第三章 伝達
「――――ほうほう、なるほど、なるほど。それくらいなら、すぐに作れそうです、アルク――――いえ!陛下」
向かい合って椅子に座り、話し合っていた両者だが、ベンイセは慌てて跪いた。私は思わず言った。
「我らだけの場面ならば、アルクの坊ちゃんで構わんさ。私も成人して何年も経ち、時間の過ぎ方が早くなっていくのを常々感じている。昨日咲いたと思った花が、次の日には枯れているように思うのだ。実際には季節を跨いでいるのにな。
魔族もそうだ。私よりだいぶ年上とはいえ、私が子供の頃に若様と呼ばれていたカルダルが吸血鬼の族長となって人類なら世代が変わる」
立ち上がって椅子に座り直したベンイセも懐かしさを抱いたらしい。
「この年月の数え方を導入したのは、先代でしたな。といっても、人類ほど詳細に日付を記しているわけではありませんが」
「日付か――――そうか!日付!暦だ!文字を導入した今ならば、子細に一年を測り、暦を付け、人類との戦いにも備えられる!
奴らは草茂る日の高い季節に戦争を仕掛けてきては、雪の季節に退却する。その辺りの事情も、人類をより深く理解し、対策の一助となろう」
ベンイセは目を丸くしている。
「文字一つ導入しただけで、アルクの坊ちゃんは発明家のわたしめよりも、様々な事を思いつきますなぁ」
顎髭を擦りながら、椅子に座る汚れの染み付いた作業着姿の巨漢ベンイセ。その様子を見て、私は忠告するのを抑えられなかった。
「髭は剃っておけ。もしくは、魔力で生えないようにしておけ。そんな体裁だから、支配種族たるデーモン族の変わり者と揶揄されるのだ」
ベンイセは豪快に笑った。
「それは魔王様の命と言えども、従うのは難しいですな。黒魔術師と日夜研究に明け暮れ、魔力を研究と発明に注ぎ込んでいる故に」
「ふふ、ベンイセらしい」
私が笑ったところで、ベンイセは急に畏まった。
「実は、折り入って陛下にお願いがございまして」
私は驚かなかった。ベンイセがこの城に居たのは、何らかの目的があっての事。用が無ければ黒魔術師の拠点で研究と発明に明け暮れるのがこの男だ。
「黒魔術師の一人に、テレパス使いがいまして。それで研究成果を私に急ぎの報告として、先の魔族会議の後に早速文字を導入したとテレパスで送ってきたのです。
これはもう、芸術だと言わんばかりでして。研究の進みを記録していくのに便利極まりないと。
ですが一点、文字に欠けている要素があると不満があるのです」
「不満?」
実践の早さと問題点をすぐに見つけるあたり、さすがは研究者たちと思ったが、不満の内容に考えが及ばない。
ベンイセは言った。
「数です。数を表す文字が欠けていると。言語自体は人類どもの移植のため、ほとんど問題はないのですが、数を表す文字、数文字が必要だと申しておりまして。
彼らは魔族における、数学を確立したく思っております。例えば、燭台の蝋燭が一本、二本、三本というように」
考えもしていない問題だった。数文字、つまりは数を表す文字、数字である。そしてそれを用いた、数学といった概念。これは思考に革命を起こす。またもカルダルは反対しよう。
私は言った。
「それについても、魔族会議の必要性があるな。だが、それは今宵の遠征の後だ。少々待ってほしいと、黒魔術師の長に伝えてくれ」
「承知仕りました。此度の遠征の武運を祈っております!」
跪いてから、ベンイセは出ていった。ベンイセは父と仲が良かった。魔力を通しやすい武具の開発、車輪の発明で荷物の輸送が格段に楽になる……等々、とにかく武勇の横で、物理的に援助をしてくれた。ベンイセがいなければ、魔族統一は私の代まで長引いたろう。
とにかく、今は戦の準備だ。
