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虚飾の勇者たちへ二倍の死を:追放された刻印術士の惨虐なる復讐  作者: solune


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第4話:『二倍の激痛、二倍の叫び』

『結界制御の間』の床を濡らすのは、破裂した『アニマ・レンズ』から漏れ出した青い防壁用薬液と、大魔導師カイ・フォン・ローゼンバーグの右腕から噴き出した朱色の血液であった。


二つの液体が混ざり合い、異臭を放つ斑模様の池を作っている。


「ひっ……ふぐっ……あ……っ」


カイは、自慢の白銀の礼服を泥と血で汚しながら、ひんやりとした石畳に顔を擦り付けていた。


右手の指先は、過剰な反動の魔力によって「硬直死着」した『プロメテウスの骨』の柄に力なく固着したままだ。腕の皮膚の下を覗けば、破裂した静脈や動脈の血腫が黒紫色の大きな瘤(こぶ)となって蠢き、神経の破片が肉を突き破りそうに引きつっていた。


だが、今の彼を死ぬほどの恐怖へ突き落としていたのは、肉体の痛みではない。


目の前に立つ二人の姿――死んだはずの支援術士クラウスと、破棄されたはずの異形の実験体エレノアであった。


「く……クラウス……頼む……待ってくれ……!」


カイは必死の思いで、血と唾液に塗れた顔を上げた。眼鏡は砕け飛び、彼の細い瞳は極度のパニックで充血し、瞳孔が豆粒のように収縮していた。


「誤解だ……! これは誤解なんだクラウス! あの時、迷宮の最深部で君を祭壇に捧げたのは、私のアドバイスではない! すべて……すべてレオンハルトとセレスティアが言い出したことなんだ! 私は……私はただ、二人の指示に従って、パーティの魔術師としての『役割』を果たしただけに過ぎない!」


カイの口から漏れ出るのは、惨めなまでの自己保身と言い訳であった。


論理と効率の天才と持て囃された男が、死を眼前に突きつけられた瞬間、己の尊厳を投げ打ち、かつての「仲間」へすべての罪を押し付け始めたのだ。


「私を殺しても、君の損害は回復しない! 論理的ではないだろう!? 私は帝国魔導院の教授だ! 私を生かして協力させれば、君の失われた手足を治すための最高峰の生体魔術理論を提供する! 私の知識と君の刻印術を合わせれば、世界だって手に入るんだぞ! だから……!」


必死に命乞いを叫ぶカイ。


だが、クラウスは微動だにしなかった。黒銀の義手を防寒コートのポケットに突っ込んだまま、まるで路傍に転がる害虫の羽虫の不快な足掻きを観察するかのような、平坦な瞳でカイを見下ろしていた。


「相変わらずだな、カイ」


クラウスの低く冷たい声が、破滅した室内に響いた。


「お前はいつだって、自分にとって都合の良い『論理』だけをこねくり回す。己が他人に与えた苦痛や尊厳の踏みにじりは『必要なプロセス』として正当化し、自分が追い詰められた時だけ『損得勘定の合理』を盾にする」


「く……っ!」


「俺の手足を治す生体魔術理論……? クク……ハハハッ!」


クラウスは短く、氷のように冷ややかに笑った。


「必要ない。この黒銀の義肢と、エレノアと共に組み上げた『共鳴回路』……これこそがお前たちの狂気と罪を体現する、世界で最も美しく完璧な義体だ。……お前が安っぽい言葉で提案する救いなど、泥ほどの価値もない」


クラウスは黒銀の義足を一歩踏み出した。


ガコンッ、という重厚な金属音がカイの耳腔を打つ。


「カイ。お前はあの日、俺に言ったな。……『戦闘のたびに効率だの魔力配分だのと偉そうに指示を出して、才能のない補助職の分際で同格のつもりでいたのが不快だった』と」


「そ、それは……口が滑っただけで……!」


「いいや、あれこそがお前の『本音』だ。お前は自分の優秀さを誇示するために、誰かを足元に踏みつけにしておく必要があった。……だからこそ、俺はお前のその誇り高き頭脳と肉体を、お前自身が誇っていた魔術理論のデータに従って……完全に解体する」


