【16.眠れない夜】
――夜中に目が覚めた。
それはよくあることだし、最近は特に多い。
いつもの通り、細かい内容は忘れてしまったけど、懐かしい夢を見ていた気がする。
「うわ……寝汗ひど」
違和感があって首元を触ってみると、しっとりと濡れていた。
多分見ていたのは悪夢だったんだろうな……今日、恭子に会ってしまった影響だろうか。
とにかく再び眠りにつこうと目を閉じてみたが、なかなか上手くいかない。汗の感触が気持ち悪いせいか、完全に目が冴えてしまったらしい。
「仕方ない……ホットミルクでも飲も」
眠れない日はそれに限る。また歯を磨かなくちゃいけないのはめんどくさいけど、眠れないよりはマシだ。
結城さんを起こさないように、音を立てず立ち上がると――
「眠れないの?」
「わ!?」
いきなり声をかけられ、心臓が止まりそうなほど驚いた。
自分でも信じられないスピードで声の方に振り向き、そこで初めて、結城さんが起きているどころか起き上がっていたことに気が付いた。
「ご、ごめん、起こしちゃった?」
「ううん。私もさっき目が覚めて、眠れずにいたの」
「そうなんだ……えっと、なら一緒にホットミルクでも飲みに行く?」
「うん」
ゆっくりと扉を開き、二人そろって廊下に出る。
家族を起こさないよう静かに廊下を歩いて、一階にあるリビングまでやって来た。
「本当に牛乳でいい? お茶とかもあるけど」
「和泉ちゃんと同じのがいい」
牛乳を取り出し、結城さんが用意してくれたマグカップに注ぐ。
電子レンジで温めたそれを持って、向かい合うような形でテーブルに座った。
「……和泉ちゃん、さっき何か夢見てた?」
少し熱かったから冷まして飲もうとしていた時、そんなことを聞かれた。
「多分見てたと思うけど……なんで分かったの?」
「寝言で……行かないでって言ってたから」
どんな夢を見ていたのか、なんとなく分かった気がする。
それにしても夢の内容がそんなにハッキリと寝言に出ていただなんて恥ずかしい。もしかして私も結構寝言を言うタイプなんだろうか。
「……悪い夢だったの?」
「悪いというか……多分昔の夢。あの事故の後、色々あったから」
結城さんの表情が一瞬固まった気がした。
その顔を見て、いつまでも抱え込んでいるのもよくないし、お互い吐き出すべきなのかもしれないとふと思った。
「聞きたい?」
意地悪だと自覚しつつも尋ねると、結城さんは少しの間の後、無言で頷いた。
「どこまで聞きたい?」
「……私が知らない頃のこと。和泉ちゃんが嫌じゃない範囲で」
私が事故に遭ったのは小学五年生の頃の夏休み。遊びに来ていた結城さんとお兄ちゃんと三人で遊んでいた時だった。
横断歩道を渡っている最中、結城さんのリュックにつけていたストラップが落ちてしまい、それを拾うために来た道を戻った。
その時、車側の信号は赤だった。
けど、居眠り運転の車が結城さんのほうに突っ込んできて、それを私が助ける形で、そのまま轢かれた。
結城さんはかすり傷程度で済んだが、私の方はかなり重傷だったらしく、何日間か意識がなかった。
今にして思うと、あれだけの事故に遭って目立った後遺症が足だけというのは奇跡に近い気がする。
そんな経緯があるから、結城さんは私に借りがあると思っているんだと思う。
……恩に着せるつもりは毛頭なかったんだけど。
「意識が戻った後、私は何ヶ月か入院することになったけど、同じ学校の子は誰もお見舞いに来てくれなかった。お兄ちゃんは仕事で忙しい両親の代わりにしょっちゅう来てくれたけど」
少し落ち込んだような、気まずそうな結城さんの顔。それには構わず続ける。
「退院して学校に通い始めてからも、無視とまではいかないけど、なんかみんなに避けられてる感じがあったんだ」
今にして思うと、あれは単にどう声をかけたらいいか分からなかっただけかもしれない。
けど当時は私自身も幼くて、周囲がどう考えているかなんて分からなかった。だから単純に避けられてると思った。
「正直、私も事故のショックとかリハビリで参ってたし、人間関係が面倒くさくて……避けられてるならそれでいいやって自己完結してた」
そんな感じで、大半のクラスメイトと気まずい関係のまま小学校を卒業して、中学生になった。
「中学に上がった頃には、お兄ちゃんは前にも増して女子にも男子にも人気があって、だから私の周りに集まってくるのはお兄ちゃん目当ての人ばっかりだった」
