【14.体育祭に向けて-2】
練習場所だという河原に行くと、先に来ていた松岡さんが笑顔で迎えてくれた。
それに苦笑を返しつつ、青井さんからの指示を受けて下だけジャージに履き替える。
「じゃ、まずはあんたのタイムを知りたいから、走ってくれる?」
「はーい」
返事をしながらも、正直やる気は全然なかった。
リレーの選手なんて、私自身が面倒くさくて嫌なのはもちろんのこと、クラスのためにならない。
私がメンバーじゃ絶対に勝てないことを印象付けて、青井さんたちにもメンバー変更をお願いしてもらおう。
そんな思惑を抱きつつ、指示された位置につき、百メートルを走った。もちろん限界まで手を抜いて。
走り終えると、わなわなと肩を震わせていた青井さんの手の平が、容赦なく私の頬にぶつけられた。
「いだっ!! ちょっ、暴力とか時代錯誤過ぎる!」
「だって十九秒とか……あんた全力で走ってないでしょ!! そもそも最後の方ほぼ歩いてたわよね!?」
「寧々、いくらなんでも叩いちゃダメだよ」
松岡さんが私の頬をさすってくれた。
明らかに手を抜いた私が悪いとはいえ、すぐ手が出る青井さんの癖は何とかした方がいいと思う。……いや、やっぱ怒らせた私が悪いな。
「手抜いたのはごめん。私、中学になってから本気で走ったことなくて」
「は? 運動会とか出たことないの?」
「常に仮病で休んでた」
「どんだけ運動嫌いなのよ……。もしかして玉入れを熱望してたのも、手が抜きやすいからとか?」
力いっぱい頷くと、ゴミを見るような目で見られちゃった。
その視線に心が痛んだけど、実際その通りだから反論することは出来ない。
今回も本当はいつも通り休もうかと思ってたんだけど、高校入学前、お兄ちゃんに「サボり癖がつくとロクな大人にならないぞ」とかいうド正論をぶつけられてしまったので、仕方なく参加することにしただけだし。
青井さんの視線が気まずくて、全くかいていない汗を乾かすフリをして胸倉を掴み、前後にパタパタとはためかせて風を送って気を紛らわせる。
「はあ……ほら、さっさと立って。続けるわよ」
疲れてるふりをしているにも関わらず、容赦なく腕を掴まれ、無理やり立たされた。
あのタイムを見てもまだ諦めるつもりはないらしい。
やる気なのはいいけど、勝ちたいと思っているなら思っているほど、私がいない方がいいだろうに。
チラリと青井さんの方を見ると、その表情的にも私の思惑通りにはいかなさそうで、悲しくなった。
「優花、こいつに走り方とか教えてやって」
「え、私?」
「あたしより優花のほうが速いし、教えるのも上手いでしょ。あたしは軽く走ってくるから」
頼んだわよ、なんて言って、青井さんは本当に走り出してしまった。
残された私は再び座りたい気持ちを抑えつつ、松岡さんの方に視線を向ける。
「どうする?」
「もちろん練習する!」
「はーい……」
どうせ青井さんがいる状況では逃げられないだろうし、逃げ切れても明日うるさいだろうし、そもそも松岡さんにも悪い。
とりあえず適当にやって、明日にでも改めてメンバー交代を提案してみればいいか。
「何からすればいい?」
「んー……さっきのタイムは本気で走ってないからだよね?」
「うん」
「じゃぁ、その本気を出すところから」
「それは無理」
きっぱり拒否すると、松岡さんはあからさまに困ったような表情になった。
「なら、ダッシュでもしよっか」
「難しい」
「えっ、それじゃぁランニング」
「難しい」
「えーっと……それじゃぁ、ストレッチしよっか」
最大限の妥協案だった。
それにしても、青井さんとは真逆で、松岡さんはものを教えるには優しすぎる気がする。
明らかに私がワガママを言っているんだから、ぶん殴って「黙れ」くらい言ってもよさそうなものなのに。
……なんか、流石に良心が痛んできたな。
「……やっぱりランニングくらいはしようかな」
「ほんと!? 頑張ろうね!」
「う、うん……」
パアァーっと輝くような笑顔に、青春のまぶしさというか青臭いものを感じて、苦笑いしてしまった。
そんなこんなで、私たち三人の自主練は夕方まで続いた。
私が真面目にやらないから、青井さんはしょっちゅう怒っていたけど、松岡さんがなだめてくれたおかげで、大目玉を食らうことはなかった。終始不機嫌そうではあったけど。
