【19.練習と裸エプロン(仮)】
とりあえずやってみようと決めたリレーだが、現実は漫画みたいに上手くはいかないものだ。
「ぜぇ、はぁ……ぜぇ……はぁっ」
辺りが夕暮れに染まった頃、私の体力は0に近かった。河原に仰向けで寝そべり、空を見上げる。
今日はそこそこ全力を出して頑張ってみたけど、考えが甘かった。
頻繁に体を動かしていたのなんて、野球をしていた小学生の頃まで。それ以降はずっとサボっていたのに、数年のブランクをすぐに取り戻せるわけがない。
「高柳さん、大丈夫?」
心配そうに眉を下げた松岡さんが、私の顔を覗き込んでくる。
「うん……なん、とか……」
上手く呼吸が整えられないせいで、言葉が途切れてしまう。こんなに息を吸っているのに、肺に空気が送られていないような気さえする。
調子に乗って、陸上部で毎日これ以上の練習をこなしているらしい二人に合わせたのがまずかった。
それにしても、後遺症のある足よりも先に肺が悲鳴を上げるなんて、体力不足過ぎて恥ずかしい。
「まったく……情けないわね」
「仕方ないよ。高柳さんは私たちと違って走ることに慣れてないんだし」
「まぁ……それは確かに」
「立てる?」
「うん……ありがとう」
松岡さんの手を借りて起き上がる。
もう一度大きく深呼吸すると、なんとか呼吸が整ってきた。でもやっぱり少しだけ苦しいかもしれない。
「ほら、飲みなさい」
「わっ……と」
何かがこちらに向かって放り投げられたので、慌てて手を伸ばした。地面に落ちるスレスレで受け止めたそれは、青井さんのスポーツボトルだった。
お礼を言って、遠慮なくいただくことにする。
青井さんはそのまま私の隣に座り、暑いからか、襟元をパタパタさせた。
……これ、見る角度をちょっと変えればブラが見えるんじゃないだろうか。隣でそんなことされると気になって仕方ない。
見ないようにしていると、松岡さんも私の反対隣に腰を下ろし、鞄から取り出した自分のボトルに口をつけた。
やっぱり人に挟まれるのって落ち着かない。
「……あ」
「何よ?」
「青井さん、これ飲んだ?」
「あんたがへばってるときに飲んだわよ。だから遠慮しなくても」
「じゃぁ間接キスだ――ぐべはぁっ!」
な、殴られた……しかも割と本気で。
頬をさすりながら泣きそうな思いでいると、ボトルをひったくられてしまった。ま、もう飲んだからいいんだけど。
「高柳さん、私のも飲む?」
「え……いや、大丈夫」
「そっか。残念」
今の会話を聞いた後にそんなことを言うのはあまりに思わせぶりなんだけど、松岡さんのことだから他意なんて無いんだろうな、きっと。
私の恋愛対象が同性であることは、多分桜乃とお兄ちゃんくらいしか知らない。……あ、あとは恭子が言いふらした人たち。
当然クラスメイトも一切知らないわけで、女の子同士の何気ないスキンシップに逐一ドキドキしていることは、決して悟られてはいけない。
「……というか、近くで見ると高柳さんって肌白くて綺麗だね」
「へ? いや、ただ日の光を浴びてないからだよ……」
「でも羨ましいなぁ。私もこんな風になりたい」
この褒め言葉だって典型的な社交辞令だし、腕を触ってくるのだって単なる手癖なのだ。深い意味はない。
そう分かってるけど、それでも可愛い子にこういうことをされると否が応でもドキドキしてしまうからやめてほしいなと思った。
「ただいま」
「和泉ちゃんおかえりー」
「――?」
家に帰ると、裸エプロン姿の従姉妹に出迎えられた。
あまりに非日常的な光景に、しばらく石化したように動けなくなってしまった。息すら止まっていたような気がする。
「練習お疲れ様!」
眩しいほどの笑顔である。
可愛い。すごく可愛いけど、服装が服装なので直視できないんですが。というか、本当になんだこれ。どういう状況?
