13話 ~容疑~
新宿警察署の重い玄関扉を出た瞬間、餓狼の足は、堰を切ったように震え出した。
まさか、自分が本物の殺人事件の容疑者になるなんて、想像すらしていなかった。
動機はある。自転車という物証もある。三日間のアリバイは、無い。客観的に見れば、自分が犯人だと思われても何一つ不思議はなかった。
(どうする……。一体、どうすればいい……!?)
脳裏に、年の離れた妹・向日葵の笑顔が浮かぶ。
もしこのまま自分が逮捕されでもしたら、向日葵はどれほど強いショックを受けるだろう。
それだけじゃない。凶悪殺人犯の妹というレッテルを貼られ、世間から白い目で見られ、無責任な誹謗中傷を浴びせられるかもしれない。
一番に守ってやりたいはずの自分は、冷たい刑務所の壁の中に閉じ込められ、手も足も出ないのだ。
最悪の未来が頭を過り、餓狼が目の前を真っ暗にしかけた、その時だった。
「おい、お前」
ドスの利いた、突然の声に驚いてハッと顔を上げる。
いつの間にか、行く手を塞ぐようにして、目を血走らせた五人の男たちが餓狼を取り囲んでいた。
「ちょっと面貸せや。用件は、言わなくても分かってんな?」
男たちの顔に、餓狼は見覚えがあった。殺された安倍鮫肌の身内――安倍家の陰陽師たちだ。
警察のような法の手続きなど待っていられない、と言わんばかりの狂気を孕んだ瞳。身内を殺された復讐の刃が、警察署の目と鼻の先で、早くも餓狼の喉元へと突きつけられていた。
「おっと、警察に駆け込もうとしても無駄だぞ」
五人の中で最も背の高い、オールバックの男がこめかみに青筋を浮き立たせながらニヤリと笑った。
「警察は俺ら側だ」
(――嘘だ!)
「嘘じゃねえさ。そのお陰で、俺らはこうしてここで待ち伏せが出来てるってわけだ。警察は俺らに全部教えてくれるんだよ。お前がいつ引っ張られて、いつ出てくるのかをな。分かったら大人しく来い。大人しく従うなら、痛い目に遭わなくて済むかもしれねえんだからな」
後ろを振り返り、警察署へ逃げ込みたい気持ちをぐっと抑える。そんな隙を見せれば、奴らは一瞬で間合いを詰めて取り押さえにくるだろう。
名前までは憶えていないが、間違いなく安倍家の血筋であり、実戦で神通力を操る者たちだ。
かつて「落ちこぼれ」と蔑まれ続けてきた自分では、一対一ですら勝つどころか、一矢報いることすら難しい。
じっとりと囲む五人の悪意を前に、餓狼は深く息を吸い、そして、静かに吐き出した。
「おい! 聞いてんのかコラ!?」
苛立つ男たちの脅しを正面から受け止め、餓狼は真っ直ぐに奴らを見据えた。
「……リイルの迫力には、遠く及ばないな」
「あ?」
眉間に皺を寄せ、男たちが一斉に凄んだ瞬間――餓狼は鼻で笑い、奴らに向かって一直線に地を蹴った。
「てめぇ! やる気かこの野郎!」
神通力を使うことのできない自分は、確かにこれまですべての人間から見下される落ちこぼれだった。
だが、今の俺は違う。東京タワーの地下でドラゴンと契約を交わしたのだ。
男たちと激突する、そのわずか手前。餓狼はアスファルトを爆発させるようにして、天高く跳んだ。
その跳躍は、まるで最盛期のマイケル・ジョーダンのようだった。
重力を無視したかのように、五人の頭上を軽々と超越していく。呆然と見上げる男たちのマヌケな顔を眼下に収めながら、餓狼は遥か後方へと華麗に着地。
そのまま一歩も減速することなく、弾丸のごときスピードで夜の街へ走り去った。
「なっ……待て! てめぇ、止まれぇ!」
背後から怒号が響くが、振り返る必要すら感じなかった。
夜風を切り裂いて走り続ける餓狼の顔には、絶体絶命の危機を自らの力で乗り越えた確かな安堵と、漲る自信が満ち溢れていた。
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