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終末世界のムーンシャイナー  作者: 論田リスト
『Moon in night』
11/12

コクソウ

 夜明けから六時間走り続けた。山道は細かった。舗装が剥がれた路面に落ち葉が積もり、ジープのタイヤが踏むたびに湿った音を立てる。木々はすでに色づき始めていて、赤と黄が入り混じった稜線が秋晴れの空に浮かんでいた。


 対向車はない。人の気配もない。山の中というのはどこもそうだ。残ったのは自然だけで、人間は平地か、壁の中か、どちらかにしかいない。


 アズマは無線機を取り出した。


「こちらアズマ。コクソウ、聞こえるか」


 ノイズの後、返答が来た。


『聞こえる。どうした』


「交易で来た。連れが一人いる。門を開けてくれ」


『確認した。門で待つ』


 無線機をシートに放って、アクセルを踏んだ。


 しばらく走ると、木々の切れ目から谷が見えた。廃ビルから切り出したコンクリートブロックと鉄骨を組み合わせた壁が、谷をまるごと囲うように延びている。高さは三メートル、等間隔で見張り台、上には有刺鉄線。壁の向こうに稲穂の先端がちらついていた。


「賑やかですね」


 ナギサが窓の外を見ながら言った。壁の内側から金属音、人の声、何かを叩く音が漏れてきていた。


 アズマは何も答えずにジープを門の前に停めた。


 門は鉄製だ。分厚い鉄板を溶接した代物で、両脇にアサルトライフルを携えた番人が二人立っている。装備は統一されていた。継ぎ接ぎだらけの武装が多いこの世界で、それだけで十分な威圧感があった。


 アズマが降りると、一人が顎でしゃくった。


「アズマか。連絡は聞いてる」


「ああ」


 番人の視線がナギサに移る。白い髪をひと通り眺めてから、アズマに戻した。特にコメントはなかった。


「荷物だけ確認させろ」


 検査は手短だった。男が鉄の門を内側に引くと、音と熱と匂いが一度に流れ出てきた。


「サトウさんは?」


「第二区画だ。夕方まで出てこん。来客棟に案内させる」


 先導したのは若い男だった。トヨタのランクルで門の内側に待っており、アズマのジープを確認するとそのまま走り出した。


 碁盤の目に区切られた道を進むにつれ、窓の外が賑やかになっていく。木材を組んだ住居が整然と並び、軒先には干し野菜と洗濯物が揺れている。荷台に野菜を山積みにしたトラックが横を通り過ぎた。道端で何かを修理している男がいる。井戸端で笑い声が上がっている。子供が走り回っていた。


 どこからか食い物の匂いが漂ってきた。


 区画の合間に田んぼが広がっていた。収穫を間近に控えた稲穂が風に揺れ、その中に人影がいくつも動いていた。井戸のそばに女が一人立っていた。こちらに背を向けているので顔はわからない。


「すごいですね」とナギサが呟いた。


 アズマは何も言わなかった。ゆっくりと流れる景色を、懐かしいと思った。


 ランクルが止まったのは、見覚えのある平屋の前だった。


 来客棟だ。太い柱と黒ずんだ梁、白壁、瓦屋根——昔のままだった。ただ手入れは昔より行き届いている。縁側の木材まで磨かれていて、くたびれた印象はどこにもなかった。


 若い男が先に降りて戸を開けた。


 中に入ると畳の匂いがした。八畳ほどの部屋が二つ、奥に小さな台所。窓から差し込む午後の光が畳の上に落ちていた。


「サトウさんが戻り次第呼びに来ます。夕食も用意します」


 男はそれだけ言って出て行った。


 縁側から外を見ていたナギサが振り返った。


「ここ、来たことあるんですか」


 アズマは畳の上に荷物を下ろしながら答えた。


「十年くらい住んでた」


「子供の頃から?」


「八歳から十八まで。ここはコクソウっていう」


「コクソウ……どういう意味ですか」


「正式名称は穀物総合卸売商社。コクソウはその略だ」


「……ショーシャ?」


「昔は個人じゃなく、組織で仕事をすることが多かった。みんなで役割を分けて、働いた分だけ報酬をもらう。それが会社だ。商社はその中でも物を売り買いすることを専門にした組織のことだ」


