第8話:『地獄の饗宴』
王都中央大広場を支配していたのは、神聖帝国の歴史上かつて存在しなかったほど重苦しく、濃密な死の静寂であった。
白亜の街並みを赤く染め上げる朝焼けの光。その光の中に浮かび上がるのは、壊れた噴水広場の惨状であった。
右腕を爆砕され、背骨を砕かれて泥の中に倒れ伏す元・英雄レオンハルト。彼はもはや呻き声すら上げられず、下半身の感覚を完全に失った状態で、己の血の池の中に浮いていた。
そしてその傍らで、外傷一つない美しい聖衣を纏いながら、石畳の上で痙攣し、泡を吹いて悶絶している聖女セレスティア。
王都を取り囲む数十万の民衆は、固唾を呑んでその光景を見つめていた。誰も声を上げない。投げる石ころすら枯れ果て、民衆の瞳に宿っているのは、偽りの神話を打ち砕かれた絶望と、目の前で繰り広げられる惨惨たる報復の光景に対する、底知れぬ恐怖だけであった。
その惨劇の中心に、黒い防寒コートを羽織ったクラウスと、銀髪の少女エレノアが静かに佇んでいた。
「あ……あぁ……っ、あ……っ」
石畳に顔を押し付けたセレスティアの口から、掠れた空気が漏れていた。
彼女の体内に打ち込まれた三十本の『聖導神経衰滅の棘』。
クラウスの手によって『等価倍加の刻印』のロジックを組み込まれたその不吉な針は、彼女自身の心拍数と生体電流を直接の動力源として稼働し、彼女の脳神経へ「二百倍の知覚過敏」を注入し続けていた。
自分の聖衣が肌に擦れるだけで、赤く灼けた鉄板で皮膚を削ぎ落とされるような激痛が走る。
吸い込む冷気が、何万本もの氷の針となって肺胞を直接突き刺す。
自分の心臓がドクンと打つたびに、その鼓動の振動が全身の知覚神経を直接高圧プレス機で押し潰すような激痛へと変換される。
逃げ場のない、地獄の自家中毒。
しかし――クラウスの冷徹な黒い瞳は、それすらも「前菜」に過ぎないことを示していた。
「……セレスティア」
クラウスが黒銀の義足を一歩踏み出す。
ズン、と重い金属音が石畳に響き、セレスティアの麻痺しかけた脳髄を揺らした。
「苦しいか? 発狂しそうか? ……だがあいにく、お前の神経系に仕込んだ生体維持回路は、お前がショック死することも、気絶して絶望から逃げることも許さない」
「ひっ……! あ……あが……っ!」
セレスティアは濁った瞳でクラウスを見上げた。
彼女の顔は涙と鼻水、そして口から吹き出した血と吐瀉物でドロドロに汚れ果て、かつて「聖母の再来」と絶賛された可憐な美貌は跡形もなく崩壊していた。
彼女の脳内では、二百倍に引き上げられた知覚過敏が荒れ狂い、思考をまとめることすら困難なはずだった。
だが、クラウスの言葉は、彼女の神経系へ直接魔力振動として叩き込まれ、逃れようのない「理解」として脳髄へ強制注入されていた。
「セレスティア。お前は先ほど……自分が過去に侵してきた罪を認め、命乞いをしたな」
クラウスは残された左手をゆっくりと掲げ、己の胸の『共鳴・等価倍加の刻印』へ指先を走らせた。
黒と金の幾何学模様が、禍々しい不吉な光を放ち始める。
「『謝るから針を抜いてほしい』『教皇庁の秘密も、財産も、この体も好きにしていい』……とお前は言った。……本当にお前という人間は、最後までどこまでも浅ましく、そして他人の痛みを理解していない」
「あ……が……っ」
「お前は、自分が謝罪し、何かを差し出せば、これまでの罪が『相殺』されるとでも思っているのか? ……お前が地下実験棟で買い集め、弄び、解体し、苦悶の中で殺していった幼い子供たちの命が……お前のその汚い謝罪一つで買い戻せると思っているのか?」
クラウスの声には、怒りすらなかった。
ただ、絶対の物理法則を提示する学者のような、冷酷極まる「計算の提示」。
「お前が他人へ与えてきた過虐の全容……そして、お前がその手で造り上げ、ゴミのように捨てた『零七号』――エレノアの肉体に刻まれたすべての痛みを、今から完璧に清算してやる」
その言葉と同時に、クラウスの隣に立つエレノアが、静かに前へと歩み出た。
エレノアは、自分が羽織っていた大きめの黒ローブの留め具を、細い指先でそっと外した。
バサリ、と黒い布地が石畳へと落ちる。
朝焼けの赤い光の中に晒されたのは、彼女の華奢な肉体であった。
広場を取り囲む数十万の民衆から、息を呑むような悲痛な呻き声が漏れた。
エレノアの肌は、雪のように白く、美しかった。
