なる、純然たる過酷な自然現象としての側面。
確かにそれが新潟の一筋縄ではいかない様相を示しているかのようであった。
「無論、それだけではないぞ?」
源太郎は三本目の指をゆっ……くり立てる。
「――新潟は親鸞の流刑地でもあるのじゃ」
――親鸞聖人。
鎌倉仏教の一つである浄土真宗の宗祖とされる人物である。
そこまでは知らずとも、歴史上の偉い人が流刑されたのが新潟であるということに、縁はひたすら驚愕していた。
「――鎌倉時代に”承元の法難”という弾圧があっての。親鸞は越後国……まぁ、今の新潟に流罪になったんじゃ。僧侶が名を奪われ俗名を与えられ辺境に送られる。だが親鸞はそこで──」
「教えを広めたんですか?」
「いや、正確には違う。親鸞は流刑地で結婚し子を設けた。僧侶が妻を娶る。当時は破戒以外の何物でもなかった。だが親鸞にとってはそれが真の教えの始まりじゃ。仏の教えを最も遠い場所で最も異端な形で実践した。越後の地は親鸞にとって聖地であり同時に異端の地でもあった」
縁は興奮しながらメモを書き足していく。
・親鸞の流刑地転じて、異端の教えが生まれた場所
「異国の玄関口であり圧倒的な自然かつ異端の聖地……」
縁は鉛筆を回した。
「これだけ揃ってれば外法都市の由来としては十分じゃないですか?」
「十分なはずじゃ。……しかしのぅ」
「なんでしょう?」
「儂には、どうも釈然とせんのじゃよ」
源太郎はコップを縁側の木の床に置いた。氷が溶けて水滴が机に染み込んだ。
「金沢には藤五郎の泉があった。砂金を洗う沢。名前の由来が民話に直結しておった。草津は天日槍命の聖蹟があった。技術を残した王子の足跡。名前と物語が一本の線で繋がっとった。じゃが新潟は」
手をひらひらと振りながら源太郎は告げる。
「玄関口も豪雪も大河も親鸞も。全部それなりに筋は通る。じゃがどれもが決定打にならんのじゃ。どれか一つなのか全部なのか、それとも全然別の何かなのか。わしには──どうにも断定できんのじゃよ」
物知り博士である源太郎にもわからない。
それは、縁にとって想定外の事態だった。
藤五郎の泉も天日槍命の足跡も、聞けば即座に語ってくれた。
だが新潟については──知識はあっても結論がない。
「源太郎さんでもわからないことがあるんですか」
思ったよりも馬鹿正直に感想を言ってしまった己自身にハッ、とした表情を浮かべる縁。
そんな彼に源太郎は目を丸くしながらも、すぐに呵々大笑した。
「ほっほっほ! あるともあるとも! わしは物知りじゃが全知じゃないんじゃよ。特に新潟という土地はの!」
源太郎は笑いを収めると、すぐに真面目な顔になった。
「――何かが見えているようで見えない。霧の中に街があるようなのじゃ。金沢は泉の水が澄んでおったから底まで見えた。草津は地層が剥き出しになっておったから火種が見えた。じゃが新潟は──雪とも水ともいえぬ深い”霧”の中にあるのじゃ」
「でも」
縁はなおも食い下がる。
自由研究を仕上げるためにも、なんとしてでも白紙の模造紙に一行でも多く書かなければならないからである。
「何か一つでも候補はありませんか? 決定打じゃなくてもいいんです。……ちょっとした糸口程度でもいいので」
源太郎は腕を組みながら思案する。
しばらくの間、蝉の声だけが二人の間を埋めた。
「……一つだけ、思いつくことがある」
源太郎はゆっくりと口を開いた。まるで言葉を選ぶように、一つ一つを確かめるように。
「候補と言えば候補じゃが──かなり怪しい説でな。わし自身あまり信用しておらんのじゃが」
「怪しい説……ですか?」
「うむ」
源太郎は声を少し落とした。
「実は新潟という土地がの……大妖怪である酒呑童子と茨木童子の生誕地であるという説があるんじゃ」
「えっ!?大妖怪の酒呑童子と茨木童子の生誕地……ですって!?」
あまりの衝撃的発言を前に、縁が思わず目を見開く――!!
「左様。平安時代に大江山で酒を好み人を食ったと伝えられる大妖怪の頭領:酒呑童子。そしてその配下として知られる鬼の茨木童子。この二体の大妖怪がな──新潟で生まれたとする説があるんじゃよ」
「し、知らなかった……知らなかった~~~ッ!!」
情報を受け止めきれなかったのか、ここに来てとうとう白目を剥いてしまう縁。
――だが、ここで自由研究を放り出すわけにはいかない。
気力で意識を取り戻した縁を心配そうにみやりながらも、源太郎が話を続ける。
「つまりな。新潟という土地は人間と人間ならぬものの境界線上にあるという見方ができる。北前船が異国の文化を運び込み、豪雪が人間の世界を定期的に白く塗り潰し、大河が境界を流し去り、親鸞が異端の教えを生み出した。そのすべてが集まった土地に人と鬼の混血が生まれても不思議ではないという──そういう発想じゃな」
「しゅごしゅぎ新潟パニック」
「外法というのはな、本来は仏教の正法に対する外の法のことじゃ。正しくない教え。異端の術。あるいは人間が扱ってはならない領域の知識。新潟が外法都市と呼ばれるようになった真因が酒呑童子の生誕地だったからなのか、それとも玄関口と豪雪と流刑地が全部混ざった結果として酒呑童子のような存在が生まれる土地だったからなのか──」
源太郎は首を振った。
「わしにはわからん。原因と結果が絡まり合って断定できるだけの線が見えて来んのじゃよ」
源太郎から聞いた話をまとめると
・北前船の玄関口?
・豪雪と大河の異界性?
・親鸞の流刑地?
・酒呑童子と茨木童子の生誕地?
・全部?どれか一つ?それとも別の何か?
そのどれもが正しく思えるし、そのどれもが間違っているようにも思える。
だが、この時の縁にとってそのどちらもが矛盾することなく合っているような不思議な感覚に満たされていた。
――これこそが、数多の可能性が等しく偏在する”外法都市”にまつわる縁。
源太郎の話に感銘を受けた縁は「ふむふむ。なるほど」と頷きながらメモを取る――!!




