【26.らしくないこと】
あっという間、なんて言葉があるけど。あれから体育祭までは、まさにあっという間だった。
当日、校内はいつも以上に活気づいていた。
クラス内で有志を募って作ったらしい応援プレートを掲げ、それぞれのクラスTシャツを着用し、一部の生徒はとんでもない髪型にアレンジしたりしている。みんなその頭部に毎年使い回しのハチマキを巻き、それぞれのクラスを精一杯応援している。
「人多いなぁ……って、当たり前か」
クラスのテント内で体育座りしつつ、たくさんの人で溢れるグラウンドを見て、私は深い溜め息をついた。
やっぱりこういう催し物は苦手だ。人混みで息苦しくなるし、やかましいし、周囲のテンションについていけないし。
早くも帰りたい気持ちになっていると、キャーっという、黄色い声援が上がった。
「なんだ……?」
「凄かったわね」
近くにいた青井さんの言葉に首を傾げる。
「何が?」
「見てなかったの? あんたの……あの、なに? 何部か忘れたけど、お兄さんがぶっちぎりだったのよ」
目の前で繰り広げられていたのは、百メートル走。
人の多さに気分が悪くなっていたせいで、お兄ちゃんが走っていたことなんて気付きもしなかった。
「高柳先輩、足も速いんだね!」
「ねー、めっちゃカッコいい! 次の競技も応援しよー」
「おいお前ら、敵の応援やめろよ!」
キャッキャとはしゃぐ女子たちに対し、正論をぶつける男子。
そんな光景を横目に見つつ、私は再度溜め息をついた。
リレーのことを考えると、いつにも増して胃が痛くなってきた。出番は後半だから、それまでずっとこのままなのかと思うと、憂鬱になってくる。
「和泉ちゃん、大丈夫?」
「うわっ!?」
いつの間にか隣に移動して来ていた桜乃が、俯けていた顔を覗き込むように見てきたので、思わずのけぞった。
「あんた、今のお化け見たみたいな反応はなによ」
「いや……近くにいると思わなかったから、つい」
「みんな騎馬戦に行って暇になったから来ちゃった」
なんかこんな風にクラスのみんながいる前で桜乃と話してるのって、新鮮で変な感じ。
ソワソワするような気持ちでいると、反対隣の肩に手が置かれた。誰かと思えば、松岡さんだった。
「私も暇だから混ぜて」
「う、うん」
にしてもいつも思うけど、スキンシップの多い人だ。触られる度にちょっと緊張するからやめてほしい。
目の前で繰り広げられている騎馬戦から視線を外し、手元のタイムスケジュールのプリントを見ながらふと思う。
「ラストに選抜リレーがあるのに、クラス対抗リレーを男女別で二回もする意味ってあるの?」
「今更な疑問だね……」
我ながら本当に今更な疑問を口にすると、松岡さんが苦笑した。
それから手元のプリントを覗き込むように近付いてくるので、その距離感に思わず体を離す。
「単純に人気競技だからじゃないかな?」
「でも三回もリレー見たい?」
「私は人が走ってるの見るの好きだから見たいかな」
「そっか……」
陸上部らしい台詞に、ガックリと肩を落とした。
それにしてもそんな人気競技を押し付けられるなんて、嫌われ者の私には身に余る光栄だ、泣きたい。
「高柳さん、もしかして緊張してる?」
「……そりゃ、かなりね。途中でこけたりバトンパスミスしたらごめん」
「それは誰にだって起こる可能性があることだから仕方ないよ。難しいかもしれないけど、気負わないでいこ」
「松岡さん……」
良い人だなぁ、ほんとに。
優しい言葉に思わず手を握りしめたくなったけど、まあ当然出来るわけもなく。脳内だけで済ませておいた。
緊張のせいか無性にトイレに行きたくなったので声をかけてテントを出て行った帰り、桜乃たちが見えた。
私に気が付いた桜乃は、話していたクラスメイトに何かしらの声をかけ、こちらに寄って来る。
「あれ、次出番だっけ?」
「うん。……和泉ちゃん、大丈夫?」
言いながら、ごく自然に手をとられそうになったので、さりげなくかわした。
「思ったより大丈夫。緊張も一周回ると平気になるもんだね」
「それ、本心で言ってる?」
「……言ってないって言ったら、どうするの?」
素直に答えるのが癪で、我ながらひねくれた答えを返すと、桜乃は迷いなく答えた。
「抱きしめる」
「……あの、ここが学校で、人前だって自覚はある?」
「もちろん。けど、女の子同士ならこれくらい普通にすると思うよ」
「私は普通の女の子とは違うんですけど……」
「それは和泉ちゃん自身の気持ちが? それとも周囲の目が?」
「……どっちもかな。主に後者だけど」
桜乃が無言で私の方に手を伸ばして来るものだから、本格的にかわす体勢に入った。
「待って、本当はまだちょっと緊張してるけど、人前で抱きしめるのはマジで勘弁して」
「それなら、せめて手だけ」
えー……手も……こんなとこで手繋いでるのもどうなんだ……?
