【20.最悪の気分】
翌朝、桜乃が珍しく作ってくれたお弁当には豪勢にカツが入れられていた。
「昨日、張り切って揚げ過ぎて……お弁当になっちゃって、ごめんね」
「全然オッケー! むしろご褒美だよな?」
同意を求められ、私も素直に頷いた。
うちはみんな料理下手なので、手作りのお弁当なんて久しぶりで感動するレベルだ。
そういえば昔はお出かけの時に、桜乃のお母さんが作ってくれたお弁当を食べるのが大好きだったなあ、と唐突に懐かしくなった。
「お弁当は作り慣れてないから、ちょっと自信ないんだけど……」
「サクちゃんの腕なら心配ないって。あ、この卵焼き余ったならもらっていいか?」
「うん、どうぞ」
ぽいっと、口の中に卵焼きを放り込むお兄ちゃん。
ちょっとうらやましいなと思っていると、目の前に差し出される卵焼き。
「和泉ちゃんも、あーん」
にっこり笑顔を見て、なんとも言えない気持ちで卵焼きに食らいついた。
「……美味しい」
「本当? えへへ……嬉しい」
わざわざ食べさせてくれなくても自分で食べられるのに、ちょっと餌付けされているような感じがするのは気のせいだろうか。
「いいな、それ。俺にもあーんってしてくれよ、サクちゃん」
「ごめんね。和泉ちゃんを妬かせたくないから」
「えっ……なんだお前、俺にまで妬くくらいサクちゃんが好きなのか?」
「べ、別に妬かないよ」
ニヤニヤした顔のお兄ちゃんから逃げるように視線を逸らすと、隣に座っている桜乃とばっちり目が合った。
瞬間、昨日の裸エプロンもどきの一連の流れを思い出し、込み上げてくる何かを誤魔化すように残っていた朝食をかきこんだ。
その後「一緒に登校しない?」という桜乃の提案を丁重に断り、先に家を出る。
基本置き勉スタイルな私のリュックはいつも軽いが、今日は練習用の体操服と弁当箱でずっしりしている。そういえば学校にお弁当を持参するという行為自体、小学生の遠足時以来かもしれない。
「なんか感動的だな……」
「なにが感動的なの?」
「わっ……あ、か、川野さん、おはよう」
「おはよー。なんか和泉ちゃんと朝会うの久々だね」
「そういえばそうだね」
結構期間が開いたから、てっきりお兄ちゃんのことは諦めてくれたものかと思っていた。
「和泉ちゃんのとこも体育祭の練習始まった? うちのクラスめっちゃ張り切っててさぁ……今日も出来るだけ早く行かなきゃ怒られちゃうんだよね」
「それは大変そうだね……」
「あー、そ、そうだ、和泉ちゃんさぁ」
なんか急にわざとらしい言い方になる川野さん。そしてこちらに顔を近付けて、小声で話しかけてくる。
「ちょっと前の放課後に見かけたんだけど、結城さんと一緒に歩いてなかった?」
「え? ……ああ、歩いてたかも」
いつのことを指しているかは分からないけど、桜乃とは何度か帰り道で会っているから見られていてもおかしくはない。
「和泉ちゃんって結城さんと知り合いなの?」
「うん、クラスメイト」
「えー……こんなこと言いたくないんだけどさ……あの子、結構色んな男子とっかえひっかえしてるらしいよ?」
言いたくないなら言わなきゃいいのにと思いつつ、男子をとっかえひっかえしてる桜乃を想像して、なんとも言えない気持ちになった。確実に嘘だろうなとも思った。
「だから……その、あんまり近付かない方がいいと思うよ。ほら、樹君にも手出されちゃうかもしれないじゃん」
想像通り、お兄ちゃんと桜乃を近付けさせないための印象操作らしい。ここまで分かりやすいと笑ってしまいそうになるから気を付けないと。
それにしても桜乃がお兄ちゃんと一緒に歩いていたならともかく、妹の私と一緒にいるだけでこんなことを言われるなんて、女の子の嫉妬って本当に怖い。
「結城さんもお兄ちゃんもお互いに興味ないよ」
「えっ、そうなの?」
さっきまでの暗い表情はどこへやら、パッと一瞬で良い笑顔を浮かべる川野さん。
「そっかーよかったー、それだけ言いたかったんだ! あ、じゃぁ私あんまり遅れると怒られるから、またねー」
「はーい」
元気よく駆け出していく川野さんを見送る。
いや、相変わらずなんて分かりやすい子なんだろうか。世の中、みんなあの子みたいに分かりやすかったらいいのにな。
なんて思っている間に、校舎が見えてきた。
やっぱり学校から家までの距離が近いというのは素晴らしい。
改めて通学時間の短さに感動していると、後ろから声をかけられた。
「和泉、おはよう」
「あ、おはよう」
私の隣でその場駆け足の状態で走るのを止めたのは、見慣れたジャージ姿の青井さんだった。
……いつの間にやら呼び方が「和泉」になっているけど、あまりに前触れが無さ過ぎて、何だか突っ込み辛い。
「今日も朝から自主練?」
「そう。子供の頃からのルーティーンみたいなもんだから、走ってないと落ち着かないのよ」
「へー。陸上始めて長いんだね」
「小学生の時に友達に誘われてからずっと。友達の方はもうやめちゃったけど」