しかし――その白い肌のあらゆる場所に、正視するに耐えないほど残酷で、歪な「人体実験の痕術」が刻み込まれていたのだ。
彼女の胸元から下腹部にかけて、皮膚を無造作に切り開き、雑な魔法糸と金属ステープルで強引に縫い合わせた、ムカデのような太い切開痕。
彼女の両肩と鎖骨の周囲には、高濃度の腐食性薬液を注ぎ込まれたことによって皮膚が溶解・壊死し、そのままケロイド状に盛り上がった黒紫色の皮膚組織。
そして何より――彼女の薄い背中であった。
彼女が振り返ると、その背中には、背骨(脊椎骨格)を左右から挟み込むようにして、白銀の古代金属プレートが打ち込まれていた。
その金属プレートは、彼女の椎骨に太いボルトで直接締め付けられ、そこから四本の白銀の魔導アームが、皮膚と筋肉を突き破って外へと伸びていた。
アームの根元の肉は、長年の拒絶反応と過剰な魔力放電によって何度も沸騰・壊死を繰り返した痕跡があり、生々しい肉芽と金属の接合部から、黄金色の魔導血漿が今も尚かすかに滲み出ていた。
それだけではない。
彼女のうなじの最上部――脳幹と頚椎が交差する最も繊細な場所に、太い魔導ケーブルが直接穿孔された痕である、二個の暗い孔が開いていた。
それは、人間を「意志ある一個の生命」としてではなく、ただの「魔力増幅器」として扱い、効率よくエネルギーを搾り取るためだけに施された、悪魔の改造手術の痕であった。
「……あ……あ……っ」
セレスティアの濁った瞳が、エレノアの背中に刻まれたその痛々しい痕跡を捕らえた。
彼女の脳の奥底で、忘れかけていた「過去の記憶」が、強制的に引きずり出された。
セレスティアが私財を投じて建設させた『帝国聖導第二人体改変実験棟』。
そこで彼女が、可憐な笑顔を浮かべながら、拘束台の上に縛り付けられた少女――『被体零七号』に執刀した、あの数々の惨劇の記憶。
「思い出してきたか、セレスティア」
クラウスが、冷徹にその「因果関係」を紐解き始めた。
「なぜ……エレノアの背中に、これほど異常な魔導アームが植え付けられていると思う?」
クラウスの視線が、セレスティアの体内に侵入している『聖導神経衰滅の棘』へと向けられた。
「お前が私的に造らせたあの拷問聖具……『聖導神経衰滅の棘』。あの聖具は、人間の神経伝達物質を過剰活性化させて激痛を生み出す。……だが、普通の人間では、あまりの激痛に耐え切れず、数分で脳の血管が破裂して死んでしまう」
クラウスは、魔法学と生体構造の理屈を、淡々と暴露していく。
「お前は、もっと長時間の拷問を楽しみたかった。もっと強い激痛を与えて、そこから生み出される『絶望の魔力』を抽出したかった。……だからお前は、痛みに耐え得る『頑丈な肉体を持つ実験体』を必要としたんだ」
セレスティアの全身が、激しくガタガタと震え始めた。
「お前は、親のない孤児であったエレノアを実験棟へ連れ込み……彼女の背骨を生きたまま削り、そこに古代魔導金属のプレートをボルトで打ち込んだ」
「や……やめて……! 聞きたくない……! 言わないでぇっ!」
「さらに、彼女の脳幹に直接穴を開け、魔導ケーブルを刺し込んで『神経系の耐久値』を強制的に数百倍に引き上げた。……すべては、お前のあの拷問聖具の性能実験のためだけにだ」
因果の回収。
セレスティアが愛用していた『聖導神経衰滅の棘』という悪魔の聖具は、まさにエレノアという少女の肉体を文字通り細切れにし、何千時間もの地獄の激痛を叩き込むことによって完成された「犠牲の産物」であったのだ。
エレノアの体に残された無数の傷、声を奪われた理由、そして背中の異形の魔導アーム。
そのすべてが、セレスティアという一人の女の、歪んだサディズムと強欲さによって生み出された惨劇の証拠であった。
「エレノア」
クラウスが呟く。
「はい……マスター」
エレノアが静かに振り返り、クラウスを見つめた。
彼女の銀色の瞳には、かつてカプセルの中で漂っていた頃の虚無は存在しない。そこにあるのは、自分を救い出し、自分に「復讐」という生きる意味を与えてくれたクラウスへの、どこまでも深い信頼と愛着であった。
「お前の中に残る……あの日々から受領した『負債の全データ』を、その刻印へ転送しろ」
「了解しました……マスター」
エレノアが、自身の白く傷ついた胸元に、細い手を当てた。
――キイィィィィィィンッ!