中学の間、一体何度「高柳君の妹だよね?」を聞いたことか。
特に女の子はあからさまなもので、少し仲良くなれたかと思ったら、『高柳先輩にフラれたから』という理由でみんな離れていく。
「だからさっきの寝言の、行かないでっていうのは、昔の友達の夢でも見てたんじゃないかな。なんか子供の頃って、友達にとっての一番は自分でありたいみたいな、変な独占欲があるじゃん」
「……今日のあの人も、その内の一人?」
「うん」
……あ、恭子の顔思い出すと、また少し気持ち悪くなってきた。私、無意識の内にあの子のことが相当トラウマになってるんだな。
「恭子は……あ、今日会った子ね。特に印象深いよ。私のこと親友とか大事とか言ってくれてたのに、全部嘘だったんだもん。すっかり騙されちゃった。一緒にいてすごく楽しいって思ってたから。……まあ、でも今は恭子のこと別に好きじゃないけど」
「それはさっきのやりとりを見たら流石に分かるけど……むしろ……」
そこで言葉を止めた結城さんは、少し悩んだような間を開けて、結局言うのをやめたみたいだった。
その代わりという風に、不自然なほど明るい口で問われる。
「タイプ的には今もああいう子が好きなの?」
「え……いや、別に」
「和泉ちゃん、可愛ければ誰でもいいとか言って、いつも好みは一貫してたよね」
「そんな私の好みを熟知してるみたいな言い方――」
「初恋は幼稚園の頃のサトコ先生。小学生の頃に気になってた浜田さんも森永さんも逢坂さんも、みんな元気で明るい子だったし」
「……何でそんな正確に把握してるの?」
「昔から和泉ちゃんのことが好きで、ずっと見てたから」
おお、一瞬ぞくっとしてしまった。これは恐怖なのか、別の感情なのか。
「和泉ちゃん、そういうとこは分かりやすいから。好きな子の話はいつも楽しそうにするし、察しやすかったよ」
「お恥ずかしい……」
「……昔から好きになるのは、私とは真逆のタイプの子ばかりだもんね」
「そ、そんなことはない、気も」
大体結城さんはそこまで大人しいタイプじゃないし、真逆ってわけでもない気がする。……ああ、でも小さい頃の結城さんは今よりもっと大人しかったか。
「だからずっと好きだって言えなかったんだよ」
「へ、へー」
「もっと早くに言ってれば、何か変わったのかもしれないね」
「ソウカモネ?」
ダメだ、もう何を言っていいものやら分からない。
だって結城さんが何を考えてるのか、何を言いたいのか分からないんだから。
とりあえず誤魔化すようにホットミルクを口にすると、すっかり温くなってしまっていた。
恐らく同じように冷めているホットミルクを一口飲んで、結城さんは口を開いた。
「でも私は事故後の和泉ちゃんや、その周囲のことは何も知らない。……ずっと逃げてたから」
そう言う結城さんの顔は、やたらと寂しそうだった。
彼女とはあの事故の後、この同居を始めるまで一切会っていなかった。
逃げていたという表現に複雑なものを感じつつも、私はずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「あの後から会いに来てくれなかったのは、やっぱり気まずかったから?」
「……本当は一回だけ病院に行ったんだけど……その、中に入る前に、和泉ちゃんが泣いてる声が聞こえてきて……。恐かったの……私のせいで和泉ちゃんが大怪我を負って、野球もやめることになっちゃったって聞いて……恨まれてるんじゃないかって」
別に恨んでなんかいないのに。
庇って怪我をしたのは私自身の判断だし、野球をやめる決断をしたのだって私自身だ。
小学生の頃、私はお兄ちゃんと一緒のリトルリーグに所属していた。
自分でも言うのもなんだけど結構上手くて、何をやってもお兄ちゃんに大差をつけられていた私が、唯一お兄ちゃんと同じくらい出来ることだった。
だから、リハビリをしている間にお兄ちゃんや他のみんなとの実力差が開いてしまうのが嫌で、やめることにした。
この決断のことまで結城さんが気にしているなんて、流石に負い目を感じ過ぎじゃないだろうか。
そう思ったけど、逆の立場だったら私も同じようなことを考えるのかもしれない。
「……だから久しぶりに会った時も、本当はすごく緊張してたんだよ」
「そうなの? 全然気付かなかった」
「和泉ちゃんらしいね」
それはどういう意味だろうか……少なくとも褒められてはいなさそうだけど。