「……嫌?」
うぅ……やめてよその言い方……。あと、無意識なんだろうけど、目をキュルンってさせないでほしい。嫌なはずなのに嫌って言い辛いじゃん……。
「……どうぞ。手はさっき綺麗に洗ったからご心配なく」
「えへ、結局折れてくれるところ大好き」
「はいはい……」
つまりチョロいところってことだろうか。
ぎゅっと繋いだ手を、ふらふらと揺らされる。随分ご機嫌なようで何よりだ。
「……大丈夫だよ。和泉ちゃんは今までたくさん頑張ってきたから」
急に真剣なトーンになった桜乃は、握っていた手に力を込めてそう言った。
「きっとやり遂げられるよ」
「……そっちも、頑張ってね」
「うんっ」
笑顔の桜乃を正面から見るのが照れ臭くて、そっと顔を逸らした。
励ましてくれてありがとう――っていうのは、恥ずかしくて、つい伝え忘れてしまった。
◆ ◆
「和泉、一緒に食べるわよ」
「え?」
空いていたスペースで一人お弁当を広げようとしていたところにやって来た青井さん。
その後ろには松岡さんと小森さんの姿もあって、リレーメンバー大集合だった。
「食べながらバトンパスについて最終確認したいらしいわよ。ほんっと、寧々の真面目さには参っちゃうわ」
断る理由もなかったので、とりあえず四人で仲良くレジャーシートを敷いた。
私のお弁当箱を覗き込んだ小森さんが、感心したような声を上げる。
「うわー、高柳の弁当めっちゃ可愛いじゃん。手作り?」
「うん。桜乃の」
「あ、あー……そっか。従姉妹だもんね」
そういえば、小森さんと桜乃の話をするのは気まずいな。
彼女の中では……というか大半のクラスメイトの中では、私と桜乃の関係性は元恋人同士なわけだし。
久々に大人数での昼食を済ませ、クラスメイトの応援をしている間に時間は過ぎて行き、ついに私の出番まであと数種目となった。
時間の流れってどうしてこう、速い時と遅い時の差が激しいんだろうか。
「はぁー……とりあえず落ち着け」
今更緊張したって仕方ないって分かってるはずなのに、桜乃にも励ましてもらったのに。情けないことに、さっきから心臓が早鐘をうって収まらない。
とりあえず水道で顔を洗い、心を落ち着かせることにした。
「どう? 少しは平気になった?」
隣で同じように顔を洗っていた青井さんがタオルを差し出してくれたので、ありがたく受け取る。
「さっきよりはマシな感じ」
青井さんは別に緊張しているわけでもないらしいが、私に付き添ってくれた。本音はどうか分からないけど。
「あんたでも緊張したりするのね」
「そりゃするよ。私のハートはガラスで出来てるし」
「そんなガラじゃないでしょ。どっちかっていうと――」
「えー、マジー?」
青井さんの言葉を遮るように、一際大きな声が聞こえてきた。
振り向くと、カラーコーンを抱えた女子生徒二人が、こちらに向かって歩いてきた。
しかし大きな声だな。まだちょっと距離はあるのに、すごくはっきりと聞こえてきた。
にしても、あの品のない声、どこかで聞き覚えがあるような……。
あ、そうか、あの時青井さんの陰口言ってた連中の――と、なると。
「あ、青井さん、急いで戻ろう」
「は? 何よ急に」
「それで、そのとき青井がさー」
自分の名前が聞こえた瞬間、青井さんは私の首根っこを掴んで、そのまま体育倉庫の裏に引っ張っていった。すごいスピードだったので、何の反応も出来なかった。
「げほっ……、どうしてこんなところに……」
「ごめん。なんかとっさに隠れたくなったの」
「意味が分からない」
と言いつつも、大体察せられるけど。
「……あの子たち、陸上部の知り合いなのよ。なんというか、あんまり仲良くないから気まずくて」
察した通りの言葉に、私は「そうなんだ」と知らないフリをすることしか出来なかった。
「これ運び終わったらリレーか~」
「忘れないでよ。青井のチームがビリになったらミルクティーおごりだからね」
「そっちこそ、ブービーだったらコーラだから」
嗚呼、なんだかとても嫌な予感。
陰口ならせめて本人のいないところでやれよ。……いや、いないとこのつもりなのか。
「あいつ、途中でこけたりしないかな」
「流石にそれはないっしょ。でもそうなったら面白いよね」
「あ、でも今回のリレーで自分の足が遅いこと分かったら、陸上部辞めてくれるかもね」
「そうなったらマジ嬉しいわぁ。あいつ、才能ないくせに偉そうだもんね。腹立つわ~」
誰にも聞かれていないと思っているので、二人の口は止まることを知らない。
それにしたって、よくもまあ、あんなにべらべらと人の悪口が出て来るもんだ。あの性格の悪さは、一周回って感心しちゃうね。