「つっつかれた……ギブ……」
「まあ初日だし、仕方ないわね」
諸々限界で倒れ込んだ私を見て、青井さんは「はーやれやれ」と言いげな仕草ながらも、解放してくれる気になったらしい。
日が落ちてもまだ練習するというフィジカルモンスターな二人と別れ、私は一人家に帰ることにした。
◆ ◆
河原から道路に続く階段をのぼっていると、疲れからかあくびがもれた。
一人だけ帰るのも気まずかったけど、これ以上練習しても無駄に終わりそうだし。
今日の私のやる気のなさを見たんだから、青井さんも明日には考えが変わってメンバー変更を熱烈に希望してくれるに違いない。
そんなことを考えながら家に向かって歩いていると、不意に思い出した。
「……あ。ノート忘れた」
普段なら気にせず帰るところなんだけど、あいにく明日提出の宿題に必要だ。確かあの教師は、宿題を忘れるとかなり口うるさく叱ってくる。
「あー、こんなことならさっさと宿題しとくんだった……」
遅い後悔に駆られながら、早足で学校へ向かう。
しばらくすると、校門が見えてきた。みんな体育祭の練習中なんだろう、校内にはまだ大勢の生徒が残っていた。そんな生徒たちでにぎわう昇降口を通り、二階へ行く。
昇降口とは違って、廊下は人が少なく比較的静かだった。そこを真っ直ぐに歩いていくと、自分の教室が見えてくる。
「体育祭だるいねー」
扉に手をかけて開こうとしたところで、中から声が聞こえてきた。クラスメイトとは極力会いたくなかったため、思わず手が止まる。
どうしよう……まだ教室に残っている生徒がいるとは思わなかった。
「ビリはさすがに嫌だけど、一位もとれないだろうね」
「ま、リレー捨てにいってるし」
しかも「リレー」なんていう、今の自分に関連するワードまで出てきて、ますます中に入りにくい。
「つか、なんで高柳がリレーになったわけ?」
「なんか一部の子らが事前に打ち合わせてたらしいよ。一番キツい種目に出したかったんだって」
「あー、だからか。ホント傑作だったよね、あのとき」
「そうそう。青井とか結城さんはめっちゃ反対してたけど、ほとんどが高柳推してたし。足速くもないのに大人気でさ」
結城さんは私のことを思ってだろうけど、青井さんは普通に嫌で仕方なくて反対したんだろうな。
「あいつ起きてたらめっちゃ嫌そうな顔してただろうね~。運動とか嫌いそうだし」
「というか、なんで結城さんもあんな嫌がってたんだろ?」
「可哀想だからとかじゃない? なんか優しそうだし。高柳にそんな情かけるだけ無駄なのにね」
「ほんとほんと。あいつが過去にしたこと考えれば、イジメられてないだけ有難いと思えって感じだし」
過去にしたこと……覚えがないんだけど、何の話だろう。
にしても、入りづらい……けど彼女たちがすぐ帰る気がない以上、いつまでもここに突っ立ってるわけにもいかない。
一度大きく息を吸い、扉を開ける。心なしか力がこもってしまったらしく、バンッと大きな音が鳴ってしまった。
「……あ、高柳、さん」
教室の中には、気まずそうな顔をした三人の女子生徒。
私は無言で自分の机まで移動し、その中からノートを取り出す。それから複雑な顔をしている三人に向かって、ヘラヘラと笑った。
「ちょっと忘れ物しちゃって……邪魔してごめん」
「あー……気にしなくていいよ」
「そうそう。うちらだって勝手に残ってたわけだし」
ああいうことを言ってても、いざ本人が来ると普通に接する。つくづく人間ってズルいよなぁと思う。まあ、表立って悪く言われたりイジメられたりしないだけマシかもだけど。
ノートを雑に鞄に突っ込み、私は早足で出口へ向かった。
「じゃぁまた明日」
「あ、うん。また明日ねー」
扉を閉めて、しばらくその場に立ち竦んでいた。
なんか、流石に緊張したというか、ショックだったというか、複雑な気持ちだった。
「……びびった~。さっきの聞かれてないよね?」
「多分大丈夫じゃない? 普通な感じだったし」
「でもやっぱちょっと変わってるよね」
「なに考えてるか分かんないし」
「なんか男子が読むみたいなエロ漫画読んでるし」
おっと、再び話が始まってしまった。
私はMではないので、自分の悪口を聞いたって悲しくなるだけだ。さっさと立ち去ることにしよう。
「それにさ、あの噂って本当なのかな?」
――あの噂?
