【01.同居一日目】
周りの女の子たちが騒いでいるカッコいい俳優やスポーツ選手には全然興味がなかった。
興味があったのは、いつも女の人。
その内、その興味は”恋”になった。
たとえそれが他人からすれば普通とは違う恋だったとしても、構わないと思っていた。
”私……恭子が好きなんだ”
伝える気がなかった思いを伝えることになったのは、きっとただの勢いだった。
何か見返りを求めていたわけじゃない。
ただ、好きだってことを伝えるくらいは許されると思っていた。
それだけで相手の迷惑になるだなんて、当時は考えることも出来なかった。
◆ ◆
「……ふあ」
目覚めは最悪だった。内容は思い出せないけど、嫌な夢を見ていた気がする。
布団から体を起こして周囲を見渡すと、ベッドの上には誰もいない。
昨日(私からすれば)突然やって来た結城さんは、結局本当に私の部屋で暮らすことになった。
でも部屋には当たり前だけど一つのベッドしかなかったので、仕方なく私が床で寝ることにした。彼女はすごく遠慮していたけど、お兄ちゃんが強引に決めやがった。
「……にしても早起きだな」
時刻は七時ジャスト。平日なら別にそうでもないんだけど、休みにしては早い時間だ。
着替えを済まて一階に降り、洗面所で身だしなみを整えてからリビングに向かった。
「……本当に今日から一緒に暮らすのか」
昨日はずっとそっけない態度をとっていたので、家の空気は悪かった——私が勝手に思っているだけで、二人は普通に会話を交わしていたし、そう思ってないかもしれないけど。
何はともあれ、これから毎日顔を合わせるんだから、少しくらいは妥協しないと。心の底でなんて思っていようとも、出来るだけ普通に接するんだ。
なにが起こっても冷静に、普通に、落ち着いて対応しよう。
そんな覚悟を決めてリビングに行くと、結城さんはキッチンに立っていた。
「あ、和泉ちゃん! おはよう!」
「おはよう。……なにしてるの?」
本当は何となく分かるけれども、つい聞いてしまった。
「朝ご飯の準備だよ」
思った通りの答えが返ってくる。見ると、テーブルの上には温かそうなご飯やお味噌汁が並べられていた。
「ちょうど今、和泉ちゃんを起こしに行こうと思ってたところだったの」
「お兄ちゃんは部活?」
「うん」
夏休みも朝から部活とは、野球部っていうのは大変だ。
「私もまだだから一緒に食べよ。これ運び終わったら完成だから、座ってて」
「手伝うよ」
私がそんなことを言うとは思わなかったのか、結城さんは目を丸くして驚いた。
「ありがとう」
だけどすぐに、とても嬉しそうに笑った。
それが妙に気まずいというか気恥ずかしくて、彼女から視線を外してキッチンへ行き、そこに置いてあった食器類をテーブルに運ぶ。
お父さんは仕事人間と呼べるほど仕事ばかりの人で、お母さんも朝から夜まで働いている。故に家事をする暇がない。
なのに私たち兄妹は壊滅的に料理下手だから、朝食はおろか夕食ですらコンビニや出前に頼ることが多い。だからこんな風にちゃんとした手作りの朝ご飯は随分と久しぶりだ。
「いただきます」
椅子に向かい合って座り、手を合わせる。
そういえば結城さんの手料理を食べるのはこれが初めてだ。
小学生の頃はたくさん遊んだけど、一緒に料理とかはしたことがなかったから。もしかしたら私たちみたいに料理下手な可能性もある。
不安に思いつつ試しに卵焼きを食べてみると、美味しかった。それはもう、悔しいくらいに。
「……どう? 不味くない?」
「ものすっごく美味しい」
「ほんと? 良かった」
ニッコリと笑って、結城さんも食べ始めた。その姿を見ながら、バレないように小さく溜め息をつく。
「ところで昨日から気になってたんだけど……出来れば昔みたいに呼んでもらえると嬉しいなー、なんて」
一瞬何のことかと思ったが、すぐに彼女の呼称のことだと気が付く。
