【21.熱心なこと】
昼食を終えた私は、微妙な気持ちで廊下を歩いていた。
カツは美味しかったのに、直前に聞いた会話のせいで気分はどんよりしている。
すると、向こう側から松岡さんと青井さんが歩いてくるのが見えた。
「あ、高柳さん、よかった。探してたんだ」
「食堂にも教室にもいなかったけど、どこで食べてたのよ……って、あれ? あんたってお弁当派だっけ?」
「今日はたまたま。ところで、なにか用だったの?」
「これ」
青井さんが、持っていたルーズリーフの紙を差し出してくる。
受け取って見ると、リレーについてのことが書いてあるようだった。走るフォームやコーナーの曲がり方、バトンの受け渡しの方法などなど。イラスト付きで解説してある。
「青井さんが書いたの?」
「ええ。まあ、今更感もあるけど……最近和泉も練習頑張ってくれてるから」
「ありがとう」
「なんか素直に感謝されると気持ち悪いわね……ま、体育祭まであと少しだけど、最後まで頑張りましょ」
「うん、目指すは一位だね!」
二人ともすごく張り切っているようだ。
その姿を見ていると、私が混ざることで一位の可能性を限りなく低くしていることが申し訳なくなってくる。
「高柳さんも一緒に頑張ろうね!」
「あー……うん」
苦い笑いを返すと、松岡さんは本当に嬉しそうに笑い返してくる。その笑顔を見ていると、流石にちょっと心が痛んだ。
◆ ◆
その日の夜、私はついに家に届いた漫画と向き合っていた。
最近の私は練習を頑張っているので、そのご褒美として通販で取り寄せたのだ。コアな人気のある作品だけど、近所の本屋には置いてなかったから。
表紙には『あーん♡好き好き暗田くん!優しくキスしてHして~僕の貞操を狙う十二人の美少女たち~』というカラフルな文字が並んでいる。
箱から取り出した本を手にして、ドストレートなタイトルだなぁと感心する。
「早く読みたい……!」
「和泉ちゃんって、本当にこういうのが好きなんだね」
「……え、いつからそこにいた?」
「ついさっき。なんかこそこそ荷物受け取ってたから、気になってつい」
つい、という軽い感じで、足音もなく忍び寄るのはやめてほしい。
それにしても、私にプライベート空間がなくなって、初めて少し辛いと感じた。
でもまあ、私がエロいこと大好きなのは事実だし、今更恥ずかしがることでもないか。
「可愛いでしょ、この表紙」
むしろ堂々と見せつけて引かれるくらいの方がいいのだ。ちなみに表紙は本当に、普通の可愛い女の子が描かれているだけのシンプルなものだ。ちょっとスカートの中が見えそうなアングルではあるけど。
「……すごく斬新なタイトルだね」
「そう? 内容を直球に現してるよくあるパターンだけど」
「どういう内容かは大体察しがつくけど……こういう風に、たくさんの女の子たちに取り合われるのがいいの?」
「人類の夢ってやつじゃない? ハーレム願望というか、両手に花みたいな」
まあ、実際に十二人から迫られたって一人しか選べないわけだから、自分がこの主人公だったら、誰を選ぶか悩み過ぎて胃に穴が開きそうだけど。
「へー」
「あ……こういうのはやっぱり興味ない?」
思った以上に冷たい返事に、ちょっとドキドキしてしまった。嫌な意味で。
漫画自体はかなり一般に普及してると思うけど、こういう内容のものは特に人を選ぶ。桜乃が本気で嫌悪感を持ってもおかしくはない。
「興味とかは正直よく分かんない……けど、こういうのを和泉ちゃんが読むのは、ちょっと複雑かも」
「複雑……キモいってこと?」
「違うよ。和泉ちゃんを気持ち悪いなんて思ったこと……ないわけでは、ないけど」
妙なところで素直だ。
一体いつ気持ち悪いと思われたのだろうかと自身を振り返っていると、急に桜乃の手が私の太ももの辺りを撫でてきて、ビクッと肩が跳ね上がった。
「なっ、なに?」
「……和泉ちゃんが私以外でドキドキするのが嫌なの」
「そ、そんなこと言われても……私、可愛い女の子には常にトキめいてるけど」
「ときめくくらいなら仕方ないけど……。……和泉ちゃん、エッチなことが好きなら、私が相手に――」
「ああああそうだ! 今日は見たいテレビがあるんだった! じゃ、桜乃、またリビングでね!」
変な空気を作られる前に、勢いよく部屋を後にした。
……最近、割と真剣に桜乃が恐ろしくなってきた。
冗談なのか本気なのかよく分かんないし、なのに迫って来られるとドキドキして仕方ないし。
ワンチャン手を出しても許されるのでは、とか思ってしまう自分をぶん殴りたい。
「……なんで自分の部屋から逃げるように出て行かなきゃならないんだ」
手に持った漫画の表紙を見て、私はガックリと肩を落とした。
夕食後、冷蔵庫を開くと、いつもある場所に牛乳が置いてなかった。
「あれ……牛乳切れてる?」
「え? あ、ごめん……買い忘れてた」
「そっか。じゃぁちょっと買いに行ってこようかな」
「い、今から? ダメだよ、危ないから」
お母さんみたいなことを言ってくる桜乃。
そういえば最近本物のお母さんとは顔合わせられてないな……相当仕事が忙しいのかな。
チラリと時計で現在時刻を確認すると、まだ七時だった。
「全然大丈夫だって」
「でも和泉ちゃんは可愛いし……変な人に襲われないか心配……」
心配性だなぁ……というか、可愛くないし。
「それに、非力だし……悪い人に遭遇したら太刀打ちできずに連れて行かれちゃいそう……子供みたいにアッサリと」
「そこまで侮辱されたのは久しぶりだよ」
「とにかく、行くなら私もついて行く」
「いいよ、別に」
それじゃ本当に保護者同伴みたいだ。そもそも七時くらいなら今時小学生でも普通に一人で出歩いている。
コンビニ弁当にお世話になっていた時代は、もっと遅い時間に小腹が空いて夜食を買いに行くことだってよくあったし。
「じゃ、行ってくるから」
ソファの上に置きっぱなしだったリュックを肩にかけてそう言うと、お兄ちゃんが反応してきた。
「どっか行くのか?」
「ちょっとコンビニまで」
「そうか」
そうだよ、これくらいの淡白さがちょうどいい。だというのに……
「和泉ちゃん……生きて帰って来てね」
この子はどうしてこうも大げさに心配するんだろうか。私が今から戦場にでも出かけると思ってるんだろうか?
