第104話「殺してやりたいほど、憎かった」
人々は口には出さないけれど、二人を疎んでいた。
『おかあさんが関わらない方がいいって言ってた子たちだ』
『嫌だわ。あの五十嵐さんちの子でしょう?』
『五十嵐さんち、いつも食器が割れる音とかして、虐待やDVの疑いがあるのよね……』
『誰か通報してくれればいいのに』
大人は無責任である。虐待やDVの疑いを持っているなら、お前が通報しろよ、全く。しかも虐待されているのは子どもだぞ? 未就学児なんて、まだ110番も覚えていないだろうに。
そんな感じで、五十嵐と隼人くんは白い目で見られ、腫れ物のように扱われていた。
五十嵐への風当たりが強く、五十嵐はつらい思いをしていたようだ。
『私がつらいのは私のせいじゃない。あいつのせいだ。あいつなんか、死んじゃえばいいのに』
『おかあさんはどうしてあいつを許すの?』
『私たちのことなんか気にせずに、あいつと離婚すればいいのに』
乙奈さんはその頃からパートで稼いでいた。が、所詮はパートだ。皮肉なことに、五十嵐一家の家計を支えているのは李王だった。
女遊びが激しいだの何だのと黒い噂の絶えない李王だが、仕事はできるようで、戦力として重宝され、時には海外出張まであるほど。海外出張と聞いて、なるほどそれで外国人の女がいるわけな、と妙に納得してしまった。
李王が海外出張のときが五十嵐姉弟の息が抜けるときだった。李王がいなければ、暴力に怯えずに済むから。
「おとうさんなんか、帰ってこなければいいのに」
李王が海外出張でいない夕飯時に、五十嵐が本音をこぼす。
「舞華……」
「どうせ、仕事とか言って、おかあさんと別な女の人といるんでしょ。だったらあっちで過ごせばいいんだ」
「おねえちゃん……」
その言葉に、隼人くんが泣きそうな顔になる。五十嵐はそれに胸を痛めたようだが、我慢もできないようだった。
なんで、こんな小さな子どもが、こんなどろどろした感情を持たなければならないのだろう。何故、自分は悪くないのに苦しめられなければならないのだろう。
俺に何もできないのが、やるせない。
そうしていくうちに、五十嵐は事件を起こしてしまう。
「ぼうりょくふるうやつの息子はぼうりょくふるうようになるんだぜ」
「せいばいだー! やー!」
「ま、まって……!」
何もしていないのに、隼人くんが因縁をつけられて、暴力を振るわれた。大人は子どものじゃれあいだ、とそれを見て見ぬふりをする。
それを黙って見過ごすような五十嵐ではなかった。
「馬鹿ものー!!」
五十嵐が年長の教室がある二階から飛び降りて、隼人くんをなぶっていた男子の一人に蹴りを入れる。待て待て待て、未就学児の時点でそれは人間やめてないか?
二階から飛び降りて蹴り入れるとか、常人の思考ではない。が、五十嵐はそれができてしまった。元々李王の苛烈な暴力にも耐え得る体の丈夫さであるため、二階から飛び降りるのに何の抵抗も持たなかったようだ。落とされるよりだいぶましという思考らしい。怖い。
当然落ちてきた勢いの乗った蹴りを食らった男児は失神。一緒に隼人くんをいじめていた男子も怯えに怯えた。
「せ、せせせ、せんせえええええ、まいかちゃんがああああああ」
その呼び声に大人もようやく重い腰を上げる。蹴られた男子は重症で、救急車を呼ぶことになった。
当然、尻拭いをするのは保護者だ。乙奈さんは被害に遭った男の子の家にひたすら謝って回った。けれど、保護者は怒るより、関わりたくないといった風で、慰謝料だけ請求して、冷たい視線を送るだけだ。
タイミングの悪いことに、李王が帰ってくる。当然、五十嵐に待っているのは体罰だ。
「私の何が悪いの!? 隼人をいじめたのはあいつら!」
「でも暴力はいけないことだって、舞華もわかるでしょう?」
「なんで私の暴力は許されなくて、あいつらの暴力は許されるの!? おかあさんだって、あいつの暴力は許すくせに」
どす、と五十嵐の脇腹に肘鉄が入る。五十嵐は横に倒れた。
「オレの連れを困らせるな」
帰ってきた李王だった。五十嵐は打たれた脇腹を押さえながらもきっと李王を睨み付ける。
「オマエなんてこいつに似ているくらいしか価値がない。オマエの弟はもっと価値がない。捨てるのは女より簡単だ。それを育ててやっている。こいつがそう望むからだ。オマエたちは母親に生かされている立場だ。生意気なことを言うな」
価値がない、と言われて、五十嵐は怒りのままに立ち上がる。
「そのおかあさんをいちばん苦しめてるのは、どこのどいつだよ!! そういう説教めいたことを垂れるなんざ、お前には百年も万年も早いわ、クソ親父!!」
心の底から叫んだ悲鳴のような声は、去り行く李王の足を一瞬たりとて止められなかった。
李王が去ってから、乙奈さんが言う。
「舞華」
「おかあさんはなんであいつを許すの?」
「それは、お母さんしかあの人を許せる人がいないからよ。
舞華、聞いて。舞華はお父さんのことが、大嫌いよね? お父さんみたいになりたいと思う?」
「思うわけない!」
「それなら誰より、舞華が暴力を振るっちゃ駄目よ。お父さんみたいになってしまうから」
優しい子になって、と乙奈さんは五十嵐の頭を撫でた。
狂っている。
こんなの狂っている。反面教師にしたって、度が過ぎている。
優しさを得られないのに、優しくなって、なんて、無慈悲で勝手だ。
五十嵐は悩みに悩んで、自分は異常なのだと気づいた。
普通は二階から飛び降りて、無傷なんかでは済まない。あれだけの暴力を受けて、骨の一つも折れないなんて。
自分の体の頑丈さに気づいた五十嵐は、守るためにその体を生かそうと考えた。弟を庇ってやれるように。
他に誰も傷つかないように。
五十嵐は目立ちこそしたものの、事件は二度と起こさなかった。頭もよく、優秀な人間として認知され、カリスマもあり、発言力を得ていた。
そんな五十嵐の小学五年生の冬。
五十嵐李王が死んだ。
「殺してやりたいほど、憎かった」
その憎しみが解消されることのないまま、李王はこの世からいなくなってしまったのだ。




