【幕間.長い長い嫌な夢】
「いーずみ、一緒に帰ろうよ!」
我ながら単純だとは思っていた。
入学早々、にこにこした顔の恭子に話しかけられて、明るく接してくれている内に、気が付けば好きになっていた。
元々友達の多かった恭子は、出会った時からたくさんの人に囲まれていて。でもその中でも特に私によく声をかけてくれてる気がして、それが嬉しかった。
「あ、野球部だ! 今から外周かな?」
「だろうね」
「うっわ……相変わらず和泉のお兄さん追いかけ回されてるじゃん……」
「物好きが多いねぇ」
同じ学校に通っていたし、お兄ちゃんは目立つ存在だったから、お兄ちゃんの話をしたことはあった。
もしかして今なら、そんな彼女の態度から色々と察せられるものはあったかもしれない。
でもその時の私は目が曇っていたというか……もしかしたら恭子が本当の意味での私の初恋だったのかもしれない。
それ以前に感じていた「好き」というのは、あくまで子供的なもので、恋愛感情として好きになったのが初めてで。
恋は盲目というか、恭子のことを無意識に色眼鏡で見ていたのかもしれない。
「和泉って本当に良い子だよね」
「私、和泉のそういうところ大好きだよ」
「和泉は私の親友だもん」
だからきっと、こんな簡単な言葉に騙されていたんだ。
高柳君の妹――そう思われることが当たり前だった私を「高柳和泉」として認識して接してくれたことが嬉しかった。
休日に家に来たいって言われて、お兄ちゃんは部活でいないと伝えた時に「和泉と遊ぶのにお兄さんが関係あるの?」と言われたことも。
後遺症を気にして全力で走ることが出来ず、100m走のタイムが遅くて笑われた時に庇ってくれたことも。
全部初めてのことだった。
今まで会った女の子はみんな私よりお兄ちゃんが好きだった。
そもそも私はあまり人に好かれるタイプじゃないし、周囲にいたのはみんな、私を介してお兄ちゃんに近付きたい女の子ばかりだったし。
そういう色んなことが重なって、出会って一年も経っていないのに、毎日恭子のことを考えるくらい大好きになっていた。
そんな日々が終わったのは、中学二年生の時。
放課後、日直の恭子の仕事を手伝いながら、二人で過ごしていた時だった。
「高木のやつ、お兄さんにフラれてからぱったり話しかけてこなくなったね」
「まあ、いつものことだから」
「確かにお兄さんの話ばっかだったし、明らか怪しかったけどさぁ……にしても、みんなバカだよね」
書き終えた日誌を閉じて、恭子は私の方を見て笑った。
「和泉がこんなに良い子だって知らないまま離れていっちゃうんだもん」
「……そんな奇特な考えしてくれるの、恭子だけだよ。私はお兄ちゃんの付属品みたいなものだから」
「まーたそんなこと言って。そのマイナス思考なとこは直しなよ」
「家族があれだけ人気者だと、卑屈になっちゃうもんなんだよ」
「ふーん……ま、お兄さんカッコいいもんねぇ」
「……」
多分その時まで、自分の気持ちを伝えるつもりはなかったと思う。
でもその時、お兄ちゃんを「カッコいい」と言った恭子の表情が一瞬だけ、恋する女の子に見えて。
きっと、自分の中で嫉妬のような醜い何かが生まれてしまった。
「……恭子」
「なに? ……あ、もしかして落ち込んでる? 大丈夫だってー、和泉ならもっと良い友達見つかるから! 次こそはお兄さん目的の子じゃないといいんだけど」
そこまで言って、恭子は思い出したように「あ、そういえば」と言った。
「和泉って全然恋バナとか乗ってこないけど、好きな人とかいないの? いるなら応援するよ!」
「……内緒」
「えっ、それ絶対いる時のやつじゃん! 誰々? 和泉って男子とは結構仲いいもんね」
「そんなこと……単に漫画が好きだから、たまに話す相手がいるくらいだし」
「同じ趣味なんて付き合うのに超最適じゃん! その中の男子の誰かでしょ? ねーねー、親友の私にくらい教えてくれたっていいじゃーん」
それか単に、恭子のしつこい追及に、つい我慢できなくなってしまったのか。その両方か。
今となってはもう、この時自分がなにを考えていたのか、よく覚えていない。
「男の子の中にはいないよ。……私、女の子しか好きになれないから」
「……え?」
「それで、私……恭子が好きなんだ」
「は? あ……やだな、和泉、冗談ばっかり……」
恭子の顔も声も、見るからに動揺していた。そこにある感情は「戸惑い」だけで、私が望む反応はない。
でもそれが当たり前なことは分かっていた。だって同性に恋をすることは一般的じゃないって分かってたから。
