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虚飾の勇者たちへ二倍の死を:追放された刻印術士の惨虐なる復讐  作者: solune


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第6話:『破滅の戴冠式』

壊れた噴水広場の中央、粉々に砕け散った石畳と、崩れ落ちた大理石の女神像の残骸が散乱する瓦礫の只中。


朝日が王都の白亜の街並みを赤く染め上げていく中で、数万人を超える民衆が、息を殺してその広場を取り囲んでいた。誰一人として声を出す者はいない。広場を包んでいるのは、信仰を裏切られた民衆の冷酷な憎悪と、迫り来る惨劇の予感に対する、耳が痛くなるほどの静寂であった。


その円環の真ん中で、ふたりの男が対峙していた。


ひとりは、純白の神聖鎧を泥とトマトの汁で汚し、額から血を流して金髪を振り乱す男――勇者レオンハルト。


その手には、神聖帝国の宝物庫から授けられた至高の聖剣『ルミナス』が握られている。刃から解き放たれる過剰な神聖魔力が、バチバチと大気を焼き、ドス黒く濁った黄金色の光芒となって膨れ上がっていた。


もうひとりは、黒い防寒コートを夜風になびかせ、微動だにせず立つ男――元・支援術士クラウス。


彼の右腕は漆黒の光沢を放つ黒銀の魔導義手。両脚もまた、廃金属と微細な刻印回路で無骨に構築された異形の義足。そして胸元には、黒と金の二色で描かれた幾何学模様――『共鳴・等価倍加の刻印』が、不吉な心拍のように脈動している。


クラウスの隣には、黒ローブの裾を揺らし、背中から四本の白銀の魔導アームを静かに蠢かせる異形の少女・エレノアが控えていた。


「ハぁ……っ、ハぁ……っ、ハぁ……っ!」


レオンハルトの口から、荒く汚れた呼気が漏れる。


彼の血走った瞳は、もはや人間としての正気を失っていた。


彼にとって、この王都中央大広場は自らの栄光を誇示する「栄誉の壇上」であったはずだ。民衆の歓声を受け、聖女を傍らに従え、英雄として君臨する場所。


しかし今、その広場で自分に向けられているのは、腐った果物と泥、そして虫ケラを見るような冷酷な蔑視の視線だけであった。


(許さん……絶対に許さんぞ……! この俺様を……光の勇者であるこの俺様を、こんな惨めな目に遭わせやがって……!)


レオンハルトの手の中で、聖剣『ルミナス』の柄がミシミシと悲鳴を上げた。


彼は己の脳内で、クラウスという存在を未だに「自分より格下の不具者」としてしか認識していなかった。認識したくなかったのだ。自分がゴミのように捨てた男が、自分を社会的に殺し、カイを殺し、自分を追い詰めているという現実を受け入れれば、彼の膨れ上がった自尊心が完全に狂い散ってしまうからだ。


「クラウスぅぅぅっ……!」


レオンハルトの喉から、血の混ざった不快な唸り声が漏れた。


「聞こえるか……? この愚民どもの吐き気を催す視線が! お前が……お前が余計な映像を投影して、俺の完璧なキャリアを汚したからだ! 俺はお前を活かしてやっていただろうが! 俺たちの引き立て役として、パーティの底辺で雑用をこなす豚として、生存を許可してやっていただろうがぁぁぁッ!」