昔は下の名前で呼んでいたけど、会わない時間が長かった影響か、そんな風に気軽に呼ぶことに抵抗があった。
「……しばらくは結城さんでいい?」
「……分かった」
こくりと頷いた後、結城さんはどこか気まずそうに視線を逸らした。
「もし和泉ちゃんが本気で迷惑だと思うなら、私はいつでも出ていくから、遠慮なく言ってね」
「そうしたら結城さんはどこに行くの? 海外?」
「ううん。他にも来ていいって言ってくれてる親戚の人がいるから、そこのお家に」
「……別に……昨日はお兄ちゃんの無理やり感に腹が立って、つい言い返しちゃっただけだから」
それに私の独断で結城さんを追い出そうものなら、確実に家族に叱られる。家主であるお父さんが承諾している以上、私のワガママで追い出すことなんて出来ない。
「……というか、結城さんこそウチでよかったの?」
「私は私の意思でここに来たから」
やたらまっすぐな目でそう言われて、視線を逸らした。
いくら昔は仲が良かったとはいえ……私と会うのは色々思うところがあっただろうに、物好きなことだ。
そんなこんな話している間に朝食を食べ終え、空になった食器を重ねる。
「ごちそうさまでした」
「うん。あ、片付けが終わったらケーキを作ろうと思ってるんだけど、よかったら一緒にどう?」
とてもめんどくさい。けど朝ご飯を作ってもらった直後だし、無下にするのは流石に悪い気がする。
「……言っとくけど、料理ではあんまり戦力になれないよ」
「一緒に作りたいだけだから」
すっごく嫌そうな顔をして答えたにも関わらず、嬉しそうに笑う結城さんから再び視線を逸らし、食器をキッチンに持って行く。
それにしてもケーキまで作れるのか……というか、ケーキって家庭で手作りできるものだったんだ。誰一人女子力のない家族だから、料理事情にはとことん疎くなっている。
リビングに戻ってソファーに腰を下ろしつつ、スマホを開く。お気に入りの漫画を眺めて待つこと数分。
「和泉ちゃん、お待たせ」
「別にそこまで待ってな……い、けど……」
振り向いた先に見えたのは、エプロン姿の結城さん。
本当にただエプロンを着けているだけなんだけど、妙に可愛く見えるのは、私がエプロン萌えだからだろうか。
――いや、家庭環境の影響で女性のエプロン姿というものを見慣れていないから新鮮に感じるだけだ、そうに違いない。
「どうかした? ……エプロン、変かな?」
「あ、いや、なんでも! け、ケーキ作ろっか」
誤魔化すようにソファーから立ち上がり、さっさとキッチンへ向かう。そこには、よく分からない道具たちが並べられていた。
「……こんなのウチにあったっけ?」
「家から持ってきたの。最近お菓子作りにハマってるから」
それはまた、なんとも女の子らしいご趣味だこと。
「で、私は何をすればいいの?」
「そこに立って、私に愛を送ってて」
「は?」
「冗談。じゃぁ卵を割ってとかして」
「ごめん。私、卵割れない」
「なら、粉をふるってて」
「ふるう、とは?」
「えっと、牛乳を計って」
「測りかた分かんないから、目分量でもいい?」
「……生クリームを混ぜていてください」
「了解」
なんだか結城さんの表情が微妙に悲しそうなものになっていった気がするけど、世の中には料理と無縁な人間がいることも理解してほしいものだ。
とりあえずボウルに入った生クリームをひたすら混ぜ続けた。
電動泡立て器を使っているからそこまで疲れないけど、シンプルに退屈だし、ボウルを支えている腕が地味に痛い。
その間に結城さんは卵をとかしたり、牛乳をカップに注いだりと大変そうだった。
私が手伝ってる意味あるのかな……そう疑問に思いつつも、とりあえず手は動かす。電動だけど。
「これってどこまで混ぜればいいの?」
「クリームっぽくなるまで」
そんなこと言われても基準が全然分からないけど、とりあえずもう少し混ぜてみよう。