クラウスは残された左手をゆっくりと掲げ、己の胸の『共鳴・等価倍加の刻印』へ指先を滑らせた。


黒と金の幾何学模様が、呼吸するように不気味に明滅を始める。


「さあ……取り立ての時間だ」


「エレノア」


「はい、マスター」


エレノアが静かに一歩前に出た。彼女の背中から展開された四本の魔導アームが、カイを囲むように空間を塞ぎ、逃げ場を完全に遮断する。アームの先端から放射される青い魔術磁界が、室内の空気を重密な高圧空間へと変えていった。


「お前に、あの日俺がカイから受領した『負債』のデータを読み上げてやろう」


クラウスの言葉と共に、胸の刻印から放たれた黒い魔力光線が、ホログラムのように空間に幾何学数式を描き出した。


「入力対象――魔導師カイ・フォン・ローゼンバーグ」


「行使された魔術――『熱収縮の魔炎』」


「行使時の魔力密度――千二百ユニット。火炎温度――推定千二百度」


「生理被害――両脚膝下組織の完全炭化。皮下脂肪の煮沸による肥大破裂。知覚神経伝達物質の熱凝固。血栓強制形成による失血死防止(拷問維持のための意図的処理)」


「受容された激痛の閾値――ショック死可能範囲の三・五倍。持続時間――四分十秒」


正確極まる数値の羅列。


クラウスは、自分自身の身体が灼き溶かされていたあの地獄の四分十秒間、絶望で狂うこともなく、己の頭脳の中にその全ての「熱量」「組織破壊速度」「痛みの波動」を克明に記憶・保存していたのだ。


カイは、その数値の羅列を目にした瞬間、全身の毛穴から血の混ざった汗を噴き出させた。


(バカな……! なんだあの精度は……!? 私が使った魔術のパラメータを……完璧に保存していたというのか!? あんな激痛の中で……意識を保てるはずがないのに……!)


「これらが、俺のお前に対する『初期投資』だ」


クラウスは冷徹に告げた。


「等価倍加の法則に従い、返却されるパラメータを再設定する」


「火炎温度――千二百度から『二千四百度』へ拡張」


「魔力圧力――『二倍の物理収縮圧力』へ変換」


「破壊対象――お前の両脚、および両腕の筋肉・血管・骨組織」


「な……にを……言っている……? 二千四百度……二倍の収縮圧力……!?」


カイの顔が絶望で歪んだ。


魔法学の教授であるカイには、その数値が何を意味するかが即座に理解できてしまった。


千二百度の熱は肉を焦がし、炭化させる。


しかし、二千四百度という熱量は――肉体の中の水分を一瞬で蒸気爆発させ、骨の主要成分であるカルシウムを溶融・ガラス化させ、肉体を内側から「沸騰する圧力釜」に変えてしまう領域の温度だった。


しかもそこに「二倍の物理収縮圧力」が加わる。


熱で膨張しようとする細胞と、外側から二倍の力で締め上げようとする魔術収縮が、カイの肉体の内側で壊滅的な「力学的干渉」を引き起こす。


「やめろ……! やめてくれクラウス! そんなことをされたら……私の体は……私の肉体は……っ!」


「安心しろ、カイ。お前が俺にしたように……失血死やショック死で逃げられないよう、神経の伝達を『等価倍加』の力で死の直前まで強制的に固定してやる」


「ひいぃぃぃぃぃっ!!」


カイは狂乱し、固着した右手の『プロメテウスの骨』を左手で抱え込み、残された全魔力を暴走させてクラウスへ撃ち込もうとした。


「死ね! 死ねぇぇぇッ! 『極大氷結弾』ぁぁぁッ!」


熱に対抗しようと、カイが咄嗟に選択したのは極低温の氷結魔術だった。


しかし――それこそが最悪の悪手であった。


彼が手放せなくなっている『プロメテウスの骨』は、すでにクラウスの仕掛けたバグによって「入力された魔力を二倍の過剰反動へ変換する導火線」と化していたのだ。


カイが放とうとした氷結魔術の魔力が、杖に吸い込まれた瞬間。


――チリッ!