自分勝手な理屈。自己愛の化身。


他者の尊厳を泥靴で踏みにじることを「当然の権利」と信じて疑わない狂気。


だが、クラウスの表情には、一筋の感情の揺らぎすら浮かばなかった。


彼は黒銀の右義手の指先をかすかに曲げ、指関節の機械音をカチリと鳴らした。


「言い残すことは、それだけか?」


クラウスのトーンは、どこまでもフラットであった。


怒りも、怒号も、哀しみすらない。


解体業者が、これから処理する解体対象(肉塊)の固定状態を確認しているかのような、無機質な作業者の声。


「レオンハルト。お前は俺の『価値』をずっと嘲笑っていたな。……後ろでコソコソと計算ばかりしている小賢しい裏方は、英雄の叙事詩にいらないと」


「そうだ! いらないんだよ! 戦う力も持たん無能が、天才である俺たちと対等なツラをして隣を歩いていたことが、反吐が出るほど胸糞悪かったんだよッ!」


「なら、見せてやる」


クラウスは冷徹に、己の胸の『共鳴・等価倍加の刻印』の回路を開放した。


ズクンッ、と。


空間に重厚な魔力共鳴波が走り、クラウスとエレノアの二人の全身から、黒と金の極低温の殺気が立ち上る。


「お前が『小賢しい計算』と切り捨てた刻印術が……お前のその自慢の肉体と、神聖剣『ルミナス』を、如何にして理詰めで粉砕するかをな」


クラウスの視界の中では、すでに戦闘の『数式』が完成していた。


彼の『解析の刻印』には、レオンハルトの纏う神聖魔力の流動と、聖剣『ルミナス』の構造特性が、透明な光の数値となって克明に可視化されていた。


(聖剣『ルミナス』――神聖属性・絶対切断特化型)


(能力:刃に接触したあらゆる物質の分子間結合を、聖導魔力で強制解離させ、抵抗ゼロで切断する。……一見すると完璧な絶対攻撃)


(だが……その構造原理は『エネルギーの力学的伝達』に依存している。刃が対象に触れた瞬間、切断と同時に『押し込む物理質量』が発生する)


クラウスは、自分の不吉な思考を推し進めた。


(レオンハルトは昔から、己の絶対的な攻撃力を過信し、防御や回避を一切考えない。剣を振り下ろす時、彼は自分の全体重と全身の筋力を、一のベクトルへ集中させて叩き込む癖がある)


(自分が相手を一方的に『切断する』側であり、その衝撃が自分へと返ってくる可能性を、彼の脳は一度たりとも考慮したことがないのだ)


「エレノア」


「はい、マスター」


エレノアが静かに一歩進み出た。彼女の背中から生えた四本の白銀の魔導アームが、広場を円形に取り囲むように展開され、周囲の空間に強大な「物理干渉結界」を形成していく。


民衆を巻き込まないためではない。


レオンハルトが激痛に耐えかねて逃げ出さないよう、この広場を逃げ場のない『密室の解体場』に変えるためであった。


「レオンハルトに対する『負債のパラメータ』を照合する」


クラウスの言葉に同期し、彼の胸とエレノアの胸の『共鳴刻印』が、同時に黄金の光を放った。


「対象――勇者レオンハルト」


「過失事象1――迷宮最深部における、不意打ちによる右手関節からの完全切断」


「行使された物理質量――切断衝撃力、約三千五百ニュートン。聖導切断魔力、約五千ユニット」


「過失事象2――倒れ伏す俺の左手に対する、靴底による意図的な踏み潰し」


「破砕被害――左手五本の指骨の完全粉砕、および全関節の可動域破壊」


「受容された激痛の閾値――ショック死レベルの痛覚。持続時間――十七分間」


クラウスの口から淡々と吐き出される、惨劇の記録。


レオンハルトは、その数値を聞いた瞬間、額に嫌な汗を滲ませた。


「な……何をぶつぶつと念仏を唱えていやがる……! ハタリ(ハタリ)と意味の分からん数値を並べおって!」


「意味なら、今からお前の肉体が理解することになる」


クラウスは黒銀の右義手を静かに前に突き出した。


義手の手のひらが開かれ、中央の刻印ノードが怪しく発光する。


「等価倍加の法則に従い、返却パラメータを決定する」


「入力された全攻撃エネルギーを、保存・二倍化」


「二倍の切断衝撃力――約七千ニュートン」


「二倍の聖導破壊魔力――約一万ユニット」


「返却対象――レオンハルトの右腕関節、肩甲骨、および背骨(脊椎骨格全体)」


計算の完了。


ご都合主義の奇跡などではない。レオンハルト自身が放つ「全力の殺意と物理量」を、そのまま二倍の過剰反動へと変換し、彼の骨格構造を内側から破砕する自滅のトラップ。


「死ねぇぇぇぇぇッ! 御託はあの世で言えぇぇぇッ!」


レオンハルトの耐性が限界を迎えた。


彼は地響きを立てて石畳を蹴ると、音速を超える踏み込みでクラウスへと肉薄した。


ドガァァァンッ!


