第二章 文字の導入
「吸血鬼族の代表として、反対しますぞ!」
若き吸血鬼の代表当主、カルダルの声が大部屋の中に響いた。若い、とは言ってもそこは魔族。私より人類基準で数世代、歳は上だ。
魔王として、私は答えた。
「吸血鬼の一族なら、反対も理解できる。我らデーモン族や、吸血鬼族はテレパスの使い手。特に意思疎通に道具を用いる必要もなく、嘘はすぐにわかる。
しかし、オーク族やゴブリン族、ゴーレム族は?互いに意思疎通を図るには対面して話す必要がある。だが文字を使えば、色々な者たちが唯一の文書を共有できる」
立ち上がって激昂したカルダルは、私の反論に言葉に窮して黙り、席に着き直した。それでも煮えくり返る腸が噴き出る勢いで、ぶつぶつと不平を呟いていた。
私は改めて、各種族の代表に問うた。
「我々は、意思疎通の言語や、上品な服装など、口惜しい事に人類を真似たものが多い。今回の改革も、私自身、人類の知恵を真似たものであるため、皆の賛同なくして成り立たないと思っている。
今一度、この若輩の魔王に付き合ってはくれぬか?私はまだ若い。成人は迎えているが、まだ人類の寿命程度にしか達していない。そなたたちの協力なくして、改革は成らぬのだ」
立ったままの私に、円卓に座す一一名と窓から顔を覗かせるゴーレムのサッソコルは、しばしシンと沈黙をした。
しばしの間の後、ゴブリン族の族長ビンゴルが質問してきた。
「その文字とやらで、具体的に何ができるんですかい?」
私は執事と考えた活用法を話した。
「そうだな……例えば、ゴブリン族の諸君が食料の人類を求めて、城に押しかけてきただろう?あの時はオーク族の見張りたちが勝手に食べ漁っていたが、しらを切るばかりだった。テレパスで心は読めたが、テレパスによる客観的証明はできない。相手がしらを切れば終わりだ。
だが、オークの名を記した札を作り、管理させれば話は異なる。札には勤務時間の最初と最後に、人類について記入させる。テレパスの使い手に、その札を管理させれば、客観的な管理体制を作り、誰か不正をしていないかすぐにわかるようになるのだ」
「魔王陛下、先の騒動の件は、一族郎党を代表してお詫び致します。しかし、文字や札の導入で、本当に、そのような効果がお有りで?」
オーク族の族長、ボルサが尋ねてきた。お詫びと言っているが、要は先の不備を謝る代わりに改革には否定的なのだ。
私は自信を持って答えた。
「十分な効果が見込める。皆、この改革の良き点について、懐疑的なようだな。しかし、文字を導入すれば、こうした公式会議の記録もできるようになるのだ。誰が話し、誰が賛成し、誰が反対だったか、後からいくらでも見返せる。
どうかこの改革も、誓いの天秤にかけてほしい。反対の者も含めてだ。不評が数年経っても続くなら、撤回を取り決め、再度誓約の天秤にかければ良いのだから」
「吸血鬼カルダル、反対だが、数年ごときで撤回するなら痛くも痒くもない。誓いを立てよう」
吸血鬼にとって、数年など人類の数秒に等しい。
もっとも強硬な反対派が賛意を示した事で、文字の導入やそれに関する改革も、どうにか誓約の天秤にかけられた。
これで支族全ての魔族が、改革に同意した事になる。私は胸を撫で下ろした。
ただ、ゴブリン族の族長は言った。
「しかし、肝心の文字ってのは、どういうものなんですかい?」
もっともな質問である。そこで、私は控えていた執事に一枚の羊皮紙を広げさせた。大きな紙であり、歩いて二〇歩ある円卓の半分が埋まった。
私は言った。
「これ一つ一つの記号が文字だ。皆はこれを書いて、各自の種族に広めてほしい」
カルダルが自身の若さを棚上げして憎まれ口を叩いた。
「はっ、こんな記号を導入したところで、何が変わるものか。しかし仮にも若い若い魔王陛下きっての頼みだ。仕方ないな」
しかし、この時は私も文字の影響力と、改革は更なる改革を呼ぶ事をわかっていなかった。
