【23.言い争いと謎の噂】
翌日は少し早めに登校してみることにた。
だからって別に青井さんみたいに走り込んだりするわけじゃない。
お兄ちゃんも用があるとかで早く家を出てしまったし、桜乃と二人きりだと昨日の漫画の話の続きをされそうで怖くて、逃げるように家を出たという情けない事情だ。
「……にしても、すごく嫌な夢を見た気がするけど、イマイチ思い出せないな……」
いつものことだけど、なんで夢って起きたらすぐに忘れちゃうんだろうか。その方が精神的に楽だからかな。
いつもより人の少ない校門を通り、廊下を進んで教室の前に行く。
「ぜーったい嫌!!」
扉を開けるなり聞こえてきたのは、甲高い女子の叫び声。
既に登校していた少数のクラスメイトのほとんどがその声に驚き、何事かと騒ぎ始めた。
誰かが喧嘩でもしているんだろうか。
少し気になり、声のした方に顔を向けて――見覚えのある姿を見つけて、固まった。
「体育祭まであと少ししかないのよ?」
「別にサボってるわけじゃなくて、ちゃんと一人で練習してるし!」
騒ぎの中心にいたのは、青井さんと小森さんだった。
二人は同じクラスで同じ部活に所属していて、かなり仲が良い方なんだけど……さっきの発言的に、体育祭の件で揉めているのは明らかだ。
「せめて一度くらいは全員であわせるために練習した方がいいでしょ?」
「それは分かってるけど……でも嫌! 高柳と一緒なんて絶対に嫌!!」
えぇー……小森さんが練習に来ない理由って私だったのか……。
クラスで浮いているのは自覚していたけど、ここまで避けられるほど嫌われているとは思わなかった。
「コモちゃんがあいつのこと苦手なのは分かってるけど、でもあいつもそこまで変なことしたりしないし、大丈夫よ」
「変なことしなくても無理なの! 一緒の空間に存在すること自体が無理!」
いや、どれだけ嫌われてるんだ私。
というか一緒の空間に存在することが無理って……同じ教室で毎日授業を受けてるのは大丈夫なんだろうか。
「あいつ評判悪いし、少し喋るだけでなんかグチグチ言ってくる人たちもいるし……」
グチグチ? ……ああ、お兄ちゃんのことが好きな人たちかな。
川野さんもそうだったけど、あの人たちの中では『私に近づく女子=お兄ちゃんを狙う女子』みたいになってるもんなぁ。事実なことが大半だけど。
「……それに私、あいつのこと嫌いなんだもん」
そう言う小森さんの顔は歪んでいて、虚しいけど、本当に私のことが嫌いなんだなと分かるような表情だった。
……人に嫌われるのは慣れてたはずなんだけどな。
最近は構ってくれる人が数人いたせいか、耐性が弱くなっているみたいだ。
これだから友達は少ない方がいいんだ。ちょっとでも否定されると、こうしてすぐに傷つくようになっちゃうから。
これ以上ここにいるのはちょっと辛かったので、音もなく教室を出て行く。
幸いみんな言い争っている二人に意識が集中していて、私が登校してきたことには気が付いていないみたいだった。
廊下を歩きながら考える。
あんなに嫌われてるなんて、一体何がダメだったんだろう。
中学の時みたいに、女の子をじろじろ眺め回したり、男子と卑猥なトークをしたりは控えていたつもりだったんだけど。
……今思い出しても中学時代は本当に黒歴史だ。
「……人に好かれるって難しいんだな」
小森さんの嫌悪感丸出しの顔を思い出して、とぼとぼと階段を下る。
とりあえず校舎裏で時間をつぶそうかな。いっそもうこのまま帰っちゃおうか……いや、ダメか。今日も体育祭の練習があるし……でも私がいない方が小森さんも練習に参加できて、青井さんたち的にも助かるのかもしれない。
「……よし、帰るか」
久々に仮病をつかうことにしよう。桜乃には後で、急な腹痛に襲われたとか言っておけばいい。
そう決心した時、突然後ろから衝撃がやってきた。
恐らく誰かがぶつかったんだろうけど、その人物は廊下を走っていたらしい。