「……なんか不思議な感じ。こうして和泉ちゃんと一緒に何かを作るなんて、昔は考えもしなかったよ」
「……まあ、外で遊んでばっかりだったもんね」
私たちがキッチンに来てやることといえば、もっぱら味見係ばかりだった。
うちのお母さんはともかく、結城さんのお母さんが作る料理はどれも美味しくて、今でもよく覚えている。
「いっちゃんとは今でもよく一緒に遊ぶの?」
「まさか。外で偶然会ったとしてもロクに話さないよ」
「そうなんだ……」
どこか残念そうな顔をされたが、年子とはいえ、男女の兄妹なんてこんなものだと思う。
「昔は二人と色んな話をしたよね。覚えてる?」
「……好きな漫画とかの話なら」
「あと、好きな芸能人とか、配信者とか、キャラクターの話もよくしてくれたよね」
「そうだっけ?」
「和泉ちゃんが好きになるのは、いつも女の子だったね」
「……そういう趣味だし」
ドキリと、嫌な感じで心臓がはねた気がした。
「今もそうなの?」
ボウルを持つ手が一瞬滑りかけたが、何とか踏みとどまり、床にぶちまけるという最悪の事態だけは避けることが出来た。
「……まあ、そうだね」
「そっか。変わってないみたいで良かった」
にこりと綺麗に微笑まれてしまったけど、何が良いのかはよく分からない。
「ちなみに二人は今、付き合ってる人とかいる?」
「……なんでいきなりそんなこと聞くの?」
「世間話。好みの話になったから、その延長で」
世間話にしては、やけに真剣な顔をしてるけど。
というか、よく分からないけど粉を混ぜるならちゃんと手元見て。こっちを見ないでほしい。
「……いないよ。お兄ちゃんは学校でやたら人気だけど、野球馬鹿だし」
あいつは多分、いわゆるイケメンと呼ばれる部類の顔面をしている。
眉目秀麗、高身長、かつ運動神経抜群で野球部のエースという、漫画に出て来るキャラクターみたいな嫌味ったらしい奴。
「いっちゃん、可愛くなったもんね」
「か、可愛い? そうかな……」
あんなゴツい男を見て可愛いと思う人は少ないと思うけど……まあ、感性は人それぞれだ。
「……いっちゃんがそうなら、和泉ちゃんもやっぱり人気なの? 可愛いし」
「んなわけ」
というか、お兄ちゃんのことを可愛いと言う人に可愛いって言われても全く嬉しくない。結城さんの方が遥かに可愛いし、嫌味にすら聞こえてくる。
「そっか、よかった」
「……よかったっていうのは悪口?」
「まさか。ライバルは少ない方がいいかなって思って」
「ライバル?」
さっきから何が言いたいのか、よく分からない。
ふとボウルに視線を戻すと、ほとんど液状だったクリームが、徐々に固まってきていた。
「これくらいでいい?」
「えっと……うん、大丈夫」
「よし。じゃぁこれをボウルから放して……」
「あっ、そのまま放すと飛び散――」
結城さんが言い終える前に、電動泡立て器についていたクリームが辺りに飛び散った。
慌ててスイッチを切ったから周囲への被害は少なく済んだけど、私と結城さんの頬にはベッタリとクリームがついてしまっていた。
「…………ごめんなさい」
「ううん、早めに言わなかった私も悪いから」
こんな時でも笑顔の結城さん。
……どうでもいいけど、よく笑うな。
昔からこうだっけ……いや、こうだったかも。控えめだけど、よく笑う姿が可愛かったな……うん、昔はね。
「それより和泉ちゃん、ほっぺたにクリームついてるよ」
「結城さんの方にも――、っ」
一瞬、頬にぬるっとした感触がした。
それが何なのか確認する前にその感触は離れて。近付けていた顔を離した結城さんは、何でもないように笑う。
「このクリーム、砂糖入れ忘れてるね」
それから自分の頬についていたクリームを指ですくった。
「え……い、今、な、舐め……っ!?」
「砂糖入れよっか」
平然と、ざらざら砂糖をボウルに入れ始める結城さんを見て、私の頭の中は大混乱だった。
続く