脚力によって跳ね上げられた石畳の破片が空中ではじけ飛び、レオンハルトの身構える聖剣『ルミナス』が、太陽の光を吸い込んで巨大な黄金の刃へと化す。


一撃で巨大な城門をも縦真っ二つにする、勇者の必殺剣撃――『聖光・神威断ち(ルミナス・スラッシュ)』!


レオンハルトの顔には、勝ち誇った狂笑が貼りついていた。


(死ね! 死ね死ね死ねぇッ! どれほど不気味な術式を使おうが、この『ルミナス』の絶対切断の前に触れれば、お前のその不快な義手ごと一瞬で微塵切りだぁぁぁッ!)


レオンハルトは全身の筋力を絞り出し、体重の全質量を乗せて、クラウスの首元を目がけて聖剣を振り下ろした。


最速。最強。一切の加減のない、殺意一〇〇パーセントの斬撃。


しかし――。


クラウスは、避けない。


黒銀の右義手を、ただまっすぐに、振り下ろされる『ルミナス』の刃の軌道上へと差し出した。


「もらったぁぁぁぁぁッ!」


レオンハルトの叫びと同時に、神聖なる黄金の刃が、クラウスの黒銀の義手へと激突した。


――ガギィィィィィィィィィィィンッ!!!!!!!!


王都全体を激震させるほどの、凄まじい金属打撃音が空間を爆裂させた。


衝撃波が全方位へ吹き荒れ、広場に散らばっていた瓦礫が一瞬で粉々に吹き飛ばされる。周囲で見守っていた民衆たちが、悲鳴を上げて耳を塞ぎ、地面へひれ伏した。


レオンハルトは、勝利を確信してニヤリと口角を上げた。


(切った! 手応えがあった! あの小生意気な義手を切り落とし――)


――しかし。


彼の狂喜は、僅か〇・一秒後に訪れた「あり得ざる現象」によって、凍りついた。


クラウスの黒銀の義手は、切れていなかった。


傷一つ、ついていなかったのだ。


聖剣『ルミナス』の「絶対切断」の刃が、クラウスの義手の表面に刻まれた『等価倍加の刻印』の直前で、ピタリと、一ミリの微動だにせず完全に停止していた。


「な……に……!?」


レオンハルトの瞳孔が、驚愕で限界まで見開かれた。


あり得ない。抵抗ゼロでいかなる物質をも切断するはずの『ルミナス』が、完全に『受け止められた』のだ。


それだけではない。


クラウスの義手の表面から、黒と金の禍々しい稲妻が走り、聖剣『ルミナス』の刃全体へと侵入していった。


発動――『共鳴・等価倍加の刻印』。


(入力エネルギー受容:レオンハルトの全筋力による打撃力、三千五百ニュートン。聖剣ルミナスの聖導切断魔力、五千ユニット)


(対価設定:第1話にてクラウスの右腕が切断された際の衝撃および激痛)


(コンバート――入力数値を完全保存。二倍の物理質量および反動魔力へ反転再構築)


クラウスの冷徹な思考の中で、計算の歯車が噛み合った。


レオンハルトが放った三千五百ニュートンの打撃力と五千ユニットの魔力。


それらが、クラウスの義手を通過した瞬間――『七千ニュートンの物理衝撃』と『一万ユニットの過剰魔力』へと膨れ上がった。


そして。


行く手を塞がれたその二倍の莫大な破滅エネルギーは、逃げ場を求めて、刃の接触面から――それを持っていたレオンハルト自身の『右腕』と『聖剣ルミナス』へと、一気に逆流を開始した。


「え……?」


レオンハルトの口から、間抜けな声が漏れた。


彼が気付いた時には、すでに手遅れであった。


彼が全体重を乗せて振り下ろした聖剣『ルミナス』の柄を通じて、彼自身が放った攻撃の「二倍の威力」が、津波となって彼の右手に叩きつけられたのだ。


――ミシッ。


最初に悲鳴を上げたのは、レオンハルトの右手首の骨であった。


彼が握りしめていた『ルミナス』の柄が、二倍に膨れ上がった衝撃に耐え切れず、逆にレオンハルトの手のひらを強烈に押し返したのだ。


バキキキッ!