何の構えもとっていなかった私の体は、結構な衝撃にあっけなく吹っ飛ばされ、顔面から突っ込む形で着地する。
「いったぁー……ご、ごめんなさい! ……って、和泉?」
「あ、青井さん……ごめん、どいて」
今、私の体は青井さんの下敷きになってる状態だった。
別に青井さんが重いってわけじゃないんだけど……ごめんなさいやっぱり重いです。青井さんはスレンダーだけど、結構身長差があるし。
「ご、ごめん、大丈夫?」
素早く私の上からどくと、心配そうに手を差し伸べてくれた。少し躊躇ったけど、それにつかまり立ち上がる。
「大丈夫だよ。ところで何でこんなところに?」
さっきまで教室にいたはずじゃ? と言いかけたけど、私はあの場に居合わせていなかった方が、お互い変な気を使わなくていいだろう。
立ち上がってからよく見ると、青井さんの表情は暗い。友達と言い合った後だから、落ち込んでいるんだろうか。
「別に。あんたには関係ないことよ」
「そっか。あー……あの、私実は急にお腹が」
「ねぇ」
仮病で休むことをそれとなく匂わせておこうとしたら、言葉を被せられてしまった。
「なに――って、え?」
いきなり青井さんが距離を詰めてきたと思ったら、私の首に手を回し、そのまま抱きしめるような形でこちらを見下ろしてくる。
まるで恋人同士がキスをする直前みたいな体勢に、頭の中に「?」が飛び交い、驚きのあまり体の機能が全フリーズした。流石に心臓は止まらないけど、呼吸は一瞬止まった気がする。
「あ、え、えっと……青井さん?」
「和泉」
「な、なに……というか、こんなとこで、こんなの見られたら、変な噂されちゃうよ」
辺りを見回すと、早い時間だからか他の生徒の姿はまだなかった。
とはいえ、校内である以上はいつ誰に見られるか分かったものじゃない。
私は(お兄ちゃんのせいで)一部では有名だから、見られて変な噂を立てられたら青井さんも困るだろう。
「別に女同士なんだからこれくらい普通じゃない」
「ええぇ……いや……でも青井さん、変なことに巻き込まれたら嫌でしょ」
話してる間も、首に回された腕が解かれる気配はない。
普段は私に触れることもしない彼女の予想外すぎる行動に、どうしていいやら全く分からなかった。
青井さんに限った話じゃなく、人に触れられるのは落ち着かない。同年代の女子は特に。
とりあえずこのままじゃ恥ずかしくて上手く喋れそうになかったので、青井さんの肩に手を置いて、その体を引き離す。
「ど、どうかしたの? 何かあった?」
我ながらなんて白々しい質問。
タイミング的に、どう考えても小森さんとの口論が原因なのは分かってるけど……でも、それでなんで抱きしめてくるのかは、よく分からない。
俯く青井さんを見てオタオタするしかない私は、顔を上げた彼女と目が合った。
「……ふふ」
何を思ったのかは分からないけど、彼女はくすりと笑った。
肩に置きっぱなしだった私の手が、軽めの力で振り払われる。
「やっぱあんたは所詮和泉ね」
「え? どういう意味?」
「何でもないわ。ほら、さっさと教室戻るわよ」
「あ……いや、実は私、急な腹痛で早退させていただこうかと……」
「本当に? それなら保健室まで付き合うけど」
「…………嘘です」
「だと思った」
手を引っ張られ、無理やり歩かされる。
こうなったらもう逃げられないだろうから、仕方なく教室に戻ることにした。
「……ねぇ。あんたって好きな男子とかいないの?」
「え? まぁ……いないけど」
同性愛者だし。
「ふーん」
自分で聞いてきた割には、すごくどうでもよさそうな返事だった。
……けどどうしていきなりそんなことを聞くんだろう。
考えている間にも青井さんはどんどん進んでいき、三分もしない内に、教室に戻る羽目になった。
◆ ◆
「あんたって学校に寝るために来てるの?」
呆れたような声が聞こえてくる。それから複数人の、騒がしい声。