『共鳴・等価倍加の刻印』が黒く光り、カイの体内に眠るすべての魔力回路の優先権(イニシアチブ)を奪い取った。


「変換開始(コンバート)」


クラウスが呟く。


カイが放とうとした氷結魔術のエネルギーは、瞬時に構造を組み替えられ、クラウスが設定した『二千四百度の二倍熱収縮魔炎』の触媒へと書き換えられた。


そして、逃げ場を失ったその惨虐なるエネルギーは、カイの手に固着した『プロメテウスの骨』を経由して――カイ自身の「両脚」と「両腕」の魔力経路へと、一気に逆流・侵入していった。


――ジュッ。


それは、拍子抜けするほど静かな音だった。


カイの両脚の太ももから下、そして左腕の皮膚が、一瞬にして不気味な黒紫色に変色した。


「……え……?」


カイの口から、呆然とした声が漏れた。


痛みが来ない。


二千四百度という超高熱が体内に侵入した最初の〇・一秒、あまりの熱量に知覚神経の末端が物理的に一瞬で消失したため、脳へ痛みの信号が届くのが僅かに遅延したのだ。


だが――その直後。


カイの肉体の内部で、物理法則の悪夢が爆発した。


細胞内の水分が二千四百度の過熱によって一瞬で気化し、体積が千数百倍へと膨張しようとする。


しかし、同時に術式の『二倍の熱収縮圧力』が、カイの皮膚と筋肉組織を、まるで強靭な油圧プレス機のように外側から激しく締め上げた。


膨張しようとする細胞の圧力と、外側から押し潰す魔術の圧力が、カイの筋肉の内部で激突した。


――ミシミシミシバキバキバキバキッッッッ!!!!!


「があぁぁぁ……あ……っ!? あガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!????」


カイの眼球が飛び出さんばかりに見開かれ、口から血の泡と沸騰した胃液が噴き出した。


言語を絶する。言葉という概念そのものを破壊するほどの激痛が、カイの全身の神経を突き抜けた。


彼の両脚の皮膚の下で、沸騰した血液と黄色い脂肪組織がグツグツと泡を立て、筋肉繊維がドロドロのスープのように溶けていく。


しかし、外側からの「二倍の収縮圧力」がそれを逃がさないため、行き場を失った熱と肉のスープが、骨の内部――髄腔(ずいくう)へと向かって逆流していった。


バギィッ! ボキィッ!


カイの大腿骨と脛骨が、内側から高圧の熱スープによって圧力破砕され、鋭い骨片となって肉を突き破り始めた。


「熱い……熱い熱い熱い熱いっ! 身体がっ! 私の中身が溶けるっ! 沸騰するぅぅぅぅっ!!」


カイは床の上でのた打ち回り、自分の両脚を血塗られた左手でかきむしろうとした。


だが、触れた瞬間。


じゅわぁぁぁッ、という激しい音と共に、カイの左手の指の肉までが、二千四百度に加熱された自分の脚の熱によって焼き溶かされ、指骨が露出していった。


「ひぎぃぃっ! あぁぁぁっ! 助けて! 助けてくれセレスティア様! レオンハルト様ぁぁぁっ!」


かつてクラウスを「歩く電卓」と嘲笑い、冷酷にその脚を焼き溶かした天才魔導師が、今は自分の汚物と血の中で転がり、泣き叫び、自分を捨てた裏切り者たちの名前を狂ったように叫んでいた。