「アッ……!?」


レオンハルトの右手首の関節が、あり得ない方向――背手側へと九十度逆折れした。


手首の舟状骨と月状骨が、二倍の圧力を受けて内部で粉々に粉砕される音が響く。


しかし、それは悲劇の「序章」に過ぎなかった。


逆流する七千ニュートンの物理衝撃と一万ユニットの過剰魔力は、止まらない。


折れた手首を突き破り、そのままレオンハルトの右前腕の尺骨(しゃっこつ)と橈骨(とうこつ)へ、そして肘関節へと一気に駆け上がっていった。


――バギィィィィィィィィィッッッ!!!!


「ギャアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!????」


王都中央広場に、惨絶極まるレオンハルトの叫び声が轟き渡った。


彼の白銀の神聖鎧の右腕部分が、内側からの絶大な圧力に耐えかねて、ブリキ缶のように外側へと弾け飛んだ。


鎧の破片が全方位へ飛散すると同時に、レオンハルトの右腕の皮膚がミチミチと裂け、内部の太い筋肉組織と上腕二頭筋が、内側から爆破されたようにドロドロの肉片となって弾け飛んだ。


右肘の関節は完全に粉砕脱臼し、白く鋭い上腕骨の断面が、引き裂かれた肉を突き破って外へと飛び出した。


「腕がぁぁぁッ! 私の右腕がぁぁぁぁぁっ!?」


レオンハルトは、激痛で泡を吹きながら、左手で壊れた右腕を抱え込もうとした。


だが、クラウスの仕掛けた自滅のロジックは、右腕だけで留まるような生ぬるいものではなかった。


二倍に増幅された七千ニュートンの物理衝撃は、右肩の肩甲骨を粉砕しながら、そのままレオンハルトの体幹――『背骨(脊椎骨格)』へと到達していた。


レオンハルトが、剣を全力で振り下ろすために背筋を限界まで緊張させていたことが、最悪の仇となった。


緊張し切った彼の背骨に向かって、二倍の衝撃波が一直線に突き抜けたのだ。


――ドガァァァァァンッ!!!!


――ボキボキボキボキボキボキッッッッ!!!!!


「グガッ……カハッ……あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?!?」


レオンハルトの身体が、人間ではあり得ない角で「くの字」に逆折れした。


彼の胸椎から腰椎に至るまで、十数本の背骨の節が、二倍の衝撃によって一瞬で押し潰され、粉々に破砕されたのだ。


粉砕された背骨の破片が、内部の太い脊髄神経をズタズタに引き裂き、切断していく。


レオンハルトの白銀の甲冑の背中部分が隆起し、破れた鉄板の隙間から、大量の血液と破砕された骨髄の液体が吹き出した。


ドサッ……!


レオンハルトの身体は、崩れるように石畳の上に転がった。


彼の腰から下の感覚は、脊髄神経の完全切断によって一瞬で消失した。


そして、右腕は肩口から肉と骨が破裂してブラブラと皮一枚で繋がっているだけの惨状。


レオンハルトの手から力なく零れ落ちた聖剣『ルミナス』が、虚しく石畳の上でカランと高い音を立てて転がった。


わずか一撃。


レオンハルトが放った全開の「絶対切断」の攻撃そのものが、クラウスの『等価倍加の刻印』によって二倍の過剰反動へと変換され、彼自身の右腕と背骨を完膚なきまでに打ち砕いたのだ。