「とりあえず青井のクラスにだけは勝ちたいね」
「そしたら今まで散々偉そうにしてきたこと謝ってもらおっか」
「どんな顔するかな~。大体グチグチうっさいんだよね。真面目に練習しろとか」
「練習したって遅い奴に言われたくないっつーの」
二人は倉庫にカラーコーンを置き、相変わらずの笑い声をあげながら帰っていった。
気まずい雰囲気の中、隣にいる青井さんのほうを見ると、その体は微かに震えていた。
「あんな奴らの言うこと、気にしない方がいいよ」
「分かってるわよ」
ならその辛そうな顔をやめてほしい。せっかく落ち着いていた気分が、また乱れてきそうだ。
「…………ねぇ」
青井さんの口から、ポツリと言葉が漏れた。
「才能って何だと思う?」
「……そんなこと、私に聞かれましても」
松岡さんやお兄ちゃんに聞いた方が適任なんじゃないだろうか。私はどちらかというと無い側の人間だし。
「……あたしは人一倍努力してると思ってる……そう思えるようにやってる。けどみんなとの差は縮まらないし、それどころか開いているようにすら思える」
部活で練習して、それが終わってからも一人で自主練して、登校前にも走って、それでも陸上部の中で遅い方。……確かに才能があるとは言えないかもしれない。
「……あんたにも、やっぱりあたしは才能がなくて、それを実感させられたのが悔しくて、一人でムキになってるバカに見える?」
「そうかもね」
素直に頷くと、青井さんは悔しそうに唇を噛み、俯いてしまった。
ちょっと意地悪だったかな。青井さんを見てると、昔の自分を思い出して重ねてしまうからよくない。
「ただ、私が言いたいのは『バカにしてる』とかのバカじゃなくて、陸上馬鹿って方のバカだけど」
青井さんの肩がピクリと動いた。
「自分の好きなことを好きなままでいられるのも大切なことだと思う。誰に何を言われたって、きっと青井さんは走るのをやめないんでしょ? それって凄いよ」
実際私は、野球を辞めてから野球があの時ほど好きではなくなってしまった。多分こういうのを冷めたと言うんだろう。多くの人はそんなものだと思う。
「私、そういう強気な青井さんが好きなんだ。だから変わらないでくれたら嬉しい」
「……そうね。けど、あんたに好かれてもあまり嬉しくないわ」
「手厳しいね」
でも、辛そうな表情はどこかに消え去ったみたいで何よりだった。
ほっと胸を撫で下ろしたとき、アナウンスが聞こえてきた。
『もうすぐクラス対抗リレーが始まります。出場する生徒はゲートの前に集合してください』
「やばっ……早く行くわよ」
小走りの青井さんの後に続き、ゲートの方へ走っていく。
「あ、そうだ、さっきの二人だけど」
「何よ」
「私たちが一位になったら、きっと賭けが成立しなくて悔しがるだろうね」
黙り込む青井さんに向かって、笑いながら、私らしくないことを言った。
「私もなんかイライラしたから、見返してやろうよ」
「……当たり前でしょ。絶対不成立にさせてやるわ」
うん、これでこそ青井さんだ。落ち込んでる青井さんなんて不気味なだけだし。
「……あんた、今失礼なこと考えなかった?」
「はは、気のせいだよ」
よし、頑張るぞと、またも私らしくないことを考えた。
集合場所の派手なゲート前には、既にそこそこの数の参加者たちが集まっていた。その中で松岡さんたちを探していると、隣から声をかけられた。
「和泉ちゃん」
「桜乃? なんでここに……」
「ごめんね……優花ちゃんたちと一緒に来ちゃった」
「いや、まぁ別にいいけど」
周りを見てみると、他にも応援のためだけに集まっている生徒がいるみたいだし。
「大丈夫? お腹とか、痛いところない?」
不安そうな表情で、親みたいな台詞を言ってくる。
さっきも励ましてくれたのに、本当に心配性だなぁ……それとも私があまりにも頼りないんだろうか。
「大丈夫だよ。ばっちり……とは言わないけど、いつも通りって感じ」
「和泉ちゃんたちが勝てるように祈ってるから」
「ありがとう。私、あんまり運ないから代わりに祈っといて」
「うん。じゃぁ、また後で」
まだどこか心配そうな顔をしながら戻って行く桜乃を見送っていると、松岡さんたちを連れた青井さんが戻ってきた。
「桜乃ちゃんとお話し出来た?」
「え? まあ、それなりに……」
「よかった」と言って、微笑む松岡さん。
あれ、もしかしてみんな気を使って離れた位置にいてくれたの?
……私と桜乃って周囲にどう思われているんだろうか。今更ながら気になってきた。
続く




