【30.感情の自覚】
病院で松葉杖は必要かどうか確認されたけど、断固拒否した。
お医者さんは呆れている感じだったけど、それを使って学校に行く勇気は私にはなかったから。
ただでさえ、リレーで転んでお兄ちゃんに運ばれて目立ってしまったのに……これ以上目立つのはごめんだ。
と、まぁ、そんな私の心配は杞憂だったようで。
次の日の学校で、そのことに触れてくる人はほぼいなかった。というか話しかけられること自体少なかった。
目立たなくてよかったと思う一方、自分の存在感の薄さを痛感して少し泣けた。
「高柳さん、足大丈夫?」
……でもその分、何度も何度も確認してくれる松岡さんという存在が、ありがたいやら何やらだ。
それにしてもこの質問、今日だけで一体何回目だろうか。五回を過ぎたあたりで数えるのをやめたから分からない。
「大丈夫だよ。本当にただ捻っただけだから気にしないで」
「そっか……ごめんね、何度も聞いちゃって。部活やってるからか怪我に敏感になっちゃってて」
この様子を見るに、事故のことを松岡さんに言わないでいたのは正解だったみたいだ。
「大丈夫そうならよかった」
「……あの、なんで頭撫でるの?」
「あ、いや、何となく。高柳さんって撫でたくなる雰囲気あるから」
シンプルに意味が分からない。子供っぽいと言われているんだろうか。
不思議に思っていると、後ろから背中を叩かれた。
「和泉、足大丈夫?」
「……はい」
大丈夫かと問うくらいなら背中を叩くのやめてほしいんだけど。
「あ、優花、先輩が部活のことで話あるって」
「分かった。高柳さん、また後でね」
「うん、またね」
「……ふふ、やっぱりなんか高柳さんって可愛いよね」
一体何を見てそう感じるのか、松岡さんはよく分からない人だ。
教室を出て行く二人から視線を逸らし、自分の席に座ると、誰かが近付いて来る気配がした。
見上げるとそこにいたのは桜乃。
それはいいんだけど、なんか変な顔をしてるのは何故だろう。
「どうしたの?」
「和泉ちゃんが他の子と仲良くしてるのはすっごく良いことなのに、複雑な感情を抱いちゃう自分に嫌気がさしてたの」
「複雑な感情とは」
「……ヤキモチじゃないでしょうか」
ないでしょうか、と言われても困っちゃうんだけど。
にしてもヤキモチか……私が誰かに妬くことはあっても、誰かを妬かせる日が来るとは思わなかったな。
……つまり対処法が分からない。
「えっと……あの二人は誰にでも優しいから、私に対してだけじゃないよ」
「でも体育祭を通して仲は良くなったでしょ?」
「それはそうだけど。……桜乃ってたまにお母さんみたいなこと言うから、”お友達が出来てよかったね”みたいなこと言ってくるかと思ったのに」
「それも思ってはいるよ。もっとたくさんの人に和泉ちゃんの魅力が伝わって、友達百人くらい出来ればいいのにって」
少しの間を開け、俯きながら桜乃は続けた。
「……でもその中で私が一番でいたい」
「意外と野心家なんだね」
「和泉ちゃんに対してだけだよ……好きなんだから」
小声でそんなことを言われて、思わず距離を取る。そんな私を見て桜乃は不満そうに頬をふくらませた。
「こういうこと言われるの嫌?」
「……外ではあんまり」
「なら家でだけにするね」
「う、うん、まあ」
家でもやめてほしいいんだけど。
ぱぁっと明るくなった顔を見たら強く否定も出来ず、困ってしまった。
◆ ◆
「うげ」
失礼な反応だけど、私も心の中で同じことを言ってしまったのでお互い様だ。
帰り道、たまたまコンビニで出くわした恭子は、私を見て明らかに嫌な顔をした。
お互い会いたいわけじゃないのに、近所に住んでるとどうしてもたまに会ってしまうものなんだな。
「和泉……あの性悪女は?」
「……誰のことか知らないけど、一人だよ」
周囲を見回して、桜乃が本当にいないことを理解したらしい。恭子の表情が和らいだ。