地獄のような静寂が、再び広場を支配した。


転がり、血の海の中で「ヒゅー……ヒゅー……」と泡を吐いて呻く勇者レオンハルトの姿を、数万の民衆が、ただ呆然と見つめていた。


クラウスは、壊れた右腕と背骨を抱えて悶絶するレオンハルトの前に、静かに歩み寄った。


黒銀の義足が、血の池を踏みしめ、重い金属音を奏でる。


「第一撃だ、レオンハルト」


クラウスの冷徹な声が、横たわるレオンハルトの耳に落ちた。


「お前が放った全開の斬撃の……二倍の衝撃だ。……お前の誇る右腕と、お前の体を支える背骨の居心地は……どうだ?」


レオンハルトは血塗られた眼球を落とし、失われた自分の右腕と、動かなくなった下半身を見つめた。


恐怖と激痛。そして、己の全開の攻撃がそのまま自分を破壊したという、理解を超えた惨絶なる現実。


彼の「光の勇者」としての誇りと肉体は、この瞬間に完璧に、そして二度と立ち上がれぬレベルで解体されたのだった。


石畳に広がるのは、もはや神聖な英雄の返り血ではなかった。


己が放った全開の切断攻撃『聖光・神威断ち』がそのまま「二倍の過剰反動」となって跳ね返り、右腕を肩口から爆砕され、背骨を砕かれて下半身不随となった勇者レオンハルトの、醜悪な朱色の血液と骨髄の混ざり合った池であった。


「ヒぃぃ……っ、アぁぁぁ……ッ! あ、足が……! 俺の脚が動かん……! 感覚がないぃぃぃッ!」


レオンハルトは、血とドロドロの肉片で汚れた顔を石畳に擦り付け、残された左手の指を必死に動かして地を這おうとした。


しかし、胸椎と腰椎の節々が七千ニュートンの二倍衝撃で粉々に破砕され、太い脊髄神経がズタズタに切断された彼の肉体は、腰から下が完全に「死んだ肉の塊」と化していた。いくら脳から信号を送ろうとも、麻痺した足先はピクリとも動かない。


彼が今まで見下してきた者たち――四肢を奪われ、這い回ることしかできなかった者たちの惨状を、今度は彼自身が、己の肉体をもって寸分違わず体験していた。


「なぜだ……! なぜなんだクラウスぅぅぅッ! 俺は勇者だぞ!? 神に選ばれた人間なんだぞ! なぜお前のような、ただの補助職の虫ケラに、俺がこんな目に遭わされなきゃならんのだぁぁぁッ!」


レオンハルトの叫びは、もはや威厳など欠片もない、惨めな敗北者の悲鳴であった。


だが、クラウスの歩みは止まらない。


重厚な黒銀の義足が、ズン……ズン……と静かな重音を響かせ、逃げ場のないレオンハルトの真横へと到達する。


クラウスの影が、地に這いつくばる英雄の体をすっぽりと覆い隠した。


「まだ……終わっていないぞ、レオンハルト」


クラウスの声には、怒りも、仇を討った達成感すらも存在しなかった。


ただ、あらかじめ設定された計算手順(タスク)を、狂いなく一つずつ消化していく冷酷な事務処理の響き。


「お前に残された負債の回収だ。……『第一話・迷宮最深部』における、お前の第二の過失事象」


「な……なにを……何を言っているんだお前はぁっ!?」


「忘れたとは言わせない」


クラウスの黒銀の右義手が、胸の『共鳴・等価倍加の刻印』の光を受けて、重々しい励起音を上げた。


「お前はあの祭壇の上で、奈落へ蹴り落とす直前……倒れ伏す俺の左手を、その甲冑の靴底で容赦なく踏み潰したな」


レオンハルトの全身の毛穴から、ヒヤリとした死の冷汗が噴き出した。


三年前のあの日。


右腕を切り落とし、両脚を焼き溶かされ、セレスティアの『超感覚祝福』で激痛を百倍に増幅されて悶絶するクラウスに対し、レオンハルトが最後のあがきとして差し出された左手に重い靴を乗せ、嘲笑いながら五本の指の骨をひとつ残らず踏み砕いた、あの瞬間。