エレノアの胸の『共鳴刻印』が、太陽のような眩い黄金の光を解き放った。
彼女の肉体に刻まれたすべての傷の記憶。
背骨を削られた時の、骨ノミが生肉を叩き割る激痛。
脳幹にケーブルを刺し込まれた時の、全神経が灼熱の油で揚がるような絶望。
声帯を酸性薬品で焼き溶かされ、悲鳴すら上げられずに血を吐いた夜の孤独。
そして、セレスティアが彼女の顔をのぞき込み、『あら、まだ生きているの? 丈夫な豚ね』と嘲笑った、あの悪魔の微笑みの記憶。
それらすべての「激痛と屈辱のデータ」が、共有回路を通じて、クラウスの『等価倍加の刻印』へと一瞬でロードされた。
データ転送の完了。
クラウスの胸の刻印が、黒と金の二色で、爆発的な輝きを放ち始めた。
周囲の空間の重力が歪み、広場の石畳がバチバチと不気味な黒い稲妻を散らし始める。
「等価倍加・第二段階――『因果総量倍加』起動」
クラウスの冷ややかな声が、広場全体に響き渡った。
「入力パラメータ――被体零一号から零六号までの死亡被験者が受けた全拷問データ。および、被体零七号が受領した全激痛データ。そして、俺自身が受領した『超感覚祝福』の過剰負荷データ」
クラウスは黒銀の右義手を、地に這いつくばるセレスティアに向かって真っ直ぐに突き出した。
義手の手のひらが開き、中央の黒金の刻印ノードが、太陽の核の如き超高密度の魔力を収束させていく。
「総計――絶望エネルギー、約八十万ユニット」
「返却設定――『二倍の知覚過敏』を通じた、全激痛データの即時ダイレクト注入」
「倍率適用――全パラメータを『二倍(一六〇万ユニット)』へ拡張再構築」
「目標――聖女セレスティアの全神経網、脳幹、および魂」
計算の完了。
ご都合主義の救いなど、どこにもない。
セレスティアが過去に他人を苛むことで貪ってきたすべての苦悦と絶望の総量が、完璧な二倍の物理エネルギーとなって、彼女自身へ一括で送還される自滅の最終シークエンス。
「や……やめて……! やめてお願い! 助けて教皇様ぁぁぁぁぁっ!」
セレスティアは惨めに叫び、狂ったように地面を掻きむしった。
しかし――クラウスの指先が、静かに振り下ろされた。
「受け取れ、セレスティア。お前が蒔いた……『地獄の饗宴』の代償だ」
――ドクンッ!!
空間が跳ねた。
クラウスの義手から放たれた黒と金の魔力光線が、セレスティアの体内に打ち込まれた三十本の『聖導神経衰滅の棘』へ、ダイレクトに連結した。
そして――セレスティアの肉体の内側で、人類史上最大の「激痛のビッグバン」が弾けた。
――ガギギギギギギギギギギギッッッッ!!!!!!!!