……桜乃は別に性悪でもなんでもないんだけど。
「そういや和泉さ、前に会った時も思ったんだけど、昔のこと怒ってんの?」
「怒ってるっていうか……複雑な感情ではある」
「ふーん。まぁ和泉って気にしいなとこあったしね」
私の隣に並んだ恭子は、バシバシと背中を叩いてきた。
気にしいって……それもそうだけど、そっちもなかなかに無神経なんじゃないだろうか。
「確かに和泉のこと避けちゃったのは事実だけど……ほら、私も若かったし……どうしたらいいか分かんなかったんだってば」
恭子は私が陰口を聞いていたことを多分知らない。
私がショックだったのは、告白を拒否されたことよりもそっちの方なんだけど、わざわざ言う気にはなれなかった。
「和泉だって突然誰かに告白されたらテンパることくらいあるでしょ? だから許してよー」
言いながら手を握られそうになったので、慌ててかわした。
そういやスキンシップの多い子だったなと、ふと思い出す。その度デレデレと喜んでいた過去の自分は滑稽だ。
「……私も悪いとこあったし、もういいよ。じゃ」
「いやいやちょっと待ってよ! ねーもう知ってるでしょ? 私、高柳君のこと好きなの! お願い、取り持って!」
果たしてそれは過去に告白してきた相手に頼む内容なんだろうか。
ロクな人間関係を築いたことがないから分かんないけど、他の人たちはこういうことをしても平気なのかもしれない。でも私は平気じゃないから首を振った。
「無理。というか、お兄ちゃんは私から紹介された女の子には興味持たないよ」
「いやいやそんな」
「本当だよ。本人がそう言ってた」
真っ直ぐ見つめて言うと、私の言葉を信じたらしい。恭子は笑顔を消し、俯いて、軽く舌打ちした。
とても態度が悪いけど、私も私で嘘をついたからお相子だ。
実際は、お兄ちゃんが私から紹介された女子に興味あるかなんて知らない。
「もういいや。……なんか和泉変わったね」
それだけ言って、そのまま別の方向へと歩いて行く恭子。こちらを振り返ることもない姿には、いっそ清々しささえ感じる。
彼女の姿が見えなくなった辺りで、私はようやく気が付いた。
「……恭子に会ったのに、前みたいに気持ち悪くならなかったな」
少し前までは、思い出すだけで気分が悪くなったのに。
以前遭遇した時なんて、それはもう酷いものだった。桜乃がいなければ地面にリバースしていたかもしれない。
それなのにどうして今は面と向かって会話をかわして、お兄ちゃんの話題すら持ち出されたのに、平然としていられるんだろうか。
「……私、やっぱり変わったんだ」
先ほど、去り際に恭子が言った言葉を思い出す。
正直、私も自分は良い方向に変われたと思っている。恭子と会っても平気だったのはその影響なのかもしれない。
逆に今まで何をそんなに恐れていたのか。割と真剣に考えて、思いついた可能性。
もしかしたら私は、恭子にこれ以上嫌われるのを無意識的に恐れていたのかもしれない。
何を今更って感じだけど……多分私は好きな人に嫌われることが、この世で最も恐い。
認めたくはないけど、あんな目に遭ってもまだ恭子のことを好きな気持ちが、心のどこかに残っていたんだと思う。
「つまりようやく吹っ切れたってことなのかな……」
随分と長い片思いだったなぁと、我ながら呆れる。
まあ、想いに片が付いたところで、別に何かが変わるわけではないんだけど。
これからは恭子の夢を見てうなされることはないのかもと思うと、ちょっとホッとした。
玄関の扉を開くと、パタパタと駆け寄って来る足音。しばらく待っていると、リビングの方から桜乃が顔を出した。
「和泉ちゃん、おかえり!」
家に帰ると誰かが出迎えてくれる。この光景に慣れ始めている自分に、なんとも言えない気持ちになった。桜乃と同居するまでは”ただいま”なんてロクに言ったことなかったのに。
「……和泉ちゃん? どうしたの?」