その凄惨極まる光景。


肉の焦げる強烈な臭いと、沸騰した血液の煙が部屋中に充満していく。


だが――クラウスの表情は、どこまでも冷ややかであった。


「……カイ。まだ『一分』しか経っていないぞ」


クラウスは黒銀の義手をカイに向けたまま、静かに告げた。


「俺が味わった時間は『四分十秒』だ。……お前にはその『二倍』……八分二十秒の時間を、この二千四百度の沸騰地獄の中で過ごしてもらう」


「あ……あぁぁぁぁぁ……っ! 殺して……! お願いだから殺してクラウスぇぇぇぇっ!!」


「殺さない。対価の回収が完了するまでは……絶対にお前を死なせない」


クラウスの胸の刻印が、黒い光を増す。


カイの肉体の中で、破壊と再生の悪夢のループが構築され始めていた。


二倍の熱量によって焼き溶かされる肉体と、それを死なせないために強引に止血し神経を繋ぎ止める『等価倍加』の呪縛。


その果てしない拷問の途上で。


クラウスの隣に立つエレノアが、ゆっくりと膝をついた。


「っ……ふあぁぁ……っ……!」


エレノアの口から、熱い吐息と、震える悲鳴が漏れ出た。


彼女の白く美しい胸元に刻まれた『共鳴刻印』が、黄金色に激しく発光している。


クラウスがカイへ『二倍の返却』を行っている反動――クラウスの魂に跳ね返ってくる過酷な熱痛と激痛の半分が、共鳴回路を通じてエレノアの肉体へと流れ込んでいたのだ。


エレノアの全身の皮膚が赤く蒸気し、彼女の銀髪が汗で額に張り付いていた。


彼女の背中の魔導アームが、痛みのあまりガチガチと激しく痙攣する。


しかし――。


エレノアの銀色の瞳に浮かんでいたのは、恐怖でも苦痛でもなかった。


それは、底知れぬ「恍惚」であった。


彼女は自分の胸を強く抱きしめ、爪が食い込むほど肉を握り締めながら、クラウスの足元を見上げ、熱っぽい瞳で囁いた。


「マスター……っ! 感じます……! あなたがあの日受けた痛みの……二倍の熱が……私の中に流れ込んできます……っ!」


「……耐えられるか、エレノア」


「はい……っ! 耐えるどころか……満たされています……! あなたと同じ痛みを……あなたの復讐の代償を……私が半分受け止めている……! あぁ……私を『人間』にしてくれて……ありがとうございます……マスター……!」


狂気と狂気が重なり合う。


復讐に魂を捧げた男と、その激痛を愛として受け入れる異形の少女。


ふたりの紡ぐ不吉な絆の足元で、破滅した魔導師カイの肉体が、いよいよ最終段階である「組織の完全破裂」へと向かって、内側から限界を超えて膨らみ始めていた。


『結界制御の間』の空気は、もはや沸騰した人間の脂と、焼け焦げたタンパク質の鼻を突く悪臭で完全に飽和していた。


空間を支配しているのは、規則正しい機械的な秒針の刻み――クラウスが黒銀の義手の指先から放つ、小さな魔導振動音だけだった。


チク、タク、チク、タク。


「二分四十秒経過。……目標の三分の一だぞ、カイ」


クラウスの冷徹な宣告が、絶叫の合間に落ちる。


「アッ……ガァァァァァァッ! あぁぁぁぁっ! 熱い! 熱い熱い熱い熱い熱い!! 私の中身が……足がぁぁっ!!」


石畳の上で転げ回るカイの姿は、もはや帝国内で「最も洗練された魔法理論の体現者」と謳われた大魔導師の面影など微塵もなかった。


彼の両脚は、大腿部から足首に至るまで、不気味な赤黒い肉の風船のように異常膨張していた。


二千四百度という超高熱によって、細胞内の水分が一瞬で水蒸気へと気化し、体積が千数百倍に膨れ上がろうとする物理現象。


しかし、同時にクラウスの術式による『二倍の物理収縮圧力』が、外側の皮膚と筋膜を巨大な鉄の締め具のように締め上げている。


内側からの超高圧蒸気エネルギーと、外側からの超高圧収縮力の激突。


逃げ場を失った熱量は、カイの太ももの皮膚を内側から透けさせるほど薄く引き延ばしていた。薄くなった皮膚の下で、沸騰した血液が泡立ち、ドロドロに溶けた黄色い脂肪組織と黒く焦げた筋繊維が、まるで火山鍋のようにグツグツと煮立った音を立てている。


