【09.特別じゃなくても特別なこと】
夕飯時、黙々とご飯を食べ進める結城さんを見て、お兄ちゃんは分かりやすく焦っていた。
そして夕飯が終わった後、ちょっと来いというジェスチャーをされたので、しばらく無視したけど仕方なく廊下へと出た。
「サクちゃんと何かあったのか? めっちゃ機嫌悪いじゃねーか」
「自分を卑下したら怒られた」
「はあ? よく分からねーけど……ちゃんと機嫌直しとけよ」
そう言われても、家電製品じゃあるまいし簡単に直せれば苦労しない。
まあ、学校にいる間も話しかけなかったし、帰ってからも特にご機嫌を取るようなこと何もしてないんだけどね。
「とにかく、俺は自分の部屋に戻ってるから話して来い」
私が何か言い返す暇もなく、お兄ちゃんは本当に自分の部屋へ行ってしまった。
「話して来いって言われたって、一体何を話せばいいのやら……」
結城さんが怒っているのは、私の自己評価の低さというか卑屈さなんだろうけど。それについて謝罪したとしても、私は改めるつもりがない。だって自分の評価は正しいと思ってるから。
なのに、ご機嫌を取るためだけに形だけ謝罪するっていうのも、人としていかがなものか。
「うーん、難しい」
「何が難しいの?」
「結城さんの機嫌の取り方だよ」
「私の?」
「!?」
ビックリして声も出なかった。
さっきまでキッチンで洗い物をしていたはずなのに、一体いつの間に隣に来ていたんだろう。
「私、別に機嫌悪くないよ?」
「でも明らかに口数少なくなかった?」
「それは落ち込んでたの。……和泉ちゃんの魅力をどれだけ伝えても本人には全く伝わらない虚しさで」
……ともあれ、私のせいであることに変わりはないということだ。
しかし落ち込んでるっていうのもまた難しい。何をしたら元気を出してくれるのか、サッパリだ。
「……もしかして慰めてくれるの?」
「まあ、うん。でもどうしたらいいか分かんない」
「簡単だよ。……はい」
両手を広げ、にこにこした顔でこちらを見てくる。
……なんか、もうかなり機嫌よさそうに見えるんだけど。果たして本当に慰める必要はあるんだろうか。
「この手はなに?」
「ぎゅってしてほしいな」
「嫌です」
「……なら明日も落ち込んでようかな」
脅しとは卑怯な……というか、ぎゅってなんだ。そんなの本当に子供の頃しかしたことないから分かんないんだけど。あれか、漫画の中でよく見る女の子同士のスキンシップみたいな感じか。
「軽く抱きつくだけでいいの?」
「! うん!」
ものすごく嬉しそうな顔をされて気まずかったけど、仕方ない。卑屈なのが悪いこととは思ってないけど、それを他人に見せたのは私に非がある。
これくらいなら子供のスキンシップの範囲。そう思い、結城さんの方に近付いて腕を伸ばした。
心を無にして抱きつき、すぐ離れようとしたら逆に抱きしめ返された。
甘い香りと柔らかい感触に、せっかく無にした心がざわめき立ってしまった。
「ちょ、ちょっと、軽くでいいって」
「うん。和泉ちゃんから抱きつくのはね」
なるほど、つまり結城さんから抱きつくのはまた別の話――って、そんなので誤魔化されるわけがない。
無理やりになるけど引き離して、
「ふふ、和泉ちゃん大好き」
……まあ、手荒なことして今度こそ本当にご機嫌斜めになられたら困るから、今は大人しくしとこうかな。
決して絆されたわけでもないし、滅多にないシチュエーションを惜しいと思っているわけでもない。本当に。
「……こうやって抱きしめると分かるけど、大きくなったね」
「当たり前でしょ。でも昔は結城さんの方が私より小さかったのに、今じゃほぼ一緒くらいだけど」
「私は色々成長したくて頑張ったから」
色々と言われると、私の意識は勝手に身長じゃなくて胸元に集中しちゃうわけだけど、今は考えないようにしよう。