「あ、ごめん、ただいま」
うっかり今も言うのを忘れてしまい、慌てて口を開いた。この反応に変な心配をしたらしく、桜乃の表情が変わった。
「何かあった?」
「あー……いや、うん、何でもない」
「ならいいけど……。あ、今日はカレー作ったんだ。味見してみて」
言いながら、自然と手を繋がれた。そのまま引っ張られるようにキッチンへと歩かされる。
いつもなら恥ずかしいと振り払うはずなのに、今はそんな気持ちが全くわいてこないのはなんでだろう。
”マジで気持ち悪かったわ。和泉に好きとか言われても勘弁だって”
ずっと耳にこびりついて離れなかった恭子の言葉。
私なんかが人を好きになったら迷惑なんだと思い知らされた言葉だ。
あれから私は人を好きになるのが怖くて、女の子から逃げて、人との交流からも逃げ続けた。
「…………桜乃はさ」
「なに?」
「高校生になった私を見て、どう思う?」
問いかけの意味が分からなかったのか、立ち止まって首を傾げる桜乃。
「えっと、私って結構昔と変わったと思うんだけど……性格とか色々、暗くなったし」
「マイナス思考にはなったよね」
素直な感想が胸に突き刺さりつつも、めげずに続ける。
「多分私はこの先もずっとこのままで……子供の頃みたいには戻れないと思うんだ。だから、えっと」
自分で言い出しておいて、だんだん何を言いたいんだろうという気持ちになってきた。
それに、私は桜乃になんて答えて欲しいんだろうか。
「……うん。でも大きくなるにつれて、多少変化するのは当たり前じゃないかな。私も昔とは結構変わったと思うし」
「でも桜乃のは良い変化だから」
「それなら和泉ちゃんだって、……この間多少なりとも変われたって言ってたけど、それは良い方向にって意味じゃないの?」
それは確かにそうだったので、つい無言になってしまった。
私は野球をやっていた頃の自分が一番マトモだと思ってるけど、それでも桜乃と再会してからは多少マシになった——と思う。
人はいつからだって、良くも悪くも変わることが出来る。少なくともそう思えるようにはなった。
「でも私は、根っこの部分というか、人の根幹はそう簡単には変わらないと思ってるよ。たとえ和泉ちゃんがどんな風に変わったとしても、私が好きになった和泉ちゃんは消えない」
「……昔の私と今の私じゃ全然性格も違うのに?」
「うん。だって前にケーキフェアに行った時も、ゆっくり歩くからって言ってくれたでしょ」
言ったっけ……前のこと過ぎて忘れちゃった。
それにしても桜乃は私が言ったことをよく覚えているものだ。
「和泉ちゃんの優しいところは変わってないよ。それに私はどんな和泉ちゃんでも割と好きだから……というか、どうしたの? 急にこんなこと聞いてきて」
「……いや、別に」
一緒に同居し始めて数ヶ月が経って、今の私のことも分かった上で、それでも桜乃は私を好きだと言ってくれる。
そのことに酷く安堵している自分がいた。
——でもこれに似た想いを昔も感じたことがある。
幼稚園の頃に好きだったサトコ先生。独り占めしたくて、自分だけと話してほしくてウザ絡みしていた幼い日の自分の醜態を思い出す。
「……どっちなんだ、これ……」
「なにが?」
考え事に耽っていた内に、不思議そうな表情の桜乃が思ったよりも近付いて来ていて、心臓がはねた。
「な、なんでもない!」
「ならいいけど……じゃぁカレーの味見お願い出来る?」
「あ、うん。別に味見しなくても美味しいと思うけど」
「えへへ……嬉しいけど、あんまり甘やかされると調子乗っちゃうから」
本当のことなのに。
料理が上手い人って、その自覚が薄いものなんだろうか。
「……ところで和泉ちゃん、手繋ぎっぱなしだけど、いいの?」
「え? あー……、放そうかな、一応」
我ながら意味不明な一言と共に手を解放してもらうと、桜乃は不思議そうに首を傾げた。
続く