私はスケルトンを小姓代わりにしており、性的趣味の男衆は置いていない。将来的には再度の結婚やら世継ぎの問題も出よう。しかし、今は魔族の一層の団結が急務だった。
部屋の隅に崩れ落ちている骨に魔力を込め、スケルトンを起こした。そして戦闘服に着替えながら、執事を呼び出し、着替えながら報告と命令の伝達を行った。
日は落ち、月の昇る時が来た。檻を載せた荷車を何台も用意し、村をいくつかと街を落とす算段である。ゴブリンから吸血鬼、ゴーレムに至るまで、魔族の全支族が勢ぞろいしていた。
しかし、肝心の兵の合計がわからない。数えて戦力として扱い、兵数をどこに割り当て、どこに配置するか、そのためにも、数字の導入は欠かせない。いや数という概念さえ、魔族で共有されていない。ベンイセとの会話で、私もかろうじて理解できたくらいだ。
父はいざとなれば自分が最前線に出る事で、魔族同士の戦を戦い抜いたが、戦力を整え合理的に判断せねばならぬ時が来る。私の中でそれは確信となっていた。
行軍の末、村が点在し、その中心に城塞都市がある地域に辿り着いた。
各支族の間には、戦闘力も行軍速度も異なる絶対的な差がある。ゴーレムは村には一顧だにせず、村を蹂躙しながら城塞都市の城壁破壊を命じた。城壁破壊後は、好きな人類を一人食べて良いとも伝えた。族長サッソコルは、
「一人?どういう意味で?」
と、数の概念を問うてきた。私は手こずりながら説明を試みた。
「我々魔族も、人類も、各々個体が群れて生きているだろう?こうして個体を取り出してきて、これが一人だ。もう一人取り出してくれば、合わせて二人。一、二、三、四、五……と数えていけば、これは人類の算数、数学とやらに当たるらしい」
サッソコルは、私が地面に描いた人類をかたどった絵と、一人、二人という数え方を対応させていた。そして言った。
「この、片手の指は、五本となるわけですね?」
この飲み込みの早さには驚かされた。ゴーレムは思慮深く、花一つ踏まぬ繊細な巨神、という形容の通りだった。
「魔王、陛下。戦の後には五以降の数も教えてください。ゴーレム族で共有します。あと、今回の戦では、城壁を破った後は一食済ませて良い、という理解で、よろしいので?」
私は立ち上がり、サッソコルに言った。
「その理解で間違いない。それにしても、数という概念の理解が早いと助かる」
サッソコルは答えた。
「陛下の、教え方の、上手さによります。では、前線に行って皆に伝えます」
サッソコルは足音響く小走りで、軍勢の最前線に躍り出た。
その後、ゴブリン族の族長ビンゴル。吸血鬼族族長カルダルが相次いでやってきた。この二人がかち合ったのは、正直不味い。ゴブリン族は自分たちを人類の歩兵に当たる主戦力と考え、吸血鬼族は強大な魔法を用いる自分たちを魔族の筆頭格とし、ゴブリンを数合わせとしか見ていない。
「おお!哀れなゴブリン!魔王陛下の駒にしかならぬ種族よ。我らはそなたたちを悲しき存在と気遣うばかりだ」
「哀れな吸血鬼。大魔法使いにして、夜にしか活動できぬとは。日の光と月の光、どちらの美しさも味合われぬとは滑稽な」
やれやれ、と思い、早速言い争いを始めた二名に、私は魔法を行使した。
「潰れろ」
私の一言で、並び立つ二名に上から猛烈な力がかかり、息をするのも困難な様子である。
「二人とも、そこに直れ」
私が魔法を解いた後、作戦と数について説明した。
二名の理解の程度は怪しく、カルダルに至っては、
「人類の単位など、受け入れるのは滑稽にございます」
しかし、私は言った。
「だが獲物となる人類を、一つ二つと数えるのは便利だろう?カルダル、お前が族長なのをいい事に、他の吸血鬼の分にまで手を出している陳情も届いている。そのような不届きは、確かにこの数という概念の導入で、できなくなろう」