「お前は言ったな……『滑稽だったぜ、裏で俺たちが嘲笑っているとも知らずに、必死ってみんなを守るんだって設計図を描いていたお前の姿はよ』と」


「や……やめろ……! やめてくれクラウス! 冗談だ! あれはただの冗談だったんだよ! 悪気があったわけじゃないんだぁぁぁっ!」


レオンハルトの口から漏れ出るのは、反吐が出るほど浅ましい自己弁護であった。


だが、クラウスの思考の中に「感情による容赦」という項目は存在しない。


「パラメータ受容――左手五本の指骨および手根骨の完全破砕」


「受容された物理圧力――約八百キログラム相当の踏み潰し質量」


「変換――『二倍の物理破壊力』へ再構築」


「目標――レオンハルトの残された左手、および左腕全体の骨格組織」


クラウスは、静かに右の黒銀の義足を持ち上げた。


義足の靴底には、過剰な重圧を均一に死点へと集中させる『等価倍加の幾何学刻印』が、黒と金の二色で恐ろしい密度で刻み込まれていた。


「やめろぉぉぉぉぉッ! 俺の左手まで奪うな! 頼む! 命だけは! 命だけは助けてくれぇぇぇっ!」


地を這い、惨めに命乞いをする勇者。


王都中央大広場を取り囲む数万の民衆は、かつて崇めた英雄のそのあまりにも醜悪な姿を、ただ無言で見つめていた。誰一人として彼を擁護する者はいない。誰もが、裏切られた怒りと、自業自得の報いに対する冷ややかな沈黙を守っていた。


そして――。


クラウスの黒銀の義足が、レオンハルトの地についた左手の上へと、容赦なく振り下ろされた。


――ドガァァァァァァァァンッ!!!!!!!!


凄絶極まりない、肉と骨の破砕音が響き渡った。


ただの人間の脚による踏みつけではない。第1話でクラウスの指骨を砕いた質量の「二倍」――一千六百キログラム相当の高密度打撃圧力が、レオンハルトの左手へと垂直に叩き込まれたのだ。


バキバキバキバキバキバキッッッッ!!!!!


「ギァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!????」


レオンハルトの左手の五本の指、手のひらの手根骨、そして手首の骨が、二倍の圧力に耐えかねて、まるで潰れた指人形のように一瞬で肉のペーストへと押し潰された。


押し潰された指の隙間から、紫色の血液と砕けた骨の小片が、ブシュッと勢いよく四方に飛び散る。


それだけでは終わらない。


二倍に跳ね上がった打撃の衝撃波が、押し潰された手のひらを経由して、レオンハルトの左前腕から上腕、そして左肩へと一直線に駆け上がっていった。


ズバババババッ!


レオンハルトの左腕の皮膚がミチミチと不気味な音を立てて裂け、内部の橈骨と尺骨が長手方向に真っ二つに裂けて肉を突き破った。


左肘の関節は完全に粉砕脱臼し、逆方向へとへにゃりと折れ曲がる。


右腕はすでに肩口から爆砕し、左腕もまた指先から肩まで完膚なきまでに叩き潰された。


両腕を失い、背骨を砕かれ、下半身の感覚を喪失した男。


王都のど真ん中で、泥と自分の血液に塗れて転がるレオンハルトの姿は、もはや「人間」の形すら維持していなかった。ただの、潰れた赤黒い肉の塊。


「ひぐっ……あ……っ……あぁぁぁぁ……っ」


レオンハルトの口から、泡混じりの血が溢れ出る。


両腕を失ったことで、彼は地を這うことすらできなくなった。


胸を床に押し付け、ピクピクと身体を痙攣させながら、涙と鼻水でグチャグチャになった瞳でクラウスを見上げる。


その瞳に宿っていたのは、かつての傲慢さでも、英雄の誇りでもない。


底知れぬ「恐怖」と「絶望」だけであった。


「……計算完了だ」


クラウスは冷たく呟き、黒銀の義足を引いた。


義足の底に付着したレオンハルトの血と肉片が、ポタポタと石畳へ落ちる。


「レオンハルト。お前が俺から奪った右腕と、左手の骨、そして俺に与えた激痛……すべて二倍の対価として回収した」


「あ……あぁぁ……っ……殺し……て……殺してくれぇぇぇ……っ」


レオンハルトは、意識を保たされる拷問の激痛に耐えかね、掠れた声で惨めに死を請うた。


しかし――クラウスは首を横に振った。


「殺さない。……お前はこれから、その動かない体と、失われた両腕を抱えて、お前が裏切った民衆の蔑みの視線の中で生きていくんだ」


クラウスは冷酷に言い放ち、レオンハルトの足元に転がっていた聖剣『ルミナス』を、黒銀の右義手で踏みつけにした。


バキンッ!