再度心を無にしていると、首元に擦り寄ってこられたので、くすぐったくて逃げ出したくなった。
◆ ◆
ふわあ、とあくびが漏れた。
そろそろ寝ようかなと思って漫画を閉じたら、上からかかる声。
「あの……寝る前にちょっといい?」
「うん?」
「和泉ちゃんは私と一緒の部屋、嫌?」
「……随分今更だね」
初日に大反対した時はお兄ちゃん共々聞く耳持たずって感じだったのに。
「最初は和泉ちゃんと一緒なんてラッキーくらいの気持ちだったんだけど、よく考えたら迷惑だろうし……。いっちゃんに聞いたら、空いてる部屋はあるって言ってたから、今更だけどそっちに移動させてもらおうかなって」
でもあの部屋はもう何年も物置のように使っていて、かなり埃っぽい。それだけなら掃除をすれば何とかなるかもしれないけど、そもそも日の光が当たらないからという理由で物置になった場所だ。そんなところに結城さんを押しやるのは、流石に気が引ける。
「結城さんがいいなら別にいいよ。あそこには私の荷物も置いてるし、今更別の場所に片付けるのも面倒くさいし」
「ありがとう……ならせめて、寝る場所は交換しよ」
「それこそ今更じゃない?」
「それも無理に決めちゃったことだから……」
確かに彼女がベッドを使うことになった流れは、お兄ちゃんが無理やり決めたからだ。
私としても、布団よりベッドの方が慣れてるし寝心地が良くていい、けど。
「結城さん、小さい頃からずっとベッドで寝てたでしょ。今更慣れない布団で寝て寝不足にでもなったら悪いじゃん」
「でも元々和泉ちゃんのベッドだし……」
「だから今更だって。私、人のにおいがついた寝具で寝れないから」
ちなみにこれは嘘。いや、滅茶苦茶クサいのは本当に嫌だけど。昔からの付き合いだから結城さんの匂いは大体分かってるし、不快に感じることはない。というかむしろさっきはかなり良い匂いが……ゲフンゲフン。
「……和泉ちゃんは相変わらず優しいね。そういうところも好き」
「ふーん。……でもさ」
優しいから好き。
その言葉が酷く陳腐に聞こえて、流せばいいのに食って掛かってしまった。
「結城さん相手なら誰だって優しいでしょ?」
「え?」
「昔から可愛いし性格も良いし、みんな結城さんには優しかったじゃん。私だけじゃないでしょ」
「……和泉ちゃん、なにか怒ってる?」
「怒ってるっていうか引っかかってる。優しいから好きなんて、それこそ……お兄ちゃんとか、他の人にだって当てはまりそうなことだし」
「……へえ」
人に「怒ってる?」と聞いた割に、自分の方が怒ってそうな声で呟く結城さん。
……いや、普通に考えれば当たり前か。真意は分からないとはいえ、好きだって言ってくれた相手に「他の人でもいいんじゃないの」と言ったようなものなんだから。
「別に好きなのは優しいからだけじゃないよ。和泉ちゃん、意地悪な時の方が多いもん。今とか」
「意地悪なのが嫌なら私はやめた方がいいよ。性格ひねくれてるから」
「そんなの前から分かってるよ」
そうハッキリ言われるのも複雑だな……と思っていると、結城さんが何だか泣きそうな顔をしていて、ギョッとした。
「それでも好きなんだから仕方ないじゃん……和泉ちゃんだって、今まで好きになった人がみんな完璧人間だったわけじゃないでしょ?」
それは確かに……どちらかというとロクでもない思い出の方が多くて、今思い出すとどうして好きになってしまったのかも分からないくらいだ。
そもそもあれだけモテているお兄ちゃんにだって欠点があるんだから、世の中に完璧な人間なんていない。
それは分かるんだけど、それでも多くの人から好かれている結城さんが、よりによって私を選ぶことはやっぱり違和感しかない。
ありていに言うと、さっさと「恩返しのつもりで好きって言ってました」って白状してほしい。
「……大体、和泉ちゃんは私を美化し過ぎだよ。私は人に好かれるタイプじゃないから」