「それにしても、いっちゃんは本当にいつでも人気なんだね。なんだろう……可愛いからかな」
「可愛い……のか? あれは……」
脳裏に浮かぶ、憎たらしい兄の顔。カッコいいと騒がれるのは百歩譲って分かるとしても、流石に可愛くはないだろう。体もゴツいし。
「でも和泉ちゃんも可愛いよ。私からしたら、いっちゃんよりずっと」
「比較対象がお兄ちゃんだと、可愛いの説得力が無くなるね……」
「なら、素敵って言葉に置き換える」
「そうなると、今度は言葉の説得力が無くなるね」
「……」
結城さんは珍しくムスッとした顔になった後「面倒くさいこと言うね」と、ド直球な批判をぶつけてきた。
「あんな人と小さい頃から比較されて育つと、自己肯定感がミジンコ以下になっちゃうんだよ」
「いっちゃんが素敵な人だと、どうして和泉ちゃんがそうじゃないってことになるの?」
……改めて聞かれると、確かに変な話だ。
どちらかが必ず劣っていなくちゃいけないわけでもないのに。
「和泉ちゃんもいっちゃんも、どっちも素敵じゃダメなの?」
「ダメ、ではないけど……、嬉しくはない」
「どうして?」
「だって……結局みんなお兄ちゃんを選ぶんだもん」
「……なんだかんだ、和泉ちゃんが一番いっちゃんのことを好きで、評価し過ぎなところがあるよね」
「いやいや、んなわけないじゃん……」
その冗談は本当に嫌だからやめてほしい。
私だけの判断じゃなくて、昔好きだった女の子たちも、口を開けばお兄ちゃんの話ばかりだったんだ。
常に私の家で遊びたがって、お兄ちゃんに会えない日は露骨に機嫌が悪かったし。
お兄ちゃんにフラれた後に私の元に来て「樹君のために我慢してあんたと友達やってたのに酷い!」と八つ当たりされたこともある。
……こうして思い返すと、悪いのはお兄ちゃんじゃなくて私の女の趣味だということがよく分かって、虚しくなってくる。
「和泉ちゃんの自己肯定感は、誰かにいっちゃんよりも評価されたら上がるの?」
「まあ……そうなるのかな」
「私は?」
「結城さんは……家族みたいなものだから、ノーカン」
「……それならまず、和泉ちゃんが人のことをきちんと見てみたらいいんじゃないかな」
「私が?」
「うん。自分から積極的に相手に歩み寄ってみたら、何か変わることがあるかもしれないよ」
確かにここ最近は、誰かと仲良くなりたいと思って積極的に行動したことはなかった気がする。
多分、単純に怖かったから。
誰かを好きになっても、その人はいずれお兄ちゃんを好きになりそうで。
だったら最初から好きにならないほうがいいって思った。
好きな人が自分に見せる姿と、お兄ちゃんに見せる姿を比べて落ち込むことは、もうしたくなった。
……なんか改めて考えると、本当に私の人生ってお兄ちゃんとその周囲に囚われ過ぎな気がする。
「……そうだね。私が自分で人を避けてるのに、人が私に寄ってくるわけないし」
私の言葉に、結城さんは遠慮がちに頷いた。
「きっと、いっちゃん関係なく、和泉ちゃんの良さを分かってくれる人もいるよ。和泉ちゃん、人に嫌われるタイプじゃないから」
「贔屓目入ってない? 私、普通に嫌味な奴だよ」
「本当に嫌な人は、その自覚すらないものだもん。……それで、あの、しつこいようだけど」
私が冷めたホットミルクを飲んでいると、結城さんは「こほん」とわざとらしい咳ばらいをした。
「私は、本当に和泉ちゃんのこと大好きだから。小さい頃から和泉ちゃんだけをずっと見てるよ」
「……」
こうもハッキリ言われると、その「好き」がどういう意味であろうと、流石に恥ずかしい。
マグカップを傾けて視界から結城さんを消し、一気に残っていたホットミルクを飲み干した。
「……私も嫌いじゃないよ」
誰かに好かれたいなら、自分から誰かに歩み寄らなくちゃいけない。
彼女の言うことは最もだと思ったし、このままの自分じゃダメだと思った。
だから最初は、一番身近にいる人から。
「前みたいに……桜乃と話せるようになって、本当は嬉しかったし」
「本当――って、あれ? 和泉ちゃん、今私のこと名前で」
「じゃ、私はもう寝るから。今日は話を聞いてくれてありがとう、じゃあね!」
彼女の言葉を遮り、マグカップを流しに放置して、そのまま早足で階段を上っていった。
まあ照れ臭くて逃げ出したところで、結局寝るために戻るのは同じ部屋なんだけど。
続く