玄関まで移動すると、桜乃は当たり前のように後ろについてきた。
「心配しすぎだって、すぐ帰るから。いってきます」
「いってらっしゃい……」
なんだかんだ最後はぎこちないながらも笑顔で見送ってくれる桜乃。……なんか、本当に母親に見送られる子供の気分になってきた。
外に出ると、辺りは思ったより明るかった。
日付的には夏はもう終わりかけているはずなのに、ジメジメとした暑さが気持ち悪い。
あまり外にいたい感じでもないので、さっさとコンビにまで行こう。そう思い、歩くペースを少しだけ速めた。
コンビニまでの道の途中、学校の前を通り過ぎる。その時、向こう側から誰かが走ってくるのが見えた。
ランニングの最中だろうか。私も見習わないと。
せめて青井さんたちを困らせないくらいになりたいものだ……その前に体育祭が終わってしまう気もするけど。
「……あれ、和泉?」
「え?」
顔を上げると、さっき見た人が思ったよりも近くに来ていた。というか、その人は青井さんだった。……まさか朝だけじゃ飽き足らず夜まで?
「青井さんの家、この近くじゃないよね?」
「なんで教えてもいないのに知ってるのかはツッコまないけど……二駅先よ」
「……まさかここまで走ってきたの?」
「まあね。いつもは近所グルグルしてるんだけど、たまに違うとこ走りたくなるの」
「夕飯は?」
「帰ってすぐ食べてきた。今の時期、部活がないから、体が怠けないように注意しておかないと」
怠けるどころか、ちゃんと休めているかの方が心配になるレベルだと思うけど。
「青井さんはすごいね」
「は? 何よ急に……褒めたって何も出ないわよ?」
「そんなんじゃないって」
”遅いのに走り続けて何が楽しいんだろ?”
ふと、あの子たちの言葉を思い出した。下品な笑い声も同時に思い出して、少し気分が悪くなる。
「……ねぇ、青井さんはどうして走ってるの?」
「え? そんなの体育祭で勝つために決まってるじゃない」
「そういう意味じゃなくて……、……辛くない? 練習してても成果が出ない時とかもあるでしょ」
――って、何を聞いてるんだ、私は。青井さんが自分の走りにコンプレックスを持っていたとしたら、失礼すぎる質問だ。
「……辛いわよ」
聞こえてきたのは、台詞の割にやけに凛々しい声だった。
「結果が出ないことなんて毎回だし、練習はキツいし、しんどい時の方が多いし。けど、そういうの全部ひっくるめても好きって気持ちの方が勝ってるから走ってる。それだけ」
それだけって、それが一番すごいことだと思う。
けど、どう返すのが正解か分からなくて、私が何も言えずにいると、青井さんが珍しく少しだけ微笑んだ。
「それに、結果が出なくたって努力の過程が全部無駄になるわけでもないし。過程を積み重ねることによって出る結果だってあるかもしれないでしょ」
「……やっぱり青井さんはすごいよ」
昔の私にはそんな発想なかった。
相手よりたくさん努力したら、その分だけ相手より結果が出て当たり前。出ないのは自分に才能がないからだって思って、悔しくて。最後の方は楽しむというより、みんなに、お兄ちゃんに負けたくないという思いで練習を続けていた。
「あんたにそこまで褒められると逆に不気味だわ。じゃ、あんまり遅くなると親に心配かけるから」
「あ、うん。頑張ってね」
青井さんはそのまま走り去っていった。
その後ろ姿が完全に見えなくなったところで、私も再び歩き出す。
「……あんなに頑張ってるのになぁ」
その姿を見てもなお、むしろ見ているからこそ、陰口を叩く人がいる。世の中ってつくづく理不尽だ。
軽い溜め息をつき、ポケットに手を突っ込む。
足元にあった小石を蹴っ飛ばすと、向こうにあった電柱に当たり、こっちに戻ってきた。
「いだっ」
そして頭にぶつかった。
……こんな漫画みたいなことって本当にあるんだ。
続く




