第102話「そんな五十嵐、俺は見たくなかったよ」
ううううわああああ。
なんでこんなに野次湧くんだろうなあ。やっぱりみんなの五十嵐さんだからか。
もう人酔いしそうなのだが、頑張ってこらえる。というか、五十嵐が一睨みすると、野次馬たちは凍りついた。
それもそうだろう。こんな怒髪天を衝く勢いの五十嵐なんて、誰も見たことないだろうからな。
「見世物じゃない。散れ」
ともすれば[傀儡王]でも使ったんじゃないかというくらい、野次馬たちは散っていった。五十嵐が超能力者じゃないのはわかっているんだけど、こういうところに、やはり五十嵐という存在の異様さが出る。
無自覚に人を惹き付け、従わせることのできるカリスマ。超能力者じゃないからこそ、五十嵐が持てる能力。
でも、俺は五十嵐のそれに惹かれているわけじゃない。
「隼人の身に起ころうとしていること、わかるのか?」
倉伊の襟首を掴んで、ものすごい圧で問いかける五十嵐。弟のことが相当大事なんだろう。けれど、そんな五十嵐を、俺は見ていたくなかった。
それに、倉伊がどう答えるかもわかっていた。
「僕に起こったのと、似たようなことが起こるんだよ」
「何?」
「五十嵐」
俺は思わず声をかけた。五十嵐がぎっと俺を睨む。俺は唇を噛みしめて、それから絞り出すような声で告げる。
「もう聞かない方がいい」
「なんでだ?」
「防ぐ方法がない」
「何故そう断言できる!?」
五十嵐の怒鳴り声が響く。空気がびりびりしていて、正直、これ以上五十嵐と対面していたくない。でも、ここで五十嵐を止められるのは俺だけだ。倉伊は五十嵐の問いに答えることしかできないから。
「隼人くんの身に何か起こってしまうことは確実だ。でも、これ以上詳細を聞いたら、お前は父親への怒りを募らせるばかりだろう?」
「それがどうした?」
うおっ、取りつく島なし。
「それが隼人くんをより苦しませることになる。お前の親父さんを呪うなとは言わないよ。俺も当事者だったら、ベッドの上で静かに眠ることができたなんて到底許せないと思う。でも、それは李王さんに対してできることで、その呪いは隼人くんの病巣を広げるだけだ。
冷静になれ、五十嵐。お前が考えるべきはクソ親父のことじゃない。今生きている隼人くんのことだ。隼人くんを苦しませたいわけじゃないだろう?」
「でも」
五十嵐が今度は俺に迫ってくる。やっぱ力強いな。
「これから何が起こるかわからないと対策のしようがないだろう?」
「何が起こるかは、倉伊が知ってる。俺が言いたいのは、対策を取るにも時間が必要だってこと。五十嵐が怒りを募らせたら、状況は悪化しかしないんだ。こらえてよ」
ばしっとすごい音がした。痛いというよりは、頭がぐわぐわする。
声が聞こえる。
「こらえるなんてできるわけないだろう? お前にとっては他人事のくせに、口を挟むんじゃない、咲原!」
「李王がどんなにひどいやつだったか知らないからお前はそんな簡単に言えるんだ」
「ああああ、私は、なんてことを」
「全部、全部全部全部、李王が悪いんだ」
「あいつのせいで、呪われて、私は」
「私は私は私は」
「……私は……」
五十嵐の憎悪と悲壮の渦巻く心の声。
頭が痛い。痛みで視界が滲む。
「そんな五十嵐、俺は見たくなかったよ」
そうとだけ呟いて、俺は意識を閉ざした。
がしゃーん、というけたたましい音に、俺の意識は浮上する。けれど、ここが夢の中だとすぐにわかった。目を開けたら、俺はどことも知れない場所に立っていたのだ。
いや、知らない場所じゃない。五十嵐の家だ。台所で顔立ちが派手な男が、嫁と娘を酒瓶で殴りつけていた。まごうことなきDVの現場である。
俺も一男児として立ち向かわなければ、と思ったのだが、それは無理だった。殴られている娘は、五十嵐だったからだ。つまりDV男は五十嵐の父、李王であり、李王が健在ということはこれはどうしようもない過去である。
過去夢を見るのは何も珍しいことではない。他者と強い同調状態だったなら、他者の過去が夢に流れ込んでくることは、何らおかしいことではないと知実さんが言っていた。
俺は今、病み上がりで同調能力の調整が上手くないから、無意識にいつも同調していた五十嵐の波長に引っ張られてしまったのだろう。
試しにその辺に散らばるもう食器なのか瓶なのかわからないレベルの破片に触れようとしたが、手はすり抜けた。夢の中でも、他人の過去夢には特に物理的干渉ができないという通説がある。それはその過去という終わった事実の中に夢を見ているその人は決して存在しないからだ。都合よく書き換えることもできないとわかっているからこそ、心の防衛本能が干渉させない。
夢先生の[夢想の支配者]ならできたかもしれないが、生憎俺は[傀儡王]だしな。
しばらく、五十嵐の追憶を眺めることにした。