王都中央大広場を包んだのは、もはや人間の喉から出出されるものとは思えぬ、狂絶した叫びであった。
セレスティアの身体が、まるで巨大な見えない手に掴まれたかのように、地面から一メートル以上も高々と宙へ跳ね上がった。
彼女の背中は海老のように反り返り、首はあり得ない角度まで後ろへ倒れ、両目は血走り、眼球が眼窩から飛び出さんばかりに見開かれた。
外傷は、一つもない。
皮膚は美しく、血の一滴すら表面には滲んでいない。
しかし――彼女の内側では、一六〇万ユニットという途方もない「二倍の過虐データ」が、二百倍に引き上げられた知覚過敏の神経回路を通って、怒濤の津波となって脳髄を荒らし回っていた。
最初の〇・一秒。
エレノアの背骨が削り落とされた時の、あの骨ノミの激痛の二倍が、セレスティアの背骨全体に一瞬で叩き込まれた。
「ヒガァァァァァァァァァァァッッッッ!!!!????」
セレスティアの口から、血の混ざった泡が激しく噴き出した。
自身の背骨は折れていない。しかし、彼女の脳は「背骨が削り落とされ、骨髄に直接塩を塗り込まれている」という完璧な虚構の激痛を、現実以上の鮮明さで直接体験させられていたのだ。
次の〇・一秒。
エレノアの脳幹にケーブルが刺し込まれた時の、あの神経焼失の激痛の二倍。
「あぁぁぁぁぁっ! 頭がっ! 私の頭の中に熱い鉄が刺さってるぅぅぅぅっ!」
セレスティアは空中で頭を激しく振り回し、自分の耳や髪を血が出るほど爪で引っ掻き回そうとした。
しかし、知覚過敏が二百倍に跳ね上がっているため、自らの手が顔に触れるだけで「巨大なハンマーで顔面を叩き潰される激痛」となり、彼女の自傷行為すらも地獄の燃料へと変わっていく。
さらに次の〇・一秒。
被体零一号から零六号までの子供たちが、痛みに耐えかねて全皮膚を剥離させられ、薬液の中で絶叫しながら死んでいった、あの六人分の過酷な致死激痛の二倍。
一六〇万ユニットの痛みの津波が、彼女の三十本の『聖導神経衰滅の棘』を経由して、彼女の脳幹と全知覚神経を直接「高圧ミキサー」の如くかき回し続けていた。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ! 許して許して許してぇぇぇぇっ! 死ぬ! 私、痛さで百万回死んじゃうぅぅぅぅっ!」
セレスティアは空中から泥の上にドサリと叩きつけられ、魚のように地面の上で激しく跳ね回った。
彼女の口からは、壊れた水道管のように血液と胃液と泡がダラダラと溢れ出し、彼女の服は自分の失禁と便によってドロドロに汚れていった。
かつて神聖帝国で「最も優雅で美しく、清純なる聖母」と称えられた少女の最後の一片すら残らない、凄惨極まる自虐と自滅の光景。
広場を取り囲む数十万の民衆は、その恐るべき光景に完全に言葉を失っていた。
誰も同情しない。誰も助けようとしない。
民衆の瞳にあるのは、自分たちを騙し、子供たちを犠牲にしてきた「悪魔の聖女」が、自らが与えた痛みの総量によって自滅していくことに対する、冷酷な納得だけであった。
セレスティアの地獄の咆哮は、止まらなかった。
彼女の心臓が不快な激動を打つたびに、体内の『聖導神経衰滅の棘』がさらに深く神経へ爪を立て、二倍の知覚過敏ループを永久に回転させ続ける。
逃げられない。
気絶することも、狂うことも、死ぬことすらも。
クラウスの組み上げた『等価倍加』の呪縛は、彼女の意識を極限まで冴え渡らせたまま、彼女が過去に他人に与えてきたすべての苦痛の二倍を、死の直前まで噛み締めさせ続けるのだ。
その地獄の饗宴の中心で。
クラウスは、冷ややかな瞳で、泥の中で転がるセレスティアを見下ろしていた。
「……まだまだ、終わらないぞ、セレスティア」
クラウスの冷徹な声が、絶叫の合間に落ちる。
「お前が他人に与えてきた痛みの時間は……何千時間にも及ぶ。……お前にはその『二倍の時間』を、この二倍の知覚過敏の中で過ごしてもらう」
冷酷なる取り立て。
聖女セレスティアの全人生の偽善と過虐に対する、究極の「二倍の返却」が、今まさにその肉体と魂を完膚なきまでに解体し始めていた。
