【28.それから】
結果として、私は「リレーを全力で走り過ぎて足を捻った人」として保健室に運ばれた。
ただ、同じクラスの桜乃はともかく、お兄ちゃんがわざわざ駆けつけて来るものだから、変に注目を浴びて恥ずかしさが五倍くらいになった。
わざわざ別のクラスから兄が駆けつけて兄に肩を借りながら保健室に運ばれるのは、私にとっては公開処刑にも近かった。
まあ、あらかじめ助けてくれるって言ってたからいいんだけどさ……。
保健室に行くと、ちょうど手当が終わったらしい生徒と入れ違いになった。
それから足の具合を診てもらっている途中、お兄ちゃんが昔の事故と怪我のことを説明した。
その後、出番があるらしいお兄ちゃんが出て行った後、先生に昔の傷が炎症しているのだろうと言われた。
事故に遭ったのはもう大分前の話だし、今回のことは無茶な走り方のせいだと思っていたんだけど、それも半分正解らしい。
「負担をかけ過ぎたのよ。痛みで体のバランスが崩れた結果、捻っちゃったんでしょうね。いくら体育祭だからって無理し過ぎよ」
言いながら、先生はとりあえずの処置を施してくれた。
あとは近くの病院で診てもらった方がいいと言われてしまい、意外と大事になってしまったとヒヤリとした。
「足に負担をかけないために、今日はもうベッドで休んでなさい」
ラッキーと思いつつ、言われた通りに休んでいると、先生は保健室に飛び込んできた生徒に引っ張られてどこかへ立ち去って行った。
というわけで、私は残りの体育祭を保健室でのんびり過ごすという、素晴らしい特権を手に入れたのだった。
リレーの結果は気になるけど、とりあえず今はこのベッドでくつろいで――
「高柳さん!」
――いる訳にも、いかないかもしれない。
私の名前を呼びながら勢いよく入ってきたのは、体操服姿の松岡さんだった。
「松岡さん……」
な、なんで今にも泣きそうな顔なんだ……?
分かんないけど、とりあえずこっちは笑顔でいこう。
「えっと、リレーお疲れさ――」
「高柳さん!」
「ぬあっ」
言葉の途中でこちらに駆けて寄ってきて、その勢いのまま抱きつかれた。
「私、走ってる間ずっと心配で……でも無事でよかった」
「ぶ、無事なんてそんな、大げさな……」
気を失ったわけでもあるまいし。
でも、あまりに盛大な音を立てて倒れちゃったから。その後すぐにスタートすることになった松岡さんには何が起こってるか分からなくて、相当心配をかけたのかもしれない。
それにしても、そう言ってもらえるのは嬉しい、けど……。
私は今ベッドに座っている状態。つまり、私の身長とは関係なしに松岡さんの、その、胸が、私の顔に押し当てられる形になるわけで。
幸せを感じないといえば嘘になるけど、ものすごく恥ずかしい。
「ま、松岡さん……とりあえず、離れて……」
「あ、ごめんね、倒れた後なのに……」
松岡さんはそそくさと私から離れると、近くの椅子に腰かけ、こちらを見つめてきた。
「私の方こそごめんね。変なこけ方して心配かけて」
「ううん。高柳さんが……みんなが頑張ってくれたおかげで、一位も獲れたから」
「えっ勝てたの!?」
「うん。あそこまで追い上げてくれたんだもん。勝たなきゃみんなに合わせる顔がないし。全力出しちゃった」
可愛らしく言っているけど、きっとものすごいスピードだったんだろうなぁと、しみじみ。
それにしても一位か……狙っていたとはいえ、まさか本当に獲れるとは思いもしなかった。
例の陸上部の二人組の悔しがる顔が見れなかったことだけが、後悔すべき点だ。
「私、すぐにスタートしたからよく分からなかったんだけど……足を捻っちゃったの?」
「うん。必死に走り過ぎて、こけちゃった」
事故のことは、やっぱり松岡さんには言う気にはなれなかった。
「そっか……ごめんね、無理させちゃって」
「いやいや、こっちが勝手に無理したんだよ。らしくなく、勝ちたいって思っちゃって……それで怪我するなんて笑えるよね」
「笑わないよ、それだけ一生懸命だったってことなんだから。でも確かに高柳さんにしては珍しいよね」
松岡さんはきっと、あの陸上部の子たちの青井さんへの陰口を知らないんだろう。仮に何か知っていたとしても、今わざわざ言うことでもない。
「結構練習もしたし、どうせなら勝ちたいなって思って」
「そっか。そのおかげで勝てたよ!」
そのおかげというか、一位なのは大体松岡さんの走りのおかげだと思うけど。……いや、リレーって団体競技だから、みんなのおかげって言うのが正しいのかな。
「……あ、そうだ、桜乃ちゃんね、ここに来たがってたんだけど、ちょうど出番が来ちゃって……多分もうすぐ来ると思うから」
「別にわざわざ来なくてもいいんだけどね」
「ダメだよそんなこと言ったら。本当に心配してたんだから」
言われて思い出すのは、お兄ちゃんと共に駆け寄って来て、泣きそうな顔をしていた桜乃。
あんな顔をさせる予定はなかったんだけど、まあ、派手に転んでしまったから仕方ない。
「あんまり長居するのもなんだから、私もそろそろ戻るね」
「うん、わざわざ来てくれてありがとう」
私の言葉に、松岡さんは一瞬キョトンとした後、「こっちこそ、頑張ってくれてありがとう」と言って笑った。
