闇の情報通アンヌ
「ふむふむ、あれから色々あったんですね。特にキョウちゃん大変だったのね。怖かったでしょ」
そこは町の喫茶店。メイド服の店員さんは、沙羅の話を聞き終わると、ハートの模様を描いたカプチーノのおかわりを洒落た仕草でテーブルに置いた。彼女の名前は、マリアンヌ、通称アンヌ。柔らかそうなブルネットをボブカットにした笑顔の可愛いお姉さんだ。
「それで、この子は、ケルピーだったのね」
とアンヌ。
「そう。村からついて来ちゃったのよね。キョウから離れようとしないの」
と沙羅は、頬づえを突いてさも不満そうな顔。
ケルピーの少女は、ショートケーキを手で掴んで頬張っている。口の周りに生クリームをいっぱいつけたまま、目を丸くして嬉しそう。
レイと名付けたその子は、裸のままでは困ると言う沙羅に上半身だけ無理矢理服を着せられていた。麻色の長い髪は僕が三つ編みにしてやった。下半身が仔馬の体で座ることは出来ないので、テーブルの横に立ったまま。
「食費が増えて困るのよね。今借りている部屋も狭くなるし。キョウを養うだけでもお金がかかるっていうのに、こんな子まで連れ込んで」
と沙羅は、カプチーノに息を吹きかけながらぶつぶつ。
「ドケチ」
レイはそう言って、沙羅に挑戦的な視線を投げた。
「キョウ! あなた、またこの子にへんな言葉教えたでしょ!」
「ドケチ!」
怒鳴る沙羅を、レイは犬歯を剥き出して睨んだ。
「ああ、もう! ケーキを口に入れたままで、ポロポロこぼして。それから、袖口で生クリームを拭かないで。その服高かったんだからね! 誰が洗濯すると思ってるの!」
沙羅の剣幕に怯えたように大きな目を潤ませたかと思うと、レイは僕に抱きついて、ピーと泣き出した。
うん、もうね。穏やかな日常なんて諦めましたけど、僕。
「サラ、あのさ……、それより大事な用件が……」
「そうそう、アンヌ、あなたなら何か知ってるんじゃないかと思って来たの。でも、これから話す事は他言無用ってことで……、ほらキョウ説明して」
「依頼人の秘密を守るのは私の仕事よ。どんな用件かしら?」
とアンヌが少し声のトーンを落とした。この喫茶店は、魔物退治の依頼人と請負い人の情報交換の場になっているシークレットスポットだと沙羅が教えてくれていた。秘密の案件の場合、アンヌが仕事の依頼を仲介することもあるため、彼女は裏事情にも通じた情報通とのことだ。予めそう説明を受けていると、メイド服の店員さんが裏の顔を持つプロに見えてしまって緊張する。
「あの……、僕を助けてくれたグリフォンが言ったんだ。でも、その声……、僕にだけ聞こえてたみたい。“光の波動と共に”って。その、意味が分からなくて」
ルゥちゃんにも、歌姫にもその言葉の意味は解けなかった。
「うーん。それだけじゃ、私にも意味が分からないかな。特定の暗号ってわけでもないし。何かのメッセージには違いないんだろうけど、私もグリフォンになんて会ったことはないし」
と首を傾げるアンヌ。
あの夜、歌姫は、傷ついた僕の体を治療しながら、状況が切迫していると告げた。出来るだけ早く行動に移らないと、大変な事が起きるらしい。一番の問題は、その行動が分からない事だ。女になって妖魔の血を捨てろと歌姫は言うが、その方法も分からない。
店を出る時、アンヌは、さり気無く目配せしながら無言で僕に何かを渡した。それは、小さく丸めた紙片だった。
“一人で来て”
住所と日時と共に、そう書いてあった。
僕は沙羅とレイと一緒に賑やかな通りを歩いていた。重たいチューバはレイが背に乗せてくれているので雑踏の中でも歩くのが楽だ。フリルとリボン付きのスカートにもだいぶ慣れてきた。あれ? そういえば……
「今日は、ルゥちゃんは一緒じゃないの?」と、僕。