「ヒッ……ヒガァァッ! 骨が……! 骨の中で……何か弾けてるぅぅぅっ!」


カイが白目を剥き、壊れた人形のように喉を鳴らす。


彼の言った通りだった。骨髄(こつずい)の内部に閉じ込められた血液と体液が二千四百度の熱で気化し、大腿骨の密質骨を内側から爆破していた。


パンッ! パンッ! という、竹を割るような鋭い破砕音が、カイの肉体の中から絶え間なく響く。


骨の破片が内側から肉を突き破り、薄く引き延ばされた皮膚の内側に突き刺さるたび、紫色の静脈網が浮き出た肉がボコボコと不気味に蠢いた。


普通ならば、この最初の三十秒で肉体は死に至り、意識は永久の闇へ落ちているはずだ。


だが、それを許さないのが胸の『等価倍加の刻印』であった。


クラウスの血と怨念が紡ぎ出した呪法回路は、カイの脳幹にへばりつき、どれほど激痛の閾値(いきち)を超えようとも、彼の意識を力ずくで「覚醒状態」へと繋ぎ止め続けていた。


心臓は激しい拒絶反応で毎分二百回以上の異常脈動を打ち、血圧は破滅的な数値まで跳ね上がっているが、血管が途中で破裂してショック死しないよう、黒い呪術の糸が彼の循環器系を強制補強していた。


逃げられない。


気絶することも、狂うことも、死ぬことすらも。


カイは、自分がかつてクラウスに与えた拷問の「二倍の精度」で組み上げられた理詰めの地獄を、意識を極限まで研ぎ澄まされた状態で直視し続けなければならなかった。


「四分十秒経過。……かつて俺が、お前たちの足元で地獄を味わっていた時間だ」


クラウスが冷酷にカウントを告げ、黒銀の義足を一歩進めた。


カイの顔の目と鼻の先で、冷たい金属の足音があがる。


「ひぐっ……あ……っ……クラ……ウス……っ」


カイは涙と血と鼻水でグチャグチャになった顔を上げ、濁った瞳でクラウスを見上げた。言葉を発する舌すらも、体内の熱で半分焼け焦げ、口腔内で不気味に腫れ上がっていた。


「許……し……て……っ……私……が……間違……って……い……た……っ」


「いいや、お前は間違っていなかった」


クラウスの口元に、氷のような笑みが浮かぶ。


「お前はいつだって『正しかった』。能力のない奴を切り捨て、才能のある自分だけが生き残る。それがお前の信じる世界の理組みだったはずだ。……だから俺も、お前のその理組みを尊重している。お前より遥かに巨大な力を手に入れた俺が、能力で劣るお前を理詰めで解体する。……お前の大好きな『効率と論理』そのものだろう?」


「ア……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」


絶望。


自分が今まで世界を支配してきた冷酷な理屈が、そのまま自分を破滅させる刃となって返ってきたことに対する、完全なる精神の解体。


カイの知性は、この瞬間に完全に崩壊した。


彼は言葉を失い、赤ん坊のように「あー! あー!」と不気味な悲鳴を上げながら、破裂寸前の自分の脚を力なく爪で引っ掻き回した。


そして――時間は、刻限の「八分二十秒」へ到達した。


「計算完了だ(チェックメイト)」


クラウスが呟いた。


チク、タク、……ピタリ。


振動音が止まった。


次の瞬間、カイの体内で拮抗していた「二千四百度の過剰熱圧力」と「二倍の物理収縮圧力」のバランスが、クラウスの術式解除によって一気に崩壊した。


外側から締め付けていた魔術の圧力が消え去り――内側に溜まりに溜まった、爆発的な過熱蒸気と沸騰した肉スープが一気に開放されたのだ。


――――ドドガァァァァァァァァァァァンッッッッ!!!!!!!!


凄惨という言葉すら生ぬるい、肉体爆砕(ブローアウト)の音が『結界制御の間』に響き渡った。


カイの両脚、および固着した魔導杖を抱え込んでいた左腕と左肩が、内側から一瞬で大爆発を起こした。


ドロドロに煮立った血液、黄色い脂肪の泡、粉々に吹き飛んだ大腿骨と膝関節の破片、そしてズタズタに引き裂かれた筋肉組織が、まるで高圧の榴弾が破裂したかのように、全方位へと飛散した。