静かな保健室にいると、グラウンドの喧騒がより目立って聞こえる。いつもならどこか疎ましいと感じてしまうそれが、何だか妙に心地良く聞こえるのは、私も何だかんだ体育祭を楽しいと感じているからだろうか。
それにしても、スマホがない状態で時間を潰すのは思ったより大変だった。
いっそのこと教室まで取りに行くことも考えたけど、途中で先生が戻ってきたら怒られそうなので、やめておく。
「んー……寝るか」
というわけで、仕方なく眠る体勢に入った。
松岡さんの話だと、もうすぐ桜乃が来てくれるかもしれないけど、まあ桜乃なら私が暇で寝てしまったことを察してくれるだろう。
学校の保健室という微妙に落ち着かない場所で、騒がしい中でもすぐに眠ることが出来たのは、無意識の内に疲れが溜まっていたからだろうか。
優しく、髪を撫でられる感触がした。
ゆっくり目を開けると、見えたのは、なんだか変な表情をした同級生の顔。今にも泣きそうな、情けない顔だ。
「……青井さん?」
「あ……起きたのね、よかった」
安心したような声。それと同時に、私の髪を撫でていた手が離れた。
……何だか変な誤解をされているような気がする。
「ごめん、暇だったから寝てたんだ」
「は? あんたね……こっちは痛みで気失ったんじゃないかって心配したってのに……いや、その割には安からな顔してたけど」
「安らかな顔って、死んだ人みたいな言い方しないでよ」
苦笑すると、青井さんは急に真剣な顔になって、こっちをジッと見た。その視線に妙な居心地の悪さを感じていると、
「ありがとね、一生懸命走ってくれて」
いきなりそんなことを言われた。今日はよくお礼を言われる日だ。
「そんなの当たり前だよ。私も勝ちたかったし」
「でも嬉しかったわ。それに、リレーが始まる前も励ましてくれたでしょ」
「あれは思ったことを言っただけだよ」
「それも嬉しかったのよ」
本来なら、お礼を言うのは私の方だ。
最後はこんな結果になってしまったとはいえ、久々に本気で走れて楽しかったし。
青井さんたちと一緒じゃなければ、真面目に体育祭に出場していたかすら怪しい。
「……私こそ、ありがとう」
「なんであんたがそんなこと言うのよ」
ぺちっと、おでこを軽く叩かれた。
こちらを見下ろす青井さんの目はどこまでも優しくて、なんだか安心する。
安心ついでに、いつまでも寝た体勢で対応するのもなんだと思い、起き上がった。
「……本当はね。あんたが励ましてくれなかったら、あたしは逃げてたかもしれないわ」
思ってもいなかった言葉に、少し驚いた。
「自分の実力は自分が一番よく知ってたから、あたしがみんなの足を引っ張るんじゃないかってずっと心配してたの。毎日あんたたちを巻き込んで練習してたのもそれが理由。カッコ悪いでしょ」
「カッコ悪いのかな……?」
「え?」
「誰だって負けたくないから練習するんでしょ? きっとみんな同じだよ。なら、カッコ悪くなんてないと思う」
正直他の人のことはよく分かんないけど。
でも、どうせ負けると思って何の努力もしないより、勝ちたいと思って努力する方が偉いんじゃないだろうか。
「青井さんはカッコいいよ。少なくとも私はそう思う」
「…………ホント、あんたってバカよね」
「え。今、私いいこと言わなかった?」
「普通そういうことは自分で言わないわよ」
青井さんは呆れたように溜め息をつき、それから私の顔を黙って見つめてきた。
なんだろうと思っていると、いきなり、ぐにーっと両方のほっぺたを引っ張られる。
「ひゃほいひゃん……ひゃにふるの」
「なに言ってるか分かんないわよ」
そう思うなら手を離してほしいんですけど。
「あたしは全然役に立てなかったけど……あんたのおかげでリレーには勝てた」
少なくとも私だけのおかげではない。
そう反論しようにも、このままじゃ上手く喋れない。
もどかしい気持ちでいると、青井さんは今まで見たことがない、すごく嬉しそうな顔で笑って言った。
「ありがとう」
「……」
あ、青井さんがいつになく素直だ。これじゃまるで普通の女の子みたい……いや、普通の女の子なんだけど。
彼女は私の頬から手を離すと、体ごとそっぽを向いてしまった。照れているのか、こちらから見える耳は少しだけ赤くなっている。
「青井さんって意外と可愛いとこあるよね」
「……あんたが病人じゃなければ、思いっきり殴ってるところだったわ」
褒めたつもりだったのに……。
謝るべきかどうか迷っていると、青井さんはまた呆れたように溜め息をついた。
「まぁ、所詮は和泉だもんね」
どういう意味だろうか……少なくとも褒められてる感じはしないけど。
「じゃ、あたしはそろそろ帰るわ。クラスの応援もしなきゃだし」
「私の分までよろしく」
立ち上がった青井さんが出口に向かう。その扉に手を伸ばした時、ふと何かを思い出したように振り返った。
「そうだ。言うの忘れてたけど……全力で走ってるあんたも意外とカッコよかったわよ」
「え?」
「じゃ、じゃぁね!」
そのまま素早く部屋から出て行ってしまった。
扉がかなり乱暴気味に閉められたけど、怒ってるんじゃなくて、照れていたんだと思う。
なんか今日の青井さんはやけに素直というか、なんというか……。私が病人だから優しくしてくれたのかな。
きっとそうだろう。なんだかんだ言って彼女も優しいんだ。
続く




