30話
「貴様! 一体何のつもりだ!」
巨大な蟻の顎を間一髪で躱し、大木の上へと飛び退いた三河屋が怒声を上げる。
「ふふ……これは『教育』なのです」
ロンドンは地上からステッキを突き、優雅な笑みを浮かべたまま答えた。
「いい加減にしろ! こんな不条理な戦いに付き合っていられるか!」
「忠告しておきますが……あなたがもしここから逃げれば、私は即座にそこの少年を殺しますよ?」
「なにっ!?」
飛び火してきた物騒な台詞に、餓狼は心臓を跳ね上がらせた。
人間サイズもある銀色の蟻には最初こそ肝を冷やしたが、それらが襲いかかるのは三河屋ばかりで、自分は完全に無視されていたのだ。
「ぎぃぃぃーーーっ!」
一匹の蟻が、鉄をも断ち切りそうな鋭い大顎で、三河屋の乗っていた大木を根本からへし折る。
「くそっ!」
三河屋は空中へ大きくジャンプし、地面を泥臭く転がって衝撃を逃がした。
さっきまでは冴えないちょび髭のオジサンにしか見えなかったが、その身のこなしは間違いなく一線級の「戦士」のそれだった。
『丁度良い機会だ。しっかり見て、目で学ぶのだぞ。餓狼』
背後で、すっかり教育者のような顔をしたリイルが厳かに告げた。
「……なぁリイル。やっぱり、あの二人とも本当に『契約者』なのか?」
『それは間違いない。特にあの『ロンドン』と名乗る男は、虫を異常に強化し、意のままに操る力(固有魔法)を持っているようだな』
「契約者って、そんなことまで出来るんだな……」
『普通であれば、手の内を見せたがらないものだが……あの男はむしろ、お主にお手本を見せびらかしたいようだな』
「何のためにだよ?」
『教育、と。あやつはそう口にしておったぞ』
「なんだよそれ、意味が分からないんだけど」
『まぁ、そうだな………』
リイルの言葉はどこか歯切れが悪かった。教育という言葉の意味を考えているのか、あるいはすでに察しがついているのかのどちらかに見えた。
「それにしても、三河屋のやつ防戦一方だな。あのままだとやられそうだ」
戦闘が始まってから、三河屋は襲いかかってくる蟻に対して一度も反撃を仕掛けていない。ひたすら躱し、逃げ回るばかりだ。
『敵が一筋縄ではいかないと早々に悟り、安全を最優先に立ち回っておるのだ。攻撃を仕掛けるということは、相手の反撃を喰らうリスクを負うことだからな』
「まずは様子見ってことか。距離があるから分かりにくいけど……あいつ、少しずつ息が上がってきてないか?」
『迷っておるのだろうな。お主を見殺しにして自分だけ逃げるべきか、否か』
「……さすがに、そんなことしないよな?」
『くくく、いい機会ではないか』
リイルは邪悪ににやりと牙を覗かせて笑った。
『あの男が最初に口にした「味方」という言葉が、果たして本物かどうか……その命の瀬戸際で見極めることができる。それに加え、あのちょび髭がどんな隠し持った力を使うのか、目を凝らして見ておくのだ。他の契約者がどう戦うかを知ることは、お主の今後の糧として決して無駄にはならん』
「……わかった」
餓狼と黒龍がそんな呑気な解説文を交わしていることなど露知らず、三河屋は汗だくになりながら、迫り来る蟻の猛進を紙一重で躱し続けていた。
「おや、逃げてばかりでは勝てませんぞ?」
蟻たちの遙か後方で、ステッキを胸元に添えて余裕の笑みを浮かべるロンドン。
その歪な優雅さに、三河屋はこれまでにない鋭い眼光でロンドンをキッと睨みつけた。
「……後悔させてやる!」
直後、三河屋の全身から、オーラのような「青い蒸気」が爆発的に立ち昇った。
三河屋は凄まじい横ステップで蟻の突進を完全に静止させると、その巨大な胴体の側面へと一瞬で回り込み、空気を切り裂くような鋭い蹴りを叩き込んだ。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「ブックマーク」と「いいね」を頂ければ大層喜びます。
評価を頂ければさらに喜びます。
☆5なら踊ります。