天井へ、壁へ、そして壊れた『アニマ・レンズ』のガラス片へと、カイの肉体であったものが赤黒いペンキのようにベタリと叩きつけられる。


カイが手放せなくなっていた国宝級の魔導杖『プロメテウスの骨』もまた、爆発の衝撃と過熱魔力の逆流に耐え切れず、バキンッと凄まじい音を立てて木っ端微塵に砕け散った。


煙と血の霧が、室内に立ち込める。


爆風が収まった後、そこに横たわっていたのは――両脚を付け根から、左腕を肩口から完全に吹き飛ばされ、ただの歪な「胴体と右腕の残骸」と化したカイの姿であった。


彼の四肢の断面からは、焦げた肉と砕けた骨の髄が覗き、どくどくと赤黒い血が溢れ出していた。


「ヒっ……ガ……っ……あ……っ……」


カイは、まだ死んでいなかった。


『等価倍加の刻印』による生体維持の呪縛が、彼の心臓を最後の最後まで強制駆動させていたからだ。


四肢を一瞬で爆砕されたという衝撃と、失われた肉体の断面から吹き出す激痛。


カイの口からは、もはや叫び声すら出なかった。ただ「ひゅー……ひゅー……」という、潰れた気管から空気が漏れる不気味な音だけが漏れていた。


彼は、自分がもっとも愚弄していた補助職の術式によって、両脚と腕を奪われ、文字通り「生ける肉塊」へと成り下がったのだ。


その血の惨劇の中心で。


クラウスはゆっくりとカイの頭元へと歩み寄った。


黒銀の義足の靴底が、カイの飛び散った肉片を踏みしめ、重い音を立てる。


「第一の回収、完了だ」


クラウスは黒銀の右義手を差し出し、カイの胸元にそっと触れた。


カイの体内に残されていたすべての魔力、そして彼が最期に放出した絶望と激痛の残滓が、黒金の光となって『共鳴・等価倍加の刻印』の中へと吸い上げられていく。


カイの瞳から、最後の光が急速に失われていった。


ガクン。


カイの頭が力なく横へ倒れた。


瞳孔は完全に開き、二度と動くことはない。


帝国魔導院の至宝、天才大魔導師カイ・フォン・ローゼンバーグの、あまりにも残酷で、惨めな末路であった。


「……ふぅ……っ」


クラウスの口から、白く冷たい息が漏れる。


カイの魂と魔力を吸い上げたことで、クラウスの胸の刻印はさらに禍々しい輝きを増し、彼の身体を構成する黒銀の魔導義肢が、より一層深みのある黒へと変色していった。


その傍らで。


ずっと膝をついていたエレノアが、ゆっくりと立ち上がった。


彼女の白く美しい身体を包んでいた熱気が静かに収まり、彼女の銀髪がふわぐと揺れる。


彼女の胸の『共鳴刻印』もまた、カイの絶望を共有したことで、より深い黄金の輝きを宿していた。


「マスター……」


エレノアは血の海を歩み寄り、クラウスの黒銀の右手を、自分の両手で愛おしそうに包み込んだ。


「カイの生命反応……完全停止を確認しました。……彼の絶望と激痛……確かに私の中にも刻まれました」


「苦しかったか、エレノア」


クラウスが静かに尋ねる。


エレノアは、さっと首を振った。彼女の銀色の瞳には、一切の迷いも恐怖もなく、ただクラウスに対する深い愛着と狂気的な充足感が満ちていた。


「いいえ……。あなたと同じ痛みを味わえるなら……世界が滅びても、私は幸せです。……次へ行きましょう、マスター」


「ああ」


クラウスは首を縦に振り、壊れた『結界制御の間』の大窓へと視線を向けた。


その時。


カイの死と同時に、彼が命懸けで維持していた王都防衛結界が、内部から崩壊を始めた。


――パリィィィィィィンッ!!!!


