第62話「天使なんて本当にいるのかなぁ?」
「随分と夢のある話だと私は思うが」
「五十嵐がそういうのは珍しいな」
中二病を演じている五十嵐が天使を夢だというのはかなり意外だった。こう、中二病って無意味に天使と戦ったり、謎に堕天使になったりするイメージがないか?
「中二病が中二病について語るのは興味深いな」
「お前な」
佐竹のこめかみとこめかみをぐーで押さえてぐりぐりとした。これを梅干しと呼ぶ。中二病的なあれではなく、昔から伝わる由緒正しい子どもへの罰である。
いでででで、と汚い悲鳴を佐竹が上げるのはよそに、五十嵐が思案する。
「……その話、我々の知る[空の街]そのものだな……私は聞いたことがない」
「そりゃ、学校も違えば蔵書も違うだろうしな。まあ、先生が話してたから、どこか遠くの学校にあった本かもしれないし」
そう、教師というのは転任がつきものだ。夢先生も俺たちが五年生くらいのときに転任していった。
「本当にそうなのか?」
「んまあ、先生はどこにあった本、とも言ってなかったからな」
小学生の頃の話だ。その絵本がどこにあるかなんて興味を持つのはメルヘンな女子くらいなものだろう。
しかし、そこに佐竹が水を射す。
「あれ? あの先生って新任じゃなかったか、あのとき」
「そうだっけ?」
うーん、と記憶を辿ってみる。言われてみると、知実さんより若かったような気もする。とにかく夢いっぱいな感じの先生だった。それこそメルヘン女子って感じ。
「なんて名前の教師なんだ?」
「新乃夢先生だよ」
夢と書いて[かなえ]と読むと聞いたのがとても印象的だった。俺ばかりでなく、佐竹やクラス中のみんなが[なるほど]となった案件である。夢見がち、というか、メルヘン街道まっしぐらな感じの先生だった。
絵を描く授業なんかでは、想像力豊かな女子たちが夢先生の絵を描いて、不思議の国のアリスみたいにしていた。懐かしい。他にも童話パロディをやらされていた先生である。
「懐かしいな。個人的には赤ずきんパロが面白かったと思うぜ」
「佐竹は赤ずきん派なのか。俺はいばら姫パロが好きだった」
「おいどんな先生だったんだ」
おっと、五十嵐が呆れている。この学校に小学校が同じだったやつは佐竹しかいないから、小学校の話になると盛り上がってしまう。
……ということより、俺と佐竹の話す童話パロ教師について呆れているようだった。
「顔立ちが日本人っぽくない先生だったんだよ。でもちょうどいい童顔というか」
「そうそう。妙齢の女性もいいが、夢先生のような瑞々しさも魅力的だよな」
「佐竹、話が逸れてるぞ」
「あ、しまった」
俺たちはいつの間に好みのタイプについて話していたんだ。夢先生の話だろう。
「新乃夢、か……」
「五十嵐知ってるの?」
「いや知らん。確かに私は咲原たちと学校は違ったが、近くの別の学校ではあっただろうから、転任してきたりしていればわかるかと思ったんだ」
なるほど、相変わらず五十嵐は頭の回転が早いな。さすが学年トップ。だが、転任してきたり離任していった教師の名前なぞ覚えているものだろうか。夢先生は印象的だったから思い出したが、他は担任の名前すら危うい。……と、五十嵐に問うのは愚問か。
そこに倉伊がとてとてとやってきて、話の輪に加わった。
「何の話?」
「小学校の頃の教師の話だ」
「学校かぁ。僕は改まって行ったことはないからなぁ」
それでなんで黒輝山に入れたんだ。謎すぎる。
「僕は世界中を回ってたからね、学校行くより早く色々覚えたんだ」
「それで苦手という割に日本語上手いのか」
転入初日に日本語は苦手だと言っていたのに、かなり流暢に喋るので違和感を抱いていた。まあ、世界じゃ何語が通じるかわからないからな。倉伊は真面目そうだし、相当勉強したんだろうな。
って、世界中!?
「おいおい、倉伊は一体どんな生活してんだよ」
佐竹の言う通りだ。何をどうすればそうなるんだ。
「まあ、色々あるんだよ」
見事にお茶を濁された。うーむ。
まあ、家庭環境はあまり穿って聞かない方がいいのかもしれない。父親がくそ野郎で母親がおらず、母親の知り合いに育てられたというだけで充分に複雑だし、人には言いたくないだろう。
それを明かしてくれただけでも充分だ。これ以上聞くのは野暮ってもんだろう。
「でも、天使なんて本当にいるのかなぁ?」
「え、倉伊、さっきの話聞いてたのか?」
「ちょっとね」
聞いていたのなら、もっと早く輪に入ってきてよかったのに。
そう思ったが、言えなかった。
「そんなに優しい世界があるなら、僕もそこに行きたかった」
そう呟いた倉伊の顔が、やけに儚く見えたから。