円卓会議は解散し、いつの間にか丑三つ時になっていた。次の夜には吸血鬼族、ゴブリン族を主力とする軍勢で、人狩りの制圧事業に着手しなくてはいけない。だが今の私には疲労を回復する必要があった。デーモン族は毎日多少の睡眠を必要とするが、今の私の疲労具合からして、人類のように朝まで寝る必要がありそうだ。
「だいぶお疲れのご様子で」
執事には見抜かれていたらしい。共に私の自室へと歩きながら、そう言われた。
「まぁまぁだな。実際、疲れたよ。お前と二人で人間の文字に、読み方を必死に当てはめて、その足で会議だったからな。休む暇もない。
私は寝る。お前にもかなり負担を強いたな。よく休んで、次の夜の遠征に備えてくれ」
「御意。ただ、こちらの地図は、どうしましょう?」
地図?と一瞬疑問に思ったが、あの地形や街、城の位置が書かれた紙だと思い至った。天高く舞い上がり、地形図はスケッチできても、街や城塞都市の場所を「地図」としてまとめたのは人類だ。私は言った。
「その卓上にでも置いておいてくれ」
「はっ!それでは、お休みなさいませ」
執事の退出後、私は一人で地図を卓上に開いてみた。海岸線は大雑把だが、どこに人類の村、街、城塞都市があるかが書かれ、主要な街道や宿屋の存在などが記されている。中にはオーク族や吸血鬼族の拠点と思しき場所まで書かれていた。この二つの部族が住む地域は、人類の拠点に近い。
「なるほど、これなら人間同士のやり取りもしやすいし、かつての惨劇の理由も説明がつく」
私は熱中し出すとのめり込む性格だが、地図を真剣に見始めた時、大きく欠伸をしてしまった。
「これは、真面目に寝た方が良さそうだ」
一度そう思うと、それ以外の事が頭から抜け落ち、眠る事しか考えられなくなった。
(これは……相当疲労しているな……)
よろよろと寝台へと近づき、かろうじて正装を脱ぎ散らかした。そして寝台へ倒れ込み、そのまま寝入ってしまった。
ただ、夢の中で父に今日の事を一応の及第点とされた気がした。
「よくやった、初めての会議にしては上々……と言いたいが、カルダルら吸血鬼族の反抗は怖いぞ。奴らの力が最高になる丑三つ時には、お前でも何体かを相手にするのがやっとだろう。先日のように大軍で来られれば大事だ。
我が子、アルクよ。統一するのに必死だったばかりに、我より伝えられる内政の要領などはない。全て、お前が切り開かねばならん。内政で成功を治めた時、デーモン族や吸血鬼族などを越えた、本当の意味での「魔族」の時がやってくる。
辛く苦しい、血の流れぬ戦と心得て、事に当たってほしい。
さらば、アルク。良き統治者となってくれ」
早朝、日が昇った頃合いに、私は目覚めた。父の言葉が、現実でも残響しているような気分だ。
寝台から草履を履いて起き上がり、窓の戸を開けた。すっかり明るくなった朝日が、室内に入ってきた。しかし魔族の筆頭格として、日が入る部屋というのも嫌気が差す。
「やれやれ、父上。死後の御高説はこれくらいにしてくださいよ」
私は一人、笑みを浮かべていた。死後の魂がどうなるか、わかってはいない。誓約の天秤に載る魂も、本当に魂と呼べる物かは不明だ。
それでも、私は統治における「父離れ」は未だ成っていないように感じていた。
付き人たる小姓のスケルトンに昨日の正装を整えておくよう言いつけ、城内の王の専用部屋にて朝食を摂った。人肉の質が明らかに悪い。ぶよぶよの脂肪ばかりだ。
「申し訳ありません!我が技術では、これが精一杯――――」
「構わぬ。王にとっては一人で朝食を摂るなど、それだけで贅沢であろう?」
「畏れ多いお言葉」
「下がってよい。食べ終われば呼ぶ」
「御意」
コックを下がらせ、一人の時間を味わった。食べ終わる前に仕事が舞い込む事も王の責務。一人の時間は貴重である。不味い料理も忘れるほど――――
「陛下はおられますか?」
緑顔の黒魔術師である執事がやってきた。一人の時間も終わりである。
私は呼び鈴を鳴らしてコックを呼び、席を立った。そして執事に用件を聞いた。
「いかなる用件か?人類狩りの時も迫っている。手短に済ませたい」
執事は言いにくそうに、
