【29.欲しかった言葉】
結局、桜乃は保健室には来なかった。
私は体育祭が終わるまでベッドで大人しくして、終わったと同時に、先生が呼んでくれたタクシーで病院へと向かった。
その途中、スマホに届いた松岡さんからのメッセージによると、体育祭の打ち上げとやらがあるらしいけど、断る口実が出来てむしろホッとした。
病院に着くと、その前には数日ぶりに見るお母さんの姿があって、つい目を丸くして驚いた。
「え、なんでいるの?」
「先生から連絡貰ったからに決まってるじゃない! もー、あんたってば無茶して……どれだけ心配したと思ってるの!?」
「あ、はい」
「あ、はい、じゃないわよ……もう、ほら、お金は払っておくから受付に……って、一人で歩ける?」
「平気だよ。別に骨折したわけでもないんだし」
心配してるんだか怒ってるんだか過保護なんだか、よく分からない感情が爆発しているお母さんを置いて、病院の中に入って受付を済ませた。
私が怪我したら仕事中でも駆けつけてくれるんだ……と、謎に感動してしまった。
親なんだからそれが当たり前、というわけではないんだと思う。
自分の行動のせいで、お母さんの仕事に支障が出てしまったことを反省した。
◆ ◆
「ただいま帰りました……」
「あら、桜乃ちゃん。打ち上げだって聞いてたけど、早かったわね」
「あ、伯母さん……ごめんなさい、和泉ちゃんのこと、色々と」
「なーんで桜乃ちゃんが謝るの。怪我のことなら和泉自身がやったことだし、監督責任っていうなら親である私たちなんだから」
ほんと、その通りだ。
久しぶりの母親の手料理――ではなく、帰りにスーパーで買った総菜を食べながら、うんうんと頷く。
ちなみにお父さんは未だ仕事中だけど、スマホには足の具合を心配するメッセージが届いていた。
「和泉ちゃん……」
「おかえり。打ち上げ、お好み焼き屋さんだったんだって? 美味しかった?」
「……あんまり味覚えてない」
「そ、そっか。じゃぁもしかしてお腹空いてる? これ食べる?」
「……」
なに、なんでこんなにテンション低いの? 今日って楽しい体育祭だったよね?
私たち白組は、優勝こそ出来なかったものの二位だし、そんなにガッカリするほどじゃないはずなのに。
「和泉、桜乃ちゃん、私ちょっと上で仕事してくるから、何かあったら呼んでね」
「あ、はーい」
階段を上っていくお母さん。その足音がやたら大きく聞こえるくらいには、私と桜乃の間には言葉がなかった。
……もしかして、私が倒れたことでこんな顔をさせてしまってるんだろうか?
そりゃ心配かけたのは分かってたけど、まさかクラスの打ち上げを経ても元気が出ないほどだなんて。
流石に何とかしたいけど、なんて言ったらいいものか。
「あのー……桜乃ちゃん? なんか、えっと、元気ない?」
「……多分ちょっと落ち込んでる」
桜乃らしくない返答に、これは相当重症だなぁと思った。
とはいえ、私に出来ることなんて何があるのか。
肉じゃがを頬張りながら少し真面目に考えたけど、思いつかなかった。
「んー……桜乃」
ちょいちょいと手招きすると、桜乃は素直に近付いて来て、私の隣の席に腰を下ろした。
その目の前に、箸で挟んだ肉じゃがを持っていく。
「はい」
あーん、は恥ずかしいので言わない。
「……、味が染みてて美味しい」
「だよね。最近のスーパーのお惣菜はクオリティが高いんだ」
大人しく肉じゃがを食べた桜乃は、こくりと無言で頷いた。
「でも私は前に桜乃が作ってくれた肉じゃがの方が好き。だからまた今度作ってよ」
「…………それは、慰めてくれてるの?」
「うん。言ってることは本音だけどね。でも慰める時にご飯作り要求するのって最低か……?」
普通なら、逆に私が作ってあげるって言うべきなのかもしれないけど、私に料理なんて作らせようものなら、とんでもないことになるし。それこそ何の慰めにもなりはしない。