神聖帝国の象徴であり、絶対切断を誇った至高の聖剣『ルミナス』の刃が、クラウスの『等価倍加』の過剰圧力によって、ガラスのように儚く粉々に砕け散った。


黄金の光芒が霧散し、ただの錆びた鉄くずとなって広場へと散らばる。


レオンハルトの最後の心の拠り所すらも、完全に破壊されたのだ。


「あぁぁぁぁぁ……っ……私の……私のルミナスがぁぁぁぁ……っ」


レオンハルトの瞳から完全に知性の光が消え去り、彼は壊れた人形のように喉を鳴らして、ただ泥を啜りながら泣き叫ぶことしかできなくなった。


『破滅の戴冠式』。


偽りの英雄が被っていた金ピカの王冠が剥がされ、その頭上に叩きつけられたのは、永遠に消えることのない「詐欺師と残虐者の刻印」であった。


その惨劇の最中。


クラウスの身体を、猛烈な「反動の熱量」が襲った。


ズクンッ! ズクンッ!


レオンハルトの攻撃を二倍にして送還し、彼の左手を一千六百キログラムの質量で破砕した際の対価――クラウスの魂と精神に跳ね返ってくる過酷な物理負荷と激痛の波動。


クラウスの右肩の義手接合部から、プシューッと激しい黒い蒸気が吹き出し、彼の視界が一瞬、激痛で真っ白に染まりかけた。


身体の全筋肉が悲鳴を上げ、心臓が爆発せんばかりに不快な脈動を打つ。


だが――。


クラウスが崩れ落ちるより早く、背後から温かい体がそっと寄り添ってきた。


「マスター……っ!」


銀髪の少女・エレノアだった。


彼女は背中の四本の魔導アームでクラウスの体を優しく包み込み、自らの胸を、クラウスの胸の『共鳴・等価倍加の刻印』へと強く押し当てた。


――ジュウウウウウウウウッ!


ふたりの胸の傷口と刻印が重なり合い、黒と金の不吉な稲妻が爆発する。


クラウスの魂に押し寄せていた過酷な物理負荷と激痛の「半分」が、共有回路を通じて、一気にエレノアの体内へと流れ込んでいった。


「っ……あ……ぁぁぁぁっ……!」


エレノアの口から、甘く激しい悲鳴が漏れ出た。


彼女の白く細い身体が激しく痙攣し、銀髪から溢れ出る汗が、クラウスのコートの胸元を濡らしていく。


彼女の皮膚の表面に、クラウスの痛みと同期した黒い紋様が浮き上がり、彼女の背中の魔導アームが、痛みの昂ぶりによってキィンキィンと高い共鳴音を上げた。


しかし――。


エレノアの銀色の瞳に宿っていたのは、深い快楽と、狂信的なまでの「依存」であった。


彼女はクラウスの首に手を回し、爪が食い込むほど強く彼を抱きしめながら、彼の耳元で熱っぽい息を吹きかけた。


「あぁ……マスター……っ! すごいです……! レオンハルトの腕と背骨を砕いた……二倍の衝撃が……私の中に響いています……っ!」


「エレノア……平気か」


「はい……っ! 平気どころか……嬉しいです……! あなたが背負うべき絶望を……私が半分引き受けている……! 私は……あなたの身代わりの肉体……あなたの愛する刃です……!」


彼女の狂気的な微笑み。


セレスティアによる人体実験で自我を砕かれ、痛覚と存在意義を異常結合させられた少女。


彼女にとって、クラウスから与えられるこの二倍の激痛こそが、自らが生きている証であり、暗闇の中で手に入れた唯一の「愛」であった。


ふたりの共鳴回路がさらに固く結びつき、流れ込んできたレオンハルトの過剰魔力と絶望の残滓が、完全に精製(クリーン)されて、クラウスの黒銀の義肢とエレノアの古代魔力炉へと吸収されていく。