「使い魔のオフ会があるって、今朝から出かけたわ。キョウ、あなたはいつものように、寝坊して気付かなかったでしょうけど」
「オフ会って……」
この世界には、妙にあの世界のネットっぽい要素が混ざっている。魔網と呼ばれる情報網もあり、ソーシャルネットワークもあるらしくて、お店選びも口コミを参考にする。そんな時、使い魔はインターフェースのようなものだ。
レイは、お菓子屋さんの前を通るたびに、華やかなショウケースに張り付くようにのぞき込んで、引き剥がすのに苦労する。沙羅はさんざん文句を言いながらも、時々レイにタルトや焼き菓子を買ってくれた。その時だけ、レイは無邪気な笑顔を沙羅に見せる。
平穏な光景の中、アンヌから渡された紙片のメッセージに、僕、まだ迷ってる。
のこのこ出かけて行って、歌姫の時と同じように妖精体の事がバレるのはごめんだ。その反面、沙羅にもアンヌにも秘密を抱えたままで、アドバイスを欲しいというのも虫が良すぎる気がする。
いっその事、歌姫の助言を無視して、沙羅に洗いざらい打ち明けてしまった上で相談した方がいいのかな。しかし、アンヌは、一人で来いと指示した。沙羅を避けているのだろうか。
「ねえ、キョウ。聞いてる? ほらあの淡い空色の服、とっても綺麗。キョウに似合うと思わない?」
ブティックだってこの世界にはある。ウインドウショッピングをしながら、沙羅は、僕に試着をさせようとする。お金が掛かると文句を言っているくせに、この数日ですでに何着か僕の服ばかり買ってくれた。ダングレア退治の報奨金と分捕った戦利金で財布の紐が緩んでいるのだろう。
正直なところ、僕、オシャレには興味持てないけど、試着した時の沙羅の目の輝きを見るのが楽しみになってきた。試着室の鏡に映る自分自身の姿の違和感もだいぶ薄れてきた。あの世界で男だった自分の記憶がどんどん遠くなる気がする。
「あれ、キョウじゃん! ひっさしぶり!」
緑のグラデーションに髪を染めた女の子が通りの向こうから駆け寄ってきた。
「キョウも、サルサーンに出て来ていたんだね! びっくりしちゃった。相変わらず可愛いね。あれ、一緒にいるのは、もしかして、彼氏?」
いや、沙羅さんです。男の子っぽい服は着てるけど、体形で間違えよう無いでしょ。って、あなた誰?
「え、えっと……?」
「クラリネットのシャルマだよ。隣村の」
女の子は跳ねるような調子で言った。
ごめん。全く覚えが無いけど、吹部仲間だったみたい。ここは愛想笑いで話を合わせないといけない場面だね。うん。隣では、沙羅が目を尖らせて両手を腰にしてるし、レイはフーフー唸ってるけど……
「あは、ごめん。思い出した。久しぶり……だね。その、すごく……元気そうだね」と作り笑顔で顔を引きつらせる僕。
「変わってないね! キョウ。キョドった感じが可愛くって、抱きしめちゃいたいくらい」
「キョウ、誰、このバッタみたいな子?」と敵意丸出しの沙羅。
「やだなー。バッタだなんて。うんうん。言えてるかも。あたい、跳ねるの好きだし」
と、その場で、髪と服をなびかせてぴょんぴょん飛び跳ねるシャルマ。パンツ見えてますけど……。うん。頭のネジがかなり緩んでいるのは確かだ。
「あんな事故があったのに、よく無事だったよね。キョウ。みんな、あんたのこと奇跡の生存者だって言ってた」
シャルマの言葉に、急に、僕は何かを思い出しそうになった。
「え? 事故……」
「うん。残念だったね。キョウの村。隕石で全滅しちゃって」
事故、全滅。二つのフレーズを聞いた時、僕の頭の中に、粉々に砕けたプリズムのような記憶の断片がフラッシュバックして渦巻いた。全身を焼き尽くす熱波。車の急ブレーキの音。悲鳴。絶叫。魂を切り裂く不協和音の洪水。ガシャガシャと歪み、収縮する世界。僕は、意識が遠のき、立っていられなくなった。
「キョウ!」
沙羅の声が遠くで聞こえる……