「……最低かは分かんないけど、少なくとも私は嬉しい」
「桜乃は変わってるね」
少しだけ顔をあげた桜乃は「でも」と続けた。
「まだ少し元気ないから……ここでなら、いい?」
「なにを?」
「抱きしめても」
そういえば体育祭の時も抱きしめようとしてたな……あれって私を慰めるためというか、桜乃がしたかっただけなのでは。
「なんでそんなにハグが好きなの?」
「ハグが好きなんじゃなくて和泉ちゃんが好きなの。和泉ちゃんと触れ合えるなら、ハグじゃなくても、キスだって好きだよ。……キスしていいの?」
「よ、よし、ハグしちゃおっかな!」
叫びながら、勢いで抱きついた。
そして後で気が付く。これっていわゆるドア・イン・ザ・フェイスってやつなのでは? と。
抱きしめた桜乃の体は、ちゃんと食べてるのか心配になるほど華奢だった。
キスよりマシとはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしい。すぐに体を離そうとしたけど、桜乃の手に阻まれてしまった。
「……あの、元気は出た?」
「うん」
「じゃぁ、放してもらってもいいですかね?」
「んー……うん」
名残惜しそうにしつつも解放してくれた。
なんだろうなぁ……私に度胸があれば、こういう機会はむしろチャンスだと思えるんだろうか。
でも桜乃の場合は、事情が事情なだけに、気まずさの方が圧倒的に勝ってしまう。
「……」
元気は出た、なんて言いつつも、未だに暗い顔をしている桜乃を見て、私は首を傾げた。
「……あ、そういえば、あの時叫んでくれたのって桜乃だよね? 私がバトンを渡す直前。もう少しだって」
空気を変えるために振った後で、すぐに少しだけ後悔した。
これは私からすると、少し恥ずかしい話題になるかもしれないということに、話し始めてから気が付いたから。
「……うん。久しぶりにあんなにおっきい声出したかも」
「えっと……ありがとう。あの言葉がなかったら、あのまま転んでたかもしれない。ちゃんと走りきれたのは桜乃のおかげだよ」
ただのお礼なのに、猛烈に恥ずかしい。顔とか赤くなってないだろうか。
私が素直にお礼を言うとは思っていなかったらしく、桜乃は目を丸くした後、ふっと微笑んだ。
「ううん……和泉ちゃんの役に立てたなら私も嬉しい」
言い終えた後、桜乃は顔を俯かせた。こちらから少しだけ見える表情は暗く、流石に不安になって、思わず声をかける。
「……さっきから本当にどうしたの?」
確かに私は倒れてしまって心配をかけた。でもそれにしたって落ち込み過ぎだ。
ここまでくると、何か別の原因があるのでは――と、顔を覗き込むように見上げると、桜乃はぽつりと呟くように言った。
「……ちょっと、不安になったの。和泉ちゃんにまた、もしものことがあったらって……」
言葉を続ける桜乃は、すごく辛そうな顔をしている。
「ごめんなさい。私のせいで……和泉ちゃんをそんな体にしちゃって……」
「……」
その言葉で、流石の私も理解した。
桜乃は今もずっと気にしていたんだ。あの事故の日のこと。あの時、私が動かなければ、事故に遭っていたのは桜乃だったから。
「……もしかして、自分が轢かれればよかったとか思ってたの?」
その問いに対する明確な答えはなかったけど、無言であるということは多分肯定なんだろう。
前にも恩返しとか言ってたし、ほんっと馬鹿真面目だな。
あんな昔に、従姉妹が勝手にしたことなんて忘れてしまえばよかったのに。
そうしたら今も私なんかのそばじゃなくて、もっと他の人のそばで楽しく生活できたかもしれないのに。
責任感じて、こんなところまで来て、こんな落ちぶれた私の姿を見ても好きでい続けてくれてるなんて。
本当にバカだ。
でも、
「桜乃が会いに来てくれたから、私は多少なりとも変われたんだと思う」
