魔人ダングレア その二 歌姫の身代わり
まあ、分かっていましたとも。僕の反論なんて聞き入れられないことくらい。僕は、歌姫の衣装を無理矢理着せられて、チューバを傍らに木の箱の中で座っていた。
そりゃまあ確かに、主旋律の奏者二人が身代わり役では魔人と戦えないのは分かる。僕は言わば伴奏者だ。ベース音を出して旋律を支えるのがチューバの役割だ。吹き込む息の量も大量に必要な巨大な楽器では複雑なリズムなんか刻めない。
だからって、どうして僕がこんな露出狂みたいな衣装とも言えないような薄布とゴテゴテした飾りを着けられる必要があるの?
あの二人、沙羅と梓、絶対面白がっていたというか楽しんでいたよな。着せ替え人形遊びみたいに、きゃあきゃあ騒ぎながら。
もちろん、腰の下着を脱がされるのだけは断固拒否したし、小次郎は厳重に鍵をかけた別室に監禁してもらった。
僕は、手にした金銀の鈴杖を三度続けて振った。シャリリリーンと涼やかな音色が狭い箱の中で響く。準備完了の合図だ。
作戦は単純。魔人に指定された月夜の晩、歌姫の身代わりとして僕が囮になり、魔人の洞窟入り口まで運ばれる。そして、誘き出した魔人を村人に扮した沙羅たちが攻撃し始めると僕も飛び出して攻撃に参加するというシナリオだ。
すぐに木の箱は担がれたように動き出した。乗ったことは無いが籠にでも乗っているような気分だ。しばらくして、箱はごとりと地面に降ろされたようだ。動かなくなった。
さすがに怖い。体が芯から震える。奥歯がガチガチと鳴る。本当に沙羅たちはついてきてくれてるのだろうか。今なら、あの小次郎にさえ縋り付きたい気分だ。
でも、何事も起きない。いつまで待っても、辺りはシーンとして物音一つしない。まさか、指定の時間か場所を間違えたというオチ? そんな疑問が浮かんだその時、心の内側からゾワゾワとざわめかせるような禍々しい旋律が遠くから聞こえてきた。僕には絶対音感がある。それなのに、この旋律は周波数をとらえることができない。まるで違う次元で振動しているような音だ。
「え? オルタ?」
「そんなの聞いてないよ」
箱の近くの方で沙羅と梓のささやくような声がする。
「応戦しないと、囲まれたら全滅ですぞ。かなりの多勢とみた」
「小次郎殿に同意します」
とルゥ。
「作戦変更! キョウを連れて逃げるわよ。キョウ出てきて!」
沙羅が叫ぶ。
僕は状況が理解出来ないまま、箱を蹴破ろうとした。アレ? いくら蹴っても叩いても箱が壊れない。簡単に出られるはずだったのに……
その時、すぐ近くで耳をつん裂くような音が聞こえた。黒板をチョークで引っ掻いたようなあの不協和音だ。爆発的な音圧に、僕の意識は薄れていった。
「しまった! 罠よ! 旋律地雷……」
それが、その場で僕の聞いた最後の声だった。
目を覚ました時、僕は魔人っぽいものに見下ろされていた。
薄暗い洞窟の中、地下迷宮の一室だろうか。朽ちかけた柱や壁のような物も目に入る。
その天井に頭がつくような巨体で、角も生えて、尻尾もある。その残忍そうな顔付き一つ見ても、意識を失って倒れた僕を介抱してくれている親切な通行人なんかにはとても見えない。そんな展開期待出来ない事ぐらい分かってはいたのに、いざ当の魔人を目の前にすると怖すぎる。いきなり頭からかじったりしませんよね。
「思った通り、楽師を雇いおったか、村人どもめ。しかーし、我輩の方が一枚上手よ。ちゃーんと、手は打っておいたわ」
魔人は独り言のように、そう言った。野太いダミ声が部屋中に響く。とりあえず言葉は通じそうで、ほんの少しだけ安心した。でも、状況説明ありがとうだなんて、言ってる場合じゃない。
「愛しい歌姫よ。この日をどんなにか待ちわびたことか。そんなに怯えるでない。その可愛い顔をもっとよく見せるのじゃ。ほれ、今宵は初夜に適した月夜。我が嫁として、さっそくの共同作業の記念日じゃ。さあ、我輩の子を産むがよい」