クラウスの義手と義足の表面が、吸い上げた魔力によって一層引き締まり、より精緻で強大な「殺戮機構」へと進化を遂げた。


「よし……」


クラウスはエレノアの体を支え直し、静かに息を整えた。


第二の復讐――勇者レオンハルトの社会的・肉体的徹底解体は、ここに完全なる成功を収めたのだ。


その時であった。


広場の端、瓦礫の陰から、惨めな這いずる音が聞こえてきた。


ズルッ……ズルッ……。


それは、レオンハルトに見捨てられ、腹を蹴られて血を吐いていた聖女セレスティアであった。


彼女は泥と涙と化粧崩れでぐちゃぐちゃになった顔を上げ、四つん這いになりながら、必死に大広場からの脱出を試みていた。


かつて神聖帝国の誰もが崇め奉り、可憐な笑顔で民衆を魅了した「聖母の再来」。


その現在の姿は、自分が犯してきた罪の露見に怯え、仲間を売って逃げ出そうとする、みすぼらしい害虫そのものであった。


「ひぃっ……ひぃっ……! 逃げなきゃ……! 教皇様のもとへ……教皇庁の地下へ逃げ込めば……私は助かるわ……!」


セレスティアは爪を割らせながら、血の滲む手で石畳を這い進む。


しかし――。


その頭上に、巨大な冷たい影が落とされた。


シャキィンッ!


空気を切り裂く音と共に、エレノアの背中から伸ばされた一本の白銀の魔導アームが、セレスティアの目の前の石畳に突き刺さった。


ズドンッ!


石の破片が跳ね上がり、セレスティアの顔に直撃する。


「キャアアアアアアアッ!?」


セレスティアは悲鳴を上げて尻餅をつき、惨めに抱きかかえるように自分の身を丸めた。


ゆっくりと振り向いた彼女の瞳に映ったのは――。


両腕を破砕され、泥の中で泡を吹くレオンハルトの惨状を超えて、自分に向かって歩み寄ってくるクラウスとエレノアの姿であった。


クラウスの黒い瞳が、極低温の殺意を宿して、セレスティアを見下ろしていた。


「どこへ行く……? セレスティア」


クラウスの声が、逃げ場のない死の宣告として、セレスティアの脳髄へ落ちていく。


「ひいぃぃぃぃぃっ! 来ないで! 来ないでちょうだい悪魔ぁっ!」


セレスティアは叫び、なりふり構わず着ていた聖衣の裾をかき乱しながら、後ずさった。


「私は聖女よ! 教皇様の愛娘なのよ! 私を傷つければ……神聖帝国全体が黙っていませんわ! 教皇庁の全戦力が……あなたたちを八裂きにしますわぁっ!」


「教皇庁……?」


クラウスの口元に、冷酷な嘲笑が浮かんだ。


「安心しろ。……お前を解体した後は、お前が頼りにしている教皇庁そのものへ出向く。……生贄の儀式で成り立っていたこの偽りの王国のシステムを、根底から『二倍の呪い』で破滅させてやる」


クラウスは黒銀の右手で、内ポケットから最後に残された数枚の羊皮紙――『セレスティアの生体実験手記の原本』を取り出し、セレスティアの目の前でひらひらと揺らした。


「教皇庁へ行く前に……まずはお前だ、セレスティア」


クラウスの視線が、セレスティアの美しい顔面と、彼女の白く細い指先へと向けられる。


「お前が孤児たちに行ってきた凄惨な生体実験……そして、俺の神経の伝達効率を百倍に跳ね上げ、激痛で発狂させようとしたあの『超感覚祝福』……」


クラウスの胸の『共鳴・等価倍加の刻印』が、今までにないほど禍々しく、黒と金の二色で激しく発光した。


「お前が他人に与えてきたすべての苦痛と……俺に与えた百倍の激痛……。そのすべてを『二倍の知覚過敏』にして、お前自身の脳髄と神経へ、直接叩き込んでやる」


「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! 助けて! 誰か助けてぇぇぇぇぇっ!」


王都中央大広場に響き渡る、第三の裏切り者・聖女セレスティアの惨めな狂乱の叫び。


民衆の冷酷な見下しの視線の中で、最後の報復の対象であるセレスティアへの報復が、静かに始まろうとしていた。

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