「ああ、あるあるだねぇ」
こういうのって、大抵先にやってたり誘ったりした方が何故か先に辞めちゃうんだよね。なんでだろう。
「……それより今日の練習だけど、コモちゃんも誘ってみようと思うの」
「でも、小森さんは自主練でいいって前に言ってなかった?」
「あの時はそう思ってたんだけど……、やっぱりバトンパスの練習は全員でやっときたいなって思って」
私はメンバーの中で誰よりも陸上に無知なので、青井さんたちが決めたことに異論はない。
ただ、今まで小森さんが練習に来なかったことには何か理由があるんじゃないかと思っていたけど、それは大丈夫なんだろうか。
「じゃ、あたしは授業までもう一周してくるから、また後でね」
言い終えるよりも先に走り出していく青井さん。
なんか彼女はいつ見ても走ってる気がする。
野球が大好きで、早く上手くなりたくて、時間が許す限り練習していたい――そんな時期が自分にもあったなあ、なんて。
松岡さんが新人戦でみんなに囲まれているのを見た時とはまた違う種類の懐かしさを感じた。
◆ ◆
お昼休みになり、どこでお弁当を食べようかと考えて廊下を歩く。
教室は桜乃がいるので、私は別の場所にしないといけない。お弁当の中身が一緒なことがバレたら、同居していることもバレてしまいそうだから。
真っ先に思いついたのは、屋上に一番近い階段。立ち入り禁止の屋上に用のある人はほとんどいないから、恐らく校内で一番人が来ない場所だ。食堂が混み合っていたりする時は、購買部で買ったものをよくそこで食べている。
やっぱりいつもの場所が落ち着くから、そこにしようかな。
目的地に向かう途中で、何人かの生徒とすれ違った。
その際に聞こえてきた会話の内容は、ほとんどが体育祭に関すること。時期も時期だからか、学校中がその話題で持ち切りって感じだ。
私もリレー頑張らないとなあ、なんてどこか他人事のように思いながら、女子トイレの前を通過した時、
「え、寧々ってリレーに出るの?」
そんな声が聞こえてきて、つい足を止めてしまった。
「そうみたいだよ。委員の友達が言ってた」
さっきとは違う声。
チラリと横目で見てみると、トイレの中には二人の女子生徒がいて、手を洗っている途中みたいだった。
「マジ? あいつ、めっちゃ足遅いのに」
「ねー。私あいつと中学一緒だったんだけど、その時も陸上部のほとんどの後輩に負けてんの。ウケるよね」
陸上部で『寧々』といえば、私の知る青井さんのことで間違いないだろう。
青井さんって足遅いのか……本気で走ったところを何度か見てるけど、素人過ぎて分からなかった。
確かに松岡さんにはいつも負けているけど、それは彼女が滅茶苦茶速いだけだと思っていた。
「クラスの奴らも何を思ってあいつに任せたんだろうねー」
「自分で立候補したんじゃない? 陸上部だし。それにあいつ、遅いけど走るのは好きじゃん」
「いっつも練習してるもんね。どんだけやったって全然タイム縮まんないから、無駄以外のなにものでもないけど」
「あれは才能ないんだよ。さっさと諦めて、別のことすればいいのにね。遅いのに走り続けて何が楽しいんだろ?」
「マゾなんじゃない?」
キャハハハなんていう、色気のかけらもない笑い声が妙に苛立たしい。
「でもよかった~。これで私たち勝てそうだね」
「だね。あ、けどあのクラスって優花ちゃんいるんじゃなかったっけ」
「うげっ、絶対負けるじゃん!」
「でも寧々もいるし大丈夫じゃない? 一人が圧倒的に速くても、他が遅けりゃワンチャンあるし」
足音がこちらに近付いてきたので、私は止めていた足を動かした。
……あんな汚い会話、聞かなきゃよかったなぁ。せっかくトイレで話してくれてたのに、ついつい立ち止まって聞いちゃった自分の愚かさを呪った。
「何が楽しいのか、か……」
そんなの青井さんに直接聞いたら、あっさりと返してくれそうなものだけど。
あれだけいっつも走ってる人なんだ。「好きだから」以外にないと思う。
そもそも人には得手不得手があり、好き嫌いがある。
そりゃ自分が好きになったものが得意なものだった人もいるだろうけど、そんなのはすごく幸運で珍しいことだと思う。
「……うっせーよバカ、って感じだなぁ」
誰かと比べて劣ってたとして、それの何が悪いんだ。少なくとも人の努力を笑う奴の方が、私には何倍も悪く見える。
同じ中学だか陸上部だかなんだか知らないけど、それだけの期間一緒にいたくせに。
今年知り合ったばかりの私にも分かるくらい頑張ってる青井さんを、あんな風に嘲ることが出来るなんて理解できない。
思わず手に力がこもって、自分が弁当箱を持っていることを思い出した。
「せっかくのお弁当なのに、最悪の気分だ……」
桜乃にも申し訳ないし、せめて何かで精神的な回復をはかりたい。
漫画でも読みながら食べようか……いや、でもそれはそれでお弁当を適当に食べてる感じがして嫌だ。
溜め息をつくと、ますます気分が滅入ったような気がした。
続く