思考がぐるぐるして落ち着かない私に構わず、桜乃は言葉を続けた。
「ご飯にする? お風呂にする? それとも」
「真っ先にお風呂でお願いします」
もはや死語なフレーズを遮るように言うと、桜乃は不満そうに頬を膨らませた。
そんな顔されても。こんなあからさまに作ったようなシチュエーション、嬉しくもなんともない。……いや、裸エプロンを生で見れたのはちょっと嬉しいけど。
「で、この茶番は誰の入れ知恵?」
「いっちゃんがアドバイスしてくれた」
「よし、今から殴りに行ってくる」
「ぼ、暴力はダメだよ、それに発端は私だから」
「……」
と言われても、桜乃を殴り飛ばすわけにもいかないし、どうしたものか。
拳を握り締めていると、ちょうどいいタイミングでお兄ちゃんが階段から下りてきた。
「おー、おかえり、和泉」
「ただいま。早速で悪いけどちょっと殴らせて」
「いやいやいや……」
今にも飛び掛りそうな勢いの私を見て、お兄ちゃんは身を引いた。
「誤解すんなよ。サクちゃんにその格好を提案したのは、お前への思いやりだ」
「このふざけた格好のどこが思いやりなの」
「今日も練習してきたんだろ? お前が頑張ってるから、サクちゃんも何か応援出来ることはないかって悩んでたんだよ」
言いたいことは分かるけど、その思いが何故こういう形で表現されたのかが全く分からない。
普通に言葉で応援してくれたっていいし、それこそ美味しい夕飯を作ってくれるだけで十分なのに。
「だからな、エロい格好してお疲れ様って言ってやれば、和泉の疲れは吹き飛んでいくってアドバイスしたんだ」
「……それがこれ?」
「めっちゃエロ可愛いだろ!」
お兄ちゃんは時々とても馬鹿になることがあるので、頭が痛くなってくる。こいつに夢中な女子たちに、今の姿を見せてやりたい気持ちでいっぱいだ。
「……桜乃も言われたからって、無理にそんな格好しなくていいよ」
「そんな格好って?」
「は、裸エプロンとか……目のやり場に困るし」
恐らく赤くなっているであろう顔を隠すように前髪をいじると、お兄ちゃんの笑い声が聞こえてきた。やっぱり殴ってやりたい。
「はは、勘違いすると思ったよ」
「……何が」
「残念ながらちゃんと下に水着つけてるんだよ。な、サクちゃん」
「うん」
「……」
おかしいと思ったんだ。いくら親戚とはいえ、異性がいる場所で堂々と裸エプロンなんて……いや、お兄ちゃんがいなくたっておかしいけども。
というか、お兄ちゃんもお兄ちゃんでアドバイスの方向性がおかしいでしょうよ。私がこの姿を見てテンション爆上がりするとでも思ったのか? 可愛い妹をなんだと思ってるんだ。
「残念だったな和泉。でも一瞬とはいえ夢見れたんだし、いいじゃないか」
そう言って、笑いながらリビングの方に歩いていくお兄ちゃん。
本当に腹の立つ男だな……一発くらい殴ってやればよかった。どうせ私の腕力じゃ、あいつにはロクに効かないんだし。
「和泉ちゃん、和泉ちゃん」
腕をつつかれたので桜乃の方を向くと、こちらに顔を寄せて小声で囁いてきた。
「和泉ちゃんが見たいなら、二人きりの時に着るから」
「え」
何を――なんて、聞かなくても分かるけど。
理解したらまた顔が赤くなりそうだったので、必死に考えないようにして、ちょっと大げさなくらい桜乃から距離をとる。
「わ、私、お風呂入るから!」
言わなくてもいいことを言い、走るような勢いで洗面所へ向かう。そんな私を見て、桜乃は楽しそうに笑っていた。
多分今のあれは本気で言ってるわけじゃなくて、私をからかってたんだ。
ちくしょう。みんなで揃って笑いやがって、そんなに私をイジメて楽しいのか。
洗面所でバシャバシャと顔を洗う。乱暴すぎて髪まで濡れちゃってるけど、気にしない。ついでに雑にうがいもして、最後にタオルで適当に顔を拭いた。
「はぁ……」
「ところで今日の練習どうだった?」
「うひゃ!? さ、桜乃……なんでついて来てるの……」
「着替えとタオル持ってきたの」
「あ、ありがとう……」
ただ、流石に下着を含めた着替えを持って来られるのは普通に恥ずかしい。
あと、私の着替えを用意するよりも、自身の格好をどうにかしてほしい。下に水着を着ていようと、正面からだと裸エプロンにしか見えない。
そもそも室内で着る水着って、下着と何が違うんだろう。面積的にはほぼ同じものじゃない?