立ち去るつもりが、気になるフレーズに思わず足が止まった。
「さあ? でも同中に被害者の子がいるらしいよ? なんか二人きりの時に襲われたって」
襲う? 私が? 同じ中学の子を?
基本的に暴力は嫌いだし、そもそもそこまで喧嘩強くないし、襲ったところで返り討ちに遭いそうなんだけど。
「あたしも気をつけなくちゃねー。そういや、優花とかもなんであいつに関わるんだろ」
「優しいからじゃない? なんか誰にでも声かけてるし」
「あー……私も入学したばかりの頃、最初に話しかけてもらったわ」
話がいつの間にか松岡さんのことになっていたので、私は音を立てないように注意しながら扉の前から離れた。
再び家への帰り道、暗くなり始めた周囲をぼんやり見つめながら、考える。
さっきの話は結局何だったんだろう。嫌がらせで流された噂話なのかな。
あの陰口も含めて、改めて自分の嫌われっぷりを認識した。
松岡さんたちは普段部活に励んでて、本当は今もそっちの練習をしたいだろうに、体育祭に向けての練習を頑張ってる。
それなのにメンバーに私みたいなのがいるせいで、このままいけば勝利はほぼ無理。
私がクラスメイトに嫌われていたばっかりに、二人にまで迷惑をかけることになってしまった。
「……なにやってんだろ、私」
せめて、もっと人当たり良く過ごすべきだっただろうか。とはいえ、今更もうどうしようもないしなぁ。
鬱々とした気持ちをどうにか切り替えようとしていた時だった。
「和泉ちゃんっ」
後ろから声が聞こえると同時に、腕にやわらかな感触がした。
腕を組まれたことに気が付いたのと、声の主が結城さんであることに気が付いたのは、ほぼ同時だった。
「……今帰り?」
訊ねながらさりげなく腕を振り払おうとしたら、思ったよりも強い力で掴まれていたらしく、ビクともしない。
まあ、もう学校から大分離れたし、辺りも暗いし。誰かに見られたとしてもバレることはないかと、振り払うのは諦めることにした。
「うん。和泉ちゃんも体育祭の練習してきたんだよね?」
「うん……ほぼ適当にやっただけだけど」
自虐的に笑うと、結城さんは「それでいいと思う」と淡々とした口調で言った。
「ごめんね……リレーの件、止められなくて」
「いや、私が寝てたのも悪いんだし」
「……私が言えたことじゃないけど、無理しないでね」
「気を抜くことしか考えてないんだから、無理なんてするわけないよ」
私には、リレーだけじゃなくて運動そのものをやりたくない理由がある。
それは「面倒くさいから」というのが大半を占めてるけど、それが全てというわけじゃない。
ただその事情は先生にすら伝えていないので、当然クラスのみんなが知っているわけもない。
けど、結城さんは知っている。だから過剰なまでに心配してくれてるのだ。
「私に心配されるのは嫌だと思うけど……和泉ちゃんに何かあったら、私、クラスのみんなに何を言われても止めに行くから」
「そんなことには絶対ならないから大丈夫だって」
普段はその心配を申し訳ないと思うだけなのに、今は心にあったモヤモヤみたいなものが少し軽くなった気がしたから、不思議だった。
続く