石畳を打ちつける雨のように、セレスティアの口から溢れ出す血液と粘液の混ざり合った泡が、泥の上に惨めな水たまりを作っていた。
『聖導神経衰滅の棘』――彼女自身が私的な虐殺と拷問のために開発させた悪魔の聖具。その三十本の針は、クラウスの『等価倍加』の幾何学回路によって完全に書き換えられ、彼女の脊椎と脳幹、そして全身の知覚神経節へ深々と食い込んでいた。
「あ……が……ッ! あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……ッ!」
セレスティアの身体が、まるで不可視の拷問台に固定されたかのように、不自然な角度で反り返ったまま激しく痙攣を繰り返す。
外傷は、一つもない。
どれほど彼女が地獄の悲鳴を上げ、泥の上でのたうち回ろうとも、彼女の白い肌には血の一滴すら滲み出てはいなかった。しかし、彼女の肉体の内部――全知覚神経の伝達回路の中では、一六〇万ユニットという膨大な「二倍の過虐データ」と「二百倍の知覚過敏」が、止まることのない津波となって脳髄を焼き尽くし続けていた。
第一の波――『背骨の剥離と補強金属のボルト打ち込み』。
かつてセレスティアが、孤児であったエレノアの背中を冷酷に切り開き、肉ノミと大槌で背骨の椎骨を砕きながら、白銀の古代金属プレートを直接ネジで締め上げた時の、あの生の激痛。
「ひがぁぁぁぁぁぁっ! 背中がっ! 私の背骨が割れるぅぅぅぅっ! ネジで……ネジで骨を削られてるぅぅぅっ!」
セレスティアの絶叫が、王都中央大広場を取り囲む数万の民衆の耳腔を鋭く刺した。
彼女自身の背骨は折れていない。だが、二百倍に増幅された脳の知覚神経は、太い螺子が己の脊椎に一本一本、生きたままねじ込まれていく完璧な肉体体験を、現実以上の鮮明さで再生させていた。骨が軋み、髄液が漏れ出し、骨膜が引き裂かれる「感覚」そのものが、彼女の神経系を直接かき回す。
「許して……! 許してください教皇様! クラウス! お前たち……私の背中を削らないでぇぇぇっ!」
セレスティアは泥の中で転がり、自らの背中を石畳に激しく打ち付けようとした。
しかし、背中が地面に触れた瞬間――。
――ガビビビビビビビビッ!
二百倍に引き上げられた触覚の過敏さが、石畳とのわずかな接触を「十トンのプレス機で押し潰される激痛」へと変換し、彼女の自傷行為すらも地獄の拷問の燃料へと変わっていった。
「あギャアアアアアアアアアッ!!!!????」
二重の激痛。自ら逃げようと足掻けば足掻くほど、その行動自体が新しい二倍の過虐を引き起こす、完璧なる自滅の自給自足。
クラウスは、黒銀の義手を防寒コートのポケットに突っ込んだまま、微動だにせずその惨劇を見下ろしていた。
彼の黒い瞳には、セレスティアの悶絶する姿すらも、冷徹な「計算式の実行結果」としてしか映っていなかった。
「第二の波だ、セレスティア」
クラウスの低く平坦な声が、叫び狂うセレスティアの脳内へ、直接の魔力振動として落ちる。
「エレノアのうなじ……脳幹へと直接穿孔された二個の穴。……魔導ケーブルを繋ぎ、彼女の意思を奪い、生きた魔力バッテリーとして繋ぎ止めた時の『二倍の激痛』だ」
「いや……嫌ぁぁぁぁぁっ! 頭の中に……頭の中に太い鉄の杭が……っ!」
セレスティアの口から、血の混ざった泡が大量に噴き出した。
彼女のうなじの皮膚の下で、三十本の『聖導神経衰滅の棘』が一斉に高周波振動を開始していた。
脳幹――人間の生命維持を司る最も繊細な神経領域へ、直接「熱した鉄杭を叩き込まれる」感覚の二倍。
彼女の視界が、真っ赤な激痛の閃光で完全に塗りつぶされた。
呼吸が止まる。心臓が発狂したように毎分二百五十回以上の異常脈動を打ち始める。
そして、その跳ね上がった心拍数と血圧を感知して、彼女の体内に寄生した針群がさらに深い出力解放を起こし、次の二倍の過虐を生成していく。
逃げられない。
呼吸をすれば胸が灼け、心臓が打てば神経が破裂し、死を祈ればその恐怖のアドレナリンがさらに針の出力を跳ね上げる。