私は、みんなに好かれるお兄ちゃんに劣等感を抱いていた。
お兄ちゃんに比べて自分は誰にも好かれていなくて、情けなくて、格好悪い。ずっとそう思っていた。
でも今はほんの少しだけど、そんな自分を変えられたように思う。それには色々な要因があるけど、桜乃の割合はかなり大きい気がする。
「こんな言い方すると変だけど……私はあの事故があって良かったって思えるようになったよ。桜乃は?」
言いながら彼女の手に触れると、驚くくらい冷たかった。
「桜乃は、あの事故のことどう思ってる?」
言葉にして初めて気が付いたけど、多分これは、私がずっと聞きたかったことだった。
あの日のことを、桜乃はどう思っているのか。
あの後すぐに私たちは会わなくなってしまったから、今までずっと聞けていなかった。
私は本当の意味で桜乃を救えたのか。
それともただ、庇われたという心の重荷を与えてしまっただけなのか。
「私は……」
少し間を開けて、それでも桜乃はハッキリと答えた。
「あの時、和泉ちゃんが身を挺して助けてくれたこと、本当は嬉しかった。……けど、和泉ちゃんは大怪我を負って、大好きな野球も出来なくなって、だから……嬉しかったなんて身勝手なこと、口が裂けても言えなくて……でも、心の中ではずっと思ってた」
――ありがとう。
その言葉が聞こえた時、心の奥底にあったモヤのような何かが晴れた感じがした。
恩返しとか、ごめんなさいとか、そういう言葉じゃなくて、本当に聞きたかったのはこの一言だったのかもしれない。
これが本音かどうか私には分からない。本音だったらいいなと思うことしか出来ない。
だから思い込むことにした。
私は間違ってなかった。あのとき桜乃の代わりになれて、本当によかったんだって。
「でも病院に会いに来てくれなかったのは、幼いながらにトラウマだったよ」
「う……大怪我した和泉ちゃんを見たら私も絶対に泣いちゃうと思ったし……嫌われたくなかった……って、これも身勝手なんだけど……」
まあ、前に一度は来てくれたって話は聞いたし、今はそんなに気にしてないんだけど。つい意地悪を言ってしまった。
「……今日だってそうだよ」
「え?」
「私、保健室に行かなかったでしょ」
「そうだね」
何気に待っていたので、ちょっとショックを受けていたりする。
「怪我をした和泉ちゃんを見たら……心配で、ずっと付き添いたくなって、もうグラウンドに戻れなくなるだろうなって思って行けなかったの」
「桜乃は心配性だね」
「こんなに過保護になるのは、和泉ちゃんに対してだけだよ」
過保護な自覚はあったんだ……。
この過保護さは、彼女が私のことを好きだと思ってくれているからなのか、怪我をさせた負い目からなのか、それとも元々の性格によるものなのか。判断が難しい。
「……和泉ちゃん。お願いがあるんだけど」
顔を上げた桜乃は、少し申し訳なさそうに微笑んだ。
「なに?」
「少しだけ、目を瞑っててくれない?」
「? はい」
言われるがまま目を瞑った。
なんだろう。ひょっとして目を瞑ってる間に顔に悪戯書きとか……するわけないか。
意識があるのに視界が真っ暗なのは何だか落ち着かない。何をするつもりかは知らないけど、するなら早くしてほしい。
「ねぇ、桜乃――」
もういい? と、続けようとした言葉は、途中で途切れた。
自分の体を包み込む柔らかな感触。鼻腔をくすぐる女の子特有の甘い香り。気が付けば、また桜乃に抱きしめられていた。
「……リレーの時、すごく心配した」
何を言おうか迷っていると、彼女が蚊の鳴くような声で呟いた。その体は少しだけ震えている。
「ごめんなさい…………」
これは一体、何に対しての謝罪なんだろうか。
思い当たる節をめぐっていると、聞こえてきた小さな嗚咽。
ああ、泣かせてしまった。
そう思った私は、そろりと腕を動かし、桜乃の背に添えた。
「私の方こそ、心配かけてごめん」