カルダルは陳情の存在を知らなかったらしく、歯ぎしりした。
ビンゴルはどうにか立ち上がってから、数について尋ねてきた。
「陛下、便利そうですが、我々の生活にどう役立つんで?」
「ゴブリンは群れる事で力を発揮するだろう?その時、人数を数えるのだ。一人より二人、二人より三人の方が、強いのは明らかだろう?」
私の説明に、ビンゴルは意外にも目を丸くして納得していた。そして昨今の部族をまとめる苦労を吐露した。
「なるほど、なるほど!そいつは便利にございます。最近は兄弟間でも、どちらが多く人類を食ったか、文句が絶えません。しかし人数を数えて個々に与えれば、平等ですな。
陛下、今一度魔族会議の招集を提案致します」
ビンゴルの案に、カルダルも乗った。
「陛下、我々からも魔族会議召集を提案致します」
カルダルは数の概念導入を潰す気だろうが、恐らくそれは叶うまい。
しかし、魔族会議の招集を約束し、二人を前線に送り返した。
黒魔術師の長テアレースは数の概念の受容に私が乗り気だと知ると、子供のように喜んだ。茶色い皮帽子に緑の肌、黒い外套をまとう一族で、唯一族長を世襲せず、魔法を用いた戦いで首位となった者が族長となる。
「さすがは英邁なる陛下!いやぁ、人類に後れを取る我が魔族の学問も大いに進むぞ!」
「学問?」
私が尋ねると、テアレースは畏まり、跪いた。
「これは失念をしておりました。先日、先代魔王最期の『栄光ある戦い』にて、人類の学者を手に入れましてな。人類は数で複雑な体系を作るのみならず、言語の論理性、自然現象の解析など、知的探究を総称して、学問と呼んでいるらしく。勝手に人類めの言葉を導入しつつあった事、謹んでお詫び申し上げます」
私は首を横に振った。
「否、私は人類の学問を積極的に取り入れ、奴らが何故我々をここまで追い詰めたか知る必要がある。
数字、数の概念の導入については、再び魔族会議を召集する。学問全般、魔族の統治機構、軍勢の組織化など、そこで全て可決したい。
異論はあるか?」
テアレースは嬉しさ半分、驚き半分といった体で跪き、
「そこまでご明察、ご考察でしたか。確かに人類は組織立って自分たちを管理運営している様子であります。七日ばかり時間をいただけませんか?人類の学者から、洗いざらい情報を引き出した上で、会議に臨みたく存じます」
七日という単位に、私は少々戸惑った。
「えーっと、それはつまり、五日に二日を足した日数か。合っているか、テアレース?」
テアレースは跪いたまま、頭を下げた。
「陛下は今、無意識に足し算をなさいました。それは人類の者共でも基本となる計算でございます。
それでは、我ら黒魔術師の部隊は、索敵と、敵兵を逃さぬよう戦場を結界で覆う任務に戻ります。
我らが陛下に、魔族に、幸いあれ!」
大仰に杖を掲げ、テアレースは宣言した。杖は木製の杖だが、その先端には幾つもの宝玉が張り付いている。魔法使いが魔力結晶と呼ぶ物だ。
魔力結晶は、地水火風のうち、特定の属性一つを選んで魔法使いが作る。長時間の瞑想の果てに一つできるのだが、一つ消費するだけでその魔法の魔力を数倍にできる。しかし長時間の瞑想の果てにしては割に合わないと、テアレースは常々思っていると、ベンイセがこぼしていた。
私は杖を掲げたテアレースに激励の言葉をかけた。
「行がよい、生粋の大魔法使いテアレース!その任務をもって、人類を余す事なくひっ捕らえよ!」
「はっ!」
テアレースは飛行魔法で、陣地に取って返した。
あとは、兵士全体への演説だけ――――そう私が思っていたところへ、一人近づく魔族がいた。
「父上、いえ、陛下」