「そう? クラスでも友達いっぱい出来てるじゃん」
「……昔の私のこと、覚えてない?」
昔というと、休暇の度に会って一緒に遊んでいた頃の彼女のことだろう。
見た目は今と変わらず可愛かったけど、性格は今よりもう少し穏やかで、おっとりしていた気がする。
ただ彼女のお母さんがよく喋る人で、うちのお父さんも無口とは縁遠いし、私もお兄ちゃんも今よりもっとうるさかった。こんなメンバーに囲まれていたから、大人しい印象が強く残っているのかもしれない。
「今よりちょっと静かな感じだったかな」
「というより、結構暗い性格だったよ……実は外で遊ぶのもあまり好きじゃなかったし」
「え、そうなの?」
「うん。小さい頃は体力がなくて、何をするにもトロくて、同じ学校の子によくノロマって言われてたから」
「……それは、その子が意地悪なだけだよ」
実際私は何度も彼女と遊んだけど、ノロマだなんて感じたことがない。
「でも歩くのが遅かったのは本当だよ。家族で出かける時はいつもお母さんたちが歩幅を合わせてくれてたけど、和泉ちゃんたちと出かける時は、いっちゃんがいつも駆け回ってて危なっかしくて、大人たちはみんないっちゃんの後を追いかけるのに必死だったよね」
「確かに……」
あの頃のお兄ちゃんはヤンチャそのもので、何か見つけたらすぐに飛び出していくし、変わった髪型の人がいたらすぐに触らせてもらいにいくような、行動力の鬼だった。まあ、そこが子供らしいとかって、大人たちにはやたら可愛がられてたけど。
「……一緒に参加した子供会のウォーキングとか、登山の時のこととか、覚えてる?」
「うっすらとは……」
「歩くのが遅いから、私はいつも一番後ろだったの」
言われて思い出すのは、子供会のメンバーで行った登山。
お兄ちゃんが突っ走り過ぎて引率の大人を困らせていたことや、結城さんと一緒に歩いたことは覚えているけど、それが最後尾だったかまでは思い出せない。
「学校でもよくみんなに置いて行かれてたけど……和泉ちゃんだけはいつも私の隣を歩いてくれたんだよ。だから和泉ちゃんと一緒にいる時だけは、一人になるかもって怖くなったことがないの」
「そんなこと、別に大したことじゃないけど……」
「でも私にとっては、ペースを合わせてくれる和泉ちゃんが特別で……たとえ大したことじゃなかったとしても、私の中にはずっと残ってる。遅いとも早くとも言わずに、私の隣で話しかけてくれた和泉ちゃんの姿がずっと。それがある限り、私が和泉ちゃんを好きな気持ちは変わらないよ」
「……正直、ペースとか考えたことなかったし。ただ結城さんと一緒にいるのが楽しかっただけだと思う」
昔を思い出しながら、ぼんやりとした気持ちで答えた。
結城さんの歩く速度なんて、本当に今言われるまで一度も気にしたことがなかった。
強く記憶に残っているのは、彼女と話す時間が楽しかったことと、私を真っすぐに見て笑いかけてくれるのが嬉しかったことだけ。
周囲のみんなが、目立つお兄ちゃんにばかり構う中、私を見てくれることが嬉しかった。
それは結城さんにとって、私が優しいという思い出になってるみたいだけど、私にとっては逆に――
「もしかして私たち、小さい頃は両想いだったのかもしれないね」
ギクリと心臓がはねた。
思わず結城さんの方を見ると、余裕ぶった台詞の割には頬を赤くしてこちらを見ているものだから、こっちまでつられて恥ずかしくなってしまった。
「…………おやすみ」
「和泉ちゃん、返す言葉が見つからないからって寝て逃げるのはズルくない?」
「私は元々こういう人間です」
「もう、またそういうこと言って……」
結城さんは困ったように溜め息をついた後、かけ布団にくるまった私の頭あたりに撫でるように触れて「おやすみなさい」と言った。
優しいその声音に、何だか背中の辺りがソワソワする感覚を覚えた。
続く




