06 腕時計の記憶
額を撫でられたような気がして、眠りの底に沈んでいた意識が浮上する。
そして、ゆっくりと瞼を開けると。
「……」
「あ、おはようございます、店長。起こしちゃいましたか?」
目の前には、私を覗き込むルーナの顔があった。
「なっ!? どうしてお前がここにいる!?」
毛布を引き上げながら身を引くと、ルーナは焦ったようにベッドから離れた。
「ええと、呼んでも返事が無かったから心配になって……! すみません、勝手に入ったら駄目でしたよね!?」
寝起きにルーナの顔を見た混乱から立ち直ると、昨日の記憶が蘇ってくる。
……そうだ。
昨日はルーナに好きな男がいると知ったショックで床に伏し、その後は腕時計が気になって朝まで眠れなかったのだ。
「いや、すまない。お前が来たことに気付かず寝ていた私が悪いんだ」
そう言いながらも、視線はルーナの手首を辿る。
……駄目だ、袖に隠れてしまっている。
どうにか確認する事はできないものか。
「ルーナ、今は何時だろうか」
するとルーナはさっと室内を見回し、壁に掛けられている時計に目を留めた。
「九時を少し過ぎたところですねー。開店時間を過ぎてますけど、今日はお休みでいいですよね?」
「……そうだな」
何故この部屋に時計など置いたのだ、私は!
「それでは朝食の準備をしてきますね。熱は下がってるみたいですけど、大人しくしていてください」
「ああ、ありがとう」
部屋からルーナが出て行ってしまうと、私はのろのろと枕から頭を上げた。
身体は相変わらず重いが、情けない姿をこれ以上ルーナには見せられない。
……いや、起きるのは朝食を食べさせてもらってからでもいいか?
ルーナにあーんしてもらう機会など、今を置いては二度と訪れな……。
待て。
……朝食?
ルーナは今朝食を作っている。
ならば腕まくりをしている筈だ!
私は毛布を跳ね飛ばしながら飛び起きると、クローゼットへ駆け寄った。
手に触れたシャツとズボンをそのまま掴み、急いで着替える。
部屋を出る前に一応鏡を見たのは正解だった。
ボタンを掛け違えたままルーナの前に出るわけにはいかないからな。
厨房に入ると、ルーナが驚いたように振り向いた。
「店長、起きて大丈夫なんですか?」
「ああ、もう何も問題ない」
返事をしながらルーナに近付き、野菜を炒めている腕を注視する。
思った通り、白くて細い手首が丸見えだ。
そして、そこに腕時計は。
……無かった!
「そうなんですか。良かったです」
安堵したようにそう言って料理を続ける手元を見つめながら、私は内心で息を吐いた。
……今日は着けてこなかったのか。
あれほど気を揉んだというのに、拍子抜けしたような気分だ。
いつも着けているわけではないのなら、大した思い入れがある品ではないのかもしれない。
私はそう考え、もう余計な事は考えないようにしようと決めた。
◇
「そろそろできますよー」
「お前も食べるだろう? 皿は二枚でいいな」
「はい、ありがとうございます」
戸棚から深皿を取り出し、ルーナに渡す。
皿を受け取ったルーナは鍋からリゾットをよそうと、それを再び私に差し出してきた。
「はい、店長。お願いします」
「……ああ」
何気ない顔で二人分の皿をテーブルに並べながら、心の中で悶える。
まるで新婚夫婦のようではないか……!
「では食べましょうか!」
楽しそうな声でそう言いながら、ルーナが水を運んでくる。
そしてグラスを二つテーブルに置くと、私の正面の席に座った。
「まだ熱いと思うので気をつけてくださいね」
「ああ、分かった。お前も気をつけるように」
「ふふっ、ありがとうございます」
熱々のリゾットを冷ましながらなので、食事のペースは自然とゆっくりしたものになる。
「……店長、最近ちょっと変わりましたよね」
「そうか?」
ギクリとしつつも、私は平静を装って返事をした。
「口数が多くなったというか……。ほら、前は業務外ではほとんど喋らなかったじゃないですか」
「……そうだったな」
雇用主として振る舞わなければならないと思っていた。
感情を抑え、態度に出さないよう気を付けていたつもりだった。
だが嘘をつけなくなったからだろうか。
自分の気持ちを偽る事も出来なくなってしまった。
「一緒に厨房に立って、一緒にテーブルを囲んで……。店長とこんな風に過ごせるなんて思っていませんでした」
ルーナが目を細める。
その笑顔は本当に幸せそうで、見ているだけで胸の奥が温かなもので満たされていく。
「最近、毎日が本当に楽しいんです。店長の仕事が落ち着いてからも、こうやって食事を作らせてもらえたらいいなぁって……」
……ルーナ。
他に好きな男がいる事は知っている。
プレゼントだってまだ用意できていない。
だが準備が整うのを待っていたら、きっと私は一生告白なんかできやしない。
だから、どうしても今。
ここで、お前に伝えたい。
「好きだ、ルーナ」
どうか、私を選んではくれないか……。
私の告白を聞いたルーナが、大きく目を見開く。
ゴクリと喉を鳴らして返事を待っていると、ルーナは返事の代わりにこんな事を言った。
「……店長。初めて会った時のことを覚えていますか?」
「もちろん覚えている。一年前、雇ってほしいとお前が店にやって来て……」
「違います。それは二度目の出会いだったんですよ」
「え?」
「見てほしい物があるんです」
ルーナはそう言って席を立つと、自分の鞄を取ってきた。
「……これなんですけど。覚えていませんか?」
そう言って鞄の中から大切そうに取り出したのは、昨日ルーナが着けていた男物の腕時計。
一瞬、ギクリと身体が硬直する。
……あの腕時計は。
思い入れがないわけではなかった。
思い入れが強かったからこそ、料理中は外して鞄に仕舞っていたのか……。
内心で緊張しながら腕時計を受け取る。
そして手に取ってじっくりと眺めて気付いた。
「……これは」
確かに見覚えがある。
昨日ではなく、私がまだ駆け出しだった頃。
……そうだ。間違いない。
「……昔、私が修理した……」
繰り返す日々の中で、頭の片隅に埋もれていた記憶。
腕時計を手にしたことで、あの日の出来事が鮮明に脳裏に蘇ってきた。
◆
――チリン、チリン。
微かな呼び鈴の音が、耳に届く。
「客か」
私は解析中の古道具を作業台の上に置くと、心持ち急ぎ足で店へと向かった。
街の片隅にひっそりと佇む、小さな古道具屋。
住居を兼ねたこの店は、半年ほど前に祖父から譲り受けたものだ。
立地が悪いため客足は少ない。
祖父の代からの常連客だけで成り立っているこの店には、新規の客はほとんど来る事はなかった。
「また城からの依頼か、それとも冒険者か……」
そう呟きながら店へと顔を出した私は、軽く目を瞬いた。
「すみません。腕時計の修理をお願いしたいのですが」
店にいたのは、珍しくも女性客。
――おまけに。
「あのっ! どこの時計屋でも直せないって言われたんですけど、この店ならもしかしたら直せるかもしれないって最後に行った時計屋さんで教えてもらって!」
必死な顔でそう言い募る、一人の少女を連れていた。




