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キョウ=エスターシャ=ノヴァレンコア

 目が覚めた時、僕は、沙羅の部屋のベッドで横になっていた。沙羅とレイと一緒に、緑色のグラデーションの髪の少女が僕の顔を覗き込んでいる。


 「ごめんね。キョウ。事故のことトラウマになってたんだね。もう大丈夫?」


 シャルマが心配そうにそう言った。


 「聞いたわ。あなたの生まれ育った村のこと……。どうりで、過去や自分の生い立ちの事を話したがらなかったのね。気付いて上げられなくてごめんなさい」


 そう言う沙羅の目には涙で赤く泣き腫らしたあとが見える。その隣でレイは、まだ泣いている。


 思い出した。僕は、あの世界、あの事故の時、最後に沙羅の名前を叫んだんだ。思い出せたのはそれだけなのに、今、こうして沙羅に手を握ってもらいその温かみを感じていると、なぜか落ち着いた気持ちになった。


 「ほんとうに、ごめんなさい。わたし、あなたをただの頭の鈍い可哀そうな子だとばかり思ってて。だって、世話ばかり焼かせるんですもの。自分では髪もとけないし、すぐ転んで擦り傷作るし、服は汚すし、食べ物はこぼすし、……」


 あのー、沙羅さん……、落ち着いて。心配するか、けなすか、どちらかにしてもらえます?




 キョウ=エスターシャ=ノヴァレンコア、その仰々しい名前が、この世界の僕の名前だった。如月キョウという人間はこの世界にはいなかったのだ。キョウは、北方の小国ジャイルマの小さな村の出身で、十六才の誕生日の当日、村を襲った隕石による大爆発事故の唯一の生存者。それが、シャルマから得た知識だった。


 おそらく、キョウは、その事故で死んだのだろう。そして、別世界の僕の事故と何かの仕組みでリンクし、僕の意識と彼女の実体がつながり、この世界で再生したのだ。それは僕の推測に過ぎないし、難しい理屈も分からない。だが、彼女を再生しなければならない、重大な理由があったことを僕自身の体が感じている気がする。


 やっぱり、僕、アンヌに会いに行こうと思う。ちょっと怖いけど……。歌姫の言う通りだ。自分の事は自分が知ってなきゃいけないと思う。




 紙片に指定された日時、昼下がりの街並み、アンヌの部屋はレンガ造りのとんがり屋根の棟続きの家の中だった。闇世界の人脈にも通じているという話だった彼女、もっと謎めいた場所かと思った。一帯が住宅地なのだろう。華やかな表通りと違って、落ち着いた雰囲気の家が多い。それでいて、庭や窓は色とりどりの花で飾られている。


 アンヌは、普段着で僕を迎えた。


 「ちゃんと一人で来たんだ。えらいね」


 そう言って、アンヌは香りの強い濃いめの紅茶を出してくれた。


 「どうぞ」


 花柄のティーカップとソーサーをテーブルに乗せた後、アンヌは、僕の髪を軽く撫でた。


 「それで、グリフォンの話だっけ? キョウちゃんが会ったのは、光の波動を司る聖獣だね。ちょっと調べてみたんだけど」


 アンヌは小さなテーブルを挟んで、脚を組んで座った。


 「何かわかったの?」


 テーブルに身を乗り出した僕に、アンヌはにっこりと笑いかけた。


 「分かったのはそれだけ。だって、キョウちゃん自身に秘密な部分が多過ぎるんだもの」


 「……」


 「ほら、そうやって、口を閉ざすでしょ。言葉に出来ない思いを抱えているのね」


 「あの……」


 「沙羅がいけないのよね。あの子、いらない事までしゃべり過ぎだから……。ところで、あなたボーイフレンドいる?」


 「え? ボ、ボーイ……」


 なぜか、僕の脳裏に小次郎の顔がよぎった。いや、絶対あり得ないから。そりゃ、抱きかかえられた時、頼りになるって思ったし、包み込まれそうだとふと思ったことあるけど……


 「あなたくらいの年頃で、その可愛さだったら、いない方が不思議だと思うけどな。じゃ、ガールフレンドは?」


 僕は口にしていた紅茶にむせて、咳込んでしまった。


 「ごめん。聞き方が悪かったかしら。じゃあ、言い換えるね……。沙羅とはどこまで進んでいるの?」


 「え? ええっと……、どこまでって……、あの…、その……」


 「思った通りの反応だわ。そんなに顔を真っ赤にしちゃって、可愛い。食べちゃいたいくらい」


 アンヌはテーブルの上で顔を近づけてきた。近い。近過ぎます……


 「私も、女の子が好きなの。特にあなたのような可愛い子が」


 そ、そっち系のかたでしたか。って、ツッコミ入れなきゃならない状況? 「も」ってどういう意味? これって、それなりにピンチじゃ……



 「そのために、呼び出したの?」


 警戒感をあらわにした僕の様子に、悪戯っぽい笑みを浮かべたアンヌは、甘い香水の香りを残してするりと身を引いた。


 「ううん。ちゃんと、キョウちゃんの相談に乗ってあげるためだよ。でも、こういう事は、最初に言っておきたかったの。私は、キョウちゃんが好きだって。あなた、言わないと分からない子でしょ」


 「相談?」


 「そう。迷っている事があるんでしょ? 目がそう言ってるもの。憂いを隠そうとする長い睫毛の目。思わず、キュンときちゃう。グリフォンの話はいわば口実で、あなた自身の事よね」


 「……僕、何をしたらいいのか分からないの。いつも沙羅の足手まといになってばかりで。頭の弱い子だって思われてるし、……そうかもしれないけど。誰も皆、僕のこと決めつけている……可愛いけど、か弱くて、可哀そうな、女の子って。でも……」


 「違うんだね」


 僕はただこっくりうなずいた。


 「それは、キョウちゃん自身はすごく悩むと思うよ。他人から決めつけられる事ほど苦しいことはないから。辛いけど、それが人間なの。みんな誰かを自分の枠にはめて生きている。だけど、信じて。私がキョウちゃんを好きだって言ったこと。もちろん今でも大好きだから」


 「アンヌ、優しいんだね。僕、ちょっと誤解してたかも」


 「うん。好きな子には特に優しいよ」


 アンヌは、立ち上がって、僕の髪を手にとった。


 「この髪、毎日、沙羅がブラッシングしてくれるんでしょう。服も凄く似合ってる。沙羅が選んでくれるんでしょう。悔しいな。私、沙羅にかなわないから。でも、私も諦めないよ。きっと、みんなそう。あなたのことが好きでたまらないの」


 「僕、アンヌのこと好きになった」


 「ありがとう。そう言ってもらえると、凄く嬉しい」


 アンヌは満面の笑みを見せたが、僕と視線を交わして表情を固くした。


 「注告もしとくね。歌姫のセイナに会ったでしょう。彼女は異質なる物。警戒して」


 「それって、どういう……」


 「意味なんて無いよ。ただ異質なの。悪意も善意も無いって言えば分かるかな。キョウちゃんのハートで感じて」


 そう言って、アンヌは僕の胸に手を当てた。


 うん。やっぱり分からない。だけど、無理に答えを出さなくてもいいような気がしてきた。僕が何者か。何をしたら良いのか。僕自身、そして、この体、キョウという少女が、決めることなんだ。


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