16話 ~休息~
東京から中央自動車道を駆け抜け、餓狼を乗せたタクシーが辿り着いたのは富士五湖近くにあるスーパー銭湯だった。
現在の時刻は午後2時。
大手のネットカフェとは違い、こうした施設は受付の券売機で入館料を支払うだけでいい。身分証の提示も、会員登録の手間も一切不要。だからこそ餓狼はここを選んだ。
「……最高の施設だな」
施設内の食堂でラーメンとカレーのどちらを食べるべきか悩んだ挙句に、両方食べた。そして今日一日でたっぷりとかいてしまった汗をさっぱりと洗い流す。
そして、館内着に着替えた餓狼は、薄暗い仮眠室のふかふかしたリクライニングシートに深く身体を沈めた。
周囲からは、のんきな観光客たちのイビキが聞こえてくる。その平和な空間のなかで、餓狼は一人、今日という激動の一日を振り返っていた。
(安倍家、警察、そしてヤクザ……。全部が俺の敵になった)
あまりに現実離れした状況に、思わず口元から乾いた自虐の笑みが漏れる。
警察に殺人犯だと疑われ、血走った目の男達に取り囲まれた。挙句の果てには家にトラックで突っ込まれた。これほど最悪の一日があるだろうか。
だが、絶望に押し潰されそうな胸の内で、餓狼の理性が冷徹に囁いた。
――まだ、詰んだわけじゃない。
手元には、大混乱の我が家から回収してきた、父・大日からの「四百万円の資金」がバッグに眠っている。そして何より、今の自分には、人智を超越した身体能力が備わっている。
(向日葵のことは、親父を信じるしかない。なら、俺が今すべきことは――)
どうすれば、この殺人犯の汚名を晴らすことができるのか。餓狼は目を閉じ、最上刑事が取調室で放った言葉を反芻した。
『犯行現場の近くに、乗り捨てられた自転車があった。黒のマウンテンバイクだ』
あのあの日、東京タワーに置いてきて盗まれたはずの、俺の自転車。それがなぜ歌舞伎町の殺人現場にあるのか。答えは一つしかない。誰かが罪を着せるためにそこに配置したのだ。
(それは誰だ? 安倍家の誰かか………?)
考えを巡らせるほどに、人間の醜い悪意の泥沼が見えてくる。今はもう人間なんて誰も信用できない。この世界で本当に頼れるのは、あの東京タワーの地下で契約を交わした黒きドラゴン――リイルだけだ。
リイルならこの苦境を脱するための方法を教えてくれるかもしれない。
時計の針が、ゆっくりと夕刻へ向けて進んでいく。押し寄せる心地よい疲労感のなか、餓狼は激闘で疲弊した脳を休めるように、静かに深い眠りへと落ちていった。
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