目を開けると視界は真っ暗だった。
体を起こすと、各々自由なことをしているクラスメイトたちの姿が見える。
それから、さっきの声によく似合う、呆れたような青井さんの顔がこちらを向いていた。
「……あれ? 授業は?」
「今は休み時間よ」
「なんか、すごいぐっすり寝てた気がする……」
昨日は悪夢のようなものを見たから、無意識だったけど寝不足だったのかもしれない。
「あんた、授業中ずっと寝てたでしょ」
「少しは聞いてたよ? 起立、礼、着席、とか」
「ものすごく最初の部分じゃない……」
青井さんはガックリと肩を落とした。
「それよりどうして起こしてくれたの? いつもは放置プレイなのに」
「変な言い方しないで。呑気に寝てたから、なんなく気に障って起こしただけよ」
珍しいこともあるもんだ。
青井さんは最後に私を睨みつけ、教室の外へ出て行ってしまった。
そんな青井さんと入れ違いに、松岡さんが少し慎重な感じで近付いて来る。いつも、どちらかと言えばずかずかと歩み寄って来る彼女にしては珍しい。
「高柳さん、ちょっと話があるんだけど……」
「なに?」
「ここじゃちょっと……一緒に来てくれる?」
不思議に思いつつも頷き、椅子から腰を上げる。
黙って廊下を歩いていく松岡さんの後ろに続き、人気のない廊下までやって来た。
「どうしたの? こんなところまで来て」
「えっと……本当はこういうの、直接聞かないほうがいいかもしれないんだけど」
なんだ、その前置き。なんか怖いなぁ。
「高柳さんは……その……女の子が好きなの?」
「え?」
あれ、なんでバレたの、私の秘密――にしてるわけでもないけど。あえて公言してるわけでもないこと。
「……クラスの子が言ってたんだけど」
名前は伏せているけど、まあタイミング的に考えて小森さんのことだろう。
さっき二人が言い合っていた時、松岡さんも教室にいたのかもしれない。青井さんたちの方だけ見ていたせいで、気が付かなかった。
「高柳さんが中学の頃……その、クラスメイトの子を……襲おうとしたことがあるって……」
「はあ?」
襲う? 私が? 誰を? クラスメイトを?
中学の頃といえば――思い出すのは、恭子のこと。
……え、まさかあの告白のこと?
でも襲うどころか、指一本触れてないんだけど。触れる気もなかったし。
なんでそんなデマが流れてるんだ。
「……それで、今朝、その子がそのことをみんなの前で言っちゃって……多分悪気があったわけじゃないと思うんだけど、勢いというか、なんというか……。朝早かったから、聞いた人は少ないんだけど……」
そういえばあの告白の後以降、お兄ちゃん目当てで私に近づいてくる女の子が、一時期少なくなった気がする。まさかそれもこのことが関係していたんだろうか。
小森さんは私と同じ中学だったから、きっとこの噂は中学の時からあるんだろうし。
しかしなんで当の私が気づかなかったのか……あ、友達がいなかったから噂が耳にすら入ってこなかったのか。
なるほど……高校に入学した頃から一部の生徒にやけに嫌われていたのはそういうわけだったのかと、ようやく合点がいった。
「で、それを聞いた寧々がすごく怒って、その子に向かって怒鳴っちゃって……」
「え、青井さんが怒鳴ったの?」
「うん。噂だけで人を勝手に決め付けるなって」
「……そっか」
それでさっき少し元気がなかったのか。
私のせいで友達と口論する羽目になって、その上クラスメイトの前で怒鳴らせちゃったなんて……謝らないと。
「教えてくれてありがとう。青井さんのところに行ってくる」
「うん……多分校舎裏にいると思うから」
「なんで校舎裏?」
「寧々、あの場所が好きだから」
それはまた変わった趣味をしている。あそこは湿気で年中ジメジメしているし、虫は大量発生するしで、あまり人気な場所ではないのに。
私はもう一度松岡さんにお礼を言い、校舎裏へ急いだ。
続く