彼女が自分自身を「生命」として維持しようとする生理機能のすべてが、自分を拷問するための凶器と化していたのだ。
「あぁぁぁぁっ! 息が……息が刺さるぅぅぅっ! 私の中身を誰か引っ張り出してぇぇぇぇっ!」
セレスティアは泥の中で悶絶し、爪が割れて指先から血を流しながら、惨めに石畳をかきむしった。
彼女の白く美しかった顔面は、膨れ上がった血管と激痛による表情筋の麻痺によって不気味に歪み、目からは血の混ざった涙が泥の上にボタボタと落ちていた。
その傍らで。
自分の傷だらけの肉体を静かに晒していたエレノアが、そっと自分のうなじに触れた。
彼女の白く細い首筋に残る、二つの暗い穿孔痕。
かつてカプセルの中で、セレスティアによってこの穴を開けられ、声を奪われ、自我を押し潰されて廃棄されたあの日の記憶。
しかし――今の欠陥品と呼ばれた少女の瞳には、一切の悲しみも恐怖も存在しなかった。
「……マスター」
エレノアの透き通る声が、惨劇の只中に響いた。
「私の中に……残っていた……恐怖の残滓が……すべて、消えていきます」
「そうか」
クラウスは視線を落とさずに答えた。
「お前の体に刻まれた傷は……あいつがお前に与えた不法な負債だ。……今、あいつが自らの肉体と神経をもって、その全額を『二倍』にして返済している」
因果の完全なる回収。
セレスティアが自分自身の欲望と権力を誇示するために造り上げた悪魔の聖具。
その聖具を完成させるために惨殺され、肉体を改造されたエレノアという少女。
いまや、その関係性は完全に逆転していた。
エレノアの肉体に刻まれた傷の数だけ、彼女が流した血の量だけ、セレスティアは自らが仕掛けた知覚地獄の底で、何千回、何万回もの「死以上の激痛」を味わい続けなければならなかったのだ。
「ひぐっ……あ……っ……クラ……ウス……っ」
セレスティアは、二百倍の知覚過敏の中で発狂しそうになる正気を必死につなぎ止め、泥の中から手伸ばそうとした。
両肘を泥に立て、膝をガタガタと震わせながら、クラウスの足元へ這い寄る。
かつて神聖帝国で最高位の聖女として君臨し、貴族たちから跪かれて手を差し出されていた女が、いまや靴底に付着した糞尿の如く、惨めにおべっかを使い始めた。
「助け……て……っ! なんでも……なんでもするわ……っ! 教皇様の……教皇様の裏の金庫の鍵を……あなたにあげる……! 教皇庁が隠している『古代魔導の秘宝』も……全部……全部あなたのものにしてあげるからぁっ!」
セレスティアは血と反吐に塗れた口を開き、激痛で声帯を震わせるたびに「ギャッ!」と悲鳴を上げながらも、必死で命買収の言葉を繋いだ。
「私は……私はまだ死にたくないの! 私は……私は美しい聖女として……王都でみんなに褒め称えられて生きていきたいのよぉっ! だから……この不快な針を……私の体から抜いてちょうだいぃぃぃっ!」
醜悪。
最後まで、自分自身の保身と虚栄心しか頭にない、完璧な自虐の回答。
広場を取り囲む数十万の民衆から、蔑みと軽蔑の吐息が漏れた。
誰一人として、この自称・聖女に同情の眼差しを向ける者はいない。彼女が口を開けば開くほど、彼女がかつて演じていた「慈愛の聖母」という嘘のメッキが、ペラペラと剥がれ落ち、醜い害虫の本性が露出していくだけだった。
クラウスは、足元に這い寄ってきたセレスティアの顔を、一瞥しただけだった。
「教皇の金庫も……古代の秘宝も……俺には何の意味もない」
クラウスの冷徹な声が、彼女の脳髄へ最後の大槌として振り下ろされる。
「お前が愛したのは、神でも、民衆でもない。……『聖女として崇められている自分自身の優越感』だけだ。……お前が子供たちを虐殺し、俺を奈落へ捨てたのも、すべてはその薄汚い自尊心を維持するための『肥やし』に過ぎなかった」
「あ……あぁぁぁ……っ!」
「だからこそ……お前のその自尊心と……お前の誇る『美しい聖女の肉体』そのものを、お前が愛した聖具の力で完全解体する」
クラウスの胸の『共鳴・等価倍加の刻印』が、限界を超えた黒金の光を放った。
「最終シークエンス――『全知覚神経回路・限界突破』」
チリッ……!