「それが、その……デーモン族族長が面会をご所望でして」
そう告げた。族長の性格もわかっている身としては、執事が困った顔をするのもわかる。
「了解した。こちらから出向こう」
「しかし、魔王陛下としての立場は――――」
「それがわかって言ってきたのだろう。執事、お前も正装を手伝え。族長様への面会だ」
「はっ、御意に」
私は執事を引き連れて私室に向かった。
魔王という立場と、デーモン族族長とは微妙な関係が続いてきた。魔族の総大将として父が任命されて人類の数世代の年が経ち、結果的に総大将がそのまま魔王として全種族の統治者になった。治世は幾日かで終わり、実質的な魔王としての職務は私に引き継がれたが、所詮私は血縁で選ばれた次代目魔王である。
そして、全魔族の統治者たる魔王とは別に、デーモン族の族長がいるのが状況をややこしくさせている。王族一門の長がそのまま魔王であれば、状況はどれほど楽か。
という愚痴と陰謀を混ぜ合わせたため息をして、私は族長様との面会へ向かった。魔王の部屋と、他のデーモン族の居室は分けてある。先の説明で、状況のややこしさは伝わったろう。
「執事よ、お前はここで良い。ここからはデーモン族の聖域だ」
「御意」
執事はその辺りの事情を察しているのと、ある一点を理由におとなしく引き下がった。心配事があれば何かと口を挟む執事が、である。
私は城内に設けられた、広大なデーモン族の居室の呼び鈴を三度鳴らして名乗った。
「魔王アルク・デルモス、族長バルドザ・デルモス様のお呼びに従い参上した」
小柄なスケルトンが、扉を開けた。デーモン族の族長は、とことん私をコケにしたいらしい。
私が成人したデーモン族では最年少という事もあり、広い部屋の赤絨毯を堂々と進む私に、妬み嫉みの視線が刺さった。しかしある理由から、皆私に正面からは挑まない。
小声の罵倒の中、部屋の最奥にある祭壇のような椅子に座った族長がいた。
私は跪き、頭を垂れた。
「魔王アルク・デルモス、お呼びに従い参上致しました」
「ふん、腹の中では、余を馬鹿にしているのだろう?アル……なんだったか?そうか、アルクか!アルク・デルモスよ」
簾で顔を半分隠し、バルドザは言った。しかし、それが落ち度に成った。
私は抜刀し、腰の剣を抜いて簾を袈裟懸けに切った。その後、切っ先をバルドザに突きつけた。
「発言を訂正する気はあるか?」
「な、なんだと?まるで余に落ち度でもあるような言い草――――」
次の瞬間には、バルドザの首と胴は離れていた。血が噴き出る少し前、私は一歩引き下がり、返り血を浴びるのを避けた。
バルドザは無能ではない。身体も筋肉質で引き締まっていた。ただ、私の剣撃がその魔力を放つ間すら与えなかっただけの事。
「きゃああ!」
「貴様、族長を!」
何名ものデーモン族たちが騒ぎ立てたが、私は刃に付いた血を払い、高々と宣言した。
「これは魔族の法にあらず。古のデーモン族の掟に従ったまでの事。諸君、まさか二代前、すなわち私の祖父が族長だった折、定められた法を忘れてはいまいな?」
デーモン族は名誉を重んじる。しかしそれ故のいざこざも絶えず起こってきた。そこで私の祖父、デーモン族族長は次の文章を戒律とした。
名誉を傷つけられても、一度は相手に訂正の機会を与えよ。しかし相手に訂正の意志無き時は、決闘によって天の裁きとせよ。
「戒律を忘れた者は、デーモン族ではない。魔族としては待遇しよう。しかし王族、つまりはデーモン族の一員に留まりたいなら、変更が成されてない以上、デーモン族に通じる戒律に従っていただく。
そして、バルドザの跡継ぎがいない以上、デーモン族族長は私という事になる。異論がある者は王族待遇を諦め、この城を出ていっていただこうか。それとも、バルドザに忠義を尽くした以上、私が皆に一度不名誉を与えたとするなら、向かってくるがいい」
私が魔王たる最大の所以。それは純粋な強さである。丑三つ時の吸血鬼とさえ渡り合い、何名もの吸血鬼なら同時に相手取れるのは、このデーモン族で私しかいない。それが、私を世継ぎにと見込んだ父の遺志だと思っている。