王都アスタロトの上空を覆っていた巨大な光のドームが、ガラスが割れるような凄まじい音と共に、無数の光の破片となって夜空へと弾け散った。


光の雨が、王都全域へと降り注ぐ。


突然の結界崩壊と、上層にある『蒼穹の理』の最上階から上がった巨大な爆炎。


街のあちこちから、住民たちの悲鳴と混乱の叫び声が上がり始めた。


王都防衛隊の警鐘が、カンカンカンカンと激しく鳴り響く。


「何が起きた!? 結界が崩壊したぞ!」


「『蒼穹の理』が爆発した! カイ教授はどこだ!?」


王都の秩序が、一瞬にして混迷の渦へと叩き落とされた。


その混乱の最中。


王都の中心に聳え立つ『神聖大聖堂』の最上階、教皇執務室。


豪華な金の衣装に身を包んだ勇者レオンハルトと、聖女セレスティアが、窓の外で降り注ぐ結界の破片を呆然と見上げていた。


「な……なんだってんだ……!? カイの奴、一体何をしでかしやがった!?」


レオンハルトが、金色の髪をかきむしりながら苛立たしげに叫んだ。


彼の腰にある神聖剣『ルミナス』が、周囲の異常な魔力波動に反応して、キーキーと嫌な不快音を立てている。


その隣で、聖女セレスティアは真っ青な顔で唇を噛み締めていた。


彼女の手には、先ほどクラウスからかかってきた通信を切断した後の、冷たくなった通信端末が握られていた。


「そんな……カイが……? カイの結界が破られたというの……!?」


セレスティアの体が、激しい恐怖でガタガタと震え出す。


先ほど受け取ったクラウスからの通信。


『首を洗って待っていろ』という、あの冷酷な呪いの声。


あれは……ハラタリ(ハタリ)の戯言などではなかったのだ。


クラウスは本当に地獄の奈落から生還し、そして第一の裏切り者である天才魔導師カイを、一晩で完膚なきまでに解体し、惨殺してみせたのだ。


「レオンハルト様……! クラウスですわ! クラウスが……あの男が帰ってきたのです!」


「落ち着けセレスティア!」


レオンハルトはセレスティアの肩を強く掴み、忌々しそうに吐き捨てた。


「あの無能が生きているわけがないだろう! 仮に生きていたとしても、手足を失ったただの障害者だ! カイの奴が単に実験に失敗して自爆しただけに決まっている!」


「いいえ! 違いますわ! あいつは……あいつは私の人体実験の記録(手記)も持っていると言いました! もしあれが民衆や教皇様にバレたら……私は……私はおしまいですわぁっ!」


セレスティアは惨めな叫び声を上げ、レオンハルトの胸に縋り付いた。


清純な聖女のメッキが完全に剥がれ落ち、保身と恐怖で醜く顔を歪ませるセレスティア。


レオンハルトは彼女を抱き寄せながらも、その美しい顔を不快そうに歪めた。


「チッ……鬱陶しい女だ。……いいだろう、俺が出向いてやる。クラウスだろうが何だろうが、俺の『ルミナス』の前にはただのゴミ屑だ。今度こそ、その首を斬り落として、二度と這い上がれないように粉々にしてやる!」


レオンハルトの瞳に、極度の自尊心と残忍な殺意が宿る。


英雄と聖女が、迫り来る「二倍の絶望」の足音に怯えながら、自らの終焉へと足を踏み出そうとしていた。


一方。


崩壊する『蒼穹の理』の塔の頂上。


夜風に黒いコートをなびかせながら、クラウスとエレノアは、眼下に広がる大混乱の王都を見下ろしていた。


「マスター……。王都の騎士団が、こちらへ向かってきています」


エレノアが静かに告げる。


「構わない。潮時だ」


クラウスは黒銀の右手で、ポケットの中にある『セレスティアの実験手記』の束を確かめた。


「第一の復讐は終わった。……次は、王都の民衆が崇める『英雄』と『聖女』のメッキを、徹底的に解体してやる」


クラウスの視線が、王都の中心で神々しく輝く『神聖大聖堂』へと向けられる。


かつて自分が命を預け、背中を任せ、そして容赦なく裏切られた相手――勇者レオンハルトと、聖女セレスティア。


「レオンハルト……。お前が何よりも愛する『英雄としての誇り』と『民衆からの称賛』……。そのすべてを、お前自身の手で壊させてやる」


クラウスの胸の『共鳴・等価倍加の刻印』が、闇の中で静かに、そして苛烈に脈動した。


ふたりの復讐者は、夜の陰へと静かに姿を消し、次なる破滅の舞台――第5話へと足を進めるのだった。

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