セレスティアの体内に埋め込まれた三十本の『聖導神経衰滅の棘』が、彼女の体内に残されていた全聖導魔力を触媒として、一気に暴走を開始した。
――ガギギギギギギギギギギギッッッッ!!!!!!!!
「あギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!????」
セレスティアの叫び声が、音速を超えて王都の空を切り裂いた。
彼女の体内の全知覚神経が、一千六百万ボルトに達する過剰な生体電流のショートによって、内側から一瞬で焼き切れ始めたのだ。
外傷はない。皮膚も美しいまま。
しかし、彼女の脳と神経系の中では、全神経が「高温の油に漬け込まれ、ミキサーで木っ端微塵にかき混ぜられる」という、究極の二倍の絶望が爆発していた。
目から、耳から、鼻から、口から。
セレスティアのあらゆる器官から、透明な髄液と血の混ざった液体が勢いよく吹き出した。
彼女の体は地面の上で魚のように跳ね、指先をピクピクと狂ったように痙攣させ、やがて――。
――パチッ。
彼女の脳幹の中で、最後の重要な神経回路が、激痛のオーバーヒートによって物理的に焼け落ちた。
「あ……」
セレスティアの絶叫が、唐突に止まった。
彼女の瞳から、最後に残されていた知性の光が、スーッと消え去っていく。
瞳孔は完全に開き、黒い瞳は空虚に、朝焼けの赤い空を虚ろに見つめていた。
二十分間。
自らの心拍数を動力源にして、二年分に及ぶ他人への過虐と激痛の「二倍」を、二百倍の知覚過敏の中で噛み締め続けた末路。
彼女の脳の神経網は過剰負荷によって完全に焼失し、壊死を起こしていた。
外傷のない、どこまでも美しい肉体。
しかし、その内側の「精神」「記憶」「思考」「言語機能」のすべてが、完膚なきまでに破壊された、ただの『意思なき生ける肉塊』。
ドサッ……。
セレスティアの体が、力なく泥の中に倒れ伏した。
二度と彼女が言葉を発することはない。
二度と彼女が誰かを蔑む笑みを浮かべることも、可憐な聖女の仮面を被ることもない。
激痛のループの果てに、彼女は自らの手で自らの神経を灼き尽くし、永遠の暗黒の深淵へと転落したのだ。
第三の仇・聖女セレスティアの、完璧にして自業自得なる完全なる解体と破滅であった。
広場を包んだのは、死よりも深い沈黙であった。
泥の中に転がる、かつての英雄と聖女の残骸。
両腕を爆砕され、背骨を砕かれて泥に浮くレオンハルト。
外傷のない美しい体のまま、精神と神経を焼かれて白目を剥いて動かないセレスティア。
民衆は、自分たちが長年崇めてきた「光の象徴」たちの惨めな末路を、ただ冷ややかに、そして静かに見届けていた。
その惨劇の中心で。
クラウスの身体を、巨大な「返却反動」が襲った。
ズクンッ! ズクンッ!
一六〇万ユニットという途方もない過虐データを二倍にして送還し、セレスティアの神経系を解体した際の対価――クラウスの魂と精神へ跳ね返ってくる過酷な物理負荷と激痛の波形。
クラウスの右肩の黒銀の義手接合部から、プシューッと不快な黒煙が立ち上り、彼の視界が激痛で激しく歪んだ。
全身の筋肉が断裂するような衝撃。
だが――彼が倒れるより早く、隣に立つエレノアが、その華奢な体でクラウスを強く抱き留めた。
――ジュウウウウウウウウッ!