いや、勝手に記念日作られても、生理的にも生物学的にも無理ですから。
「おや? 何故こんなところに楽器が……」
魔人は、僕のチューバにようやく気付いたらしい。図体がデカい分、頭の回転は鈍いのかも。僕は少しだけ希望を持った。ここは、あれだ。昔話にあるように、とんちやなぞかけなんかで上手くごまかして、逃げ出すことも出来たりして。でも、上手いとんちなんて、咄嗟に思い浮かぶほど僕も頭の回転速くない。
「おぬし、何者だ? 歌姫じゃないな」
ほら、もう気付かれた。声の調子が怖くなり急に魔人の表情が険しくなったようだが、もともと狂暴な顔立ちなので、大した変化に見えなかった。
「楽師の仲間か? おのれ、純真な魔人の心をもて遊びおって、許せぬ。偽歌姫めが……?」
僕に向かって伸びてきた大きな鉤爪の手が、ふと止まった。
「よく見ると、おぬし……、歌姫に劣らず、いんや、それ以上、いやいや、随分と、めんこい顔と姿形。一目で、吾輩のハートを鷲掴みじゃ」
そう言う魔人の狂暴な顔はにやけて崩れ、もはや見るに堪えない。僕は、生理的嫌悪を通り越して、全身に悪寒が走った。冷や汗が僕の頬を伝い落ちる。
「もはや、歌姫などどうでもよい。おぬしこそ、吾輩の求めた理想の花嫁。これで、田舎の母にも自慢が出来るわ」
魔人の鼻息がフゴーっと荒くなる。あんた、親いたの? というツッコミは置いといて、はい、そうきましたか。でも……
「さあ、吾輩の子を産め」
「無理! だって……」
僕は息を溜めて、言い放った。
「僕は、男だ!」
一瞬、魔人の顔に当惑のような驚きのような表情が浮かんだ。大きな二つの目玉が僕の顔をぎょろぎょろと見つめ、肌の露出の多い僕の体を舐めるように見回した。いやだ、もう無理、僕、じんましん出そう。
「……うーむ。よくよく見ると、おぬし、半妖であろう。ならば、問題無い。いーや、むしろ大好物じゃわ。力づくでも、吾輩の“嫁”にしてくれよう」
そう言いながら、魔人はよだれまで垂らしている。
この世界では、魔物まで変態なのか? 男だって、言ってるだろ。問題ありありだよ。大好物って、なんだよ? はんようって何それ、美味しいの?
僕は、とっさにチューバを抱え上げ、マウスピースに思いきり息を吹き込んだ。近づきつつあった魔人の動きが止まった。効いてる? 効いてるよね? でも、一瞬で効果が切れたようだ。
魔人の太い腕が振り上げられる。そして、僕に向かって振り下ろされたその時、聞き覚えのあるトランペットとフルートの音色が奏でられた。魔人の腕をかわした僕はその旋律に合わせて、チューバを吹き続けた。
「キョウ、お待たせ!」
沙羅と梓が部屋に駆け込んできた。怯んだ魔人は耳を押さえて、苦痛に顔を歪めている。そこに、小次郎も飛び込んできた。すでに、白銀の刀を抜いている。魔人は、床に這いつくばって、小次郎の鋭い一撃をかわした。
「待った! 降参じゃ! 命だけは……」
這いつくばったまま手を上げて命乞いをする魔人。さっきまでの凄みはどこへやら、随分、情けなく見える。もちろん、同情なんてしないけど。小次郎は、ちらりと僕の顔を見た。
「キョウ殿。切ります。切っていいですね。拙者のキョウ殿に与えた辱めは死に値します」
まだ、辱めを受けたってほどでもないから、疑いを招くような言い方はやめて。それに、拙者のキョウってなに?
「命くらい見逃してやってもいいけど、あんた、出せる物、持ってるんでしょうね」
そう言って、沙羅が、トランペットを手に、魔人の前に立ちはだかって、トンと足踏みを突いた。
「地獄の沙汰も金次第って言うでしょ」
沙羅がにっと笑うと、魔人は恐怖に引きつった顔を見せた。