デーモン族たちは怯み、不承不承ながら、私に向かって全員が跪いた。
副族長トレブランドは言った。
「突然の族長交代、臣下としては戸惑いを禁じ得ません。しかし、掟に従った上での行動、このトレブランド以下、全員のデーモン、族長に、魔王に臣下の礼をお取り致します」
テレパスでも、同様の言葉を心中に抱いているのが分かり、私は安心した。最悪、デーモン族全員を剣の相手とせねばならぬ思いでいたのだ。しかしデーモン族族長と、魔王という立場が分かれていては、将来に禍根を残す。そう判断しての不意打ちだった。
穏健派とされるトレブランドが臣下の礼を取った事で、一応はデーモン族は恭順の意思を見せている。テレパスで敵対感情むき出しの者もいたが、今はこれで良い。この連中を心身共に従えるのが、今後の課題だった。
私は剣を収め、宣言した。
「これにより、デーモン族族長と魔王は一体のものとする!我が血筋を継ぐ者が、デーモン族族長であり、魔族全てを束ねる王となる!心に刻んでおけ!」
「御意」
御意、という言葉が唱和しただけで、今のところは成功だった。
さて、私室に戻った私は卓上に地図を二枚広げ、立ったまま見比べていた。一つは千年前に黒魔術師が魔法でどこまで高く上昇できるか挑戦し、昇った高さの証明として、魔族の主だった生息地域を描いたもの。もう一方は執事が持ってきた、人類制作の地図である。
私は当初、今宵の侵攻先を黒魔術師のスケッチから考えたが、人間の寿命はデーモン族より遥かに短命だ。昔のスケッチから地形は把握できても、現存する集落や街の位置はわかるまい。
対して執事が持ってきた人類制作の地図は、海岸線や地形はいい加減でも、街や集落、それらを結ぶ道が事細かに書き付けられている。軍勢として、どこを攻め、どこを守るかを考えるなら、人類の手になる地図の方が役立つだろう。
かと言って、この海岸線や地形の描き方の拙さは問題だ。魔族による最新の地図が必要だった。
そう考えていた時、明け放していた窓に小鳥が止まった。私はふと思いつき、黒魔術師たちの集落を目指して飛ぶように、目が合った瞬間に暗示をかけた。伝言は一つ。日の暮れぬ内に、人類狩りを目指すのに向かう地方の最新の地図を届ける事。
鳥は魔王たる私の魔力に抗えず、すぐに伝書鳩の如く飛び去った。
不意に思いついた事があり、私は声を大きくして執事を呼んだ。
「執事よ!執事はおらんか?」
デーモン族の耳に小走りの音が近づいてくるのが聞こえ、やがて扉がノックされた。
「入れ」
私の声で、静かに扉は開かれた。
「失礼致します。遅くなり申し訳ありません」
「いや、失礼というなら、遠征準備で忙しい時に呼び出した私がそれに当たる。
さっさと本題に入ろう。今しがた、鳥に暗示をかけて伝言を付けて飛び立たせたが、魔法の伝書鳩を支族全てに付けて、連絡を密にする事を思いついたが、どうだろうか?」
執事は称賛と運用における疑問、不安点などをそれぞれ述べた。
「素晴らしい発想かと。しかし、テレパスで印字代わりにできぬ支族は――――あぁ!文字ですな!先日共有した文字をもってすればゴブリン族が吸血鬼族に伝言を送る事も!
しかし、余りデーモン族のあずかり知らぬところで密に連絡を取り合われては、陰謀の危険もあるのでは?」
私は静かに笑った。
「黒魔術師とこの城を往復するくらい、新魔法、新技術の開発に熱心なデーモンがいるではないか。奴に作らせ、私が命を吹き込む。そうすれば、逆に陰謀を探知できる」
「なるほど……妙案ですな。早速お呼び立てしますか?」
「そうだな、頼む」
執事が走り去ってから、すぐに足音が聞こえてきた。そして、乱雑にドアをノックした。
「失礼、アルクの坊ちゃん――――じゃない!魔王陛下、ご機嫌麗しゅう。も、申し訳ありません。昔の癖が抜けず、どうか不名誉を与えたとは考えないでくだせぇ」
道具箱を置いて跪き、震えている髭面のデーモン、彼こそ当代一の発明家、ベンイセ・デルモスだった。