ふたりの胸の『共鳴・等価倍加の刻印』が重なり合い、眩い黄金の光芒が爆発する。
クラウスの魂に押し寄せていた過酷な精神負荷と激痛の「半分」が、完璧に機能する共有回路を通じて、エレノアの体内へとスムーズに吸収・分散されていった。
「っ……あ……ぁぅ……っ!」
エレノアの口から、熱い吐息が漏れた。
彼女の白く美しい肌が赤く火照り、彼女の銀髪から汗の滴が落ちる。
セレスティアを自滅させたあの二倍の知覚過敏の反動の半分が、エレノアの肉体へも流れ込んでいたのだ。
普通の人間に耐えられる負荷ではない。脳が弾けて即死する領域の知覚圧力。
だが――エレノアの銀色の瞳には、一切の苦痛の色はなかった。
彼女は自分の胸を強く抱きしめ、爪が食い込むほど肉を握り締めながら、クラウスの足元を見上げ、熱っぽい瞳で囁いた。
「マスター……っ! 感じます……! セレスティアが消えた……あの女が私に与えた過酷な痛みが……完全に精製されて……私の中に溶けていきます……っ!」
「平気か……エレノア」
クラウスが静かに尋ねる。
エレノアは、さっと首を振った。彼女の顔には、かつて見たことのない、どこまでも可憐で、そして狂おしいほどの「充足感」が浮かんでいた。
「平気です……! あなたと同じ痛みを共有し……あなたと共に仇を解体した……! 私は……私はあなたの最高の道具……あなたの愛する刃です……!」
狂気と依存の完結。
セレスティアによって自我を砕かれ、痛覚と存在意義を異常結合させられた少女。
彼女にとって、自分を虐げたセレスティアを二倍の激痛で自滅させ、その痛みをクラウスと分け合ったこの瞬間こそが、己の過去のトラウマを完全に克服し、自立した「復讐の刃」として生まれ変わった儀式であったのだ。
ふたりの共鳴回路が完全に同期し、セレスティアの自滅によって生み出された膨大な絶望の魔力が、クリーンに精製されて、クラウスの黒銀の義体とエレノアの古代魔力炉へと完全に吸収された。
クラウスの右義手と義足の表面が、吸い上げた高密度魔力によって漆黒の光沢を増し、より強大で緻密な「殺戮機構」へと進化を遂げる。
クラウスはコートの内ポケットから、最後に残されていた『セレスティアの生体実験手記の原本』の束を取り出した。
そして、泥の中に横たわるセレスティアの顔の上へ、その手記を冷酷に叩きつけた。
バサリ。
血と涙で汚れたセレスティアの顔の上に、彼女自身が書き残した狂気の実験記録が散らばる。
「これでお前たちの『名誉』も……『肉体』も……すべて解体完了だ」
クラウスの冷ややかな声が、大広場に響いた。
第一の仇・魔導師カイ――自らが誇る魔法理論の過剰反動によって肉体を爆砕され死亡。
第二の仇・勇者レオンハルト――全開の神威斬の二倍反動によって両腕爆砕、背骨粉砕、下半身不随の肉塊と化して社会的失脚。
第三の仇・聖女セレスティア――己の愛用した拷問聖具の二倍知覚過敏ループによって全神経系を灼き尽くされ、精神崩壊・人間廃業。
迷宮最深部でクラウスを裏切り、四肢を奪い、奈落へ蹴り落としたかつての仲間たち全員への、理詰めの徹底的な「二倍の返却」が、ここに完全に完遂された。
広場の数十万の民衆は、ただ息を呑んでその二人の復讐者の姿を見つめていた。
彼らがいた場所――かつて「栄光の英雄都市」と呼ばれた王都アスタロトは、今や偽りの神話を剥がされ、醜悪な真実を晒された荒廃の地となっていた。
クラウスは、静かに背を向けた。
黒銀の義足が石畳を踏みしめ、ズン……ズン……と重厚な金属音を響かせる。
隣には、大きめの黒ローブを羽織り直し、背中に白銀の魔導アームを従えたエレノアが、ぴったりと寄り添っていた。
彼らの視線は、もはや倒れ伏す裏切り者たちには向けられていなかった。
彼らの黒い瞳が捉えていたのは――王都の最奥、雲を突くように聳え立つ『神聖大聖堂』の巨大な本殿であった。
この欺瞞の王国を創り上げ、裏で人体実験と生贄のシステムを統括していた最高の黒幕――教皇庁と、教皇の存在。
「行きましょう……マスター」
エレノアが、クラウスの黒銀の右手に自分の手を重ね、静かに告げた。
「あなたを害した……すべての歪みを粉砕するために」
「ああ」
クラウスの胸の『共鳴・等価倍加の刻印』が、黒と金の不吉な光を宿して静かに脈動した。
個人の復讐を完璧に完遂した二人の復讐者は、偽りの王国そのものを根底から解体するための、次なる絶望の舞台へと、静かに足を進めていくのだった。