もっと気の利いた言葉はごまんとあるだろうけど、生憎私はそんなに口達者じゃない。
それから私の胸に顔をうずめる彼女の姿は、まるで子供みたいで。
これ以上悲しい思いをさせたくなくて、ついその体を強く抱きしめた。
「和泉ちゃん……」
ずっと我慢していた何かが溢れたんだろうか、桜乃は堰を切ったように泣き始めた。
しばらくして私から離れた桜乃は、気が付いたら泣き止んでいて、何故か居住まいを正し始めた。
「落ち着いた?」
「……お見苦しいところをお見せして、誠に申し訳ございませんでした」
やたら仰々しい言葉に、思わず笑いそうになった。
桜乃は泣いたせいで赤くなった目を、こしこしとこすっている。
「あんまりこするとよくないよ。洗ってくる?」
「後でそうする」
手を目元から膝に移動させ、こほんと咳払いを一つ。
「とにもかくにも、今日はお疲れ様」
「うん、お互いにね。……ねぇ桜乃」
「なに?」
「目もだけど、顔も真っ赤だよ」
「……?」
ぺたぺたと自分の顔を触り、首を傾げる桜乃。
どうやら自分じゃよく分からないらしい。私は無意識に手を伸ばし、桜乃の頬に触れた。
「ほら、やっぱり熱い」
「……」
ぺしっと、無言で手を叩かれてしまった。何故だ。
少しだけ赤くなった手をさすっていると、桜乃の顔がさっきよりも赤くなっていることに気が付いた。
……ひょっとして恥ずかしいんだろうか?
今まで色々と恥ずかしいことを言いまくっていた彼女がこんなことで照れるなんて。あまりに意外で、私は思わず黙り込んでしまった。
「……和泉ちゃん、すごく間抜けな顔になってるよ」
「顔も目も真っ赤な桜乃よりはマシだと思うよ」
「…………今の和泉ちゃんは意地悪だからあんまり好きじゃない」
「それは残念」
そう言って肩をすくめると、桜乃は拗ねたような表情を見せた。
なんというかすごく新鮮だ。いつもは私の方が桜乃の言動に戸惑ってばかりなので、なんとなく優越感。
いやー、桜乃にも年相応なところがあるんだなぁ、なんて。
「い、和泉ちゃんなんて、いつもエッチな漫画読んでる割に抱きしめたらすぐドキドキするくせに!」
「なっ、なにをいきなり……別にドキドキしてないから」
「してたよ! なんならついさっきだって! 放してもらってもいいですかね? とか言ってたじゃん!」
「いやあれはドキドキしてたからとかじゃなくて普通に恥ずかしかったからだから」
「一緒じゃん!」
――まあ、結果としては、どっちもどっちということで。
不毛な争いはやめよう……こんな言い合い、お母さんに見られたら二人とも恥ずかしくて死んじゃうだろうし。
私が大人しくなったのを見て、桜乃も言葉を止め、今更ながらにテーブルの上を見た。
「なんか本格的にお腹すいてきた……私も一緒に食べていい?」
「もちろん。他にも色々買って来たけど、何かいる?」
「ううん、ここにあるのだけで……そういえば和泉ちゃん、さっき嬉しいこと言ってくれたよね」
「なんだっけ?」
「お惣菜より私が作った料理の方が好きだって」
「そんなこと言ったっけ?」
あえてとぼけると、隣から抗議の視線が突き刺さったけど、無視させてもらった。
「私の料理の方が好きだって言った」
「……はいはい、言いました」
「それって、毎日作ってくれってことと同義だよね?」
……そういえば前にそんな話をしたことがあった気がするけど、そんなに言ってほしいのかな。
「手料理を毎日食べたいって言われたら嬉しいものなの?」
「少なくとも私は、和泉ちゃんに言ってもらえたら飛び跳ねるくらい嬉しいよ」
「ふむ……じゃぁ言わない」
「……今日の和泉ちゃん、意地悪過ぎない?」
だって喜んだ桜乃って、いつにも増して恥ずかしいこと言ってきそうで嫌なんだよね。
拗ねたような桜乃の視線を流しつつ、私は彼女の分のおかずをお皿に取り分けた。
続く




