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終末世界のムーンシャイナー  作者: 論田リスト
『Moon in night』
10/12

烙印

 平地に出た瞬間、アズマは舌打ちをした。


 撒けていない。


 見渡す限りの荒野に、砂煙が三方から立ち上がっていた。右から二筋、左から一筋、前方からエンジンの唸りが風に乗って届いてくる。包囲だ。最初からこのルートを読んでいた。


「プランBだ」


 キリシマが舌を鳴らす。


「だと思ったよ」


 ハンドルを切る。バックミラーに廃墟群の影が映る。かつて街だった場所。入り組んだ路地、崩れたビル、瓦礫の迷路。逃げ込むならそこしかない。


「ナギサ、伏せたままでいろ」


「はい」


 声は震えていなかった。アズマはそれだけで十分だと思った。


 廃墟に入った瞬間、追手のエンジン音が反響して方向が掴みにくくなる。アズマはそれを利用しながら路地を縫う。狭い道、崩れた壁、視界を塞ぐ瓦礫の山。


 バックミラーに三台。まだいる。


「キリシマ、右の二階」


「見えてる」


 ライフルの銃声。バイクの一台が横転した。アズマは同時にリボルバーを窓外へ向け、先頭の運転手を撃ち抜く。残り一台が急ブレーキを踏んだ隙に、ジープを路地へ滑り込ませた。


 静寂。


 エンジンを切る。風の音だけが残った。


「……撒けたか」


 キリシマがボトルを傾ける。


「まだだ」


 彼の直感は正しかった。


 五分もしないうちに、廃ビルの影から軽バンが姿を現した。ドクロのペイント。荷台に三人。火炎瓶を持っていた。


「しつこい連中だな」


 キリシマが呟く。アズマは奥歯を噛んだ。数が減っていない。補充している。つまりこの廃墟に最初から別働隊を置いていた。


 追い込まれている。


 ナギサが後部座席から身を乗り出し、工具箱を漁り始めた。


「何してる」


「ちょっと待ってください」


 取り出したのはワイヤーだった。太さは五ミリほど、長さは三メートル近くある。


「アズマさん、速度を落とせますか」


「どのくらい」


「バイクが追いつくギリギリまで」


 アズマは一瞬だけナギサを見た。何を考えているか分かった瞬間、前を向いた。


「分かった」


 軽バンが距離を詰めてくる。荷台の男が火炎瓶を振りかぶる。キリシマが一発、振りかぶった腕を狙い撃つ。火炎瓶が荷台で砕け、炎が広がった。軽バンが制御を失い、廃ビルの壁に激突する。


 残ったバイク二台が路地を縫って迫ってくる。


「今です」


 ナギサがワイヤーの片端を助手席のヘッドレストにしっかりと巻きつけた。もう一端を窓から外へ出し、路面すれすれに垂らす。細い腕が風にさらされる。焼き印が光の中に晒された。


 アズマは速度を落とした。


 バイクが追いついてくる気配。タイヤの音が近づく。近づく。


「今っ」


 アズマが急加速した瞬間、ワイヤーがピンと張った。先頭のバイクのタイヤが絡め取られ、派手に横転する。巻き込まれた後続のバイクが瓦礫に突っ込んだ。


 金属が路面を削る音が響き、砂煙が上がった。


 アズマは前を向いたまま一言漏らした。


「えげつないことしやがる……」


 ナギサが息を切らしながら窓を閉める。


「効きましたか?」


「効きすぎだ」


 キリシマが後部座席で口笛を吹いた。


「お嬢ちゃん、俺より頭いいな」


「別に、大したことは……」


 ナギサが首を振った。頬が上気していた。


 その隙にキリシマがジープから飛び降り、横転したバイクに歩み寄った。車体を起こし、エンジンをかける。一発でかかった。


「もらっとくわ」


「戦闘中に何やってんだ」


「ちゃんと見張りながらやってる」


 涼しい顔でバイクに跨り、ライフルを肩に掛け直した。


 だが終わりではなかった。


 廃墟の奥から新たなエンジン音。そして徒歩の人影が瓦礫の上に立った。パイプ銃を構えている。


 アズマは地図を脳内で展開する。この廃墟の構造、出口、死角。三秒で答えを出した。


 出口は北だ。


「突っ切るぞ」


 ジープが唸りを上げ、瓦礫を踏み砕きながら北へ向かう。キリシマのバイクが並走する。パイプ銃の銃声が後方で響く。弾が車体をかすめた。


 路地の出口が見えた瞬間、一人の男がジープの前に飛び出した。捨て身の突っ込みだった。アズマは急ブレーキを踏み、窓から銃口を向ける。


 男が叫んだ。


「サイ様の命令だ──白髪のガキを──」


 銃声。


 男が倒れ、言葉が途切れた。


 アズマはその断片を頭の中で繰り返した。


 サイ。白髪。命令。


 そして“灰被り”。


 戦後、白い髪を持って生まれた人間をそう呼ぶ。珍しいが、それだけだ。利用価値があるとは聞いたことがない。なのになぜここまでする。


 白い髪だけじゃない。何かがある。


 廃墟を抜けた先、開けた道に出る。残った追手が後を追うが、速度が違った。振り切るのに時間はかからなかった。


 川沿いの橋の手前でジープを止めた。


 三人で川沿いに腰を下ろし、水を飲んだ。しばらく誰も喋らなかった。風が川面を撫でる音だけが続いた。


 キリシマが立ち上がったのは、空が白み始めた頃だった。鹵獲したバイクに跨り、ライフルを肩に掛ける。


「俺はここまでだ。飯より美味い酒だったよ」


「毎度あり」


 アズマが手を上げた。キリシマはナギサに目をやる。


「お嬢ちゃん」


「はい」


「その髪、隠せる時は隠しておけ」


 ナギサがフードを握った。


「烙印みたいなもんだ。どこにいても目立つ。お前を狙う連中はまだいる」


 それだけ言って、バイクを発進させた。砂煙が上がり、朝霧の中に消えていく。エンジン音が遠ざかり、川の流れる音だけが残った。


 ナギサがフードを深く被り直した。白い髪が隠れる。


「……烙印」


 小さく繰り返した。アズマはその横顔を一瞬だけ見て、前を向いた。


「気にするな」


「でも」


「行くぞ。もう少しだ」


 ナギサは何か言いかけて、やめた。助手席に乗り込み、荷物を膝に抱える。


 ジープが走り出す。しばらくして、丘の向こうに灯りが見えた。小さな、でも確かな灯り。


 ナギサが窓に顔を近づけた。息が白く曇る。


「あれが……」


「ああ」


 アズマはそれ以上何も言わなかった。ナギサも何も言わなかった。


 ジープは夜明けの道を、灯りに向かって進み続けた。

白き髪の子は見るだろう。

誰も見ぬものを。


『失われた預言書より』

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