「……足の方は大丈夫そう?」
「うん。足よりも体力不足の方が深刻な感じだった」
「それは……練習しかないね。今日の夕飯はとんかつだから、精をつけて明日からも頑張って」
「うん」
しかし、その格好で精をつけてとか言われると、別の意味に捉えちゃうな……って、真剣に応援してくれてる桜乃に対して、なに馬鹿なこと考えてるんだろう。
こんなんだからお兄ちゃんにも「こいつを励ますならエロい格好しとけばいい」とか思われちゃうんだ。
「じゃぁゆっくりお風呂につかってね。その間に料理の仕上げしとくから」
「ありがと……って、ちょ、ちょっとストップ!」
咄嗟に腕を握って、強制的に桜乃の動きを止めた――けど、想像よりもやわらかい素肌の感触に驚いてすぐにその手は放した。
「どうしたの?」
「いや……その格好で料理するの?」
「うん。動きやすくてちょうどいいかなって。家の中は温かいし」
「いやいやいや……あ、油がはねたりしたら火傷しちゃうじゃん」
「大丈夫だよ。揚げ物は作り慣れてるから」
「いや……」
冗談でもなんでもなく、桜乃は本気でこの格好のまま料理を再開するつもりでいるらしい。
というか、いつからこの格好してるんだ?
もしかしてお兄ちゃんが帰ってからずっとこの格好で?
……二人きりで?
「和泉ちゃん?」
私の顔を覗き込むようにして見つめてくる桜乃は、珍しく私がなにを言いたいのか分からないって顔をしている。
無理もない。私自身も、なんでこんなにモヤモヤしてるのかよく分かってないから。
「あの……私もこういうの好きだけど、お兄ちゃんも好きだと思うんだ」
「二人とも好みは似てるんだね」
なんかそう言われると嫌だな……いやでも一般的な男子なら、こういう格好を嫌いって人の方が少ないと思う。実際お兄ちゃんの好みは知らないけど。
「だから、その……親戚とはいえ、そういう格好を見せびらかすのは、よくない」
「いっちゃんに見せびらかしてるつもりはないんだけど……いっちゃんも、私にはそういう意味で興味なんて絶対ないと思うよ」
「いや、世の中に絶対なんてない」
なんて言ってはいるけど、正直お兄ちゃんがこの姿の桜乃をガン見する姿は想像できない。
桜乃の言う通り、お兄ちゃんにとって桜乃はもう一人の妹みたいなものだろうし、恋愛対象でもないと思う。何となく分かる。
分かっているのに、私はなんでこんなことを言ってるんだろう。それは分からない。
「だから、その……普通の服、着てほしい」
「……」
キョトンとした顔をする桜乃。
こちらの真意を窺うような視線に耐え切れず、顔ごと逸らした。
「……もしかしてこの格好を、いっちゃんに見られるのが嫌なの?」
「……お兄ちゃんに良い思いさせるのが嫌なだけ」
「本当にそれだけ?」
「……それ以外に、逆に何が?」
質問に質問で返すなんて、我ながらダサいけど、許してほしい。
お兄ちゃんに桜乃の肌を見られるのが嫌なんて感情、親戚として行き過ぎている。
それを伝えたら桜乃がどんな顔をするのか、想像するのが怖い。私は、未だに桜乃の「好き」の意味を計りかねているから。
「あと……あったかいとはいえ、この時期にその格好は風邪引くかもしれないから。それと、応援してくれるのは嬉しいけど……これからはお兄ちゃんがなに言ってもこういう格好はしちゃダメだよ。女の子なんだから、あんまり簡単に肌見せないように」
クドクド言いながら、私は洗濯機のそばに置いてあった桜乃の上着を彼女の肩にかけた。多分ここでこの格好に着替えて、置きっぱなしだったんだろう。
「……和泉ちゃん」
「は!? な、なに!?」
ぎゅっと、突然抱きしめられた。
いい匂いとかやわらかいとか胸がとか、小学生みたいな感想で頭がいっぱいになって、胸がドキドキとやかましいほどに高鳴っていく。
え、なんだこれ、抱きしめ返していいやつ? いや、いいわけないか?
というか、これ上着は羽織ってるだけの状態だから、密着されるとエプロンと水着越しに体の感触が――煩悩だらけになりかけた時、桜乃は離れて行った。
「ごめんね、嬉しくてつい抱きついちゃった。ちゃんと服着てから料理するね」
「あ、うん」
「じゃぁ夕飯作って待ってるね」
「あ、うん」
私は思考が停止したまま、自分の着替えを持って廊下に出ていく桜乃を見送った。
……え、今のなに?
嬉しくて、つい? ついでハグ? 女の子ってそういうもの?
同性の友達なんて久しくいなかったから、すっかり距離感が分からなくなっていた。
続く