私を呼び直したのは他でもない、我が子カールである。
「どうしたカール、らしくないぞ。初陣が怖いわけではあるまい?」
カールはしばらく黙していたが、感情が手に取るようにわかる。これが若さか。そう思えば、デーモン族が人類何世代にも渡って生きるとされながら、当主の私が若いとされながらも老生していると言える。未成年として、デーモン族で発言権すら認められず、頭数にも算段されないカールは、このところ不満を抱いているとしか思えぬ様子だった。
そして、不満はだった今爆発した。副官としてデーモン族統率の任務に就くはずのカールは、抜剣し、私の首に剣を迫らせた。小指一本入らない僅かな隙間を空けた、見事な腕である。
私は直立不動でカールの言葉を待った。逆にカールの方が耐えきれなくなり、
「これは魔王陛下への反逆だぞ?何故すぐに捕縛指示を出さない?何故平然としている?」
私は結界を張り、カールが持っている剣を三歩以上離れた者には不可視にしていた。それがかえってカールを激昂させているのもわかっている。春夏秋冬をもって一年と数えるなら、私と息子カールとの歳の差は五〇だか六〇だかになる。
そして、カールの母、我が妻の死後からの年月も、五〇近くなる。慌てた父が成立させた結婚だったが、妻は体が弱かった。父の最期と私の即位式の間の一週間に亡くなっている。カールは、その間に先代魔王の喪に服しても、妻の事は一顧だにしなかった私を恨んでいるのだ。
私は先に息子に言った事を繰り返した。
「言ったはずだ。デーモン族で内々の喪に服した。あれで十分だと」
「そんな訳があるか!母の死は、あなたにとって、その程度のものだったのか?」
まるで、自分だけが母――ライラ――の死を悲しんでいるような思い込みは正さねばならぬ。その思いで私は抜剣し、カールの剣を払い、愛剣の切っ先をカールの鼻っ柱に突きつけた。
カールの剣は、高く払われた後、カールの一〇歩ほど背後の地面に突き刺さった。カールはたじろぎつつも、私の剣の腕を誰よりも熟知しているため、動けずにいる。
私は親と子として、息子の間違いを正そうと試みた。
「まるで自分一人だけが悲しんでいる、自分一人だけが情を持つ、そのように思い上がってないか?」
私は静かに己の感情の高ぶりを察したが、目から涙が頬を伝うのを止められなかった。事によると、敢えて止めなかったのかもしれない。
「よいか?我が妻の死はデーモン族一人の死、我が父の死は、魔族全員の死だ。私が戦場と居城を、寝る間を惜しんで往復していた事を、お前は幼さ故に覚えていないだろう。その時、いつか家族で行きたい場所を語るライラは、私の脳裏に焼き付いている。
私とて、悲しかった。それはお前が想像するより、遥かに大きな悲しみだ。全世界の草木の一本に至るまで、ライラの死を共に悲しんで欲しかった。
しかし、デーモン族には強制できても、魔族全体からすればほとんど名の知らぬ女一人の死を悲しませる行為はできなかった。
良いな。一人の魔族の死を、魔族全体が共有する事はできぬ。強制させれば反発すら生じかねない。
ただ、周りに悲しむ者がいたとしたら、それはお前だけではないのだ。私も悲しみ、父も生きていれば悲しむだろう。それは、心しておけ」
私は剣を収め、カールに背を向けて、侵攻方向を向いて指示を出した。
「デーモン族カール!魔王軍副官として命ずる。デーモン族を率いて、人類共を根こそぎ魔法で閉じ込め、荷車に捕らえよ!」
私は立派に父親としての態度を示せたろうか?敢えて目を見ず魔力による探知もしなかったが、カールは言った。
「御意!必ずや他の魔族を養えるほどの人類共を捕らえて見せます!」
地に刺さった剣を鞘に収め、カールは飛び立った。