「ごめん……冗談ではないんだけど、言いたかっただけ。恋バナとか出来ないのも、そういうことだから」
「へ、へー……あー……確かに和泉って、好きなキャラとか聞いても、女あげること多いもんね。なるほどね、そういう……」
「うん。変なこと言って本当にごめん。……か、帰ろうか」
「うん……」
言いたかっただけ――なんて、相手からすれば迷惑だと気が付いたのは、恭子の反応を見た後だった。
これから気まずくなって、恭子とは距離が出来るかもしれない。
寂しいけど、それも仕方ないと思った。
それだけのことを自分はしてしまったと思っていた。
◇ ◇
次の日学校に行くと、下駄箱の中はゴミだらけだった。
ゴミと共に入れられていたグシャグシャの紙を広げてみると「変態女!死ね!」と、赤文字で書かれている。
「変態女って……酷い言われようだ」
普段からオタク趣味全開で、目つきが悪く、近づきにくい雰囲気が出ているらしい私は、周囲から浮いていた。
それに、お兄ちゃんにフラれた女の子たちに何故か逆恨みされることも多かった。
それでもこんなあからさまなことをされたのは、流石に初めてだった。
「誰がこんなこと……恭子……は、流石にないよね……」
私が知っている彼女は、こんなことをする子じゃない。
でもタイミングを考えると、あの告白が全くの無関係とも思えない。
もしかしたら、たまたま誰かが廊下を通りかかった時に、会話の内容を聞かれてしまったのかもしれない。
「……はあ」
とりあえず鞄の中にあったビニール袋にゴミを移動させた。
教室に行くと、いつもは真っ先に声をかけてきてくれる恭子は、私の姿を一瞥して他の友達の元へ歩いて行った。
避けられることは予想していたけど、思ったよりも露骨な態度に少し悲しくなる。
同時に「やっぱり言うんじゃなかった」という遅い後悔が、胸の中に広がった。
その日から、恭子は私を避け続けた。
それと同時に酷くなっていくイジメのような嫌がらせ。
ここ最近、私の下駄箱はみんなのゴミ箱と化しているし、教科書には落書きされているし、靴も隠されていることが多い。
あと、やたらクラスの女子が私の方を見て、ヒソヒソ何か話している感じがして、気分と居心地が悪い。
恭子が私を避けるのは分かるけど、他のみんなにまで突然嫌われるなんて、一体何が原因なんだろう――そんな風に悩んでいたある日のことだった。
「マジ? 噂には聞いてたけど、本当にあいつに告白されたの?」
「うん。しかもあいつガチレズなんだって」
「うわー、きっつ……本当にいるんだ、そういう人って」
「ホント気持ち悪かったよ~。私はただ高柳君のこと好きだったから近付いただけだったのに」
「あいつ、なに勘違いしてんだろうねー。きも」
忘れ物を取りに教室に戻った時、廊下まで響いてきた会話を聞いた時は、色んな意味でショックだった。
まず、私の告白を恭子があっさりと他の人に話してしまったことが予想外で。
……まあでも、中学生なんてそういうものなんだろうか。誰々が好きって話をして盛り上がるのが普通なら、誰々に告白されたなんて話も定番なのかもしれない。
ただ、恭子から発せられた「気持ち悪い」という言葉と、彼女がお兄ちゃんのために私に近付いていたという事実は、私の心にかなりの衝撃を与えた。
「ってか、みんな下手くそすぎ。横井とかさぁ、第一声が”高柳さんってお兄さんと仲いいのぉ?”だよ? こんなん高柳君狙いだってバレバレじゃんね」
「逆に恭子がうますぎなんだって! 高柳と本当の友達にしか見えなかったよ」
「だって妹の親友だって高柳君に認知されたら、めちゃ好感度アップしそうじゃない? ぼっちな妹に優しい子って思ってくれそうじゃん」
「でもその結果妹の方に好かれちゃったの最悪だね」
「ほんとそれ……マジで気持ち悪かったわ。和泉に好きとか言われても無理だって」
そこまで聞いて、私は忘れ物のことはすっかり忘れて、とにかくショックで。ショック過ぎたのか、目の前の景色がぐにゃりと歪んだ。
同時に、今までの恭子との思い出が音を立てて崩れていく気がした。
二人で一緒にいた時も、遊んだ時も、話していた時すら、恭子は楽しいなんて思っていなかったのかもしれない。
優しい恭子の言葉が、嘘だったのか本当だったのか、今となってはもう分からなかった。
ただ一つ明確なのは、恭子にとって私は友達でもなんでもなかったことで、その事実に気持ちが暗く沈んでいった。
その後のことは、無意識に封印してしまっているのか、ほぼ記憶がないけど。
この日を境に、私たちは残りの中学生活で一度も会話をかわすことのない関係性になった。
続く