「今のコクソウみたいな」


「そういうことだ。役割があって、報酬があって、規則がある」


「最初からこんなに大きかったんですか」


「いや。もとはただの米農家だった。戦争が始まった時、跡取りがまだ二十歳で——都会から帰ってきたばかりだった。周りの年寄りは死んだが、そいつは生き残った。土地と水源があったから、人が集まってきた。集まった連中を働かせて、食わせて、今みたいになった」


「サトウさんって人ですか」


「ああ」


 それきり会話は途切れた。ナギサは縁側から外を眺めている。子供の声、誰かが何かを叩く音、遠くで犬が吠えていた。壁の外とは別の世界みたいだった。


 どのくらい時間が経ったか。


 ナギサが額に手を当てた。


「頭が……」


 アズマは顔を上げた。


「どこか怪我してるか」


「いえ、そういうのじゃなくて」


 顔色は悪くない。傷もない。それでも一瞬、ナギサの目が遠くを見ているように見えた。


「……もう大丈夫です」


「横になっとけ」アズマは奥の部屋を顎でしゃくった。「布団出てるだろ。夕方まで時間がある」


 ナギサは少し躊躇ってから、立ち上がって奥に向かった。


 ナギサが奥に消えるのを確認してから、アズマは立ち上がった。


 ジープの荷台から木箱を降ろす。中身はガラス瓶だから慎重に扱わなければならない。一箱ずつ来客棟の隅に積み上げて、蓋を開けて確認した。


 コーンウイスキー、七百五十ミリリットル。十二本。割れはない。


 次の箱。同じく十二本。問題なし。


 全部で四箱、四十七本。単純計算で三十五リットル強。一本はキリシマに渡した。コクソウ相手ならこのくらいが妥当な量だった。食料との交換レートは毎回交渉だが、悪い取引にはならないはずだ。


 アズマは一本取り出して光にかざした。無色透明の液体が揺れる。樽で熟成していないから色がつかない。海の向こうでは昔、これをホワイトライトニングと呼んでいたらしい。白い稲妻。密造酒の俗称だ。


 悪くない出来だと思った。


 瓶を箱に戻して蓋を閉めた。


 窓の外では相変わらず人が動いている。見慣れた碁盤の区画、見慣れた木造の家並み。十年住んでいれば、どこに何があるかは体が覚えている。


 あの角を曲がったところに井戸があって、ガキの頃はよくそこで遊んだ。行くたびに三つ年上の女がいて、畑仕事を手伝わされたり薪を割らされたり、なぜか自分ばかりが面倒な役回りを押しつけられた。十五を過ぎた頃には何かと理由をつけて隣に来るようになった。使い勝手が良かったんだろう。


 安藤香織。まだここにいるだろうか。


 縁側に腰を下ろして、煙草に火をつけた。煙が秋の空気に溶けていく。遠くで誰かが笑っていた。


 煙草が半分になった頃、外が騒がしくなった。


 どかどかと足音が近づいてきたと思ったら、戸が勢いよく開いた。


 土だらけの長靴を履いた老人が立っていた。日焼けした顔に深い皺、息が少し上がっている。


「アズマ! 来とったんか!」


 アズマは煙草を口から離した。夕方まで出てこないんじゃなかったのか。


「仕事はどうしたんですか」


「ほっといた! かまわん!」


 サトウは構わず上がり込んできた。アズマの顔をまじまじと見て、それから部屋を見回した。


 ちょうどそのとき、ナギサが奥から顔を出した。


 サトウの視線がナギサの白い髪に止まった。


「……ほんまにおったんやな」

誰も欲しがらなくなったらおしまいだが、俺に勝るライバルは存在しないよ。


『とある密造酒業者』より


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